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2019年7月16日火曜日

香港デモについて考える‥‥どうなったら香港民の勝ちなの?日本はどうなってほしいの?妄想の独り言!

私の妄想記事です。{笑}

世界は今、アメリカの民主党勢力と共和党勢力の政権争いによって大きく動かされています。
国も、権力者も、大企業も、そして個人も、ある時はどちらかに味方し、ある時は戦いに巻き込まれたりもします。
我々人類はそんな中で、各々が自分の幸せを求めて頑張っているのです。

民主党の目指す世界というのは、金による平和な世界です。
金が全てで、将来的にはおそらく一部の金持ちがその他大勢を支配する世界になるのでしょう。
結果的には社会主義に近い形になりそうですが、今を生きる我々にとっての現状は、ちょっとした格差社会と言った所でしょうか。
ですがそれなりに金さえあれば戦争に巻き込まれるような事もなく、平和な人生を歩む事ができるでしょう。
だから今を生きる人は、自分達の幸せの為に、こちらを支持する人が多いように思います。
一方共和党は、本音をぶつけ合って、時にお互いの全てを使って各々がより良いと思う形を目指しているように思います。
今は時々ぶつかる事も、時に戦争もあるかもしれませんが、結果的にはより精錬された世界を目指していると言えます。
今は辛いかもしれませんが、未来を重視しているわけです。

どちらがいいのかを考える時、今をとるのか未来をとるのかというのが重要になってくると思います。
金が全ての世界は、最終的には金で支配する事も可能になってきますから、未来に期待はできません。
ただし、今はそこそこ金さえあれば幸せな一生をおくれるでしょう。
未来を重視するのなら、今はまだまだお互いの価値観をぶつけ合わなければならない時代かと思います。
ただその戦いの先に、より良い世界が築けるはずです。

まあそんな世界の中で、香港というのはどういう位置にあるのでしょうか。
金が全ての民主党に近いのは、中国では江沢民派であります。
その江沢民にとって香港は、マネーロンダリングや資金移動をするのに重要な場所です。
香港の現状維持こそが江沢民、或いはアメリカ民主党の望みであると言えます。
しかしそれに対する勢力があります。
共和党は当然ですが、習近平の現中華人民共和国です。
習近平は江沢民とは敵対関係にあり、敵の味方は敵であり、敵の敵は味方という事で、この件に関しては共和党と利害が一致します。
つまり、香港を守りたい民主党と江沢民、香港の現能力を封じたいのが共和党と習近平といえるでしょう。
ちなみに、対江沢民という事では習近平と共和党のトランプは手を組んでいますが、その他では当然敵対している所もあります。
ですが習近平にとっての一番の敵は内の江沢民であり、大いに妥協してトランプに協力しているといった所でしょう。

さて、香港民にとっては、どういう結果が望ましいのでしょうか。
逃亡犯引き渡し条例は、香港の現能力を壊していくものであり、江沢民にとっては望ましくありません。
だからもしかしたらデモのスタートは、江沢民による扇動が有った可能性はあるでしょう。
江沢民は、今の香港には手出ししてほしくないのです。
一方習近平としては、逃亡犯条例もまあいいのですが、この機会に香港を叩き潰せたらいいと考えている可能性があります。
その思惑がぶつかり合い、その中で頑張っているのが香港民という事になるのです。

この戦い、香港民はどうなったら勝ちなんでしょうかね。
デモが潰され、香港が潰される結果は負けでしょう。
かと言ってこのまま残ったとしても、いずれは中国と一緒になる事が決まっています。
イギリスとの一国二制度の約束は50年です。
それまでマネー犯罪に利用され、いずれは共産主義の中に埋もれていく場所です。
香港人だけでは、どっちにしても最後には負けるのです。
勝利があるとしたら、一国二制度が終わるまでに、中国の共産主義を終わらせるしかありません。
だから今、中国人が大勢くる境の場所でデモを行い、中国人に向けてメッセージを発しているわけです。
そして中国人が目覚め、中国の共産主義を打倒し、民主化をする事が香港民の勝利と言えるのでしょう。

おそらくそこで、多くの中国人の血が流される可能性があります。
或いは香港人自身も、多くの血を流す事になるやもしれません。
我々は安易に『香港加油!』と応援していますが、そこまで頑張れと思って応援しているのでしょうか。
一部日本の左派がいきなり香港を応援したりしましたね。
あれは江沢民の目指す「金が全て派」の人達でしょうね。
メディアなんかもそうですが、中国共産党の批判はしませんでした。
とりあえず香港民に現状維持の為に頑張れという感じです。
でも本当に香港の人達の事を思う我々は、どういう結果を求めたらいいのですかね。
平和的に中華人民共和国が滅んで、民主主義国家の中国ができるのなら、それが一番いいのです。
でも、そんな事、ありえますかね。

そんな事を考えていると、安易に香港民を応援するのもどうなのだろうかと思えてくるわけです。

日本人としても、デモが中国に波及し、今の中国が崩壊して、あらたな民主主義国家ができる事が望ましいのでしょう。
そういう意味では香港民と同じかもしれません。
ただその過程で、今の香港民が今の裕福な暮らしを続けていけるのかどうかは、非常に怪しいと言わざるを得ないでしょう。

だからなのでしょう。
結果について語る人はほとんどいません。
みんな語れないのです。
ですがあえて、私は私の妄想と言う事で、思いをここに書いておく事にします。
いやいや世界は難しいですね。
単純に書きましたが、本当はこんなに単純な問題ではありません。
だけどなんとかうまく、みんなが幸せになれる形に収まってほしいものです。

2019年7月15日月曜日

元NGT48の山口真帆さんへの暴行事件について 事件の事をよく知らない人にはどう見えるのか?

前に、元NGT48の山口真帆さんが男性に暴行されるという事件がありました。
私は、この事件の事についてよく知りませんし、興味もそんなにありませんでした。
しかし今もツイッターをしていると、複数の人からのリツイートなどで頻繁に事件の解明を求める意見が流れてきます。
となるとやはりそれなりに気になってくるわけで、まあツイッターで今まで見てきた範囲内ではありますが、私なりの見解を記事にする事にしました。

ハッキリ言って事件の詳しい事も、そもそもNGT48の存在すら知らなかった私の見解ですから、全く見当違いの意見を書く事になるかもしれません。
或いはファンにしてみれば腹立たしい記事になるかもしれませんので、どんな事を言われても怒らない人だけ読んでください。{苦笑}
当然憶測だらけの見解になります。
ご理解いただける方のみ、先を読んでくださると助かります。

最初に結論から申し上げます。
私にはこの事件、『山口真帆さんを嫌う別のメンバー或いは複数人が、ファンの男性を使って山口さんに悪質な嫌がらせ、或いはイタズラをした事件』と見ています。
どうしてそう見るかはおいおい話していきますが、この時点で腹が立つとか思った人は、今からでも間に合いますので先は読まないでください。

順番に話していきます。
NGT48には、女性が沢山いるグループにありがちな、対立があったのだと思います。
山口さんを嫌うメンバーがいたのでしょう。
どうして嫌っていたのか、山口さんも相手を嫌っていたのか、嫌われる理由があったのか、等色々気になる事はあるのですが、今私がもっとも気になるのは『山口さんが今もこの事件の真相を解明したいと思っているのかどうか』という所です。
もしも今も解明を望む行動をとっているのなら、おそらく山口さんには全く非は無く、嫌うメンバーが仕掛けた悪質極まりない嫌がらせだったのでしょう。
今後もファンは山口さんを応援して、真相を解明するのに力を貸すのも良いと思います。
しかし今、もしも山口さんが何も言わなくなっているとしたら、さて、ファンはこの問題の解明を訴え続けるべきなのかどうか、少し考えてしまいます。

一つに、山口さんが嫌われる対立構造に、山口さん自身の評判を落としかねない理由があった場合です。
それならこのまま事件を終わらせた方が、山口さんの為には良いかもしれません。
ただ、個人的にはそういう理由はほとんど考えられないと思っています。
何故なら、山口さんに味方する声の方があまりにも大きく感じるからです。
他には、既にメンバーが内々に既に山口さんに謝罪している場合も考えられます。
その場合、山口さんはもう何も言う事はできないでしょう。
でも内心では事件の裏を公にしたい気持ちもあるかもしれません。
その場合はファンの運動だけが頼りです。
関係者に迷惑をかけたくないから何も言わなくなった可能性も高いです。
その場合は、その気持ちを汲み取って、静かにするのもファンの対応かもしれません。
逆の可能性もありますが、山口さんが評判通りの良い人なら、ファンはそろそろ騒ぎを続ける事を止めた方が良い可能性があります。

いずれにしても、後はファンがどう見るか次第ですかね。
ただ、結論は既に出ていると思っています。

これは、メンバーの誰かが、山口さんに悪質な嫌がらせをした、或いはけしかけた事件でしょう。

犯人とされる男性は、不起訴となっています。
どうして強制猥褻未遂は誰の目にも明らかなのに、起訴されないのでしょうか。
その理由を考えたら、もうそれしか考えられないからです。

起訴されなかった理由は2つです。
一つはメンバーによるイタズラだったからというもの。
もう一つは、山口さん本人がイタズラだった事を事実上認めている事。
何故なら、襲われた後、男性と共に公園に行き、事実の追及をしています。
襲われた時は怖かったでしょうが、その後なんらかの形で、これが悪質ではありますが『単なるイタズラ』だった事を理解していたと思われます。
もしも襲われた後、部屋に逃げ込み警察に連絡し、部屋で震えながら耐えていたというのなら、これは強制猥褻という事にもなった可能性は高いです。
でもそうなる前に男性が誤解を解いたと考えられます。

こんな悪質で卑劣な嫌がらせ、或いはイタズラを私は許したくはありません。
そもそも私はドッキリカメラですら大嫌いです。
ああいう番組を見ていると腹が立ってきます。
人を騙す行為は駄目だと思うし、一時でも本当の恐怖を味わうわけです。
それを冗談で済ますとか、私にはあり得ません。
ですが、『仲間内のイタズラ』では、悪意、今回の場合は『本当にレイプする意思があったのか』が証明しづらいのです。
おそらく今回の事件、仕掛けた側も、実行した男も、まさかここまで大事になるとは思っていなかったでしょう。
気分はちょっとした嫌がらせだったからです。
ですが本気で恐怖する山口さんを見た男性は、その時になって初めて事の重大さに気づいたのだと思います。
だからその後、これが嫌がらせだったと、本気ではなかったと説明したのではないでしょうか。
でもこれが、単なるファンの行為なら、流石に不起訴とはならなかったでしょう。
メンバーも一緒にイタズラに参加していたから、不起訴になったのだと思います。

最初に戻りますが、この事件の結論はでていると思います。
山口真帆さんを嫌うメンバーが、ファンをけしかけて、或いはファンと一緒になって行った、悪質極まりない嫌がらせ、柔らかく言えばイタズラ事件です。
問題はこれを明らかにした方が山口さんにとって幸せなのか、或いはみんなにとって幸せなのかどうかです。
その辺考えた上で事件の全解明を訴えるというのなら、それはそれで良いし、逆も然りです。
ただそれが言いたかったので、今回記事を書きました。

正直ほぼ憶測ですので、まるで当たっていない可能性が高いです。{苦笑}
でもまあよく知らない人にはこう見える、というのを書いてみました。

※※追記※※

一応こんな可能性を妄想している人もいるのではないかと言う事で追記しておきます。
なんらかの狙いがあって、男性をけしかけた誰かが別にいる可能性です。
誰かには言及しませんが、 まあ微レ存な可能性として‥‥

2019年7月9日火曜日

女性は自衛を!人が人を裁くには限界がある!ピンクレディーのSOSを聴こう!

前にも似たような記事を書いたかもしれませんが、改めて書きたいと思います。

伊藤詩織氏の山口敬之氏に対する訴訟の口頭弁論が始まりました。
この話の真実は何処にあるのかなんて、私にはもちろんわかりません。
ただ言えるのは、証拠が有れば有罪になり得るだろうし、無ければ無罪になるという事です。
それは人が人を裁く上での最低限の鉄則であり、必ず守らなければならないルールです。
何故なら、それを守らなくなったら、誰でも簡単に犯罪者に仕立て上げる事ができてしまうからです。
冤罪がいくらでも成立してしまうのです。
だから、証拠が無ければ無罪となるのは、どうしても仕方がないと言えるでしょう。
そして無罪となった人を責めてはいけません。
被害者は本当の事を知っているので責めるのも仕方がありませんし、その身内や関係者も被害者を信じて責める事はあるでしょう。
しかし部外者は、無罪になった人を責める事はできないのです。

ある人が言っていました。
部屋で二人きりだとしても、同意も無しに襲ったらそれはレイプだと。
もちろんその理屈は分かりますし、嫌なのに襲われた人は当然レイプされたと言うでしょう。
しかし二人きりの部屋で、被疑者がレイプをしたという証拠は残るのでしょうか。
おそらく難しいと思われます。
隠しカメラやなんかを設置していれば別でしょうが、基本的には無理でしょう。
そうなると、後でレイプされたと言っても、おそらく被疑者は無罪となってしまうのです。
これは人が人を裁く上での限界であり、どうにもならないのです。
人間は神様ではないのですから。

だから私は言いたいのです。
人が人を裁く限界を知っておいてほしいと。

女性を襲う男はクズです。
ですが残念ながら、どれだけ治安の良い国であっても、クズは一定割合いるのです。
たとえ全てを極刑にした所でクズはゼロにはならないでしょう。
だったらどうするべきでしょうか。
後は女性(被害者)に自衛していただくしかないのです。
人が人を裁ける限界を知り、これ以上行ったら証拠が残せないと感じたら、その気が無ければそれ以上はお断りするしかありません。
或いは自分で撃退できる力を持っておく事になるでしょう。
それを理解しておいてほしいのです。

悪いのはクズだというのは重々承知しております。
ですがそいつらをいくら責めた所で、人には裁ける限界があるのです。
その限界を知り、体を大切にしてください。

昔流行った、ピンクレディーのSOSという曲はオススメです。
昔の人はこれを聴いていたので、ガードが結構堅かったかもしれませんね。
警戒心も強かったのかもです。

被害にあってから、「悪いのは相手だ」と言っても、証拠が無ければ人間には有罪にはできないのですよ。
神様がいればいいんですけれどね。
或いは私が神様なら、男女問わずクズは裁いてあげるんですけれどね。

2019年7月6日土曜日

橋下徹氏のツイート発言が興味深かったのでちょっと考えてみる!

橋下徹氏のツイート発言、見た時『なんじゃこりゃー』と思いました。{笑}
皆さんはこの発言をどう捉えるでしょうか。
このツイートをツイッターサイトで見れば、上下にまだツイートがありますので、そちらを確認する必要もあります。
ですがまあ私が最初に思った印象としては‥‥

『プライドを傷つける行為は何をおいても絶対に許さない』

そんな風に感じました。
傷つける行為を許してまで他に守る価値などないわけですから、つまりはプライドが最も大切だと言っているように思えるわけです。
本心はおそらく違うとは思っていますが、でもその後のツイートを見てもそんな感じがするんですよね。

例えば韓国が悪い事をしていても、それに対して相手のプライドを傷つけるような暴言は使わないで、悪い事だけを批判すればどうだろうかと言っているのでしょう。
それなら分かります。
ただし、それを言ってしまったからと言って、理由が相応にあるのならそれは人として仕方がない事だと思いますし、橋下氏のツイートを素直に捉えると、実際に悪い事をしている韓国よりも、それに対して怒って相手のプライドを傷つけるような事を言っている人の方が悪いと言っているように感じます。
被害者なら何を言っていも良いというのは違いますし、傷つけるような事は言わない方が良いというのは納得しますが、どちらが悪いかと言えば悪い事をした韓国が悪いのです。
これはあくまで例えの話ですよ、念の為。

橋下氏は、自分がやっている非礼さに気づかず、他人の非礼さだけを批判するのは『最悪』だと書いています。
そこはやはり違うのではないかと思うのです。
最悪なのは先に非礼を働いた方です。
それに対して同じ事をしたなら、同類にはなるかもしれませんが、最悪ではありません。
実害に対して言葉で言い返すくらいなら、言葉の方がよっぽどマシだとも思います。
韓国は竹島を不法占拠し、嘘を世界に広めて日本を貶めています。
日本のプライドはズタズタです。
そこに言葉で罵声を浴びせても、実害とは比べるレベルではありません。

プライドを傷つけないようにして、上手くやっていった方が得ではないかというのなら、それはそれで分かります。
ただ、プライドを傷付ける差別を許して、そのほかに守る価値などないと言っていますから、この世の中で一番悪いのは差別と言っているようにも感じますし、プライドがぶつかった場合はどうするのでしょうかね。

靖国参拝の問題からこの話に流れた事を考えると、韓国のプライドも考えて日本が色々と折れてあげたらどうだろうか、そんな風にも感じます。
でも日本のプライドはどうなるのでしょうか。
先に日本のプライドがズタズタにされているのですよ。
もちろんこれが原因で戦争になるというのなら、今一度考え直す事もあるかもしれません。
しかし元々韓国側、或いは中国側の勝手な言いがかりなわけで、それに勝手にプライドを持たれても困ります。

ただ粛々と靖国参拝すればいい問題だと思うのですよね。
できないのは憲法解釈と公明党の反対が今は大きい気がします。

まあこれはあくまで橋下氏の持論だと本人もおっしゃっていますし、政治家でもないのですから思想考えに対して文句を言うのも違うでしょう。
だから橋下氏が馬鹿だとか言うつもりは全くありません。
ただ、ちょっと誤解を生むツイートかもしれないし、私の捉え方で合っているのなら、少し考え直した方がいいのではないかと、そんな風に思いました。
橋下氏の事ですし、何か考えあっての事かもしれませんしね。

とりあえず、橋下氏のツイートを見て、『橋下さん怖っ!』って思った話でした。

2019年7月5日金曜日

そうだ!良い事思いついた!選択的夫婦別姓なんてやっぱりいらんかったんや!

最初に断っておきます。
この記事は単なる思いつきで、検証も何もせずに書いております。
提案は半分ギャグだと思ってお読みください。{笑}

真面目に書いた、選択的夫婦別姓に反対する意見に関しては、過去記事をお読みください。

私が夫婦別姓に反対する理由 そもそもどうして夫婦は同じ苗字なの?
選択的夫婦別姓に前々から反対していたわけだけど、最近ますます反対する気持ちが大きくなった!
選択的夫婦別姓には1000%大反対で議論の余地無し!話を聞くほど反対する気持ちが強くなる‥‥
さて再び選択的夫婦別姓に関して検証!やっぱりこれはと思える納得いく理由が一つも見つからなかった‥‥

とは言え、少し反対する理由も書きます。
というかですね、これは今まで書いていない事ですが、選択的夫婦別姓に賛成する人は、本当に賛成してるの?と疑問に感じる所があります。
以前私が呟いたツイートがプチバズって、多くの賛成者からリプをいただいた事があります。
その時、ツイートだと誤解を生むので記事にして反対意見を書きました。
その記事に対して、5000以上のアクセスがあり、多くの方が読んでくださったようです。
しかし、その記事に対して、反論なりコメントが1件も無かったんですよね。
もうその時点で選択的夫婦別姓は間違っていると言わざるを得ないのですが、それでも賛成する理由に対して私なりの対応方法を書かせていただこうと思います。

ハッキリ言って、ずっとこの選択的夫婦別姓に関して注視してきて、これのメリットと言える部分は大きく分けて2つしかありませんでした。
その一つが、面倒さ、混乱の解消と、コストの削減というものです。
正直選択的夫婦別姓を導入した所で、混乱やコストに関しては改善できるかどうか微妙です。
面倒さという一点においては、まあ理由としては成立するでしょう。
ただし、私にはその程度という気もしますし、そういう意味でも反対しておりましたが、どうしてもというのなら、これら全て手続き上の問題ですから、そちらをキッチリ整理すれば済む話なんですよね。
パスポートには記載されているらしいですが、マイナンバーカードや免許証にも旧姓を書いておけばオッケーなのではないでしょうか。
そしてITが発展してきている今ですから、婚姻届けで苗字を変えれば、他でも変更されるようにネットワーク化しておけばいいのです。
そっちをやれと言った方が早いと思います。

もう一つが、今までの自分が無くなるようで寂しいという意見です。
この法律になんのデメリットもなければ、考える余地はあるかと思いますが、現状はこれも考える余地はなさそうです。
ある記事によると、女性の苗字変更に疑問を感じる女性が3割、感じない人が7割でした。
多数決をとっても今のままでいいわけですが、選択的なので3割の気持ちを考えるのもありです。
しかしその理由が概ね上記した通り『寂しい』だけなんですよね。
別の方の意見で『病む』というのを聞いていましたが、アンケートではそこまでの人はいませんでした。
つまり『病む』までの人はいたとしても例外程度だという事です。
『寂しい』程度で莫大な予算を使って法改正するとか、普通はあり得ません。
それでもどうしてもと言うのなら‥‥
と言う事で、今日の私の提案というわけです。

もうね、だったらもう苗字、氏、名前とすればどうでしょうか。
例えば佐藤太郎さんと山田花子さんが結婚した場合、佐藤太郎さんはそのまま、山田花子さんは、佐藤山田花子って名前にするのです。
これなら寂しくないですよね。
旧姓も一発で分かりますし、便利にもなりますよ。
もちろん今まで通り氏部分(旧姓部分)の省略は可能です。
あくまで正式名は佐藤山田花子であり、佐藤山田花子と佐藤花子は同一人物という事です。

最初に言いましたが、これは単なる思いつきです。
でもこれで寂しいという問題解決はできますね。

2019年7月3日水曜日

さて再び選択的夫婦別姓に関して検証!やっぱりこれはと思える納得いく理由が一つも見つからなかった‥‥

私は選択的夫婦別姓には大反対しております。
理由は、まずほとんどメリットが無い事です。
そしてあまりにデメリットが大きい事です。
詳しくは過去の記事をお読みください。
私が夫婦別姓に反対する理由 そもそもどうして夫婦は同じ苗字なの?
選択的夫婦別姓に前々から反対していたわけだけど、最近ますます反対する気持ちが大きくなった!
選択的夫婦別姓には1000%大反対で議論の余地無し!話を聞くほど反対する気持ちが強くなる‥‥

しかし賛成する人がいるのですから、理由はしっかりと聞いて考えるべき事です。
そこで私は以前からツイッターで反対を訴え、私の疑問に答えてくれる人を待っておりました。
そしたら今回、わんわんさんと言う方からツイッターで意見いただきました。
本当にありがとうございます。
そこで今回はじっくりと意見を検証したいと思います。
検証先リンク

まずは改姓後の不利益から意見が始まりました。

①結婚離婚養子縁組という個人情報が全く守られない
ちょっと言っている意味が分かりませんね。{汗}
具体的にどういう事なのか知りたいですが、少なくともこのような事で疑問に思っている人、或いは身近にはいないので、大きな問題ではなさそうに思います。

②改姓する事により改姓前と改姓後の人物が同一人物といちいち証明しなくてはならない
これは意味は分かりますが、これも大した手間ではない気がします。
パスポートに両方記載してあったりしますし、普段は口頭伝えればオッケーなのではないでしょうか。
問題視している人が全く身近にもいませんし、この辺りでどれくらいの不便を感じるものなのか、実際の声と、そういう声を上げている人数がどれくらいいるのか、ソースを示していただきたいです。

③改姓コストがかかる
これは以前私が唯一認めた現状のデメリットですね。
ただ、『選択的』ではその改姓不要によるメリットよりも、ごちゃまぜに管理するコストの方が高くなるのではないかという心配もありますので、やはりこれをデメリットと考えるにはちょっと足りない感じがします。

④改姓により喪失感で心を病む人が多い
これは蓮舫議員も指摘していましたね。
ただこれも全く聞いた事がありませんでした。
とりあえずどれくらいそういう人がいるのか調査が必要でしょう。
ただし、他国で選択的夫婦別姓をやっている所では、離婚率が増えています。
もしも喪失感で病むなら、離婚率は減ってもいいのではないかと思うのです。
メリットとデメリットを考えれば、やはりこれもデメリットの方が小さいと考えるべきでしょう。

⑤改姓した事により本来対等であるはずの夫婦に上下関係が出来、人間関係が崩れる例も多い
人間関係が崩れる今よりも、崩れない改正後の方が離婚率が高くなっているデータに当てはめると、実は別姓の方が人間関係が崩れていると言えるのではないでしょうか。
かりに人間関係が崩れるのではなく単なる希薄化だとしても、離婚率が上がる可能性が高いというデータがある以上、社会全体にとってデメリットが大きいです。
これも信憑性に欠けると言わざるをえません。
それに何故改姓が上下関係を作ると言えるのでしょうか。
父親が大黒柱的な家もあれば、かかあでんかの家もあります。
むしろ家では母親の方が強い家の方が多い気がしますがどうなんでしょうか。

⑥改姓したことにより配偶者の親と軋轢が生まれる事も数多く報告されている
改姓が理由だとどうして分かるのかが気になりますね。
そしてどのような軋轢が生まれているのでしょうか。
私にはちょっと想像できないので、この辺りももう少し丁寧な説明が欲しい所です。
ちなみに改姓が理由で軋轢が生まれたという話は今まで一度も聞いた事はありません。

⑦氏名上半分が変わることで「行方不明扱い」となる人も後をたたない
どこの国の話でしょうか。
日本で苗字が変った事で行方不明になった例はどれくらいあるのでしょうか。
実際の例とその数が知りたいです。
これも全く聞いた事がないので俄かには信じられない話です。

⑧職場で旧姓を使えてもその職場は二つの名字を管理するコストを負う
これは選択的夫婦別姓を導入しても同じ事です。
夫婦別姓を義務化するなら分かりますが、あまり意味を感じません。
それに私の職場では旧姓のまま仕事をしている女性が沢山いますが、そんなコストは聞いた事がないです。
どこにコストが生まれるのか疑問を感じます。

⑨少子化により現行法では家名が絶える家も多い
そうですね。
珍しい苗字など、無くなるのは寂しいと私も思います。
しかし子供が少子化で一人だと、結局どちらかの苗字を受け継ぐ事になります。
苗字かある程度減って行くのは仕方がない所なのでしょう。
養子縁組で上手く苗字が残せたらと思います。

⑩96%の女性が改姓している現状を国連から繰り返し「事実上の女性差別」勧告を繰り返されている。日本の恥
国連ではなく国連の『方から来た方々』ですね。
国連もそうですが、お金を出した国のプロパガンダに使われている現状、まともに機能しているとはいえません。
それに私は日本こそ真の男女平等だと誇りに思うくらいです。
男女は違うわけで、何もかもが同じが良い訳ではありません。
男女が共に幸せになるにはどういう風にするのがいいのか、それぞれ考える事が大切だと思っています。
無意味な平等に流される方が私は恥だと思います。

⑪改姓前と改姓後の人物が同一人物という証明は戸籍でしか出来ない。人権問題で戸籍を提出される機関も戸籍の取り扱いにコストがかかっている
ちょっとどういう事かわかりませんね。{汗}
証明する場面ってどれくらいあるのでしょうか。
多少面倒な所があるのは重々理解しておりますが、一度変えてしまって苗字の変更手続きを完了した後に、どれほどの手間とコストがあるのか、一般人が困るであろう場面を具体的に並べてもらいたいです。
私の周りの友人や、母親を見ていても、実際困っている所はまるでありません。

⑫もし職場で改姓すれば職場内の従業員改姓手続きを担当者が何日も残業しながらこなしている現実がある
そこまで残業しなければならないくらい何を変更するのか、具体的に知りたいですね。
私にはまるで想像できません。
私のいた会社では、登録名を変更するだけで全部変更されますから、大した労力を必要としません。
これから先の未来では、PCがますます導入されていきますから、もう今更変える必要はないでしょう。

⑬女性が改姓する前提があるため、家庭内で男女の兄弟を親が差別化して育ててしまう例も後をたたない
これも俄かには信じがたい話です。
私の友達はみんな親になっていますが、子供を差別して育てる親は一人もいません。
まあ女の子が欲しいという友達はいましたが、子供が生まれればみんな可愛がります。
子を愛する普通の親ではない話は、別の解決方法を考える必要があるでしょう。

⑭現制度のままだと夫婦で同姓同名が起こり得る。
これは確かにあり得ますね。
でも混乱以上にお互い嬉しい気持ちになるのではないかと私は思います。
むしろ同じ名前の人と結婚して同じ名前になりたいですね。
まあでも確率で言えばこの程度の確率をリスクと考えるのはナンセンスです。

⑮改姓手続きは多くは平日昼間しか出来ない。取らずにすむ有給を取らなくてはならず、その人の穴埋めも必要
むしろこれはメリットなのではないかと思いますね。{笑}
いやいや、現在の環境が悪いのは重々理解していますが、こういう理由なら休みもとりやすいのではないでしょうか。
結婚を祝う意味でも、みんな歓迎してくれますよ。

次に事実婚のデメリットが書かれていましたが、苗字を変えたくないから事実婚とか、それをデメリットというのは違う気がします。
改姓が面倒だから事実婚のデメリットを受け入れるって、そこまでして改姓したくない理由が知りたいのです。
上記した理由は、いずれも事実婚をしてまで避けたい理由には全く感じません。
選択的夫婦別姓にした所で、結婚が増えるとも思えません。
実際の体験をいくつか前に読んだ事がありますが、いずれも私には『その程度で?』としか思えないものばかりでした。
中には本当に苦しい事情のものもあるのかもしれませんが、それでもその数とデメリットを天秤にかければ、考える余地すらないくらい差があると思います。

後はコスト、手間の問題が書かれておりました。
この辺りも、今はITが発達していますし、ドンドン変更が簡単になるでしょう。
それに普通は、一生に一度だけの大きなイベントです。
多少の手間は私は問題がないと思っています。
もちろん、その手間も無い方が良いという考えは理解しますよ。
ただ、やはりデメリットに関する解決策、そしてもっとハッキリとしたメリットがないと、選択的夫婦別姓には大反対です。
今回も結局は、これはと思える理由には出会えませんでした。
それなのにデメリットだけは沢山、しかも深刻なものまであるわけです。

今あるメリットを捨て、法改正するデメリットを考えると、到底受け入れられない話ですね。

※※追記※※
ちなみに上記ツイートした事以外の事例はインターネットで調べられる範囲で調べた結果、ほとんど問題と言えるものは見つかりませんでした。
多少意見としてはありましたが、法改正が必要なほどの問題はないという事です。

2019年6月25日火曜日

あれも差別これも差別どれも差別やっぱり差別!!そろそろ整理して考えて欲しい‥‥そうだ!これからは『差蔑視』と言おう!

ツイッター上には、識者著名人そして弁護士と専門家が結構な数発言しております。
しかし、どうもまともでない事を言う人が結構な数いるようなのです。
弁護士なんかは法律の専門家だと思っていましたが、いやいや常識とかけ離れていると申しましょうか、自分の思想に偏った解釈をするものだと、ちょっと残念に思う次第なのです。
弁護士と言えどもやはり人間で、思想感情に左右されるのですね。
私のようにデジタルに考える方法にも欠点はありますが、基本はちゃんと抑えておく必要があると思うのですよ。
まあなんにしても、そろそろ差別の定義をしっかりとしておく必要があると思うので、改めての提案です。

差別というのは、言葉の意味としては色々あります。
しかし批判されているのはこの全てではありません。
詳しくは過去の記事を読んでいただきたいのですが、まあ簡単に言えば、批判すべき差別結果を批判するものではなく、批判すべき差別行為が批判されているのです。

差別とは、『差別意識』がまずあり、それによって『差別行為』を働き、『差別結果』が生まれるという流れです。
そのどれも差別という表現がされ、主に結果が批判されるからややこしいのです。
しかも差別には良い差別、問題無い差別も存在し、ちゃんと悪い差別だけを批判するべきなのですが、その辺りも曖昧に批判する人がいるから更にややこしいんですね。

だから私は新たな言葉を作るべきだと考えます。
そうですね、悪い意味だと一目で分かるように『差蔑視』なんてどうでしょうか。
或いは略して『差蔑』でも良いですね。
とにかく、差を付けて別にするだけではなく、蔑視するという意味も含めるのです。

では批判すべき差別を差蔑視として表現し、これから少しだけ話をします。

批判されるのは、『差蔑視意識』があり、『差蔑視行為』を働き、『差蔑視結果』をもたらすものです。
しかしこの全てが揃っている時は良いですが、どれか2つだったり、或いは1つの時は批判してもいいものなのでしょうか。
差蔑視意識は心の中の事ですから、批判しようにも批判できませんよね。
せいぜいそういう意識を無くす為の教育をするくらいで、これだけで批判される事はありません。
ただし、無い方が健全と言えるのかもしれません。
では大抵は此処を批判するであろう、差蔑視結果はどうでしょうか。
これはですね、ここから差蔑視行為や差蔑視意識が推測できる場合は批判しても良いとは思います。
ただし、偶々その結果になる場合もありますから、ちゃんと確認してから批判するべきだとは思いますね。
例えばある会社で、全く同じ仕事をこなす男女に、給料差がある場合です。
男性の給料は10万円、女性の給料は40万円です。
これは当然差蔑視に当たると思われます。
しかしこの給料は、実は男性が会社に懇願して望んで10万円にしてもらったとしたらどうでしょうか。
それならこの給料差で会社を差蔑視だと言って責める事はできませんね。
差別ではありますが、差蔑視ではないのです。

つまりですね、差蔑視とは大抵の場合、差蔑視意識、差蔑視行為、差蔑視結果、全てが揃ってこそ批判できるものとして存在するわけです。

しかし、結果はそうではなくても差蔑視は存在します。
たとえば、外国人社員に嫌がらせしようと、外国人社員にだけ昼食に嫌いな食材入りカレーをごちそうしました。
外国人社員は嫌いな食材が使われている事を知らずに食べ、メチャメチャ美味かったと感激し感謝しました。
お腹も壊す事なく、 結果何も問題になりませんでした。
これってどうでしょうか。
やっぱりその外国人社員に対する差蔑視ですよね。
偶々問題にはなりませんでしたが、このような場合も存在するわけです。
これは外国人を差蔑視して差蔑視行為を行っていますから、批判しても良いものです。
これを知ったら外国人社員は怒っていいのです。

差蔑視意識がないと大抵は差蔑視行為は無いので、これは一緒に考える事ができます。
つまり、差蔑視意識からの行為が批判対象であり、それが無い場合は差蔑視とは言えないのです。
先にも言った通り、差蔑視結果から『差蔑視意識からの行為』があったと思われるものは批判しても良いと思いますよ。

基本は、差蔑視意識からの行為によって差蔑視結果が出たものを批判し、結果が無くても批判対象にはなり得る、と言ったところでしょうか。
厳密にいえば、差蔑視意識がなくても差蔑視行為を働く事もあるので、差蔑視行為があったかどうかが批判の対象になるかどうかって所だと言えるでしょう。

差別って言葉は色々な意味を含むので、差別という言葉を使って問題にしている間は、問題にしている事に問題が生じる可能性があります。
ちゃんと分けて考えたいですね。

ちなみに、これら批判対象になり得る差蔑視行為ですが、そこに理由がある場合もあります。
その時は、ちゃんとその理由が妥当かどうかを判断する必要があるでしょう。
結論を言えば、むやみに差蔑視批判(差別批判)はせず、まずはどういう事情なのかを確認した方がいいですね。

※※追記※※

言葉の意味としてではなく法的な解釈としては‥‥

憲法14条の法の下の平等は最高裁判決の通例として
『差別=合理的理由のない区別』




男女平等は人としての本質的平等を言う

だそうです。
まあ言葉の意味としての差別と変わり無しと言いますか、これじゃ混乱しますね。

2019年6月24日月曜日

セクハラって生物学的に言えば求愛行動だったりもするんだよね‥‥大きな声は極論な気がする‥‥

人類というのは、突然今始まったものでもなければ、何度も途切れながらきたものでもありません。
何万年も前から存在し、社会はその中でゆっくりと進化してきています。
時には大きな改革があり、時には大事件によって変化しながら、それでも基本はゆっくりと精錬されてきたのです。
だから社会に大きな問題が当然出てくる事はありません。
大事件など大きな変化が有れば別ですが、普通に流れる時代の中で、いきなり大きな問題が降ってわく事などないのです。
あるとしたら、徐々に問題が大きくなってきてそれに気づいた時でしょうか。
それでもそれはおそらくそんなに大きな問題ではなく、大きな問題は必ず何十年も前から小さな問題としてあった事でしょう。

それなのに、インターネットでは偶に、突然降ってわいたように何かの問題に対して大きな声を上げる人がいます。
そういうのは決まって騒ぐほど大きな問題ではないはずです。
確かに問題と言えば問題なのでしょうが、大抵はまだ小さな問題として生まれたばかりか、既に改善する方向に向かっているものだと感じます。
例えば差別問題などは、100年前から比べればはるかになくなってきているものでしょう。
それに当時、今ほど問題にされていたかどうかと言えば、今と同じようなものなのではないかと思いますし、これは時代によってしっかりと変化してきているものだと私は思います。
騒ぐと、それは極論であるとみんなに言っているようなもので、逆に反論も多く、本当の問題は騒ぎの中には無いと言えるのではないでしょうか。

とは言え、時代の中で溜めに溜めた鬱屈や不満というものが、何かがきっかけで出てくる事も無いとは言えません。
そこで今日考えたいと思ったのが、痴漢とセクハラについてです。
まず最初に私の個人的感情から言いますと、痴漢に関しては、『冤罪ではない』事と、『常習犯である』事が確実であれば、死刑でもいいと思っています。
セクハラも、強制猥褻に当たるものはしっかりと取り締まるべきだと思います。

しかしですね、こういう問題をなんとかするように声が上がると、何故か男からは擁護意見や、酷いものは黙認するべきだという声まで出てきます。
これは一体なんなんでしょうか。
私は男の中でも、おそらく最も性欲から遠い存在で、どちらかというと女性側の男だと自覚しています。
昔からとにかく男のこういう所を嫌っていましたし、痴漢なんかも絶対にしないだけの理性はもっていると思っています。

でもですね、こういう問題に対して何故か反論する男が多いのを見ると、この問題もまた極論なのではないかと思うわけす。
そこで、私は基本女性側から考えておりましたが、今日は男性の気持ちも考えてみる事にしました。

痴漢は、ハッキリ言って強制猥褻罪です。
かなり悪質なものです。
で、色々な人の意見を見ているうちに、興味深い発言を見つけました。
『目の前におっぱいがあれば揉みたくなるのが男』
確かに、その感情というのは、多くの男性が否定できない所でしょう。
でも、男は理性でその行動を抑えているわけです。
ですが絶対に抑えられない体の変化というものもあるのですよね。
私のような不能男でも、本当に不能でない限りは、やはりそれなりに反応してしまうのです。
前にも書いた記憶がありますが、高校生の頃、満員電車で女性と体が密着するような時は、呪文を唱えて気を逸らすのに必死でした。
そういう事を考えると、痴漢に間違えられるリスクや、或いは寝ぼけていたり酔っ払ったりして理性を失っている時の行動にまでは自信が持てません。
私ですら絶対とは言い切れないのです。
となると、もしも痴漢というものを無くそうとするのなら、男女が電車に一緒に乗る事を避けるしか方法がないのかなとも思うわけです。

セクハラなんかはもっと難しいと感じます。
私ですら過去を振り返れば、セクハラ発言と受け取られる可能性のある事は言っています。
相手が嫌がったらそれはセクハラという定義らしいですから、正直どうにもなりません。
そしてスキンシップなんかも、良い時も有れば悪い時もあるわけで、これはなかなかに繊細な問題だと思うのです。
そもそも男性がどうして女性にそのような事をするのかを考えると、これはもう本能なのです。
生物学的に見て、男性が求愛行動をし、それに対して女性が拒否権を発動するというのが野生のルールです。
それを1300年前の古事記に日本人は書いていたわけで、それはもう真理なのでしょう。
求愛行動は流石に否定できないのではないかと思うのです。
猫の世界だと、強姦ですら求愛行動の一つになっているようです。
野良猫の雄が雌を追いかけまわしているのを見た事があります。
気が付けばその雄の子供を雌が産んでいました。
野生の世界ではそんなものなのです。
ただし人間は違います。
理性もありますし、強姦まで認めるつもりはありません。
ですが求愛行動すら規制したら、それは少子化や結婚できない男が増えるのも当然の結果なのではないでしょうか。

今のセクハラに関する法律は、確か職場での話に限るものかと理解しています。
つまり職場で求愛行動をするなと言っているような感じですかね。
女性に言わせれば職場じゃなくても、『求愛行動ならハッキリ言えばいい』と思うかもしれませんが、男もやはり不安なのですよね。
少しずつ様子を見ながら、徐々に求愛行動をエスカレートしていき、告白はある程度脈があるというのを確認してから行いたいわけです。
男性としては、求愛行動による多少の不満は我慢してほしいという所なのかもしれませんね。
まあ最も、この辺りは女性から積極的に男性にアプローチするのなら、少子化や晩婚未婚の問題は解決するのかもしれません。
でもね、これもまた男性の感情ですが、積極的に寄ってこられると、逆に覚めるんですよね。
女性だって自分から求愛行動をするのには、抵抗あるんじゃないでしょうか。
本能というのは割とコントロールが利かないもので、本当にやっかいだと思います。

『人が嫌だと思う事はやってはいけない』、これはあたり前だと思います。
でも男と女の問題だけは、なかなかそう上手くいかないものなのかなと、そういう結論ですかね。

一瞬、二人で飲みに行ったらここまでオッケーとか決めればいいのではないかとも思ったのですが、誘う時点でそれはあからさまになってしまうわけで、だったら最初からハッキリ言うよねって話になります。
求愛行動を拒否したらそれはセクハラになるわけで、この辺りは未婚と既婚で判断するしかないのかなとか、ん~難しいです。
正直結論は出せませんが、男と女の問題というのは、やっぱ現状程度が限界で仕方がないのかなって思います。

それでもここまでの考えをまとめると、痴漢に関しては対応策が必要だと思っています。
一緒に乗らないというのが一番いいとは思いますが、それもまた不可能でしょう。
そうなると、防犯カメラの設置とか、弱い男でも痴漢に立ち向かえるように警棒を所持しておくとか、何かしら対応ができればいいですね。
セクハラに関しては、草食男子が増えすぎている今の現状では、これ以上厳しく取り締まるのは不可能だと考えます。
女性の方からも、もっと積極的に来て欲しいという声もありますし、騒ぐ事が未婚晩婚者を更に増やす事になりかねません。
正直歯がゆいですよ。
私は男ですが、女性上司からセクハラを受けた事はあります。
そういう嫌な思いはしたくありません。
ですがまあ求愛行動だと言われれば、仕方がないのかなって思いますしねぇ。
既婚と未婚で分けるくらいがせいぜいでしょうか。
やっぱ私には分かりません。{苦笑}

ただ、下手に騒がず、セクハラに関してはとりあえず現状維持なのかなぁ。

※※追記※※

そうそう、痴漢経験のある男性って1割くらいいるんですよね。
そういうアンケートの結果ですから、本当はもっといるかもしれません。
もしも完全に取り締まれば、男性の1割がタイーホされるわけです。
そう考えると、やはり電車に男女が一緒に乗る事が問題とも言えるわけです。
しかも痴漢経験は、割合的には若い人の方が多いのです。
ただし常習者は年配者の方が多い印象で、若い人は若気の至りで1回やっちゃって、それで反省して止めるという事なのかもしれません。
ですが、そのデータが正しく若い人の方が多いとなると、この先痴漢をする人は増える傾向にあるという事です。
常習者が減れば痴漢被害は減るでしょうが、この問題はやはり改善が難しい問題なのかもしれませんね。

差別を法律で規制してはいけない理由 行為規範は道徳やモラルの問題です!

日本国憲法には、平等なんて文字が書かれています。
しかし一体平等ってなんでしょうか。
全てが平等の世界なんてものは、そもそも実現不可能ですよね。
人は生まれも育ちも何もかもが違うわけで、社会には沢山の役割もあるわけで、全てを同じにする事なんて不可能なわけです。
おそらくそんな事は誰もが理解していて、みんながある程度の所で納得してるのが今の世の中ではないでしょうか。
ただそれでも中には不当に差を付ける人はいますし、それに対して文句を言う人はいるわけで、それはそれで対応が必要なのでしょう。
だからまあ憲法にも書かれていて、それを守れという人がいるのは分かりますが、『では具体的に』と言ったところで、個別の事案を一つずつ解決していくしか方法がありません。
何故なら、平等の定義はとても曖昧で、誰もが平等と納得するようなものはほとんどないのですから。
人々が納得できる平等とは、つまり差別の無い世界となります。 
差別を定義できれば或いはと思いますが、差別も同様に定義が難しいですね。

ドイツやアメリカでは、平等や差別なんかの行為規範と呼ばれるものは、憲法裁判所や裁判所で一々判断を決めているようです。
日本ではそういう所がなく、おそらくは内閣法制局が独断で決める事になっていると思われます。
でもそれって、憲法に関しては内閣法制局が絶対的な権力を握っていると言えるわけで、権力が集中しているのはおかしいですよね。
だから今『憲法裁判所を作ろう』なんて話もでているわけですが、個人的には反対です。
何故なら、誰が裁判をするのかという問題もありますし、おそらく平等に関しては完璧な定義は難しいですからね。
一番良い対処方法は、憲法から行為規範を全て無くすのが良いと思うのですが、まあ憲法改正自体難しい今の日本では、流石にそこまでは無理なんでしょう。
だからもうとりあえずは今のまま、放っておくのが良いのかなと諦めています。
曖昧が故に、なんでもかんでも『平等がぁ~差別がぁ~』と問題にしてしまう人がいますが、とりあえずそれでどうこうなるわけでもなく、それが一番マシなのかなと思う次第であります。

さてしかし、そんな憲法のデメリットとして、行為規範を法整備化したいと思っている人がいるようなのです。
といっても、『差別をしてはいけない』なんて法律を作る所までは言っていませんけれどね。
近いのはありますが。
ただ、今後そのような声が上がる可能性があるとみて、先にそれは「やってはいけない」という話をしようかと思ったわけです。
既に憲法では問題があると言ったわけで、当然同じ理由で法律でも駄目だというのはすぐに分かると思います。
例えば『差別をしない』という法律を作ったとして、定義をどうするのでしょうか。
私はある程度過去記事に定義をまとめて書いておりますが、 それがそのまま受け入れられたとしても、最後は結局人々の価値観で『差別の理由』が判断される事になります。
こういう行為規範を法律にした例は過去にありますが、例えば代表的なセクハラにしても、最終的には結果判断が主です。
セクハラによってどういう被害を受けたのか、結果から判断されます。
行為ではなく、結果なんですよね。
だからセクハラを規制する必要は概ね無くて、結果を規制すればいいだけなのです。
まあなんとなくセクハラって入れておけば人々が納得するだろう的なもので、概ねセクハラ要素で規制できるのは僅かだと思います。
それよりも、これによるデメリットの方が私は大きいと考えます。
特に差別は、結果を見れば何でも差別と批判できるので厄介です。
平等にくじ引きで決めた結果でも、自ら進んでやった事さえも、結果から判断すれば差別と言えます。
裁判でちゃんとした判決が出るにしても、『差別と言う』事ができてしまうのです。
私の差別定義が採用されていればその辺りは問題が減りますが、それでも曖昧な判断を強いられる事に間違いはありません。
人々の価値観によって変わってしまうよく分からないものは、結局どうなるかと言えば、行為ももちろん加味しますが、結果で判断するしかないのです。
差別とかではなく判断するという事です。
差別を法律で規制するメリットはまるでありません。
なのに実はデメリットはあります。
なんでも差別として批判できるという事は、ちょっといざこざが有れば、誰でも金さえあれば簡単に訴えて嫌がらせする事ができてしまうのです。
それはどういう事かというと、金持ちは貧乏人を無条件で黙らせる事ができるという事です。
何かあったら、金持ちは『差別だ!訴えてやる!』と言えるわけです。
今でももちろんそのような部分はあります。
名誉棄損、侮辱、この辺りは結構分かりづらいですね。
でもそれ以上にもっと分かりづらいのが差別です。
もしもこの法律ができてしまったら、ネットSNSでは『訴えてやる!』の数が大きく増える事になるでしょう。
それは金持ち権力者が国民の声を黙らせることにも使えるわけです。
そんな法律が良い訳がありませんよね。
だから差別は法律で規制してはいけないのです。

ちなみにセクハラなんかは、状況が職場に限定されているので、とりあえずネットで言論封殺には使われていません。
でもおそらく職場では、『コミュニケーションがとりづらい』などの問題はあるんでしょうね。
相手の気持ちなんて本当の所は分かりませんから、喋らないのが一番いいとなってしまいます。
まあでも『そういうのは止めてほしい』という声があれば止めればいいという所もあり、とりあえず今の所はそれなりには機能している所もあるのでしょうか。
これで今まで嫌な思いをしていた人が上司に『言いやすくなった』という結果が出ているのなら、あって良かった法律になるのかもしれません。

差別のような行為規範は、道徳やモラルの問題です。
学校の授業でしっかり教育するのが対応策なのです。
今は、問題だと思われる結果を個別に規制するしかありません。

そんなわけで、『差別禁止』なんて法律を作ろうなんて考えないでほしいですね。
権力者金持ちが喜ぶだけですよ。

ちなみにヘイトスピーチの規制も私は大反対しました。
現に言論の自由は必要以上に抑え込まれつつあります。
別に言っても良いとは言いませんが、これも道徳やモラルの問題です。
学校でしっかり教育すればいいのです。
その結果、それが名誉棄損や侮辱に当たれば法律で取り締まればいいのです。
政治家はもう少しよく考えて法整備してほしいと思います。

2019年6月22日土曜日

選択的夫婦別姓には1000%大反対で議論の余地無し!話を聞くほど反対する気持ちが強くなる‥‥

法律を制定するにあたり、或いは改正するにあたり、大切なのは議論です。
新しい法律のメリットとデメリットを徹底的に洗い出し、改正の場合は旧法律のメリットもしっかり考える事が大切です。
その上でメリットがデメリットを大きく上回る、或いはデメリットに対して対応できる状況が整って、初めて法律とは制定改正されるべきだと私は考えています。

中でも伝統文化に関わるものは慎重を要します。
何故なら、一度変えてしまったら、取り返しのつかなくなる場合もあるからです。
更に、続いてきたものというのは、そこに問題がなく、或いは大きなメリットがあったから続いてきたものです。
長い年月の中で、その大きなメリットが見えにくくなっているものもあるでしょう。
だから慎重に慎重を重ね、慎重すぎるくらいに議論する事が大切になってきます。

とはいえ、時代が変れば変えていくべきものもあるわけで、私はそういうものを変えるのに対しては否定はしません。
変えた方が良いと思うものに対しては賛成しますし、ただそうでないものには反対するというだけです。

さてそれで今回は『選択的夫婦別姓』というものに対しての話ですが、現状私は大反対です。
これは『伝統文化』に関わる大きな法改正になると思われ、安易に変えて良いものではないと考えます。
そう言うと否定する方も結構おられるようですが、私のロジックではこれは伝統文化と断言できると思っています。
理由に関しては、このサイトの過去記事にありますので、そちらを読んでいただければと思います。
選択的夫婦別姓に反対する理由も過去記事にありますので、合わせてお読みください。
サイト検索窓から、『夫婦別姓』で検索していただければ出ると思います。

選択的夫婦別姓は、文化伝統に関わる法律を変えるものと認識しています。
そこには、もしかしたらとんでもなく大きなデメリットが隠されているかもしれません。
こういうのは徐々に効果を表し、100年後取り返しのつかない事になる可能性を含んでいます。
その時また戻せばいいと安易に考える人もいるかもしれませんが、長くじっくり蝕まれたものは、なかなか戻す事はできません。
現に、戦後アメリカによってやられた『WGIP(ウォーギルドインフォメーションプログラム)』によって、日本は未だに敗戦国から抜け出せず、自国に誇りを持つ事もできず、政府は国民の敵だと思っている人が大勢いるように感じます。
一度変えてしまうと、取り返しのつかないものもあるのです。

おそらく私も、10年前なら選択的夫婦別姓に賛成していた事でしょう。
しかし日本の事、世界の事、色々と勉強した結果、これは賛成できないと今では思っています。
私は若い頃、「苗字なんて結婚した時に好きなの付けさせてくれればいいのに」って考えてました。
中二病だったんですね。{笑}
今思うと法律がそうでなくて良かったと心底思います。

さて、私は現在『選択的夫婦別姓』に大反対しています。
その最も大きな理由は、あまり声に出して言いたくないので過去の記事を読んで察してほしい所ですが、当面反対してる理由が、『この議論をまともに話す人がいない』というものです。
メリットと言えば、『平等の為』だとか『不便の解消』程度の全く議論にもならないものです。
何度も言いますが、その平等にどれだけのメリットがあり、デメリットに勝るのかを知りたいわけです。
不便不便と言いますが、選択的夫婦別姓にする事にだって不便はありますよ。
役所は面倒になるでしょうし、結婚相手探しだって少し今までのようにはいかない人だって出てくるでしょう。
当然男性側の苗字にするものだと思っていたら別姓と言われ、それで結婚が流れる可能性もあるわけです。
便利という理由にメリットなんて私は無いと思っています。
だからまあ議論の余地すらないものだと今までは思っていましたが、デメリット側からでも消していく話ができる方がおられたので、少しは見るべき所もあるかもしれないと思い、今日はこの記事を書いている次第です。

割と興味を引くコメントですね。

一つずつ考えてみましょう。
最初夫婦別姓親子という事で外国の話かと思ったら、そうではなさそうですね。
離婚夫婦なんかの話をしているのでしょうか。
そのような事というのは、私のツイートへの話で、『子供がママと一緒の苗字がいい』とか、そういう話がでてくるのではないかと言った所で、それを否定されています。
私の話はたとえ話で、子供の気持ちとして『違う事で嫌な思いをする』のではないかという部分に関しては理解しておられるとは思いますが、にわかには信じられません。
現に私が子供の頃の話ですが、例えば親が離婚した後の子供は、やはり苗字に対して抵抗を持っていました。
多くはこれを口に出しませんが、苗字というのは割と重要な役割を果たしているのではないかと思うわけです。
この辺りは、法改正が進むようなら、その前に一度アンケートをとってもらいたいですね。
今の幼稚園、小学生、中学生くらいまでに、『自分の両親が違う苗字で、そのどちらの苗字になっていても問題ないかどうか、嫌だと思わないかどうか』という質問をです。
子供に不都合が出ているかどうかではなく、子供の気持ちは大切にしたいのです。

続いて改姓についてです。
変更できるという話は知っていましたが、詳しくは知りませんでした。
この期に調べてみると、概ね変更は難しいようですね。
簡単に言えば、元の苗字に戻したり、父方母方の変更で有ったり、ほぼ常識の範囲内です。
完全に変えられる場合というのは、『変で不都合な場合』のみですね。
過去の例を見ると、『肴屋』(信用してもらえなかった)とか、『大工』(職業が連想でき支障がある)『大楢』(おならを連想させる)『仁後』(二号さんを連想させる)などだそうです。
詳しくはこちらで‥‥
https://ka-ju.co.jp/column/change_last_name
今回のツイートに関しては、母方が嫌なら父方に、父方が嫌なら母方にって話だとは思いますが、『そんな事を言える15歳以上の子供っているの?』って感じです。
おそらく嫌だと思っていても、それを口に出して文句言える子供なんてまずいません。
幼少期くらいですよ。
それに15歳以上とか、そんな年齢になるまでが辛いのですよ。
そういう子供の気持ちを察して、最初から両親も子供も同じと決めておいた方が良いと私は思います。
ちなみに、苗字の改正自体無い方が良いと思っていましたが、ほぼ認められないと見て良さそうなので、私としてはその方が良いと考えています。

学校でも混乱は起きていないという話も、日本での話なのでしょうかね。
一人二人なら先生も把握できるでしょうし、この辺りは夫婦別姓のある他国の先生方の話をお聞きしたい所です。

心配な人は同姓にって部分は、上記した通り、結婚相手を探す難易度を上げる部分があるので、現在の少子化社会の中ではデメリットになりそうだと私は思っています。
というか、今日この記事を書いて改めてデメリットの方増えました。{苦笑}

そんなわけで、この法律を本当にやろうと思うのなら、まだまだ議論は必要かと思います。
背乗りなんかの問題も絡んできますし、この法律を通すなら、まずはチャイナやコリアが日本に友好的な民主主義国家になってくれる事が必要、なんて思いもありますね。

選択的夫婦別姓に前々から反対していたわけだけど、最近ますます反対する気持ちが大きくなった!

2019年6月19日水曜日

差別批判とは『不当と思われる差がある結果』ではなく『不当に差を付ける行為』を指して批判する事!

日本語って色々難しいですね。
というか全ての言葉ってのがそうではないでしょうか。
複数の意味があったり、定義や意味が曖昧だったりします。
放送禁止用語のキチガイだって、それは色々な意味があり、人を褒める時に使われる事だってあるのです。

差別という言葉も非情に曖昧で判断が難しいですよね。
差別化を図るなんていうのは、概ね良い行いなわけですが、一方でなんでもかんでも差のあるものを差別と批判する人もいるわけで、批判するならそれが悪いという事でなければならないはずです。
良い差別を区別という人がいますが、これももちろん曖昧な部分で、それなら『差別化を図る』ではなく『区別化を図る』というべきなのです。
厳密にいえば区別は『違うモノと認識する』事であり、そこから『差を付ける』事でそれは差別となるのです。
この時、この差を付ける行為が正当で有れば多くの人は区別と表現するし、或いは正当であっても差別と表現する人もいます。
日本語としてはどちらも『差別』と表現する方が正しいのでしょうが、正当な差別を批判する人がいるから『仕方なく区別と表現している』人が多くいるのだと思います。

私はこの辺りで、差別には『正当で悪くない差別』と『不当で悪い差別』があるという事をまずは全ての人が理解しておかないといけないと思うのです。
その見分け方として、私はいくつか記事を書いてきました。
①『行き過ぎた差別批判問題!『 #KuToo 』から女性差別批判が限界突破!!
②『自分で自分のロジックを論破していくスタイル!{笑}この世に絶対はない!『 #KuToo 』運動の葬儀屋バイトのパンプス強要が女性差別ではないという話
簡単に説明すると、物事には原因と結果があり、差別原因である区別要素を排除すれば差別という結果は起こりえないというロジックで、それが差別ではないという事を判断するものです。
2つ目の記事でも書いている通り、これは100%正しい判断とは限りません。
結果があるのに、そこに差別意識があったかどうかは分かりませんからね。
でも、差別批判はできないだろうという結論にはなりますね。
その辺りを今日は説明できればと思います。

差別には意味が色々あり、良い差別もあれば悪い差別もあります。
当然批判すべきは、悪い差別です。
良い差別まで一緒にして批判しては、それは無実の人に罪をきせて冤罪にするようなものです。
犯罪が確定した人を批判するのは良いですが、逮捕された人を批判した後無罪になる事もありますよね。
差別も同じで、それが悪い差別だとある程度言いきれる時だけ批判するのが正しいと言えるでしょう。
そうでないと社会もおかしくなってしまいます。
ですから、それが良い差別なのか悪い差別なのか、ちゃんと説明できる事が差別批判の最低限の条件でしょう。

そして差別批判は、『不当と思われる差がある結果』を批判するものではなく『不当に差を付ける行為』を批判するものです。
親切心から差を付けたら、結果逆になってしまう事もありますし、或いはその逆もあります。
女性はスカートが好きだと思ってユニフォームにスカートを採用したら、嫌いだと言う人もいるわけです。
嫌いなヤツに小さなケーキ、好きな人に大きなケーキをプレゼントしたら、大きなケーキは腐っていて、結果小さなケーキを貰った方が良かったという事もあるでしょう。
平等にしようとサイコロの出目の10万倍の給料にする事で同意し、結果男性が40万、女性が10万になる事もあります。
平等に決めても結果不当な差がつく事はあるのです。
だから、差別批判というのは結果から批判してはいけないのです。
それに結果を批判した場合、それは『嫌な事全て』を『差別』と批判する事ができてしまうからです。
「うちの会社の給料が低いのは差別だ」「躓いてこけたのは道路整備が遅れているこの町を差別している」なんでもこじつけが可能です。
世の中で悪い事や嫌な事が起こった場合、そうではない人が必ずいるわけで、その人と比べて差別だという事ができてしまうのです。

だから、何度も言いますが差別批判は、『不当と思われる差がある結果』 を批判してはいけません。
必ず『不当に差を付ける行為』を批判するものなのです。
ちなみにヘイトスピーチなんかは、言葉に出して言っているものなので、そこに意思があったかどうかは判断しやすいです。
だから批判対象となり得るかどうかはすぐにある程度は判断できます。
ただし、以前からずっと言っている通り、差別するには理由があって、その理由に正当性があるかどうか、人々の価値観によって判断に差が出てしまうものです。
差別批判できると思われるものでも、自分の価値観が人々と比べてどうなのか、理由をしっかり検証してから批判するべきでしょう。

それで、『不当に差を付ける行為』を批判するものだとするならば、『不当に差を付けたかどうか』という『差別意識があったかどうか』というのが重要になります。
上記した通り、親切心、或いは差を付けるつもりがなくても差がつく事はあるのです。
つまり『差別批判をするのなら、そこに差別意識があったかどうか』というのが重要になります。
差別意識がないのにそれを批判しても、そんなもの無くなりません。
或いは無くす為には区別要素そのものを無くすしかなくなります。
例えば性差別なら、男性、或いは女性どちらかを完全に消すしか対処方法がないのです。
何かを批判するのは、『問題を解決したいから』批判するのです。
解決できない批判をしていても意味がないのです。
差別批判は、差別した人に対して考えを改めよ』というものです。
道徳的に人としておかしいだろうという批判です。
その辺りしっかりと理解しておかないと、おかしな差別批判になるのです。

まとめです。

①差別には『正当で悪くない差別』と『不当で悪い差別』がある事を知っておく。
②批判すべきは、悪い差別である。
③差別批判は、『不当と思われる差がある結果』を批判するものではなく『不当に差を付ける行為』を批判するものである。
④差別批判をするのなら、そこに差別意識があった事を説明できる必要がある。
⑤差別批判は、差別した人に対して『考えを改めよ』というものであり、結果だけ改善しても差別は無くならない。

こんな所でしょうか。

おそらく厳密にいえば例外とかそういうのもあるかもしれません。
でも差別批判をするならば、とりあえずこの辺りの確認だけはしてほしいと思います。

※※追記※※

大切な事を書くのを忘れていました。
差別というのは、法律で規制するべきものではありません。
何故ならこれは、『行為規範』『道徳規範』であって、『裁判規範』ではないからです。
差別意識というのはおそらく誰もが持っていて、それは多くの場合心の中にとどめているものですが、流石に心の中までは規制できませんよね。
あくまで道徳教育の問題であって、法律で規制するものではないのです。
だから、憲法に『平等』とか書かれていても、現在の日本では『何それ?』状態です。
ドイツやアメリカでは、『憲法裁判所』や『裁判所』で判断されていますが、だったら最初から裁判で判断すれば良いというものです。
現在の日本では、実は肝心な憲法判断は、『内閣法制局』が独占的に判断する権利を持っています。
憲法に関しては、内閣法制局の独裁国家と言えるでしょう。
つまり、憲法に『平等』なんてものは書かない方が国民の為には良いという事なのですよ。
ちなみに明治の大日本帝国憲法には行為規範は無いそうです。
その代わり、教育勅語によって大切な行為規範は守るように広められました。
話がそれましたが、何にしても『差別を法律で規制するのはおかしい』のです。
もっとも、酷い結果をもたらすものに関しては、個別に法律で禁止する事はありますよ。
名誉棄損、侮辱、殺人、差別による犯罪はあります。
ただ、差別そのものは規制できないという事です。
基準も個人の価値観で大きく変わりますからね。

2019年6月15日土曜日

日本には性差別と言える差別はほとんどないが、女性蔑視発言が多いのは事実!その理由とは?!

日本には、性差別、特に女性差別と言われる差別はほとんどありません。
その理由は今まで色々な所で散々話していますし、先日もその一例を記事に書きました。

日本に性差別はほぼ無い事が確定!とあるアンケートがそれを証明してくれた!

しかし、「女性蔑視発言が多い!」という言葉を聞いた時、そういう言葉を発する男性を見る機会は確かに多いように感じます。
特に『女は黙ってろ!』とか、『女のくせに!』みたいな言葉はよく耳にする気がしますね。
※私の生活の中で実際に聞く事はほとんどないですが‥‥
いかにも『男性の方が上なのだから、下の女は口出しをするな!』という風に聞こえます。
そう考えるとやはり『女性差別』は多いのかもしれないと思い、もう一度考えてみる事にしました。

そもそも私は、元々超絶フェミニストであります。
子供の頃から、『女性の方が人間として圧倒的に優れている』と言ってきました。
まあそれが変ったのは、女性の本音を多く聞くようになってからでしょうか。
学校、そしてその後の職場が、圧倒的に女性の方が多い場所でした。
嫌でも女性の本音が耳に入ってくるし、目にしてしまうわけです。
結局、どっちもどっちだなって思ったわけです。
それで考えを改めて、今では『ややフェミ』くらいになりました。

とはいえ、『女性の方が優れている』という考えは今でも継続中です。
ただ、差別的意識という面でイーブンと感じただけで、人としての優劣を言うならば、やはり女性なのです。
生物学的に見ても、子供への愛情認知度と申しましょうか、そういうのが男性は欠けています。
子供を殺してしまう事が多いのは雄なのだそうです。
染色体で見ても、男性は劣ります。
男性は常に父親と同じY染色体をそのまま引き継いでしまうのに対し、女性のX染色体は進化するのだそうです。
だからいずれ男性(雄)は生まれなくなるのではないかという生物学者もいるようです。
私が感じる通り、男性よりも女性の方が優れている可能性は高いのです。
ぶっちゃけ、体力面以外で男性が女性に勝る所は無いと言えるかもしれません。
精神的安定という意味では男性の方があるかなと思う所もありますが、いざと言う時は女性の方が肝が据わっている気がしますし、男性としては『子供が産める女性』という所で、無意識に引け目を感じていたりもするのです。

実際に社会の中でも、女性の方が適応能力が高いです。
男性の方が優れている役割は、体力が必要なものだけです。
それ以外では女性の方が基本的に優れています。
それなのに今まで何故男性の方が仕事が多いのかと言えば、やはり体力面なんですよね。
生理などで体調を崩し、どうしても働けない時があるよりは、常に働けるという部分だけで男性が有利なのです。
或いは、女性にしかできない仕事ってのが多くて、だからそれ以外は男性にって部分もあります。
介護や看護などは、女性をみる以上、女性にしかできない場合があります。
また接客サービス業などでは、清潔感のある女性の方が良く、男女では売り上げに差が出る結果というのを私は実際に体験してきています。
町で表に出て働くのは女性、裏で働くのは男性という風になるのも、それは仕方のない所ではないでしょうか。

そして生物学的に見ても、子育ては女性の方が優れています。
自分の子供への愛情がどうしても薄い男性は、思い入れも少なくなりがちです。
もちろん人間は他の動物とは違って理性というものがありますから、できない事はありません。
あくまでどちらが向いているかという話です。
そしてそれを望むのも、女性の方が圧倒的に多いわけです。
女性は子供の頃から、将来の夢を『お嫁さん』と感じる人が多いです。
子供が欲しいという気持ちも大きいように思います。
結婚後は『専業主婦になりたい』という人も半数以上いるのではないでしょうか。
仮に半数だとして、社会に出て働きたいと思う女性は半数しかいないわけです。
となるとここで、現在の男女雇用機会均等法を見ると、おかしな部分が見つけられます。
男女同じ数だけ採用しようなどという風になると、女性の半分は働かないわけですから、もしも会社が確実に半々を守ってしまうと、男性の半分が職に就けない事になってしまうわけです。
そのあぶれた男性はどうするのでしょうか。
やりたくもない安い給料の仕事をする事になり、この辺りが未婚男性の増加に繋がっているようにも思われます。

ハッキリと言いましょう。
男女が能力によってまともに評価され職を奪い合ったら、男性は負けるのです。
そんなにハッキリとした能力差が出るわけではないですが、女性は働きたい人だけが働きに出てくるわけです。
しかし男性は、乗り気でないにも関わらず、男だから仕方なく働きに出る人も大勢いるわけです。
平均したら、男性は女性に勝てないです。
平等なルールでやったら、当然社会は成り立たなくなります。
だから男性は、唯一勝てる体力面をアピールして、その平等である意味不平等なルールをバランスのとれたものにしようとし、そしてそれが女性蔑視の言葉となるのではないでしょうか。
劣っている事を自覚しているからこそ、出てこざるを得ない言葉なのです。
そうしないと、社会のバランスが取れないわけです。

ハンデですよ。
男性にハンデを与えないと、世の中のバランスって取れないんですね。
でもそれは、お互いが求め、お互いが幸せになる為のものですから、決して不平等なものではありません。
それぞれが幸せになれる適材適所に導く為のものなのです。
それを差別と言って否定する事は、一番お互いが幸せになれるバランスを崩す事になるわけで、それが果たして差別にあたるのかという事です。
しっかりとした理由がある差別は差別とは言いません。
区別です。
言葉の意味としては差別とも言えますが、差別という言葉をあえて使うのなら、『良い差別』と『悪い差別』です。
今の世界は、良い差別まで否定しているように思います。
まあ確かに『女のくせに!』みたいな事を言われれば腹も立つでしょうが、男は女性に勝てる部分が力しかない事を無意識に自覚しているのだと思います。
私はそういう言い方は決して肯定はしませんが、社会の安定の為に、差別批判ではなく単なる暴言として否定してくれる事を望みます。

日本に性差別はほとんどありません。
あるのは、男性による女性に対する妬みからくる暴言なんですね。
アホとかボケとかカスとか、そういう言葉と一緒と捉えてくれると、良い社会になるのではないかと私は思います。

ちなみに、女性が『男のくせに!』とか『男は引っ込んでろ!』なんていう事もありますよ。
それは妬みからではないですが、まあそれは良しとしますかね。
男にしっかりとしてほしいという思いだったりしますし、うん、結局どっちもどっちなんですけれどね。{笑}

2019年6月13日木曜日

今日もスパムメールが2通!【重要】楽天株式会社から緊急のご連絡&Amazonアカウントを利用制限しています

もう毎日のようにスパムメールですよ。{苦笑}
ネタにしかならないのでもうそろそろ止めていただきたいですね。




まず一つ目が、【重要】楽天株式会社から緊急のご連絡、だそうです。
一応楽天は利用しているので、どんな連絡なのか気になりますね。
クレジットカード情報がぁ!!!
そんなもん登録してないわ!!
しかも差出人のメアド、どこやねん。
noriply@093.jp
返信してくるな!日本の奥さん?
なんか上から目線のメールアドレスやね‥‥

続いて、Amazonアカウントを利用制限しています、だそうです。
アカウントが制限されているのに閉鎖されているんですか。
制限ってのは完全閉鎖と同じなんですね。
で、差出人は‥‥
admin_a185@a185.jp-safeservice031.info
検索しても情報がまるで無し。
アクセスするのは怖いのでしませんが、完全にメールだけのサーバーな感じですかね。
あるいはロボット巡回拒否しているか。

そんなわけで、こんなスパムメールも出回っていますのでお気を付けください。

2019年6月12日水曜日

日本に性差別はほぼ無い事が確定!とあるアンケートがそれを証明してくれた!

私は以前から、『日本には性差別、主に女性差別はほとんどない』と言ってきました。
男女には元々差があり、生物学的に見てもそれぞれにあった役割があります。
それぞれにあった役割に合わせて今の社会があるわけで、そこに不当な差はありません。

もしも今の社会に差別があるというのなら、それは別に差別意識から差別したのではなく、偶々そうなったか、或いはメリットを追求した適材適所という考えがそうさせたものです。
だからたとえそれが差別だったとしても、駄目な差別ではありません。
情況に適した差別と言えるでしょう。
人によってはそれを区別と言います。
もちろん、差別している人が全くいないと言っているわけではありません。
世間が騒ぐほど、多くはないという事です。

それは以前紹介した、あるアンケートからも分かります。
生まれ変わるなら、男女どちらがいいかというもので、結果はやや女性の方が多いという結果となりました。
このアンケートは時々見かけますが、年代によってあまり変化はなく、やや女性の方が多いという結果ばかりです。
あくまで私が見かけた範囲ですが、これを見る限り、少なくとも女性が差別されて虐げられているようには感じませんね。

そして今回、全く別のアンケート結果から、更に『日本人には性差別意識がほとんどない』事が分かりました。
そのアンケートとは、『女性天皇に賛成ですか?』という問いです。
結果は、賛成が80~90%、反対は20%にも満たないものでした。
しかもこのアンケートは、皇室のルールや歴史など、ほとんど知らない人達に聞いたものです。
知っていると答えたのは10%~ 20%程度でした。
私は知っているので反対しますが、知っている人が概ね反対するとしたら、この結果から、皇室の事をほとんど知らない国民はどちらでも良いという結果と言えるでしょう。
中には女性の方が良いと思っている人がいるとしたら、むしろ女性差別意識よりも男性差別意識の方が強い事になりますね。

この結果を持って、そして先に書いたアンケート結果も踏まえると、日本に性別差別はほぼ無いと断定できますね。
何度も言いますが、もちろんゼロではありません。
区別できる違い、差が有れば、どうしても差別してしまう人は必ずいます。
この世から悪人がいなくならないのと同じです。
でも、日本人はほとんどの人が、男女の間に上下関係は無いと思っています。
適材適所、その場にふさわしいのはどちらかとか、そういう事を考えるともちろん違いがあるのですからどちらかを選ぶ事にはなるでしょう。

でも、差別はほぼ無い!と言い切っても良さそうです。
或いは、差別があるにせよ上下意識はなく、男女ともどっちもどっちって事ですかね。

※※追記※※

男女差別が無いと思われる別のデータが見つかったので追記です。
日本での自殺者は、圧倒的に男性の方が多いようです。
倍以上ですね。
これはつまり、日本社会は男性の方がよりストレスを感じると考えられるのではないでしょうか。
或いは男性の方が生き辛いと言えるのかもしれません。
もしも女性に対して悪い差別が行われていたとして、そういう結果になるでしょうか。
或いは社会そのものが男性不利だから女性差別で調整されているとも考えられます。
まあ何にしても、今の日本は差別が酷い悪い世の中ではないですよ。

『女系天皇』は憲法違反です!憲法を正しく理解しよう!先例を無視したら日本が日本でなくなる!

女系天皇は憲法違反です。
その事について今日はお話します。

現在、女系天皇は、天皇継承のルールでは認められていません。
そしてこれからも、認められる事はないでしょう。

まず第一に、日本国憲法という『憲法典』に 『日本国民の総意に基づく』と書かれているからです。
天皇というのは、国民の総意、つまり100%認められていなければ存在しえないのです。
私は少なくとも『女系天皇』に反対です。
つまり、最低でも私が生きている間は『女系天皇』は存在し得ないわけですね。

そんな事を言うと、おそらくこう反論する人がいるでしょう。
「今の天皇も反対している人がいるではないか!」と。
確かに国会議員の辻元清美氏のように、ぼろくそに言って否定している人もいますね。
でも、日本国民にはいません。
何故なら、そんな人は日本国民とは認められませんから。
日本に生まれ、日本国籍を持ち、日本国民として生きていくには、最低限守るべきものがあります。
それが、日本のルールです。
最低限それを守る人だけが日本国民として認められるのです。
だから、現在憲法典に『国民の総意』と書かれている以上、日本国民になった時点でこれを守ると約束してる事になるのです。

では女系天皇は絶対に誕生させられないのでしょうか。
『憲法を改正し、国民の総意を取り払えばいいのでは?』そう考える人も出てくるでしょう。
これも意味がありません。
何故なら、憲法典というのは、憲法という氷山の一角に過ぎないからです。

日本国憲法は、憲法典です。
そして日本には、多くのあたり前のルールが存在し、その全てが憲法です。
その中で、『重要だから確認しておこう』というものや、『政治に関する事』、或いは『時代によって変わる事を確認する必要があるもの』などを書き記したものが憲法典なのです。
書く必要の無いあたり前の事は憲法典には書かれていないのです。
それはそうです。
全部ルールを書き記す事なんて不可能だからです。
『日本人は日本の道を歩いても良い』とか、『息をして良い』とか、一々書きますか?
どれだけ頑張っても書き終える事は不可能でしょう。
だから書いていないだけなのです。
そういうルールを、文化、先例、慣習、風習、伝統など、色々な言葉で言い表す事ができます。
中には時代と共になんとなく国民の総意によって変わるものも有れば、また国民の総意によって変わらないものもあるのです。

日本の皇室、天皇の男系継承というのは、この憲法によって先例という形であるのです。
このルールは、国民の総意によって、なんとなく決められてきました。
誰もがあたり前と思っていました。
もしも違うと思う人がいたら、別にそれを訴える事はかまいません。
そしてなんとなく国民全員がそう思うようになったら、この憲法は自然と変わるでしょう。
そうなれば自然に女系天皇というものが誕生するかもしれません。
でも少なくともこれは変らないものだと思います。
皇室に限らず、王朝の継承は男系継承と『世界』で認められており、日本人の意識だけで変える事は不可能だからです。
そして古くから残る王朝は日本にしか存在しません。
今あるものがルールであり、これを変えたら違うものになってしまいます。
或いは、過去の王朝の歴史が書き換えられる事になります。
どこかの国では、王朝が乗っ取られ別の王朝になるという歴史があったでしょう。
しかしここでルールを変えれば、その王朝は継続性を持つ事になります。
過去の歴史は変りません。
即ちもう日本の皇室のルールを変える術はないのです。

ただし、そのルールにのっとって変えられるものはありますよ。
きちっと『先例(憲法)』を守り、変えられる部分に関して変えられます。
もしも皇室の安定を望むなら、旧宮家の復活などは先例があるのでできます。

そんなわけで、女系天皇は憲法違反であり、女系天皇そのものも、本来存在し得ないものです。
女系天皇をやろうと言っている人は、『憲法違反しようぜ!』と言っているのと同じです。
或いは、『2000年以上続いてきた日本王朝を終わりにしようぜ!』と言っているのです。
即ち『日本をぶっ壊して革命しようぜ!』って話です。
女系天皇も良いかな?と思っている人がいるとすれば、もう一度よく考えてみて欲しいです。

もしも先例(憲法)なんてどうでも良いというのなら、今後、先例を無視した天皇を政府が自由に決められるようになりますよ。
そうなれば、『次の天皇は安倍ちゃんね!』と、安倍総理が天皇になる事も可能になります。
それどころか『よし、金正恩を天皇にしよう!』なんて事も可能になるのです。
その国は日本ですか?
だから先例は大切なんですね。

2019年6月11日火曜日

女系天皇は何故駄目なのか!?分かりやすく説明!先例を無視し政府が自由に皇嗣を決められるようになったら日本終了!

一部報道で、あるいは一部野党から、『女系天皇』や『女性天皇』って話が聞こえてきます。
でもこれ、大変危険な話なのです。
結論から申しましょう。

こんなものに同意してはいけません!!!!

では何故駄目なのか、その理由をお話します。

まず、現在の天皇陛下の継承は、万世一系、男系男子に限られています。
継承順位も既に決まっているのです。
しかし今、『愛子天皇待望論』とか出てきていますね。
それは、今後天皇になると決まっている人を排除する議論に他なりません。
これは大変失礼な話です。
もう決まっているんですよ?
それをメディアや野党は止めさせようとしているのです。
天皇陛下だからとか皇族だからだとか関係ありません。
民間でも、何の落ち度もない人の決められた権利を奪う事はないのです。
まして伝統ある皇室です。
あり得ない事かと思います。

次に、天皇皇室の継承ルールを考えてみましょう。
憲政史家の倉山満氏の話によれば、『先例、男系、直系』の順に守るべきルールなのだそうです。
直系と言うのは、親から子、子から孫へって事ですね。
しかしそれが今難しい状況です。
でもそれは優先すべきルールなだけで、他がしっかりと守られていたら問題ありません。
実際、過去何度も直系から外れる事はありました。
次に優先すべきは男系ですが、これは先例にも含まれるもので、先例の中には男系以外にもルールがあります。
そのような説明を倉山氏はしていたように記憶していますが、私の理解だと、男系というのは男系男子という事で、先例は、男系女子を含む、その他のルールと言った所です。
この順番で優先して後継者を決め、絶対に守るべきは先例という事になります。
この理屈で、女系天皇はあり得ないという事になります。
過去、女系天皇は実はいましたが、その方々はもれなく男系でもありました。
つまり男系という部分は守られていたのです。
よって、ルールという面でも、『女系の女性天皇』はあり得ませんし、『男系の女性天皇』も、最後の手段と言った所となります。
当然『女系の男性天皇』もあり得ません。

では何故、このルールを破る事はできないのでしょうか。
それは簡単で、もう2000年も続いているわけで、今更変えても認めない人がいるという事です。
だからもしも何かしら変えるにしても、この先例だけは破ってはいけないのです。
そして当然安定して皇位継承していただくには、先例、男系、直系の順番も守るべきなのです。
憲法にも記されています。
天皇皇室は国民の総意なのです。
今まで総意で有り得たのは、先例というルールをしっかりと守って来たからです。
今まで認めてきた事だから、この先もずっと認められるのです。
変えたら、もう認めない人がいるわけで、途端にそれは憲法違反にもなり得るのです。
『女系天皇』は憲法違反でもあるわけですね。

更に、このルールは何も日本だけのルールではありません。
王朝のルールでもあるのです。
もしも愛子内親王殿下の息子が天皇になったとしたら、そこで現在の日本王朝が終わるのです。
つまり、日本という国はそこで終わり、新たな国がスタートする事になるわけです。
ある意味革命ですよね。
実はこの方法による革命を許さない為に、しっかりと男系男子継承をしてきたわけです。
国を守る為に最も良い継承方法だったわけです。

もしも女系天皇が生まれたら、たとえ法律で定めても、認めない国民が大勢出てくるでしょう。
そうなると、きっと国内は混乱し、別の天皇を立てる勢力が生まれ、日本は二分され争いが起こるでしょう。
そんな事は許されません。
だからこそ、我々の祖先は、今の皇室を守る為に命を懸けて守ってきたのです。
どうでもいいものが、どうして2000年も続くのでしょうか。
大切なものだから2000年も守られてきたのです。
そして大東亜戦争で、何故若者は神風特攻という命を懸ける戦いをしたのでしょうか。
全ては『今の日本の国体を守る為』であり、日本において国体とは皇室そのものです。
そんな皇室を、我々の代でぶっ壊してもいいのでしょうか?
何かとてつもない大きな理由が有れば、慎重に議論する余地はあるでしょう。
しかし現在、そんな大きな問題は有りません。
議論する余地すらないのです。

とはいえ、それなりの危機は目の前にあります。
男系の系統が、今一筋しかないという危機です。
元々そこから『女系天皇』などと言う、本来は存在し得ない言葉が生まれ、議論が始まりました。
でも本来なら、議論はそこにはいかないはずなのです。
何故なら、まずは男系、そして先例から対応を考えるのが普通だからです。
『女系天皇』などという議論には悪意しか感じません。
まずは旧宮家を復活するなり、旧宮家の男系男子を養子に迎えるなり方法があるのです。
ちゃんと先例がある方法をとり対応すれば、誰もが賛成せざるを得ないのです。

まとめますと‥‥
①現在の継承に駄目出しするのは、継承予定の方々に失礼である。
②女系天皇は天皇の継承ルールに反している。
③女系天皇を認めない人が出てくる以上、憲法違反である。
④国体を守る為に男系継承が最も優れている。
⑤女系天皇を認められない人が男系男子を天皇と立てて国内で争いが起こりえる。
⑥ご先祖様が命がけで守ってきた皇室をここで終わらせる事になる。
⑦安定継承の為の対応は先例にならって行うべきである。

一応言いますけれど、最後の手段として、男系の女性天皇というのは過去にありました。
だから愛子内親王殿下は、天皇になる可能性を持っていらっしゃいます。
しかしそれは最後の手段です。
もしも可能性があるとしたら‥‥
そうですね。
例えば結婚をせず、旧宮家から男系男子の養子ももらった場合。
或いは旧宮家の男系男子と結婚をした場合などでしょうか。
その場合に皇室に色々な不幸が有ったりすれば、可能性はゼロではありません。
ただし、皇室の不幸を願う人なんて日本人には一人もいません。

そうは言っても、最悪を想定して、愛子内親王殿下には、旧宮家の男系男子と結婚し、宮家を復活していただけないかと、私は期待しております。

※※追記※※

とても素晴らしい意見をいただきましたので、それも追記させていただきます。
もしも政府が法律で皇嗣を自由に決められたら、それは恐ろしい事です。
悪意を持って次の天皇を自由に決める事ができるわけですから。
だから皇室の安定を望むなら、或いは日本の国体を守っていくならば、最低でも先例に倣う必要があるのです。
もしも後継者問題を解決しようと思うなら、何でもオッケーでは駄目です。
必ず『先例』に倣って決めるべきですね。

後、男系男子継承は女性差別だという人がいます。
これは大きな間違いで、あえていうのなら男性差別です。
皇室は男性が入れないようになっているわけで、女性は誰でも皇族になれる可能性があります。
何故このような事になっているのでしょうか。
それは、皇室を乗っ取ろうとする悪いヤツは、大抵が男だからです。
実際に過去、この男系継承のおかげで皇室が何度も守られてきました。
④にも書いた通り、国体を守る為にはとても優れているのです。

大事な事を書き忘れていました。
私が以前からずっと言っていたのは、遺伝子染色体の話です。
男性の染色体は『XY』であり、女性は『XX』です。
男性のY染色体は、息子から孫へ、男系である以上必ず引き継がれます。
しかし女性はそういうのがないので、2代離れれば似ない子が生まれます。
男系男子は常に似た子が生まれるわけで、必ず天皇の資質を持っている子が生まれると言えるでしょう。
遺伝子情報なんて分からない時代から男系継承をしてきたのは、その辺り本能で分かっていたように思います。
天皇の資質という面から考えても、血統を大切にする事は必要なんですね。

それと、天皇には宗教的役割がある事も抑えておきたいですね。
それは女性には大変厳しいもので、だから男系男子継承の方が望ましいのです。
祭司の継承という意味で、天皇は男系男子しか認められないという事もあります。
それは古事記にも書いてあって、男系継承ではない場合災厄があるようです。

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『女系天皇』は憲法違反です!憲法を正しく理解しよう!先例を無視したら日本が日本でなくなる!

自分で自分のロジックを論破していくスタイル!{笑}この世に絶対はない!『 #KuToo 』運動の葬儀屋バイトのパンプス強要が女性差別ではないという話

この世に絶対はありません。
「それは絶対か?」と聞かれたら、ちょっと困ってしまいます。
そんな時はこう答えるのです。

『この世に絶対な事は、「これ以外絶対はあり得ないという事だ」』

まあそんなわけで、先日から続けて考えてきた『#KuToo運動』のそもそもの話、『葬儀屋バイトでパンプス強要』に関して話してきましたが、私の意見も絶対に正しいとは言い切れないのです。
よって論破していきましょう。{笑}

私はこの問題、女性差別問題では絶対にないと言ってきました。
しかし当然ですが、絶対ではありません。
99.9%違いますが、少しは女性差別の可能性もあるのです。
それをご説明しましょう。

まず、何かが起これば何かが起こる、原因が有れば結果があります。
私はこの考えに基づき、『行き過ぎた差別批判問題!『 #KuToo 』から女性差別批判が限界突破!!』などと言う記事を書いてきました。
簡単に言うと、原因が有れば結果が出るわけで、原因も無いのに結果が出る事はあり得ないというロジックです。
性差別は、区別する対象(女性差別では男性という区別対象)があってこそ起こる問題であるから、区別する要素が無ければ起こりえない問題なのです。
しかし葬儀屋問題は、区別する要素が無くてもほぼ起こりえたわけで、だから性差別ではないと言ってきました。

原因があれば結果があります。
しかし、その結果が出たら、その原因があったとは言い切れません。
何故なら、その結果になる原因というのは、1つとは限らないからです。
例えば冷蔵庫にアイスクリームを入れていたのに溶けてしまいました。
その原因は、冷蔵庫のコンセントが抜けていたので、それだと思われました。
しかしアイスクリームが溶けていたのは、冷蔵庫のコンセントが抜けていたからだと断言する事はできません。
何故なら他にも原因となりうるものがあるからです。
コンセントを入れてみても、冷蔵庫は動きませんでした。
故障していたのです。
それを知った人が、コンセントを抜いていたのでした。
今回の性差別ロジックは、このような場合の『コンセントが抜けていたからだ』が『女性を差別していたからだ』に当たるわけで、それを解消しても冷蔵庫が動かない結果を示し、私は『女性差別ではない』と断言したわけです。

しかしコンセントが抜けていた事が原因で、アイスクリームが溶けるという結果が出る事もあります。
となると、冷蔵庫が壊れていたというのと、コンセントが抜けていたという2つが同時に起こる事もあり得るわけです。
コンセントが抜けた事が原因で冷蔵庫が壊れたという場合も考えられます。
つまり、差別が原因でパンプスを履く習慣ができた可能性なんかも考えられるのです。
或いは、原因とは主となる要因の事ですが、別にある要因として存在する場合もあります。

ただ、差別意識によってパンプスを強制したい気持ちが無かった事を証明する事はできません。
だから可能性がゼロではないのですが、無かった事を証明する事は悪魔の証明と言って普通証明できるものでもないし、証明する必要もありません。
今回のこの運動で『女性差別』を訴えるのなら、葬儀屋に『女性差別意識があった事を証明』する等の必要があります。
それがないのに『女性差別』を訴えたら、それは冤罪をでっちあげるようなものです。

そんなわけで、今回のこの問題に関して、これが女性差別である可能性はほぼゼロにも関わらず、何の証拠もないのに『女性差別』を訴える事は、無実の人を犯人にでっちあげるようなものですので、止めた方がいいですね。
女性差別の可能性はゼロではないので、どうしてもそこを訴えたいなら、差別意識があったこと等を証明する必要があります。
でないと逆差別にもなり得ますよ。

ついでにもう一つ自分論破しておきましょうか。{笑}

意地悪な質問ですね。
だれがこんな質問をしたのでしょうか‥‥

『男性も女性と同じくパンプスを履けばオッケーなのか?』

この質問は、騙しの手口と言いましょうか、一見男女の差を無くせば差別ではないので、この問題が差別なら納得できるはずだと錯覚してしまいます。
でも実はこれ、差の部分を取り払い、『パンプスを履かせるのが不当かどうか』という質問をしているだけなので、当然納得できるわけがないのです。
差別じゃなくても人を不当に扱う事は可能なのです。
差別というのは、区別を理由に、或いは理由なく、不当に差を付ける事です。
私が男女差別ではない事を証明した方法は、性差別は区別を理由にしている事から、『区別を理由に不当に差を付ける』という部分の、区別を無くす事で、差も不当も無くなるはずだというロジックです。
しかし不当な状態は残ったままなので、これは基本性差別ではないと言えます。
上記に示した通り、ゼロではありませんよ。
形としては性差別が有った場合と同じですし、原因の原因や、要因としての可能性は残るのです。
今回の質問は、差を無くせば不当な扱いは無くなるのかと言えば、そうではないですよね。
例えに出した通り、どっちも不当に扱う事だってできるのですから。
この質問の意地悪なのは、オッケーと答えたら一見差別を確定できるように見えますが、その場合この行為が不当でないという事になります。
『不当』な差を付けなければ差別ではないので、当然差別ではないし、問題ですらないという話になります。
ノーと言えば、これは不当だとなりますが、一見差別を否定しているように感じます。
答えづらい意地悪な質問ですね。
すみませんこんな意地悪な質問をして。
ちなみにオッケーの場合、一緒なら我慢できるとか言う場合もありますが、それはそれで平等主義が行き過ぎている可能性があるので、 自分を見つめ直した方がいいでしょう。

さてまとめとしては‥‥
社会の風潮や習慣が原因で、パンプス強要という問題が生まれました。
性差別によっても、このようなパンプス強要という問題が生まれる可能性はあります。
しかし今回の件は、上記が原因の可能性が圧倒的に高いにも関わらず、性差別を訴える人がいます。
可能性はゼロではありませんが、証拠も無いし、それを非難するには問題があるでしょう。

はい、そんなわけで、突っ込まれる前に先回りして、自分で自分のロジックを論破し、更に反論しておきました。{笑}

2019年6月10日月曜日

今日も元気にスパムメール紹介!『nikeonjp.com』って何ね?

またよく来るスパムメールが来たので紹介します。

黒塗りはいつも通り、時間、私のメアド、メール内のは私のメアドユーザー名となっていました。
今度はナイキを装っています。
差出人メールアドレスは本物でしょうか。
しかしメール内のリンクアドレスは、『nikeonjp.com』となっています。
メアドの『nike.com』とは違いますね。
明らかに怪しいです。

検索して調べてみると、やはり迷惑メールの類でした。
サイトに行っては駄目だという声もありましたね。

他にはレイバンのスパムメールなんかも時々来ますね。
また来たら紹介します。

2019年6月9日日曜日

行き過ぎた差別批判問題!『 #KuToo 』から女性差別批判が限界突破!!

私は以前から、行き過ぎた差別批判の問題を取り上げてきました。
今日はそれがとうとう限界突破いたしましたのでご報告です。

まずそもそも差別とはなんでしょうか。
『生まれや性別、人種や民族などを理由に、或いは理由なく、対応に差を付けて他人を不当に扱う事』です。
理由がある場合でも、度が過ぎる場合は、差別として扱われます。
しかし人間の価値観はみんな違うわけで、その理由が理由として適切なのか、対応が妥当なのかと言う所で意見が分かれ、それが差別か差別でないかという話になるわけです。
それに関して私は現在の状況を見るに、行き過ぎではないかと思い、意見してきたわけです。

そんな中、このほどとうとう、そのレベルを超える差別批判が起こりました。
#KuTooのそもそものスタートである、『葬儀場バイトでパンプスを強要された』という女性差別批判です。
#KuTooの運動にある、全ての事案を私は確認したわけではありませんので、ここでは#KuToo運動全てを批判するものではありません。
ただ、そのスタートとなったであろう上記の事案に関して疑問を伝えるものです。

そもそも差別というのは、定義の大前提として『差別する側と差別される側が存在』します。
白人による有色人種差別は、白人が存在しなければ起こりえない差別です。
〇〇人による××人差別は、〇〇人がいなければ当然あり得ません。
男性による女性差別も、男性がこの世にいなければ、絶対に起こりえない差別なのです。

なのに今回の葬儀場でのバイトでパンスプを強要された話というのは、男性がいなくても存在し得る問題です。
たまたまその対象が女性だったというだけで、女性を差別したものではありません。
こんな問題は、女性でなくても男性にも起こりえます。
何度も言っていますが、私はスーツにネクタイという硬い恰好をすると、肩が凝って頭が痛くなります。
ではスーツを着るのは男性差別なのでしょうか。
女性が男性に強要しているのでしょうか。
違います。
偶々男性に起こりえた問題であって、差別とは全く関係がないのです。
逆に言うと、こんな事で女性差別を言う方が逆差別をしていると言えるかもしれません。
社会の不具合を男性の責任と決めつけているわけですから。
※不具合かどうかも、価値観によって違います。

だからこの問題を取り上げるなら、何度も以前から言っていますが、習慣や風習といった無意識に理解しているものを変える事だけを訴えるべきです。
靴なんてそもそも時代によって変わってきているものですしね。
別に誰も女性をイジメようと思っているわけではないのですから、女性差別と言われても普通の人なら何かがおかしいと感じます。
普通に、デメリットを超えるメリットを訴えて、或いは流行りなどを作ってもいいです。
変に差別とつなげて訴えない方が良いと私は思います。

※※追記※※

ちなみに今回の場合、個人や企業、或いは第三者が差別をするという考えもあります。
その場合でも、今回のこの問題では差別に当たりません。
区別する材料である男性がいなかったとしても、当然この問題は起こりえますから。
差別意識がもしもあるような場合、男性がいなければ差別意識そのものが否定されます。
例えば男が大好きな女性が、他の女性に嫌がらせをする為に、頭の痛くなる帽子をかぶらせて仕事をさせていたとしましょう。
これは明らかにこの女性個人による女性差別になります。
何故なら、男性がいなければ女性に嫌がらせをする事自体あり得ないからです。
区別する要素である男性がいたから差別が起こったのです。
当然男性がいなければ起こらない嫌がらせなので、これは差別です。

つまり差別には、差別する側とされる側があり、更には差別されない人と差別される人がいるわけです。
大抵は差別する側と差別されない人というのは同じですが、そうではない場合もあります。
正確には、差別されない人達がいなければ起こりえない問題が差別と言えるでしょう。
区別する対象がいなければ起こりえない問題とも言えますね。

もっと分かりやすくいうと、差別されているとされる人達だけでも起こりえる問題は差別ではないという事かな。

それともう一つ。
今回区別要素を無くす為に男性がいなかったらって方法をとりましたが、区別するには区別する人、つまり差別した人がいるわけです。
今回は葬儀屋さんですね。
葬儀屋さんが誰であっても、今回の問題は起こりえたわけで、やっぱり差別とは言い難いですね。

合わせて以下の記事もお読みください。
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
自分で自分のロジックを論破していくスタイル!{笑}この世に絶対はない!『 #KuToo 』運動の葬儀屋バイトのパンプス強要が女性差別ではないという話

2019年6月8日土曜日

選べるという事は、選ばれるという事でもある!選択肢があるのは良い事ばかりではない!

更に『#KuToo』から色々考えさせられたので、ちょっと書きたいと思います。

まずおさらいから。
この問題は、葬儀屋でのバイトで、『何故足を痛めるようなパンプスが強要されなければならないのか?』という話から、『女性差別』だったり『パワハラ』だったり、とにかくおかしいという話になっているというものです。
そしてこんなのは無くすべきだという所ではないでしょうか。

差別に関しては、昨日『完全否定の記事』を書きましたのでそちらを読んでください。

さて、この問題を解決するには、TPOに関する風潮を変えるか、その為に或いはそんな健康被害の出るようなものを無くしてしまうしかないのではないかと思うわけです。
『いやいや、無くさなくてもいいだろう』と思うかもしれません。
でも、選択肢が有れば、それが最も適していたら選ばれる可能性があるわけです。
当然です。
例えばスーツを着て営業に行くのと、アロハシャツで営業に行くの、どちらが受け入れられるでしょうか。
どちらが多く成果を上げられるでしょうか。
おそらく今の風潮から考えれば、スーツの方が良い訳です。
そしてどちらかを選べるなら、会社としては当然スーツで行くようにと決めるでしょう。
あたり前です。
そちらの方が利益を上げられるのですから。
私がいくら『肩が凝って頭が痛くなるからスーツは止めてくれ』と言っても無駄なのです。
売り上げに響くのですから、頭痛を我慢するのも仕事となるのです。

そして今、スーツの人の方が信頼できるとか、そういう感覚、風潮というのはあるわけで、それを変えるとなるとなかなか難しいですよね。
変える方法として確実なのは、それの存在を無くす事しかありません。
スーツというものが存在せず、選択肢になければ、それを選ぶ事はできないのですから。
逆に存在してしまうと、TPOにそれが一番合ってるならどうしてもそれを選んでしまいます。

女性のパンプスというのは、歴史を調べてみると主に『ファッション』の為に女性に受け入れられたもので、特に誰かから強制されたものではありません。
しかし存在してしまう以上、『ファッション性が求められる職場』では、当然選ばれるわけです。
選択肢は多い方が、自分が選ぶ分にはメリットになります。
国籍なんかも、沢山持っていた方が選挙権など多くの権利が得られてメリットがあります。
でも、そういうのって往々にしてデメリットも大きくなるのです。
アメリカ国籍を持っていたら、納税など余計な義務が付きまといます。
権利には義務がつきもので、決して良い事ばかりではありません。
良いとこどりをしようとしている人もいますが、なんだかんだとデメリットから逃れられません。
選べるというのは、選ばれるという部分もあり、どうしてもデメリットが付いてくるものなのです。

今回のこの問題を解決する最高の方法は、『パンプスを超えるファッション性を持ち、足も痛くならない靴を開発し、パンプスに置き換わる事』です。
これなら選択肢も確保でき、選ばれる側となってもデメリットはほぼ無くなりますね。
それでもデメリットは残りますよ。
本当は運動靴が良いと思っていてもそれは選ばれませんし、もしかしたら値段が高いかもしれません。
選択肢があるというメリットは、選ばれてしまうというデメリットを常に持っているのです。

風潮を簡単に変えられたら、そりゃそれに越した事はないのでしょうね。
でも人々の心に刻まれたものを変えるのは、そう簡単じゃないんですよ。
まあ今回のこの話なら、或いは変えられるかもしれませんから、大大的にマスコミがメッセージを発したら行ける可能性は高いとは思います。
でも、私のように『スーツを着るのを強制しないでくれ』ってのは難しいでしょうね。
完全に人々の意識に浸透していますから。

刺青って法律では禁止されていませんよね?
でも日本では『刺青はファッション』だと言ってもなかなか受け入れられません。
そうだと言葉で理解はしていても、刺青を見ると『怖い』と感じたりするわけです。
ヤクザがする事だと思ってしまうのです。

お葬式での恰好は、ある程度みんなにイメージとして植え付けられています。
少なくとも運動靴だと『何この人?』って思われる所もあるのです。
その感覚を無くしてしまうには、相応の宣伝と時間がかかるでしょう。

最後は伝えたかった事から少し話がそれましたが、選択肢が増えるのはメリットばかりではないという話です。
『選択肢が増えれば選ばれる事もある』や『権利には義務が付きも』なんて事以外にも、選択肢が増えればまた別のデメリットが増える事もあります。
『手を組む友好国が増えれば友好国を敵に回さなければならない事もある』とか、『メニューを増やせば経費がかかる』なんてのもありますね。
違うようで全部同じ、『選択肢が増えればデメリットも増える』なんですよ。
今日はそんなお話でした。

2019年6月7日金曜日

『 #KuToo 』が女性差別?この問題が男女差別ではないと言い切れる理由

今、『 #KuToo 』が話題になっています。
『 #KuToo 』を簡単に説明しますと‥‥

ある女性が葬儀屋でバイトをしていたのですが、足が痛くて辛いパンプスを強要するのは『女性差別だ!』と言って問題にしているという話です。
※本人がそう言っているのか、周りがその方向で盛り上げているのかは分かりません。

この話、先日も記事を書きましたが、決して『女性差別』ではありません。

分かりやすくおそらく誰もが納得できる答えをお伝えしましょう。
だってこの問題、『男性がいなくても成立する』のですから。
あくまでこの世に『男性がいるから差別につなげられる』だけなのです。

この世が女性だけだとしても、この『足が痛くなるパンプスを強要される』という問題は起こりえます。
では何故起こりえるのでしょうか。
それは、その場その時にあった格好、相手に敬意を表す為の身なりなどが、文化や風習として存在してしまうからです。

私はスーツにネクタイという恰好が嫌です。
スーツを着るのは好きですが、ラフに着こなすのが好きなだけであり、きっちり着ると肩が凝って頭が痛くなります。
だからそもそも『サラリーマンにはなれないなぁ』と思っていましたし、実際会社勤めはした事がありません。
会社勤めをして、『スーツは嫌なんでTシャツにジーパンでいいですか?』と聞いても、おそらく駄目と言われるでしょう。
社会人としてふさわしい恰好として、誰が決めたのかそうなってしまっているからです。
今回の問題は此処にあるわけです。
決して差別ではないのです。

では何故こんなものが決められているのでしょうか。
変えてしまう事はできないのでしょうか。
これはそう簡単な問題ではありません。
それに、それなりに理由もあるからです。
例えば政治家に、ピンクのスーツなんかを来ている人がいますが、おそらく国民の中には『本当にこの人大丈夫?』なんて思う人がいると思うのです。
いくらクールビズだからといって、国賓を迎えるのにアロハで出迎える人もいないでしょう。
身なりから、ある程度自分に対する敬意が読み取れてしまうわけで、そう簡単に変えられるものでもないのです。
武士がチョンマゲを切るのも、凄く葛藤があったでしょう。
武士の誇りとして、あれだけ面倒な事を何百年も続けてきたわけですし、現代でも肌を晒す女性を『はしたない』と感じる国もあるわけです。

それに敬意を表すとなると、それはわざわざ『あなたの為にこんなに面倒で苦痛のある恰好をしているのです。あなたを歓迎しているのです!』と伝わらないといけないわけで、ある意味葬儀屋なんかだと苦痛のあるパンプスを選んでいると言っても『そういう理由か』と納得してしまったりもします。
別にそれが良いとも思わないし、この辺りの意識はものによっては変えていく必要があると私は思いますが、その代わりにどうやって相手に敬意を伝えるのか、新しい何かを見つける必要がありますね。

まあなんにしても、このパンプス問題は、決して差別問題ではありません。
TPOにあった、相手に対する敬意の伝わる身なりとはどんなものなのかって話ですよ。
そこに問題があるなら、どう変えていくのかって所ですね。
ハッキリ言って、これは法律で決められている問題ではないので、なかなか難しいです。
『葬式には黒の服を着ましょう』とか、『結婚式には白のネクタイをしましょう』なんて法律は無かったはずです。
これは、文化や伝統、風習やなんとなくそこにあるもので、簡単に決められるものでもないのです。
こういう時こそメディアの出番かもしれませんね。
『今、火葬場に行く時はジャージで行くのがトレンドです!!』とかやって扇動すればいいのです。
扇動に乗りやすいものなら乗る人もいるでしょうし、今ある見えないルールは、そうやってできてきたのでしょうから。

とりあえず、『苦痛を感じる服装をするのはどうなのか?』というテーマがでてきましたので、この機会にしっかり議論してみるのも良いかもですね。

うわっ!マジか?!こんな所にもスパムメールが!ご紹介!!『重要なお知らせ』

先日、よく来るスパムメールを紹介しましたが、今日は初めて来たスパムメールを紹介します。

ちなみに先日来たスパムメールの続編でしょうか。
Amazonのアカウント停止、みたいなスパムメールも今日きていたかと思います。
本当に延々届きますから、そろそろメアドを停止しても良いかもですね。

さて今日ご紹介するのは、初めてきたスパムメールです。
内容も初めてなのですが、その届き方と言いますか、『全く使っていない、そして誰にも公開していないメールアドレス』に届いたのです。
つまり、ランダムか、或いは予想したメールアドレスに送ったんでしょうね。
確かに、極シンプルなメールアドレスで、これは予想もされるだろうってアドレスです。


画像が見にくい場合はクリックして大きくしてみてください。
消してあるのはメールが届いた時間と私のメールアドレスです。

日本語がおかしいですし、リンクアドレスも怪しいですね。{苦笑}
送信者のメールアドレスが2つあります。

『info@mrcraftman.com』

このアドレスを検索すると、ミスタークラフトマンとかいう会社がヒットしました。
こちらにも送られているのか、それともこちらのメアドが盗まれているのか、分かりませんが何かしら関係があるんでしょうかね。

そんなわけで、怪しいメールのリンクは踏まないようにしてください。


2019年6月6日木曜日

男性の育休『義務化』とか、 #KuToo ってなんやねん?何でも法整備すりゃ良いってもんじゃない!

なんか変な事を言う人が増えているというか、そこまで国が決めないと駄目なんですかね。
法律なんて少ないにこしたことはないんですよ。
法律を全て理解して把握している人なんてどれだけいるのでしょうか。
ドンドン生き辛くなるだけです。

今日取り上げる問題は、男性の育休義務化と、#KuTooです。

まずは育休の話からしていきましょう。
話はまだそれほど出ているわけではなさそうですが‥‥
 議員連盟設立ですか。
まだ今すぐって話でもなさそうですが、先に結論を言うと、私は反対です。
確かに子育てを支援する取り組みは重要です。
ですが、他でも色々と対応できるはずです。
これはデメリットが大きすぎます。
中小企業の多くを潰す気かと、給料が上がらない体質の会社を増やす気かと、そんな風に思うわけです。
だいたい最近の風潮のおかしいのは、『労働者側の声ばかり拾って、雇用者側の都合を無視している』と思うのです。
いうほど簡単にできると思うのなら、自分で会社を作ればどうですかと言いたいですね。

仕事の内容を大きく3つに分けてみます。
①誰でもできる簡単な仕事で、たとえば3日の引継ぎでオッケー。
②ある程度経験が必要で、能力によって生産性が変る仕事。
③その人にしかできない仕事。

適当に分けましたが、まあ仕事には色々あるわけです。
で、「育休1年とります」と言って、とれる仕事ってどれほどあるんでしょうね。
①ならまあバイトを雇えば済みますけれど、そんな仕事にわざわざ正社員を使いますか?
仮に正社員を雇うとして、あなたが経営者ならどんな場合ですか?
誰にでもできる仕事とはいえ、辞められたり休まれたりすると困るような場合は正社員を雇うでしょう。
後は時間的都合がつきにくい等もあるし、やる気を持ってやってもらわなければ生産性に影響する場合なんかも考えられます。
バイトはすぐに休んだり辞めたりしますし、決められた時間の融通が利きません。
だから正社員を雇うわけです。
その人が1年育休で休むなら、だったら安い給料でバイト2人雇った方がいいかという事にもなったりしますよね。
まあでも、①の場合なら、育休も可能ではあるでしょう。
では、③はどうでしょうか。
休まれては困ります。
それ自体が会社の存続にかかわるかもしれませんし、売り上げに大きくかかわります。
育休なんてとんでもないですね。
②でも難しいです。
代わりにバイトを雇うわけにもいきませんし、あらかじめ人員に余裕を持たせる必要があります。
それは無駄な経費を使うという事です。
7人で回せる部署があるとしましょう。
普段は風邪などで休んだ場合、他の6人が残業などして仕事を助け合います。
でも1年育休となると、それでは足りませんね。
あらかじめその部署の人数を増やしておく必要があります。
もしかしたら2人同時に育休をとるかもしれませんし、風邪などで休む場合も考えると10人くらい配置しておく必要があります。
普段の仕事は楽になるでしょうが、給料は下がるでしょうし、当然会社としては良い状態ではありませんよね。
育休の努力義務ならまだ分かりますが、完全義務化は止めるべきです。

次に#KuTooについてです。

最初何の事だか分かりませんでした。
調べてみると‥‥

パンプス着用、社会通念で 厚労相、容認とも取れる発言

簡単に言うと、『足を痛めるパンプスを強要する会社をなんとかせぇ!!』って事です。
まあそこだけ聞くと、なるほど、それはちょっと‥‥と思うわけですが、それ『政治家』に言う事でしょうか。
会社が対応するべき所ですし、職種によってはこれも対応しづらい所もあるのではないかと思うわけです。
パンプスがどれほど苦痛で辛いものなのか私は女性ではないので分かりませんが、会社のルールに関して健康的に問題があるものってのは沢山あります。
例えば私の場合は、スーツをちゃんと着ると肩が凝って頭痛が酷くなったりします。
肩こりから起こる病気というのもあるわけですし、これは健康に大きな問題ですね。
では、スーツは着なくてもいいのでしょうか。
私のような事情があれば、もしかしたら許してくれる会社もあるでしょう。
事務などの仕事で、特に服装が問われないものは許してくれるかもしれません。
でも、職種によってはまずスーツが必須の場合もあるのです。
それを会社に文句を言っても、その職を選んだのは自分なわけで、無理なら辞めろで終わりです。
 私は早起きすると一日夢の中で生きているような感じになりますし、続けると体調が悪くなります。
だから会社に『出勤は12時にしてください』と言えばそうしてくれるのでしょうか。
できる会社もあるかもしれませんが、普通私のような人は朝の早い会社は選びません。

女性のパンプスに関してハッキリとは言えませんが、制服のある会社だとそろえる意味が有ったりもしますし、女優なんかも衣装に文句は言えません。
もちろん拒否してその役をやらないという選択肢はあります。
でも、役柄を崩してしまう場合は、普通仕事をしっかりやろうと思えば、足を痛めるとか苦痛があったとしてもやるしかないわけです。
その人にあった仕事を選ぶ権利は、労働者側にあるのですから。

ここまで、簡単に『嫌なら辞めろ。やりたくなければ別の仕事を選べばいい。自分で会社を作れ!』などと簡単に言ってきましたが、これ、デフレ時代だと難しいものでした。
仕事の選択肢はほとんど無く、与えられた仕事をやるしかなかった時代なら、社会全体でなんとかする必要があったわけで、政治に対応を求めるのも間違いではありません。
ただ、今は違うし、おそらくこれからは、政治家や官僚が馬鹿でない限りは大丈夫でしょう。
マイルドインフレ政策により、しっかりと金融緩和を行い、好景気を維持していれば、労働者は売り手市場の中でしっかりと仕事を選べるようになります。
いやなら転職も可能ですし、自分で仕事をするチャレンジもやりやすいわけです。

つまりですね、育休の義務化とか、#KuTooなんて言う必要はなく、ただ政府には『マイルドインフレ政策をしっかりしろ!』だけで済むのです。
会社も人材確保の為に、できる事はするようになるでしょう。
育休のある会社を選ぶ男性が増えれば、それをアピールして人材確保に努めるわけです。
優秀な女性が欲しいなら、服装や靴なんかなんでもいいからという会社も出てくるかもしれません。
既に今は売り手市場ですし、もう選べるんですよ。
とりあえず今の会社で頑張りたいなら、パンプスが嫌な人は、たとえば仕事が営業だとしたら、『着物で営業なんてどうでしょうか?』と提案してみてはどうでしょうか。
インパクトありますし、決して相手に失礼な恰好ではないでしょう。
足に優しい草履をはいて行けますよ。
まあ草履が痛いって話もありますけれどね。
パンプスとは違うでしょうし、パンプスは駄目でも草履ならって人ならできるかもしれません。

まあなんにしても、最近はどうも全て労働者側目線で文句を言ったりしているようで、これだと日本の企業の競争力が落ちるのも仕方がないと思うのですよ。
それで色々取り決めても、どちらかを優遇すればどちらかが辛い思いをするわけで、なるべく法律なんて作らない方がいいのです。
だからこれらの問題を解決するのは、景気良くして売り手市場を維持する事だと私は考えます。



2019年6月4日火曜日

今日もスパムメールが来ておりましたので紹介!『お客様のAmazon ID情報は不足か、正しくないです。』

昨日、ツイッターをしていると流れてきました。

これ、実は毎日のように届くんですよね。
それもかなり前からずっとなんですよね。
感覚としては1年以上続いている気がします。
スパムメールに関しては内容は変るもののもう10年くらいは続いているのではないでしょうか。
ちなみに、スパムメールが届くのは、ある特定のメアドだけです。
そのメアドは今は受信しかしていませんが、昔草の根のSNSに会員登録する為に使っていたもので、今は全て退会しているので、使っていないのですよね。

で、そのメールが今日も届いていましたので公開します。

見にくい場合はクリックして拡大してみてください。
消しているのは正確な時間と、私のメアドです。
タイトルの色が裏返っているのは、この記事のタイトルに貼り付ける為にコピーした為です。

下の所に‥‥
『:�= � -endr@is.tokushima-u.ac.jp>, From: Ax 』
こんなのが残ってますね。
徳島から送られているのでしょうか。
もしくはそちらを経由して送られているのでしょう。
盗まれてますよぉ~
大学か高校か、学校のドメインですね。

そんなわけで、スパムペールにはお気を付けください。

2019年5月31日金曜日

その失言、本当に失言?政治家を責めるだけでは国家国民の繁栄はない!

某政治家が、『子供を3人産んで欲しい』という発言をしました。
するとそれを叩く人が大勢いるようです。
叩く内容は色々ありますが、主に聞こえてくるのは、『子供が産めない人の事を考えろ』というものと、『子供が産みやすい環境を作る方が先だろ』という2つです。
私はこれ、どちらも正しいとは思いますが、しかしどちらも間違えていると思うのです。

私も昔、こういった批判をする側の人間でした。
実は私の友人に、子供が産めない女性がいて、こういう発言をする政治家を兎に角嫌っていました。
その友人は、友人とのお茶の途中、子供の話になると黙って席を立ちトイレに行くような、それほど辛い思いをしている人でした。
だから私は安易に『子供を産んで欲しい』などというような政治家は嫌っていましたし、当然その友人の前で子供の話をするのは控えていました。
その頃の私なら、きっとこんな発言をする政治家を責めていたでしょう。
そしてその頃の私は、馬鹿でした。
政治がどれほど難しく、世界がどういう状況にあるかを知らなかったのです。
そして日本という国がどういう国かも知りませんでした。
あの頃の私なら、きっと『子供が産みやすい環境を作れよ!』って言っていた事でしょう。
もちろんこれに関しては今でも言いますが、無理な事を言うつもりはないですし、何よりそれを理由に政治家のお願いを批判する事はありません。
何故なら、少子高齢化というのは、国民が一丸となって取り組まなければならない問題だからです。
国民も努力しなければならない、政治の力だけで解決できる問題ではないからです。

それでも、批判したくなる気持ちも分かりますし、言われて傷つく人がいるのも知っています。
だからといって、政治家からのお願いすら批判していては、問題を更に解決の難しいものにしてしまうのではないでしょうか。
政治家だけで解決できない問題があれば、そりゃ国民に協力をお願いする事だってありますよ。
議論するには、多少問題と思われる発言だってしますよ。
本音で語り合わないと、本当の意味で解決なんてできないのですから。

よくこんな声を耳にします。
『国会でしっかり議論しろよ!』
でもこれ、できるわけがないじゃないですか。
少し失言したくらいで、或いは誰かが傷つくからとか、差別だとか、配慮が足りないなんて責められるわけですよ。
そんな状況でまともな議論なんてできません。
だから結局、国会の場では当たり障りのないプロレスをするしかなくなるわけです。
野党やメディアが失言批判を煽るのも良くないですよね。
それが本当に国益を損なう失言ならともかく、差別だとか配慮が足りないだとか、そういう批判はするべきではないのです。
だいたい、誰も傷つかない絶対的な言葉なんてありません。
何を言っても誰かが傷つく可能性はあるのです。
それが言葉です。
極端な事を言えば『今日はいい天気だなぁ』と言っただけで傷つく人はいるかもしれないのです。
最愛の人が死ぬ間際『今日はいい天気だなぁ』と言って亡くなったとしましょう。
その人はこの言葉を聞くと思い出してしまい辛い気持ちになるのです。
だったらそれは言ってはいけない言葉なのでしょうか。
もちろんその人の事を知っていいれば、その人の前では言わないという選択肢になるでしょう。
でも政治家が国民に向けて、或いは国会の議論の場で喋るのに、そこまで配慮はできません。
ある程度予想して配慮する事はできますよ。
でも、『子供を3人産んで欲しい』という言葉、どう配慮するのですか。
どう伝えるのでしょうか。
『男性女性共に、子供が産める環境の人は、子供を3人は産んで欲しい』
こう言った所で、傷つく人は傷つきます。
それでも言って伝えなければならない事なのです。
政治だけではなかなか解決が難しい問題ですよ。
政治家が絶対権力者で、世界が日本だけなら可能かもしれませんよ。
でも、日本は世界の中で色々拘束され、悪いヤツもいるからまず国防の事も考えないといけないし、なかなか難しいのです。

民主主義国家は、政府と国民が協力して国を運営していくわけです。
国民は政治に文句は言うけれど、政治家は国民にお願いもできないのでしょうか。
絶対権力者なら、子供を3人以上産まないといけない法律を作ればいいのです。
できないヤツは納税額を倍にすればいいのです。
それで問題解決ですよ。
でも民主主義国家は、国民も国家の為に自ら進んで協力するから、それが必要ないはずなのです。

『女性は子供を産む機械』だとか、そういう問題発言は責めてもいいですよ。
それは失言です。
思う事自体私はどうかと思いますが、少なくとも言って良い事だとは思いません。
でも、少子高齢化が深刻な問題となっている今、『子供を3人産んで欲しい』というのは失言ですかね。
これを失言だと言って責める人が大勢いるようなら、日本の政治は良くならないし、問題も解決は難しいと、私は思います。

※※追記※※

私の友人に、男手一つで、或いは女手一つで二人の子供を育てている人がいます。
特に収入が多いわけではなく、男性の方はアルバイトで頑張っていますよ。
夫婦そろっていたら、頑張れば3人くらいなんとかなるのです。
やれないのではなく、やりたくないだけです。
まあやりたくない事を無理にやらせるのも違うとは思いますが、それが国家国民、そして子供達の未来の為だとしても無理ですか?
知ったこっちゃないというのなら、この問題に関しては何も言えません。
ただ、もしも未来の子供達の事を思うのなら、こんな事で批判するのは止めて、自分にできる事を頑張ってくれたらないと思います。

2019年5月27日月曜日

幻冬舎から刊行した書籍、百田尚樹氏の日本国紀の感想と評価

百田尚樹氏が書いた日本国紀という本があります。
この本に関して、称賛する人が多数いるとともに、批判する人も少なからずいるようですので、あくまで私読んだ感想ですが、ここに書きたいと思います。

私がこの本を買おうと思った理由は、『これ1冊で日本の歴史の流れが概ね分かる』と思ったからです。
今までもおそらく、日本の歴史を通史で書かれた本というのはあるのでしょう。
しかし最近、ソ連崩壊やらアメリカの公文書開示によって、新たに事実が出てきているわけで、それらを踏まえて最も最新でしっかりとしたものが読みたいと考え、だったらこの『日本国紀』が最適なのではないかと思い買う事にしました。

それで実際に読み始めてみて、正直少し思っていたのとは違いました。
歴史がストーリーとして書かれている本を期待していたからです。
神話の時代や伝説の時代もしっかりとストーリーとして書かれているのを期待していたのですが、この辺りはおそらく何処にでもありそうな感じで書かれていました。
ただまあ考えてみれば、古事記の現代語訳が読みたければそういった本を買えばいいわけで、読み進めていくうちに、徐々に期待通りの本だったという事が分かりました。
書かれている内容は、少し勉強している人なら概ね知っている内容でした。
しかしだからこそそれは事実が書かれているわけで、そしてそれが1冊の本としてまとめられている事が良い訳で、これは一家に1冊あって良い本だと感じました。

時々、百田氏の見解や考えも書かれていて、それは決して私と常に同じものではありませんでしたが、そういう見方、考え方もあるのだと納得させられるものでした。
8割くらい読んだ所で、これはしっかりとした歴史書だと確信しました。

ただ、そこからは少し印象が変わりました。
後半は主観で書かれている所が多く感じました。
或いは意味を取り違える恐れのある書き方がされているのが、私としては少し残念でした。
例えば『言霊主義が駄目だ』というような趣旨の記述がいくつかありました。
日本には『言霊』という文化があります。
それは、例えば悪い事を言えば現実になるのではないかという恐れ、本質はポジティブに物事を考えようとか、人を悪く言ったり批判したりするのは止めようといった意味なのかもしれませんが、悪い意味では言論を抑圧するものとなっていました。
戦争へ向かって突き進んだ時、負ける事を言葉に出して言えず、言霊主義が道を誤らせたといった感じの事が書かれていました。
一つの要因としてそれはあったかもしれません。
しかしもちろん言霊という文化が悪いものというわけではなく、状況によってちゃんと使い分けできなかったのが悪かったわけで、 頭の悪い人が読んだらそこは勘違いしてしまう可能性があります。
この辺り、或いは後半部分は、もう少し丁寧に書いてくださっていたらと思いました。

まあとはいえ、言霊の呪縛というのは、今の国会でもあると思うんですよね。
何か言えばすぐに『差別だ!』とか『配慮が足りない』だとか批判されるわけです。
それでいて『国会で議論しろ!』とか言う人がいるわけですよ。
まともな議論をしようと思ったら、誰かを傷つけるかもしれない事も、あまり声に出して言いたくない事も、言わないといけないんです。
言霊の呪縛というよりは、言論弾圧とか、ちゃんとした議論をさせない為の策略かと思うのですが、現代でも尚国会での自由な議論を邪魔する人達がいるわけで、百田氏が『言霊主義が悪い』と言う意味も分かります。
言えない事があったら、必ずそれだけ道を誤る可能性につながるのですから。

話が少しそれましたが、日本国紀は素晴らしい本だと思います。
後半少し百田氏の思いみたいなものが溢れていましたが、それはそれで一つの見方として間違っておらず、頭に入れておきたい事の1つですから。
そんなわけで、まだ読んでいない方は、是非読まれる事をオススメします。
できれば一家に1冊ですね。

2019年5月22日水曜日

自由と平等を理由にするのは止めよう!自由と平等の為に自由と平等は失われている‥‥

私は以前から、自由とか平等を理由にするのは止めた方が良いと言っています。
ちゃんとメリットとデメリットを考えて議論をしないと、大抵『その』自由と平等の為にメリットが失われ、デメリットが増えているように思うからです。

本当の自由で平等な世界とはどんな世界でしょうか。
法も秩序も何もない、全てが自由な世界。
北斗の拳のような弱肉強食な世界が、本当の自由で平等な世界です。
おそらく自由で平等を訴えている人でも、こんな世界を望んでいるわけではありませんよね。
でもそれこそが自由で平等な世界であり、法やルールを決めるたびに、自由や平等というのは失われていくのです。
逆に言えば、自由や平等を訴えるというのは、本当の意味でいえば『法やルールを無くす事』と言えるでしょう。

例えば現在、男女平等と職業選択の自由を訴え、男女同じに雇うよう法律が決められてしまいました。
確かにこれで女性の職業選択の幅は広がりましたが、これが本当に平等と言えるのでしょうか。
例えば雇う側からすれば自由が失われてしまったわけで、決して平等とは言えません。
職種には、男性の方が良い仕事もあれば、女性にしかできない仕事もあります。
男性は生物学的には子供を殺してしまったり、暴力を振るう事も多く、子育てや保育、或いは介護などの仕事は不向きです。
もちろん人間には理性がありますから、ちゃんとやればいいという人もいます。
でも実際、殺人事件やなんかは、圧倒的に男性の方が多いわけです。
そしたら当然、保育園で保母さんか保父さんどちらを雇うかを考えれば、当然保母さんの方が安心できるわけです。
でも男女平等で均等に雇わなければならないとしたら、それは働く側からすれば平等かもしれませんが、雇う側の経営者にとっては不平等であり、子供を預ける親から見れば、デメリットが大きくなるわけです。
前々から言っていますが、こんな法律はデメリットが大きく、早急に無くすべきものだと私は考えます。

だいたいそもそもこの世の中は不平等にできています。
現在、男性に向いた仕事、或いは男性にしかできない仕事、逆に女性に向いた仕事、女性にしかできない仕事を考えると、子育ても含めて、男性向きが10%、女性向きが50%、どちらでも良いが40%くらいの割合だと思うわけです。
ぶっちゃけ、色々できてしまう女性の方が優れていると思うのです。
ただ、どちらでも良い仕事というのは、生理とか健康面体力面を考えれば、どちらかと言えば男性を雇いたい所があるわけで、実は今まで自由にやっていたバランスというのは、まさに最高の効率の良さだったように思うわけです。
それを下手に不平等に法整備したおかげでそれが崩れ、職に就けない男性が溢れ、結婚ができなかったり遅れたりして、少子化が進み、悪い部分が表面化してきているのではないでしょうか。

何度も言いますが、本来自由で平等な世界にしていくというのは、現在ある法律を無くしていく事なのです。
それなのに一方からの声だけを聞いて法整備したら、それは別の所から見れば不自由になり不平等になっているのです。
別に不自由で不平等が悪いと言っているわけではありません。
そうするメリットがあり、デメリットをそれが超えるのなら、法整備は一向にかまいません。
つまり自由とか平等とか関係ないんです。
何かを決める時、それに大きなメリットがあり、デメリットを飲み込めるのなら、そう決めればいいのです。
それを考えず、自由と平等だけを理由に目先でやるのは間違っているのではないでしょうか。

人が集まって暮らす世界では、完全な自由や平等は望めません。
そうしないと概ね不幸になるからです。
自由や平等ではなく、より多くの人が幸福に感じる世界を目指したいですね。

ちなみに職業選択に関しては、男女平等とかいって下手に法律を作るよりも、景気を良くして売り手市場にする事がもっとも良いと思います。
男女ともある程度職業選択ができ、就職もできます。
100ある職業から100選べる人ってのはそもそもいないわけで、自分の能力の範囲内から選べればそれでいいと思うのです。
そして雇う方も、自由に人材確保できた方がいいでしょう。
ただし売り手市場ですから、欲しい人材を確保するには、それなりのコストを必要とします。
これは自由競争で当然ですね。
でも好景気なら、人件費は問題にならないでしょう。
だから外国人労働者を入れるのも反対です。
せっかく好景気で職業選択数が増えて給料も上がりやすくなっているのに、それを抑える政策だからです。
これは雇う側に贔屓した政策であり、これまた不平等政策と言わざるを得ません。

レッテルに惑わされず、政治家はメリットとデメリットをしっかりと精査して法律を考えて欲しいですね。

最後に‥‥
「自由だ!」「平等だ!」と言っている人は、当然憲法9条を破棄する事に賛成しなければなりません。
何故なら、これほど不自由で不平等な憲法は無いのですから。

2019年5月20日月曜日

日本はどうしてインフレにならないのか?それが分かれば『夢の国』『幸せの国』無税国日本ができるかもしれない!

日本は今、デフレから脱却しようと必死になって頑張っています。
しかしなかなか思うようにインフレにならない状況です。

もしも何をやってもインフレにならないなら、それはいくらでも政府はお金を発行して使う事ができるという事です。
何故らなら、それができない理由は『インフレになるから』だからです。
いくらでもというのは言い過ぎですが、せめて国家予算、100兆円から200兆円くらいを毎年発行してもインフレにならなければ、無税国家日本は可能です。
そうできないのは、流石に国家予算をお金の発行だけで賄ったらインフレになるとみんな分かっているからです。

極端な話、日本のGDPが500兆円くらいなので今政府が1000兆円のお金を発行し、そのお金で国民の仕事を全て2倍の値段で買えばどうなるでしょうか。
物価は倍になり、確実にインフレが起こるわけです。
逆に100円発行した場合はどうでしょうか。
流石にインフレにはなりませんね。
インフレ圧力にはなりますが、その程度の圧力ではビクとも動きません。
ゆっくりバックしている(小さなデフレ状態)車を後ろから押しても、人一人の力ではなかなか止められません。
しかし止める力、或いは押し返す力が大きくなれば、何処かで車は止まり、そして前に向かって進む事になります。
そのゆっくり前に進んでいく所まで国がお金を発行して財政出動すれば、確実にインフレにはなるのですが、それがどの辺りなのかが難しく、今はそれを探りながらインフレにしようとしている所だと言えるでしょう。

それにしても、現在日本は、多くの国債を日銀が買いとるといった状況にあり、それでもインフレしないのだからとんでもないデフレ状態にあります。
正直な話、真面目に無税国家にできるのではないかと夢を見ても良いくらいまできているように思うのです。
インフレしない原因、理由をはっきりと突き止め、それが人為的に簡単に行えるとしたら、それは可能なのです。
そこで私は、インフレしない理由を考えてみる事にしたわけです。

インフレ圧力は、確かに現在あります。
企業の人不足というのは、完全にインフレ時に見られるものですしね。
なのに何故賃金は上がらず、インフレは起こらないのでしょうか。
この辺りは何故か政府がデフレ圧力をかけているのも理由の一つでしょう。
外国人労働者の受け入れです。
本来人が足りなくなれば、人材確保合戦が始まり、賃金を上げていくはずなのです。
しかし外国人を受け入れる事で、賃金上昇が抑えられているのですね。
つまり外国人労働者を受け入れ続ける事ができれば、日本のインフレを抑える力となるわけです。
とはいえ外国人労働者を受け入れるのには、当然文化の違いなどから治安悪化が懸念されたり、デメリットが大きいですよね。
しかもずっと受け入れ続けるわけにもいかず、インフレを抑え続ける力にはなり得ないので、夢の国実現の為にやれる行為ではないでしょう。

ハッキリ言いましょう。
インフレを抑えるのに必要な事、それは国が発行したお金分、人々がそれをため込めばインフレは抑えられます。
簡単に言いましょう。
1000兆円発行して国民にばら撒いたとしても、手に入れたそのお金を国民が使わなければ、インフレは起こらないわけです。
つまり、国家予算を国が発行するお金で賄ったとしても、税金が0になったとしても、今まで通りお金をあまり使わない生活を国民が続けるのなら、税金に取られていた分全てを貯蓄に回すのなら、夢の国は実現するわけです。
ではその為にはどうしたらいいでしょうか。
まず国は、毎年予算分お金を発行します。
そして国民がお金を使わないように、『今は税金を0にしますが、どこかでまとめて全部請求します』という事にするのです。
すると国民は、お金を貯めておくしかありません。
本当は当然まとめて取るなんて不可能なんですが、毎年そのお金は積み上がってゆき、なんだか将来の借金となるのです。
あれ?今と結構似ていますね。{笑}
実は国債なんてものも、日銀が買えている時点で、本当は返す必要なんてないのです。
それを何故か将来の借金と思い込まされているから、なかなかインフレにはならないんですね。

結論を言えば、インフレになるかデフレになるかは、人々の気持ち次第なんです。
だから気持ちさえコントロールできれば、国家予算は全部お金の発行だけで賄う事が可能です。
まあなかなかそんな事は難しいですよね。
つまり無税国家にするのも難しいわけです。

そんなわけで、日本は健全なインフレ率、2%くらいを目標に今後もやっていくべきでしょう。
デフレ圧力をかけず、インフレ圧力を調整しながら徐々に強めていけば、いずれは達成できる目標かと思います。
それでもインフレしなかったら、その時は夢の国、無税国日本が誕生しているんでしょうね。

2019年5月18日土曜日

学生時代、男子は女子風呂を覗いたなんて話も多いはず‥‥主に年配者は‥‥

男子生徒が合宿で露天風呂にいた女子生徒を覗き見 30人を指導、だそうです。

まあそんなニュースを見た人達が色々な意見を書いていたりするわけですが、さて、これをどう判断すればいいのか、少し考えてみようと思います。
前にもどこかで似たような話をした事があるかもしれませんが、これから書くのは今の考えです。

私が子供の頃は、正直普通にあった『イタズラ』レベルの話でした。
ぶっちゃけると、率先して覗きをしようなんて男が逆にむしろモテるくらいでした。
活発で行動派な男は、モテるんですね。
いやいや、だから覗きを正当化しようとかいうのではありません。
まあそんな時代ですから、『男なら』というある意味アピールになっており、許されておりました。
いや、悪い事だという認識が希薄でした。
ちなみに今も、形の上ではハッキリ駄目だという事にはなっていないような気がします。
駄目であたり前なんですが、そういう法整備がされていないという事です。

まず、この辺りの話で気になるのは、一体何歳の学生だったのかという事です。
少なくとも我々が子供の頃は、小学生の間は銭湯で女子風呂に入る事が許されていたように思います。
つまり、覗くも何も、小学生の間はハッキリと許されていたわけです。
問題は中学生以上ですね。
男性が女子湯に入る事ができない年齢ですから、一般的な認識としては『覗きは駄目』という年齢です。
しかし、この辺りの年齢は少年との扱いで、法的には守られている年齢ですね。
グレーゾーンなわけです。
成人、選挙権が18歳以上になったわけですから、それ以上がやれば確実にアウトですが、それ以下の場合はどうでしょうか。
ニュースでは指導という事なので、それは当然の対応かと思います。
我々の頃でも、たとえ小学生であったとしても、反省の為に数時間正座させられるくらいの罰は受けました。
良い事か悪い事かと聞かれれば、当然悪い事なのです。
ただ、何故か若干許されている雰囲気も感じます。
それは何故かと考えると、完全に締め付けると逆に犯罪というのは増えるわけで、若いパワーをこの辺りで発散させ、怒られて学んでいくようにできているのかなとか思います。
それでいいとは言いませんよ。
今の若い子だと、それがトラウマになって精神的にやられてしまう女の子もいるでしょうしね。
逆にそういうイベントを楽しむ女子もいたりするから許されている部分もあるのかもしれません。
許されてはいないんですけれどね。

私は色々とまとめて考え直さなければいけない時期なのかもしれないとは思います。
淫行も成人と未成年では駄目だけど、未成年同士なら良いとか、基準が分かりづらいですよね。
そもそも人間の本能的に考えれば、一番性欲が旺盛な時期こそが適齢期なわけです。
それを社会としては都合が悪いからと言って抑えているわけで、少子化になるのも当然なのかもしれません。
ロリコンだと非難されている人もいますが、逆に女子高生辺りは性欲旺盛な人が多いです。
あくまで私の経験上の話なので、そんな事はないという人も大勢いるかもしれません。
当然、純粋でまだまだそういうのには興味のない人も結構いましたよ。
でも一時期、クラスの半分は援助交際をしているなんて事もありましたよね。
お金だけでそこまで大勢の女子高生が援助交際をするでしょうか。
或る種恋愛の一部だったのかもしれないとか思うのです。
私は女性ではないので、女性の本当の気持ちはわかりません。
女性と話して聞いた気持ちから判断しているにすぎません。

思うのは女性も全てが純真ではないし、全てが性欲旺盛なわけでもないという事です。
どちらの気持ちを大事にするかは、メリットとデメリットを考えてやるしかないですよね。

では私の意見です。
個人的には、小学生まではいままでのままで良いかと思います。
覗きをしたら注意指導するくらいで問題ないでしょう。
当然悪い事だという教育は必要です。
そして中学生(12歳)以上は流石にマズイと感じます。
それがトラウマになる子もいるでしょうし、デメリットが大きいです。
だから中学生以上はもう大人として扱う方が良いと思うのです。
犯罪を犯したら自己責任、女子風呂を覗いたら逮捕して実名報道ですよ。
結婚も両親の許可があればオッケーにするべきです。

まあでも、中高生はどちらか曖昧なままの方がいいんですかね。
曖昧な法的立ち位置だから、良い悪いも曖昧な所にいるわけですが、そういう時代も必要な気もします。

個人的意見としては上記した通りです。
それが正しいという自信はありません。
もっと色々な女性と本音で話してみないとって感じですね。
『色々な』女性と『本音で』ですよ。
偏った人達だけでも駄目ですし、本音でないと意味ないですからねぇ~

※※追記※※
これで言いたい事は伝わるかなぁ~って思っていたのですが、誤解されそうなので一応書いておきます。
中学生から本気で結婚オッケーなんて思っていませんからね。
あくまで義務には権利、権利には義務が伴うものであり、理由も無しに切り離せないって話ですよ。
刑罰は大人と同じだけど、他は大人扱いしないってのはフェアじゃありません。
ハッキリとした理由が必要です。
経済力、或いは責任能力がまだないという理由で結婚できないとしたら、刑罰も与えられないわけです。
むしろそんな事を言ったら、大学生も経済力は無いわけですから除外ですよ。
成人を18歳、結婚年齢も18歳からとしたのは当然の事なのです。

何処までが子供で、どこからが大人なのか、その判断は難しいですよね。
動物としてなら12歳以上で大人と言えるかもしれませんが、教育という意味では義務教育を考えれば、15歳、或いは18歳となるわけでして。
刑罰も、結婚も、他大人の権利、義務全て統一するのは難しく、かといって理由も無しに分けるのもおかしく。
だから今は、12歳から18歳未満は、どちらでもないような位置にあって、そこについてどう扱うのかは難しい所です。
私はどちらかと言えば、12歳以上はより大人として扱う方が良いと考えているという話です。
何故なら、中学生くらいの頃が一番イジメとか暴力とか、微妙な時期だと思うんですよ。
成長の早い人と遅い人の差がハッキリでるので、関係構築が難しいのです。
言って見れば、大人も子供も全部同じに扱う世界なんですよ。

なんにしてもそんな理由で私は結論にしましたが、どれがいいのかは正直分かりません。
元々の本題である覗きに関して、決して良い事だとは思いませんが、学生時代のこの行為を悪と言い切るほどの確信は私にはないのです。
そんな所です。

2019年5月17日金曜日

選択的夫婦別姓に前々から反対していたわけだけど、最近ますます反対する気持ちが大きくなった!

以前から、私は選択的夫婦別姓には反対しています。
理由は、まずそもそもメリットがない、そうする理由がないって所は大きいです。
誰に聞いても、『男女平等の為』とか、『面倒で不便だから』なんて事を言いますが、そもそも旧姓で仕事ができないわけでもなく、実際私の友人で幾人も旧姓のまま仕事をしている女性がいます。
更にいうなら、それ以外でも旧姓で呼んでいたりもします。
確かに手続きで面倒な所もありますが、大きな問題ではありません。
平等に関しては論外です。
平等が良い所もあれば、悪い所だってあるのです。
適材適所、男女はお互い欠けた部分を支え合って生きる関係にあるわけで、具体的にどうする方がいいのかは、ちゃんとメリットとデメリットを考えた上で決めるべきなのです。

では別姓にあるデメリットはどうでしょうか。
過去記事にだいたい書いてあるのでここではザックリ書きますが、まず、実際に取り入れているある国では、離婚件数が大幅に増えているという事です。
※ここら辺から後にだいたい書いてあります。 
つまり夫婦の絆の希薄化が問題ですね。
他にも伝統文化という面で、今のままの方がいいのではと考えます。
そう言うと北条政子がぁ、日野富子がぁ、とおっしゃる方がいますが、あくまでこの名前は現在の人がそう呼んでいるだけですし、私が今旧姓で呼んでいるのと同じです。
苗字はあくまで家の名前という意味で、男系が家を継承する基本的な文化があるという話です。
もちろん例外もあるでしょうが、大きく見てそうだという話です。
皇室が万世一系ってのも意味としては同じです。
皇室を手本にやってきた日本ですから、それを伝統と言っても問題はないはずです。
他にも、背乗りという問題があります。
外国人が日本人を殺し、その人の戸籍、名前を奪うというヤツです。
女性が苗字を変えるのは、現状あたり前にありますが、男性では数が少ないですね。
だから男性が苗字を変えていると、皆どうしてか気になります。
不審に思う事もあるわけです。
名前がそのままだと、知り合いにあったらバレますから変えたいのです。
背乗りする人にとってはこれは不都合ですね。
例えば外国人スパイが山田太郎と名乗っていたらおかしく感じます。
山田太郎を知る人にあったら、お前違うだろってなるわけです。
しかし苗字を変えてしまえば問題ありません。
ですが男性が苗字を変える事自体違和感のある現状では背乗りもやりにくいわけです。
つまり現在のままだと、男性スパイの防止に効果があるわけですね。
上手くできていると思いますよ。
女性には効果がありませんが、女性よりも男性スパイの方が圧倒的に多い訳で、その辺りの問題も耳にします。
細かく言えば他にもありますが、ここでは割愛します。

さてそんなわけで、前にもしかしたらどこかで書いたかもしれませんが、新たに今のままが良いと思う事があったので書きます。

苗字と言うのは家の名前です。
男性は家を継ぎ(何も仕事を継ぐという話ではない)、女性は男性に嫁ぐ形で家を出ます。
これを苗字という形で暗黙の内に了解させているわけです。
これは昔からの事で、明治からというのは、苗字を制度化しているかどうかという話に過ぎず、形は長く続いてきたものです。
何故長く続くかというと、そこに問題がなく、そして必要があったからです。
ではどんな必要があったのでしょうか。
男性が家を出て女性に嫁ぐも良し、両方家を出ても良いように思います。
でも、年を取って分かりました。
やはり男性は家を継ぎ、女性は嫁ぐ形が良いのです。
それは、老後の世話という部分で大きいように思います。
私はそろそろ介護を考えなければならなくなりました。
そこで困るのが母親の世話です。
私が女なら、何の問題もありません。
ですが男性が母親の世話をするには、何かと不便もあるのです。
そこで嫁がいれば、できない事をお願いする事ができます。
もちろん女性の家を女性が継いで男性を貰うというのもあります。
その場合はなんの問題もありませんが、男性が出てきた家が問題になりますね。
嫁に出た女性は、入った家の母親も、自分の母親の面倒も見る事ができます。
ですが婿を貰った場合、婿の出てきた家の母親の世話となると、 コミュニケーション不足などで抵抗を感じる人も多いのではないでしょうか。

ここでは関係の無い話ですが、同性婚を台湾が認めたというニュースが入ってきました。
私は反対していますので、正直嫌な流れだなと思いました。
まあ他国の事ですからここではとやかく言いませんが、日本では絶対にやめて欲しいです。
これも今まで反対理由を色々と書いてきていますが、そもそも結婚制度は子孫繁栄を援助支援する為のものだという事です。
男性同士の夫婦が養子をもらって立派に子育てしているなんて話を言う人もいますが、それはそれで別に法整備すればいいのです。
養子をもった同性夫婦に関する法律としてね。
別に同性で愛をはぐくんではいけないなんて法律はありません。
あくまで結婚制度が異性の間で行われる子孫繁栄の為の法律であるだけです。

なんにせよ、新しい法律を作ったり、今までの制度を変えるというのなら、今までの法律の意味を考え、デメリットを提示し、新しいもののメリットを具体的に示して欲しいです。
平等の為と言えば聞こえはいいですが、そろそろ平等が必ずしも良いものであるという認識はおかしいと理解してほしいですね。

とにかく、老後の世話という問題がでてきたなぁって個人的な話ですよ。
施設に預ければとか言うかもしれませんが、本当にそんなんでいいんですか?って思ったりもするわけですよ。
親がその方が良いという場合は問題ないですが、経済的な問題も有りますし、やはり親、ご先祖様への感謝は、ちゃんと行動で表したいじゃないですか。
正直、今老後を迎える親たちは、若者と価値観が違い過ぎて、一緒にやっていくには無理があるかもしれません。
私も相当ストレスをためております。
でも、この先を考えると、そうではなく、また親子が一緒に暮らした方が良い時代がすぐに来るように思うのです。
その時の為にも、今は特に法を改正する必要はないと思います。

こちらも合わせてお読みください。
選択的夫婦別姓には1000%大反対で議論の余地無し!話を聞くほど反対する気持ちが強くなる‥‥

2019年3月8日金曜日

景気回復を実感できている人と、実感できないと文句を言っている人の違い!ポジティブに生きよう!

お久しぶりです。
久しぶりに記事を書きます。{苦笑}
この記事は、ポジティブが取り柄の私が、ネガティブ家族に囲まれてヤバかった状況から抜け出そうとする話です。
(嘘だけど少し本当かもしれない‥‥)

おっと景気が実感できる人とできない人の話でした。

今、日本は、確実に景気回復をしております。
しかし実感できないと文句を言っている人も結構いますよね。
どうしてそんな事になっているのでしょうか。
それは、景気というものをこう考えると分かりやすいです。
景気が良い状況というのは、挑戦して成功する可能性が高い状況を言い、景気が悪い状況というのは、挑戦しても成功する可能性が低い状況を言います。
景気が悪い時は100回挑戦しても1回成功するかどうかって状況だとしたら、景気が良い時は10回挑戦すれば1回くらいは成功する状況って感じですね。

つまりですね、景気回復を実感できている人は、挑戦している人、或いは挑戦する会社に勤めている人で、景気回復を実感できていない人は、挑戦していない人、或いは挑戦しない会社に勤めているという事です。
言い方を変えると、景気の良い時はポジティブな人により有利な時代、悪い時はネガティブになってしまう時代という言い方もできそうです。
ポジティブな人は常にこう考えます。
『100回挑戦すりゃ成功するんだから、成功するまで挑戦すればいい』
一方ネガティブな人はこう考えます。
『100回挑戦して1回成功するかどうかなんて、挑戦するだけ無駄だから何もしない』
もしも景気回復を実感したければ、ポジティブになれという話です。

ただ、別にネガティブな考えを持って堅実に生きる事が悪い事だとは思いません。
利益よりも優先するべき仕事ってのはあるだろうし、何ににも挑戦せず最底辺で働く人ってのも社会には必要だからです。
でも、社会の景気を良くする為には、やはりポジティブに挑戦する人が多い社会にするべきですよね。
そしてグチグチ文句ばかり言ったり、それを聞いて生活するよりも、前向きに明るく生きている方が楽しいですから。

まあそんなわけで、ネガティブにあてられてヤバかった私も、3月25日に今の仕事を辞めて、新しい事を始めようと思っています。
景気がいいのだから、この時期に挑戦しないなんてもったいないですよ。
成功するかしないかは分かりませんが、確率は確実に高まっています。
景気回復を実感したい人は、何か新しい事に挑戦してみると良いかもしれませんね。

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