秋華神社(サイト入口)はこちら

2019年11月15日金曜日

久し振りに憲法について書きたくなったので書きます!皇室祭祀は合憲です!!

えー‥‥
今朝、田沼議員のツイートを引用して私がツイートしたものを引用して、こんなツイートをしていらっしゃる方がおられました。



流れはこんな感じですね。
私のツイートに誤字があるのはスルーしてください。{苦笑}
ろっひーんさんは、私が『間違いなく合憲』と言った事に対して、『解釈で合憲だーとかやめよう、正しいと思うなら憲法に皇室行事はできると明記しよう』とおっしゃっています。

はい、まさにその通りでございます。
この世に絶対はありませんから、屁理屈をこねれば断定なんてできるものはありません。
絶対が無いというのは私の考えですが、言いたいのは屁理屈をこねればどんな事でも否定できるという事です。
現に今、屁理屈をこねて皇室行事に『憲法違反』と言って否定している人もおられるわけで、絶対ではありません。
おそらくろっひーんさんは、そんな人もいるから、ちゃんと憲法を改正して突っ込まれないようにしましょうという事が言いたいのだと思います。
それはそれで正しい言だと思いますし、できるものならそれはそれで有りだと思っています。

ただですね、屁理屈は何処までもできるわけで、例えば憲法典に皇室行事を書かれたとて、否定する人は否定します。
「そもそもそんな憲法改正自体憲法の政教分離に違反しているから無効だ」と言うでしょう。

実は私、このツイートをする時に、最後断定しようかどうか悩んだんですね。
そこにツッコミを入れてくださる方がおられたので記事にしようと思ったのですよ。
『合憲です』と言おうか、『合憲だと言える』としようか、20秒ほど書いては消したんですね。
そこであえて『合憲』でとどめたわけです。
私は絶対は無いと思っているので、断定はしにくい、でも断定したいという葛藤の末のツイートなんです。{笑}

でもですね、断定できるだけの理由が無ければそうは書きませんでした。
考えた末に出した結論だったのです。

たとえば1+1は2ですがこれだって絶対とは言い切れません。
1人と1人がくっつくいて子供ができて3人や4人になるかもしれません。
2つの星がぶつかって1つになる事もあるでしょう。
1+1が2というのは、数学的な裏付けや定義等、あらゆる『あたり前』が前提で2と定められ、誰もが2と断定するわけです。
つまり、概ね多数がそう考え、現実そう扱われているものに関して断定するのは間違いではないのです。

皇室祭祀を国家として行う事は、さてどうでしょうか。

一つに、まず内閣法制局が認めています。
譲位に関しては今まで規定がなかったので、4条に対する違憲の恐れがあるという風には言っていましたが、これだって恐れがあるだけで、消極的にではありますが合憲と認めています。
政教分離に関する所には言及していなかったかと思います。

次に、現実にちゃんと執り行われ、大多数の人が政教分離に関しては疑問を持っていません。
疑問の声と言ったら、税金を掛け過ぎとか方向も違います。

この2つの事から、皇室祭祀が合憲であると断言しても良いわけです。
もちろん私は絶対は無いと思っていますし、屁理屈をこねればいくらでも否定はできますよ。
でも断言するべきものだと判断したのです。

他にも理由はありますよ。
裁判結果として合憲が認められています。
※参考リンク:公明党、大嘗祭参加へ 社民欠席「政教分離違反」
公明党が今回参加した理由としてハッキリ言っています。
裁判で断言しているものをわざわざ否定する意味がありません。

国家のルールは憲法典だけではありません。
法律はそれを補完するものであり、裁判結果も同様です。
合憲であると補完されているのだから、合憲と断定して良いわけです。

そもそも憲法というのは、国家国民の伝統文化風習全てを指して言います。
簡単に言うと、あたり前だと思われている事、あたり前に扱われてきた事全てが憲法です。
そんなものを全て憲法典に書く事は不可能です。
空気を吸っても良いとか、飯を食べても良いなんてわざわざ書く必要はないでしょう。
漢字で『きた』は『北』と書くとか、空に浮かぶものを『雲』と言いましょうとか、一々全ては書けないし、書く必要がないのです。
天皇陛下が祭祀を行うことだって、日本ではあたり前の事で、その事に疑問なんてないはずです。

天皇が憲法典の1条に堂々と書かれていれば、その天皇が何をするか、あたり前の事を一々書く必要はないのです。

憲法典とは、憲法の中で確認が必要な大切な事と、国家の運営方法を記したものです。
今はアメリカ式でチョッピリ目標チックになってはいますが、元来そういうものです。
それもあたり前の事です。

今回田沼さんも言っておられるように、憲法の解釈としても合法と言えます。
政教分離というのは、政治が特定の『宗教団体』に利益供与する、又は逆に損失を与える事を禁止するものです。
世界的な認識としてはそれが常識です。
利益供与を禁止するのか、 損失を与える行為を禁止するのかは国によって違うそうですが、確かこの話は憲政史家の倉山満さんがおっしゃっていたと記憶していますので、本を読んで勉強していただければと思います。
そして田沼さんもおっしゃっている通り、皇室の祭祀が特定の『宗教団体』を利益供与したと考える人はまずいないでしょう。

そして私のツイートに関してですが、これは解釈の問題というよりは、憲法典を読むルールにそって出した結論であり、解釈レベルとは違います。
憲法学者でもあるしがないラーメン屋の竹田恒泰さんの話によれば、憲法典を読むのにはルールがあるそうです。
それは、『矛盾の無いように読む』だそうです。
大学で憲法を習う時に最初に教わる事だそうなので、私は知りませんがそうなのでしょう。
そのルールに沿って読めば、間違いなく皇室祭祀は合憲なのです。
百歩譲って矛盾は正さなければならないと言うのなら、正すべきは『政教分離』の方です。
憲法1条ではなく、憲法20条や89条が憲法違反だという事になるのです。

そんなわけで、皇室の祭祀は合憲です。

まあそもそもの話、今の日本国憲法には間違いもありますし、正直ゴミ憲法ですよ。
全面見直しが必要でしょう。
でも憲法にある間違いすら正す事ができないのに、全面見直しなんてありえませんね。
だからなるべく屁理屈を言われないように、少しでも憲法改正するという意見もそれはそれで正しいです。
最初に言った通り、ろっひーんさんの意見も、否定はしませんしそのような改憲があるのなら私は賛成するでしょう。

ただ、皇室祭祀が合憲であるというのは断言しても良いと思います。


2019年11月9日土曜日

気になって眠れないので書きます。倉山満氏のあの三択記事の狙いは‥‥

先日、私が信頼する倉山満さんが、面白い記事を書いておられました。

安倍晋三、菅義偉、山本太郎「首相にふさわしいのは?」答えは一択/倉山満

いやぁ~タイトルを見ただけで多くの人が『何故?』と思ったでしょう。
チャンネルくららがプチ炎上して、反論の声が多く寄せられたようです。
そういう私も、それなりに思いをツイートしました。
『倉山さんには考えがあると思いますが、やはり山本氏は駄目だ』と‥‥

それらに対する倉山さんの意見としては、こんな記事がありました。

国語の問題

まあその通りで、1つ目の記事には『究極の選択』と書かれている以上、どの総理も否定している事が前提です。
安倍氏と菅氏を否定する為に、山本氏はダシに使われたのです。
話の中で、よくあるじゃないですか。
否定する為に『こんな料理を食うならウンコの方がマシだ!』とか言う事‥‥
アレ?無いですか?{笑}
それで突っ込まれて、流石にウンコはなかったという話になるわけですが、今回はさてどうでしょうか。

1つ目の記事には序盤、現在の状況から『馬淵首相なら』という仮定まで話し、選択肢の前提条件を示しています。
これにより、単純に山本氏がマシだとも言っていませんね。
ただ逆に、この前提条件があるなら『本当に山本政権の方がマシ』ともとれるわけです。
この前提条件を示した理由はいくつか考えられます。
否定のダシに使うだけなら、上記した通り前提条件は必要ありません。
まあ後で言葉の撤回や説明が必要になりますから、それを先にしておいたという部分もあるでしょうし、皆が記事に注目して考える方向性を示していたとも考えらえます。
或いは倉山さんなら、本当に山本政権が誕生してしまった時の事まで考えていたのかもしれません。

でもだからこそ、倉山さんのこの結論に対して、嘘はないと思うのです。
これが自民党に危機感を与える等の作戦だったとしてもです。

この前提条件を満たせば、本気でこの3人から選ぶ究極の選択なら、『山本総理』が一番マシだと思っているのだと判断するのです。

馬鹿発見、ネトウヨ煽り、考えるきっかけ、そして安倍政権批判、目的が色々ある事は、倉山さんを知っている人なら必ず記事にはしっかりとした意味がある事は分かっていたでしょう。
更に、山本党を野党第一党にして自民党の危機感を煽る、なんて事も内心考えているのではないかとも普通に思います。
立憲民主党や国民民主党のような談合政権では危機感なんて与えられませんしね。

それどころか、この条件が整えば、与党を取らせても今よりはマシと私には感じられました。
確かにと思う部分もあります。

例えば民主党政権は悪夢と言われていますが、あの政権交代が無ければ、今までの金融緩和による経済復活はなかったかもしれません。
負の遺産、デメリットは沢山ありましたが、それ以上にもしかしたら良かったのかもしれないと考えれば、あくまで条件が達成されればではありますが、本気で山本党に政権交代した方が、将来の日本の為なのかもと思うわけです。

でも私はやっぱり気になるわけです。
思うわけです。

『山本太郎がその程度でコントロールできるタマなのか』と‥‥

政治は、総理大臣の独断で何でもできるほど甘くないのは分かります。
何かをするにも世論が必要ですし、当然党内の協力、或いは衆参議員の半分の賛成も必要です。
次の衆議院選挙で国民が盛り上がり、万一山本党が与党になるような事があったとしても、参議院を抑えられていない状況では、無茶は全部阻止されるでしょう。
もちろんその前に、政権与党を取るなんて、そんなに甘い話ではないし、おそらく倉山さんも次の衆議院選挙で山本党が与党になるなんてまずありえないと考えているでしょう。
だからこういう煽りをしたとも考えられますが、それでも前提条件を話してから倉山さんが話すわけですから、億に一あり得たとしても、今よりはマシになると考えていたと思うのです。
それは前回の民主党への政権交代から今につながる、トータル的にメリットという考えも含みます。

私は倉山さんの発言が駄目とか間違っているとか思ってはいません。
この記事で日本がどうこうなる可能性よりも、より多くの人が政治にまともに向き合う、ザックリ言ってしまえば、日本国家国民にとってプラスになったでしょうから。
ただ、今よりマシだと言えるポイントは何処なのか、山本氏の認識以外に何か理由があるのかという一点だけが気になって眠れないのです。{笑}

いやまあ本当に倉山さんが2つ目の記事で書いている通り、それだけの事なのかもしれません。
でも私はチャンネルくららが始まる以前から倉山さんを見てきているわけで、それだけではないと確信するものがあるわけです。

この三択、前提条件が整えば、山本太郎総理一択であるというのは確信をもって本心であると。

で、私は山本太郎氏を危険視しています。
それは、優れた人であるという風に認めているからです。
それが間違った方向に進めば、それほど危険なものはないのです。

鳩山由紀夫元総理が総理時代やっていました。
とりあえず言ってしまえ作戦です。
最低でも県外、二酸化炭素の削減に関する世界への公約、こんな事が総理の独断でできてしまう事が民主党政権時代に明らかになっています。
それを今も引きずっています。
二酸化炭素の削減に関しては、東日本大震災の原発事故で有耶無耶になった所があり、不幸中の幸いと言っては語弊もあるかもしれませんが、忘れられる事になって助かっています。

私が怖いのは前々から言っていますが、山本太郎氏の独断発言なんです。

これがあれば、今の安倍政権の方がまだマシだったって話にもなり得ますし、私はその可能性が高いと考えているのです。

私は演技者ですから、山本太郎氏が総理になる話があったとして、山本役をどう演じるかを考えます。
成り切って、何を考え、どういう発言をするか、何をするのかを想像し創造します。
総理就任後、まず私は中国か韓国への挨拶に向かおうとするでしょう。
それを周りに止められ、仕方なくアメリカに行く事になります。
そして言うわけです。
『日本は今までアメリカの属国のような国でしたが、これからは対等な友人として付き合いませんか?沖縄の米軍基地の撤退を検討してもらいたい』
山本政権が誕生するくらいですから、その毅然とした行動に、その時の国民は支持の声を上げる事になります。
もちろん半分近くは批判もするでしょうが、表向きは盛り上がっているように見えるでしょう。
その話は『ナイスジョーク』的に有耶無耶にされるかもしれませんが、次に中国に行くわけです。
そこで私は言うのです。
『尖閣諸島はそちらに譲りますから、全ての領土問題を無くし、今後一切領土に関しては言わないで平和にやりませんか』
総理の言葉は重いです。
同様に、韓国に竹島、ロシアに北方領土を渡す話もするのです。

さてこうなった場合、安倍政権が続いて少しずつ悪くなる中チャンスを待つのと比べて、どうなんでしょうかね。
結果は分かりませんけれどね。

私の妄想と言われればその通りです。
でも山本氏を警戒する人は、そうはならないという理由が欲しいわけですね。

そもそも山本総理の誕生自体、可能性は限りなくゼロに近いのかもしれません。
ましてそんなとんでもない約束を勝手にするリスクも無いのかもしれません。
ただ私には分からないから、不安だしそこが知りたいわけです。

皇室を守るって部分にも記事では触れられています。
それが前提条件にはなっています。
でも山本氏がとりあえず声を上げ、衆議院解散で国民に問うて参議院を抑えつけようとするかもしれません。
小泉総理が郵政解散をしたように。
それで再び山本党が勝ったとして、それでも参議院は否定してくれるのでしょうか。

そもそも安倍総理、菅総理、山本総理の三択なんて、起こり得ない仮定の話かもしれません。
そんな事をマジに捉えても無意味なのかもしれません。
ただ、もしもの話でも、分からない事は分かりたいんですよね。{苦笑}

倉山さんの狙いは狙いである程度達成されたのでしょう。
だから別にそれ以上考える必要は私には無いかもしれません。
ただ気になるから、一応ここに書いておく事にしました。

※※追記※※

おっと大切な事を書き忘れていました。
と言いますか、書こうかな、どうしようかなって思っていましたが、やっぱり書いておこうと思います。

ズバリ倉山さんの記事の本当の狙いは、馬淵氏を山本氏にくっつける事だと見ています。
維新の会に石原慎太郎氏をくっつけたように。
理由なんてありません。
本当は有りますが、ただ記事を読んで私がそう思ったというだけです。
馬淵氏応援記事なのです。

戯言だと思っておいてください。{笑}

2019年9月28日土曜日

N国党の立花党首の発言『虐殺』が問題視されている!動画を実際に見た私の感想を少し‥‥

N国党の立花党首、何気に話題が尽きませんね。{笑}
まあきっとこの発言は取り上げられるだろうなと思っていましたが、やはりニュースになりました。

人口増対応「虐殺」に言及 N国党首、動画で

これは確かCGSのネット放送で、神谷宗幣氏が、『教育で世の中を、世界を良くして行きたい』というような話をしていた時だったと思います。

立花氏は、毎年世界の人口がドンドン増える中、必ず食料を奪い合う争いが起こるという考えを伝えました。
それに対して神谷氏は、教育をして人口の調整なりしていくしかないという意見を述べられました。
こういった話の中で、例えば日本人として生まれ、日本の教育を受けても馬鹿な犯罪を犯す者もいるし、世界にはもっと分からない人がいるでしょう。
そして更に、そういう人達に日本の教育をする事が、本当に望まれる事なのかという疑問を、立花氏は語っておられました。

言われると確かにありますね。
望まない教育をされる事が、本当に幸せなのかどうかと言われれば、まあ難しい話です。
世界が日本で、日本で暮らすとなれば話は別ですが、散々綺麗事を叩きこまれたとしても、隣の国に攻められて国家が滅べば意味はないかもしれません。

私は以前から言っている通り、私の目指す所は神谷宗幣氏が最も近いです。
だから常に神谷宗幣氏を支持しています。
でも立花氏の意見も分からなくはないのです。
人口増があって、食料が足りなければ、それは自然に争いが起こって淘汰されるのは真理です。
神谷氏はそういう意見にタイムリーな反論はしませんでしたが、私個人としては、みんながある程度日本の教育を受けられれば、食料確保の方法ももっと作れるだろうし、なんとかなると信じたいです。
ただ、こういう事を考えるのには、こういう事を言って問題提起できる人が必要です。
N国党の立花党首は、あえてそれをしているようにも感じるんですよね。
本音でもあるとは思いますが、これは誰かが言わなければならない必要な事だと思うのです。

日本の教育は、確かに犯罪者の少ない国を造り、理想の心をはぐくむ事ができるかもしれません。
ただ一方で自殺率はトップレベルに高いです。
さて、果たしてそれは良い教育と言えるのでしょうか。
まあ私は、世界が日本だけなら良い教育だと思いますよ。
たぶん国家自体ももっと理想に近づける事ができますし、きっと自殺率も下がります。
だからと言って、今はそれができないわけで、現状でいいのかと聞かれれば、即答はなかなかできないですよね。
それでも私は日本の教育を広めて行き、なんとなく世界の価値観がそちらに向かえば、ある程度争いを起こさずに解決できる方向に進みやすい世界にもなると思うのです。

なんにせよ、立花氏の発言は、確かにもう少しオブラートに包んで言い方を考えた方が良いものではあります。
しかしまあこれも立花氏の炎上商法ですし、実際考えさせられる問題でもあります。
せっかく批判を恐れずこういう発言があったのだから、その辺り我々は真剣に考えなければならないのではないでしょうか。

私はN国党立花党首を支持しておりません。
自分でも危険だとおっしゃっていますが、怖いですからね。
こういう考えを平気で言える人ですし、感情的にも引っかかる所が多いです。
でも、逆に必要だとも思うわけです。
国会で議論していても、みんな『差別だ』とか『人権無視だ』とか言われれば、萎縮して議論にならないじゃないですか。
だから私は国会での議論は無駄だと思っています。
密室で本音で語り合わないと、本当に正しい答えは導きだせません。
国会は、仕事をしているように見せる為の場であり、国民を騙す為にあるんですよ。
中には良い演説や質問もありますから全てが無駄ではないですが、それができないモノもあるわけです。
N国党の立花氏なら、国会でどんな議題でも話せるのではないかという期待もするわけです。

各新聞社、そろってN国党の立花氏を批判するような記事を書いていますが、これがまた問題提起にもなるでしょうし、結果的には良いと思いますよ。
世界の人口増に対処する平和的方法はあるのでしょうかね。
初めから食料が足りないんですけれどね。
まあ私はどうにもならない時は、戦争じゃなくても自然淘汰されていくんだろうなとは思っています。
そして我々は、自分達の食生活を質素にして行かない限り、そういう人達は救えません。
自分達の生活すら守れない、結婚もできないなんて文句を言っている日本人が、そういう人達を救えるわけがないのですよ。
だけどせめて教育で、一人でも救えたらいいじゃないですか。
その辺り神谷氏と同意見で、最後は立花氏も同意していたような感じで終わりました。

議論の中で出た過激な発言も、ぶっちゃけた議論をするには必要で、結果最後どうなったかを見れば、まあ批判には値しないものだと分かると思います。
いや、言い方は批判してもいいですけどね。{笑}
とりあえず問題があると思った方々も、一度CGSの動画4本、見て欲しいですね。

2019年9月20日金曜日

NHKから国民を守る党、略してN国党の立花孝志議員が色々な人と会談している動画を見るのは楽しい!

私は、N国党は支持しない事を決めました。

NHKから国民を守る党ですが、私は支持しない事を決めました!NHK、或いは既得権を壊すという部分は応援しますが‥‥{笑}

まあザックリ理由を言うと、どっちに転ぶかよく分からないからです。
直接民主主義で方向を決めていくという事なので、おそらく支持されるとしたら、『直接民主主義を肯定する人』となるのでしょうか。
国民の声が直接反映されるという事は、左でも右でも関係なく支持を得られる可能性があります。
そこが狙いではあるようですが、だからこそ支持できないという人も出てくるわけで、私は最低限の綱領は必要かと思うのですけれどね。

最近は保守の言論人や政治家との会談動画を多く上げておられ、保守寄りのようにも見えます。
桜井誠氏との対談では、桜井氏曰く、『愛国左翼になってほしい』なんてのもありましたが、本人曰くは『保守』だそうです。
でもそうハッキリ言われると、私なんかは疑り深いので、まあ言葉の通りには受け止められませんけどね。{笑}
左派の議員をかなり貶されているのを見ると、立花氏にとって手ごわいのは『左派議員』というようにも見えるわけです。
つまり、左右なんてどうでもよくて、とりあえず今は『保守取り込みをしている』ように見えるんですね。
保守は話もできますし、話せば分かる人が多いです。
比較的取り込むのは楽でしょう。
でも左派は、多くが結論ありきだったり、綺麗事や感情重視なので、『話しても伝わらない』のです。
さて、左派の支持を得るのをあきらめるのか、それとも『実績を示して取り込む』のか、まあなんにしても今はまだ立花氏がどうするのか見えないので、私は不支持な訳です。

ちなみに、立花氏が凄く賢い人だというのは、気にして見始めればすぐに分かります。
そしておそらくは保守でも革新でもなく、ニュートラルです。

ぶっちゃけそんなのはどうでもいいのです。
自分の正しいと思う事に進むというだけなのでしょう。
正確には、家族の為自分の為という事です。 
そういう意味では私と考えが同じですし、まあ多くの人はそうなんではないでしょうか。
だからこそ危険も感じるわけですね。
もしも日本をぶっ壊す事が正しいと判断すれば、きっとやろうとするでしょう。
そしてやれてしまう可能性を持ったスケールの大きな人なのです。
その最低限のラインだけは外さないと確信できない限りは、やはり不安です。

それでも、最近の立花氏の行動は面白いです。
色々な人との会談、対談で、色々な人の事が見えてきました。
スケールの大きな人と話すと、格の違いみたいなものも見えてくるんですね。
それで思うのは、やはりどの人もその立場にいるのには意味があると感じるのです。
ただの馬鹿では政治家なんてできません。
当選なんてしないのです。
その立場にいるのには、みんなそれなりの意味を持っていると感じます。

一番面白かったのは菅野完氏との動画でしょうか。
この菅野完氏という方は、正直噂と写真でしか知りませんでした。
悪い噂しか聞きませんが、どんな人なのか興味があったんですね。
動画では立花氏はやや呆れたように対応していたかに見えますが、これは立花氏の手であるのでまあ本当は違った印象を持った可能性もあります。
『かかわりたくない』と思ったか、或いは『面倒くさい』と思ったか、少なくとも完全に無視できる存在ではないと判断したように思います。
私は『伊達に今の立場にいる人ではない』と感じましたよ。
良い悪いは別にして、菅野氏も賢い人だと思いました。
そしてまた、時代に関わる人だともね。

他にも、櫻井よしこ氏、百田尚樹氏、上念司氏、KAZUYA氏、神谷宗幣氏、玉木雄一郎氏、高須克弥氏、桜井誠氏、堀江貴文氏など、色々な人と話しているのを見て、本当に面白いと感じるのです。
それぞれがそれぞれの立場にいる意味と言いますか、それが伝わってくるのです。
なんて言うんですかね、三国志演義を見ている気分になるのです。
それぞれが目的を持ち、それぞれが目的の為に戦っているのです。
真剣に生きている人たちの生きざまが見えてくるんですね。

そう思って見てみると、立花氏と話した事もない他の色々な政治家の事も見えてきます。
蓮舫氏もね、選挙前と選挙後で人が変ったような発言をしているように感じます。
それで思うわけですよ。
蓮舫氏の狙いはこの辺りにあるのかなって。
一人一人を見て政治を見ると、最近なんとも面白いわけです。

そのきっかけはN国党の立花氏なんですよね。
そう考えると、私は立花氏が怖いのです。
三国志が見えるわけですよ。
戦国時代と言ってもいいです。
時代が大きく変わるのです。
立花氏がもしかしたらその方向に進める予感がするのです。
それが保守ですか?
何をもって保守というのかは分かりませんが、良い悪いは別にして、これから改革の時代がはじまるように見えるのです。
怖いのはもちろん、期待もありますよ。
だから支持したい気持ちもかなりあります。
でも支持すると言えない、そんな複雑な気持ちなのです。

左派の人達って、少し前までは多数派だったわけですよね。
そして今少しずつ追いやられ、政治の世界では少し分が悪くなってきているわけです。
でも思うのです。
なんで多数派だったのに、今まで全てが味方のような世界だったのにって。
本気でやるつもりなら、もっとやれたんじゃないかって。
左派の中には、左派の仮面をかぶっただけの人も多いのでしょうね。
そんな人が立花氏と会談できるわけがないですよね。
すぐにバレますよ。
そう考えると、今の流れは悪くないのでしょうね。
右に進むなら『邪魔をしているフリをして後押し』、左に進むなら『協力をしているフリをして邪魔をする』感じがするんです。
立花氏が本当にやりたい事が何かは別にして、それが左側にあるのなら困難であり、右側にあるのなら割とやれると考えれば、今は応援してもいいかもしれませんね。

何にしても、政治が更に面白くなってきました。
立花氏が色々な人と喋っている動画、今後も期待しています。

最後に一応言っておくと、何故立花氏との会談を見るのが楽しいのか。
それはその会談相手の格やスケールみたいなものが見えるからってのもありますね。

2019年8月25日日曜日

NHKから国民を守る党ですが、私は支持しない事を決めました!NHK、或いは既得権を壊すという部分は応援しますが‥‥{笑}

参議院選挙が終わり、山本党とN国党が新しく政党要件を満たしました。
山本党に関してはすでに『不支持』を決定していましたが、N国党についてはずっと悩んでいました。

どちらの党首も、私は能力の高い方だと評価しています。
だからこそ、支持するかどうかは真剣に決めなければなりません。
味方にすれば頼もしいですが、敵になれば恐ろしいからです。
評価するがゆえに、私はずっと悩んでおりました。

山本太郎氏に関しては、最初から不支持は決定していました。
政策を色々打ち出しており、そこから見える思想等全く共感できないからです。
いや、全くというわけではありません。
どちらかというと共感できる部分も随分とありました。
しかし今までの行動から察するに、山本太郎氏本人に共感できない、或いは危険を感じますので不支持なのです。

では、N国党はどうでしょうか。
ワンイシュー政党という事で、唯一の綱領に関しては支持しています。
NHK改革は必要であり、おそらくそれは左右関係なく多くの国民と一致する所でしょう。
だからこれだけなら、誰からも支持される政党となるわけです。
しかし逆に、 他が何も分からないのです。
NHKをぶっ壊す事と引き換えに、国体を揺らがしかねない政策に同意する可能性はないのでしょうか。
N国党の国会議員は現在2名ですかね。
立花議員と丸山議員だけなら、支持もできるかもしれません。
しかし合計20人くらいまで増えたとして、残りの18人の政策の方向性は分からないのです。
それが揃ってから初めて支持できるかどうかが決められる状態とも言えるわけです。

そこで現在判断するとなると、見るべきはやはり党首の立花議員という事になります。
凄く賢い人です。
正直やり方は嫌いですが、私が政治家になったとしたら、『こうするべきだ』と思う事を実際にやっておられます。
それは、世の問題をあえて表に出すような、法のグレーゾーンを攻めるやり方です。
違法でなければ何をやっても良いというようなやり方です。
私がやるなら否定したい所ですし、当然私にはマネできません。
だから嫌いなのですが、政治家を判断するのに好き嫌いだけで判断はしません。
それに立花議員個人の事は何も知らず、別に本人を嫌いなわけでもないのです。

N国党を判断する為には、立花議員個人がどういう人なのかを知らないとどうにもならないというのが今の考えです。

知らない間は支持しない事を決定していました。
賢いが故に危険性の高い、しかも知らない人は支持できませんからね。

でも昨日、高須先生とのニコ生放送で、私はある程度判断する事ができました。
その結果、支持しない事にしたのです。
正直、立花議員個人を好きになれるかどうか、信頼できるかどうかは今も分かりません。
ただ、私が駄目と判断する材料に引っかかってしまったので不支持です。

とはいえ、綱領1点は支持していますし、N国党から出てくる議員が支持できるようなら支持しますよ。
例えば私の住んでいる選挙区から、私の期待するような公約を掲げて立候補する人なら、私は自民党ではなく迷わずN国党のその人に投票します。

でもおそらくですが、私が納得する候補者は揃わない気がしますね。
小さな声、世に出てこない声を拾い集めたいという立花議員の政治姿勢は、分からなくは有りません。
しかしそれは、今の日本にどれほど必要かというのを考えると、私の考えとは違うからです。
今必要なのは、小さな声を拾う事ではなく、国体そのものをしっかりと固める事だと思うのです。
女系天皇論だとかそんなものが出てくるくらいですよ。
国家存亡の危機なわけです。
だから『国体を守る』という部分を論じられるのが最低条件なのです。
そして徐々に悪くなる日本を止める為に、既得権を壊せる政治体制を作る事です。

まあそんなわけで、私が考える『政治家が最低限もっているべき部分』がなさそうに見えるので支持しない、そんな所です。
ありそうに見えれば支持へ変更する可能性はありますが、昨日のニコ生を見る限り、私はなさそうに感じます。



2019年8月6日火曜日

#あいちトリエンナーレ の本当の罪!表現の自由とか言っている人の99%はしらばっくれているのだとは思うが‥‥

あいちトリエンナーレが中止になり、色々な声が上がっています。
表現の自由が侵害されたとか、公費を無駄にするなだとか、大村県知事の説明責任、或いは脅迫犯の逮捕だとか、津田監督の責任だとか、まあ色々とありますよね。

しかしですね、今回最も大きな問題はこれらではありません。
みんな分かっていてしらばっくれているのでしょうが、少女像の展示なんてザコです。
私は最初から少女像が悪いなんて一言も言っていません。(たぶん)
確かに悪いとは思いますよ。
でも問題としては小さな問題なのです。
少女像の展示が戦闘力100だとすれば、本当の問題は戦闘力1兆くらいあります。
最大の問題に比べれば、少女像なんて問題にもならないのです。
今日はその説明をあえてしようと思います。
おそらくみんな分かっていると思いますが、しらばっくれている人がいると思われますので、あえて言う事にします。

その問題を話す前に、まずは国旗の話からしようと思います。
国旗とは、世界的に『国家国民の統合の象徴』とされていますね。
つまり国旗は、国家国民の代わりと言えるでしょう。
だからそれを焼いたりする行為は、『その国民を皆殺しにする』、というメッセージが込められている事になっています。
例えば安倍総理が、中国の国旗を燃やす映像を世界に向けて発信したら、それは『日本による中国への宣戦布告』となります。
国際法上的にそう認められていたかと思います。
だからそんな事をすれば、直ちに中国は尖閣諸島を奪いにくるでしょう。
もっと直接日本にミサイルを撃ち込んでくるかもしれません。
それでも日本は何も文句は言えません。
日本が国際法で禁止されている戦争を仕掛けたわけですから、中国の反撃を批判する事はできないのです。

国旗を焼くというのはそれくらいの意味があり、だからこそ個人によるものでも、日本国内ではそれを規制する為の法律が存在するのです。
犯罪なんですね。
しかし自国の国旗を燃やす事に対しての罪はなかったかと思います。
それは決して『日本国旗を燃やしても良い』というものではなく、そんな事をする人がいないから法律で規制する必要が無いだけなのです。
もしもこの世に殺人をする者がいなければ、殺人を法律で罰する必要はありません。
例えば憲法典も、あたり前に国民が守る事を一々書いたりはしません。
あたり前に守る事は憲法典に書く必要も、法律で罰則を定める必要もないのです。

『日本国旗を燃やしてはいけない』というのは、あたり前すぎる常識なのです。
そりゃそうですね。
日本国旗を燃やすというのは、「国民全員ぶっ殺してやる」という殺人予告に等しいわけで、本来やる人はいません。

さて、しかし日本には、国旗以上に日本国家国民の統合の象徴が存在します。
天皇陛下です。
日本においては、国旗というのは天皇陛下の代わりであり、国旗が国民の代わりであるとするならば、天皇陛下は国民そのものと言えます。
その天皇陛下が写っている写真を燃やすというのは、国旗を燃やす以上のメッセージ性が込められています。
そんなものが、あいちトリエンナーレでは展示されていたわけです。
これがどういう意味を持つか、もうわかりますね。

これは愛知県が『日本人全員ぶっ殺してやる!愛知県大村県知事の名において日本国に宣戦布告する!』という意味なのです。
本人は知らなかったと言っておられるようですから、部下が勝手に日本に宣戦布告した感じですかね。
とはいえ、直ちに逮捕されてもおかしくない案件です。
この映像を作った人も含めて、即刻死刑でも文句は言えないものです。
もちろん日本ではそんな事はしませんが、それくらい重い事なのです。
これが国に不利益をもたらさない行為だとはとてもいえません。
あいちトリエンナーレが中止されなければ、 日愛(日本国と愛知県)戦争、冷戦の始まりでした。

表現するのは自由です。
言論も自由です。
ですがそれらには責任が伴います。
その責任を大村県知事は感じたからこそ、即刻中止する必要がありました。
そして『宣戦布告を取り消します』とは言えないので、『脅迫されたから』などという言い訳をせざるを得ないのです。
脅迫だって、宣戦布告してきた相手に言った言葉だとしたら、ある意味正当化されます。
『宣戦布告を取り消さなければ、本当に反撃するぞ!』って意味ですからね。

そんなわけで、おそらく国民の多くはそれを認識してはいるのだと思います。
ただ、あまりにも大事件だったもので、日本国民として恥ずかしいから隠したいのかもしれませんね。

2019年8月4日日曜日

#愛知トリエンナーレ が中止に!しかし中止の理由など問題が残る!表現の自由問題!

あいちトリエンナーレは、中止する事になりました。
中止するべき、或いは一旦中止して駄目な所を見直してから再開するべきだと昨日書いたかと思います。

炎上する #愛知トリエンナーレ 問題!日本には表現の自由や言論の自由は無いのか?!

そういう意味では良かったのですが、問題はまだまだ解決されていませんので、その辺り今日は書きたいと思います。

まず、今回中止になった理由なのですが、『テロ予告や脅迫があったので安全確保が困難な為』という事らしいのです。
つまり内容は全く関係が無いというのです。
これではいけませんよね。
どうやら『表現の自由が妨害された』という事にしたいらしいのですが、全く違います。
今回中止になったのは、『公的資金が入っていて、愛知県が協力していた』からです。
つまり国家が中心になって主催していたわけで、『内容に問題があったから取りやめた』というのが正しいのです。
税金を使って、国民の不利益になるような行為をするのは、当然許されるわけがありません。
今回のトリエンナーレは、利益がまるで見えず、不利益だけが目立っていました。
当然国民の反対の声は出ますし、政府も知らなかったようで、取りやめはあたり前です。
それはしっかりと説明し、『表現の自由の問題ではない』という事は伝えて欲しいですね。

とはいえ『脅迫』によって中止したと説明したわけですから、そういう意味でも問題はしっかりと解決しておかなければなりません。
脅迫は当然犯罪ですし、そのせいでトリエンナーレは中止になったわけです。
その被害額は莫大なものになるでしょう。
愛知県知事、或いは監督の津田氏にその責任が無い、或いは一部しか責任がないとするならば、後の責任は脅迫してきた犯人という事になります。
だったら必ず捕まえて、トリエンナーレ中止に伴う損害を賠償請求しなければなりません。
『国民の税金が無駄になりました』『はいそうですか』で終わらせられても困ります。
取り戻せる金はちゃんと回収してもらいたいものです。
テロ予告と脅迫、最低2人は犯人がいるようですから、ちゃんと捕まえていただきたいですね。

後今回の問題としては、愛知県知事と津田監督他関係者の責任、或いはどうしてこんな事になったのか原因の究明と、何か問題があれば対応も必要になるでしょう。
どうしてこんな事が起こってしまったのか、その辺を明らかにしなければ、また同じ事が起こる可能性があります。
それに、今回は運が良かったのか悪かったのか、税金が入っていたから中止にできましたが、自費でこんな事が起こっていたらどうでしょうか。
同じように批判はされたでしょうが、中止にできたかどうかは分かりません。
日本には表現の自由があり、権力を使ってそれを止めさせる事はできないのです。
でも再び『国家の損失』になるような事をやられたら、当然それを止めさせるべきです。
表現の自由という視点ではなく、別の問題があるならそれは駄目なのです。
昨日の記事でも書いた通り、脅迫や名誉棄損侮辱など、他のやってはいけない行為から言論の自由が制限されるように、表現の自由も当然そういう部分はあるのです。
既に国家の損失になる行為に関しては、テロ等準備罪なんかもありますが、今の法律で十分規制できるんですかね。
もしできるのなら、今回の件もその法律にのっとって規制できたはずです。
つまり無かった可能性が高いでしょう。
だったら、その失敗を教訓にして、何かしら『国家国民の不利益となる行為を規制する法律』を作る必要があるのではないかと感じます。
例えばスパイ防止法なんかですね。
もちろん、言論や表現の自由を直接取り締まる法律は駄目ですよ。
ヘイトスピーチ規制法みたいな馬鹿げた法律は作らないでくださいね。

まとめとして。

今回の中止は、中心となる主催者が国家であり、その内容に疑問があったので取りやめたに過ぎない。
テロ予告や脅迫があった事が取りやめの大きな原因になった部分もあるらしいので、犯人を捕まえて、中止によって生まれる損失の損害賠償請求をしてほしい。
同じような問題が起こる可能性もあるので、原因究明と対応をしっかりとしてほしい。
そしてなにより、国家による表現の自由は守られているが、それを壊すのは国民の『脅迫』などである。
誰かの言論や表現に納得がいかなくても、違法行為によってそれを抑えつけてはいけない。
国家も、それを取り締まる為の直接的な法は作ってはいけない。

こんな所でしょうか。

ツイッターなんかを見ていると、色々な問題をゴッチャにして話している人が多いです。
税金の無駄使いの問題、表現の自由の問題、道徳やモラルの問題、国家の損失につながる問題、色々入り混じっていますので、ちゃんと分けて考えていきたいですね。

2019年8月3日土曜日

炎上する #愛知トリエンナーレ 問題!日本には表現の自由や言論の自由は無いのか?!

あいちトリエンナーレ、かなり騒ぎになっていますね。
正直私もこれはヤバいと思いますが、奇しくも共産党系の新婦人の会が、表現の自由を弾圧しているなんて騒がれていた直後だけに、『言論の自由と表現の自由』を考える良い機会となりました。
今日はその辺りも含めて話をしたいと思います。

まず今の日本は、言論と表現の自由という観点で見てどうなのでしょうか。
国家による弾圧という意味で考えると、日本はほぼほぼ言論と表現の自由は守られている国と言えます。
何故なら、それらを規制する『法律』がほぼほぼ無いからです。
結果的に問題があるから言論を否定されると言う場合はありますよ。
プライバシーの侵害や、侮辱名誉棄損、脅迫などですね。
これらは別の何かを規制する事で、結果的に言論や表現が制限されるもので、弾圧には当たりません。
ただし、一つだけ問題のある法律があります。
ヘイトスピーチ規制法ですね。
これは言論そのものを規制していますので、国家による言論弾圧と言えるでしょう。
ただしこれも、確か罰則が無いのでギリギリ弾圧とは言えないかもしれません。
ただ、こういう法律は無い方がいいので、国は即刻この法律を破棄するべきでしょう。
そして一部地域、大阪と川崎だったでしょうか。
条例で禁止している所があります。
これも権力が言論弾圧していると言えますので、即刻破棄するべきだと私は考えます。

まあでも、あると言っても日本にはこれだけです。
しかし今回のあいちトリエンナーレは、どうしてここまで否定されなければならないのでしょうか。
それはですね、法律で禁止されているされていないに関係なく、道徳やモラルの問題として悪いものは悪いからです。
法律で規制されていないからと言って、批判してはいけないという意味ではありません。
批判されても、続けたいのなら続ければ良いし、その代わりそれによって起こる事の責任は全部自己責任という事になるだけです。
嫌われてテレビ出演の仕事が回ってこなくなっても文句は言えないし、県知事は次の選挙での当選は難しくなるでしょう。
それでも自由は守られています。

そうは言っても、共産党系の新婦人の会の言論と表現の弾圧は、弾圧だとみんな非難しています。
それは何故でしょうか。
国家による弾圧は、日本にはほぼほぼ存在しません。
ただ、個人や集団による弾圧は存在します。
ではそれが弾圧なのかそうでないのかは何処で判断するのでしょうか。
それは、『脅迫』があったのか、或いは『嫌がらせ』があったのか、具体的な圧力があった場合、それは弾圧と言えるのです。
それが無ければ、あくまで言論の自由、批判の自由の範囲内で、権力によってそれを止めさせたりする事はできないのです。
逆に脅迫なんかがあれば、警察に訴える事もできるでしょう。
それでも、嫌がらせというか、執拗な批判攻撃に関しては難しい所があります。
何処からが嫌がらせで、何処までなら許されるのか、難しい所ですね。
まあとにかく、法の範囲内で口撃には口撃で対応する範囲なら、基本的には問題がありません。

さてしかし、今回のあいちトリエンナーレの批判は、国家をも動かしいています。
多くの議員が止めさせようとしています。
これは表現の自由への弾圧となるのでしょうか。

今回に限っては、これは弾圧とはならないでしょう。
何故なら、愛知県知事が協力し、公的資金が投入されるからです。
つまり、『国民の税金を無駄に使うな!公的資金を使って国家の不利益になる事をするな!』というのが今回の批判の大きな所です。
これは、国家としては見直す必要があります。
大多数の国民が今回の件に関して問題があると感じてます。
税金をそんなものの為に使うわけにはいきませんよね。
だから今回は、国家権力を使って止めさせようとしても、問題がないのです。
早く内容の変更なり、イベントを中止してほしいですね。

ではまとめです。

言論や表現の自由が国家によって守られているというのは、それを禁止する法律が無いという事であって、決して批判してはいけないとか、批判されないという意味ではありません。
ただし個人や団体による弾圧というのは存在しますから、これをごっちゃにして考えては駄目です。
個人や団体による弾圧は、脅迫や嫌がらせなどが含まれています。
そうで無い場合は、『言論と表現の自由』を持ち出して語るのは違うと言えるでしょう。
逆に、法律が有れば弾圧として国家を責めるべきですし、脅迫や嫌がらせがあれば個人団体をとことん責めるべきかと思います。
脅迫や嫌がらせがあれば、別の法律でちゃんと訴える事もできますしね。

それにしても今回思うのは、おそらくですが日本国民は主催者側を集団訴訟もできるんじゃないかと言う事です。
死者への冒涜も、生きた家族から見れば侮辱や名誉棄損に当たる可能性があります。
天皇陛下は国民の父であり祖父です。
自分の身内が冒涜されたのと同じなのです。
あくまでこれは私個人の考えですが、まあそれくらい酷い話という事ですよ。
今回は愛知県知事も協力してやっていたイベントですから、一刻も早くなんとかしてほしいですね。

2019年8月1日木曜日

障碍者議員の舩後氏と木村氏が初登院!これから国会の場で仕事中の障碍者介助支援について訴えていくらしいが‥‥

舩後さんと木村さん、無事登院しましたね。
11時のニュースで知り、その後の事は知りませんが、とにかくまずは良かったです。

さてしかし、これから仕事中の障碍者支援について国会で訴えるという話を聞き、まあ難しいのではないか、或いは止めておいた方がいいのではないかと思ったので、今回もその話をします。
仕事中の支援ができないという記事は前にも書いていますが、今日は更に掘り下げて書きたいと思います。

れいわ新選組の議員が国会に出られないと発言した事で、参院は介助費用の負担を決定しました!これに関しての私の意見です!

過去記事は上記リンク記事からリンクがありますので、そちらをご覧ください。

さて、まずこの議論をする前に大切な事を話しておきたいと思います。
まず、法律をつくるにあたっては、予算をどうするのか、人員をどうするのか、不正ができないどういうシステムでどう運営していくのか、という部分が大切になります。
これら全てが揃って始めて法律が制定できるわけです。
そして今回の法律でのポイントとして抑えておきたいのが、健常者を雇うよりも、障碍者を雇った方が会社として得になる、という事は有ってはいけません。
それは逆差別になりますからね。
当然健常者は納得しないでしょう。
理想としては、どちらを雇うと会社にとってメリットがあるか、最終的には能力、やる気、人柄などを考えて公平に決められるレベルにする事です。
まあそこまではおそらく無理だと考えますが、できるのならそれが理想ですね。

それで最初に考えるのが、今既にある障碍者雇用の法律です。
現在企業は障碍者を雇う事を義務付けられ、それに対して補助金が出ています。
その補助金によって、企業は障碍者の介助や仕事のサポートをする事になります。
しかしもしも障碍者を直接国が介助サポートする事になれば、当然補助金は払えません。
二重どりになりますからね。
この議論をする場合、当然補助金に関しては白紙となります。
更に、介助サポートが100%ともなれば、仕事内容や障碍レベルにもよりますが、その時点で健常者と同等に仕事ができる人が大勢いるはずです。
障碍者を必ず雇わなければならないという法律も一端白紙にする必要があるでしょう。

それらの前提を抑えて、ではどういう法制度が考えられるでしょうか。
まず、国が人員を確保組織し、必要に応じて人員を派遣するというやり方が考えられます。
しかしこの場合、全ての人の仕事に合わせたり、当然人手不足や派遣ができないなんて事も出てくるでしょう。
十分な人を確保したら、今度は仕事がなく予算が無駄になる可能性もあり、非効率です。
予算も馬鹿になりませんが、それだけの人員確保も難しいでしょう。
となると当然、介助サポートの人員は会社、或いは自らで用意する事になります。
そうすると、不正は十分に考えられます。
過剰サポートも可能です。
以前にも書きましたが、極端な例を言えば、山に紅葉を採りに行き、それを料亭に売る仕事をするとしましょう。
舩後さんのような障碍を持つ人なら、ヘリや自動車、介護者に運ぶ人もいるでしょう。
代わりに紅葉を拾う人も必要になります。
当然ですがこんなサポートはできません。
不正という面でも、例えば友人の会社が舩後氏を雇い、記事を書く仕事をしてもらうとして、移動補助、介護、 キーボードを代わりに打つ人も必要ですね。
2名いたらいいのでしょうか。
3名必要でしょうか。
何にしてもそれを会社が雇い、後で国からお金を貰うとして、もうこの際だから全部社員に分担して受け持ってもらえば、3名60万円国から貰い、介助系の仕事以外も普通の社員として働いてもらえば、概ね会社は(60万円-舩後氏への給料)得する事になります。
こういう不正は簡単にできます。
更にそうなるとむしろ障碍者を雇った方が得する事になり、健常者との公平な競争ができません。
最初に書いた通り、不正ができてしまったら駄目な理由はココにもあります。
介助支援するにしても上限は必要になりますし、どの部分で支援するかも考える必要があるでしょう。

ちなみに現在登院しておられる舩後さんは、おそらく全てに介助サポートが必要かと思います。
移動も、仕事も、健康管理も必要です。
ここまでのサポートをするとして、不正が起こらない法運営はできるでしょうか。
何処までサポートすれば健常者と吊りあうレベルになるのか、それぞれチェックができるでしょうか。
結局の所、全てはサポートしづらく、また、上限もそんなに高くは設定できないのです。

そういう意味で、今の障碍者雇用の法律はよくできていますよ。
しっかり議論されたんでしょうね。
不正ができないように上限は決められていますし、それでいて障碍者を雇っても健常者から文句が出るレベルではありません。
ほぼ補助金分得をする企業も出てくるかもしれませんが、まあこれが法人税減税と考えるのなら、可愛いもんでしょう。

そんなわけで正直な所、できるだけの事を考えても難しいかと思います。

それにですね、仕事は遊びじゃないんですよ。
企業としても個人としても利益が出ないと駄目なんです。
本当は国としても、賭けた税金以上に納税額が増えないと意味がないんです。
山本太郎氏は、生産性で人を判断させない、なんて言っておられるようですが、仕事は生産性で判断しなければなりません。
100万円使って1万円しか稼げない仕事は成立しないのです。
マイナス生産して足を引っ張られても困ります。
本来仕事中に障碍者支援をするのなら、納税額まで減額、或いは免除という辺りが妥当です。
それ以上は国家にとってはマイナスになる可能性があるのです。
それでも障碍者に少しでも良い人生を歩んでもらいたいという気持ちから支援するわけです。
国家予算にある余裕の範囲内でやるのが望ましいのです。

なんにしても、国による直接援助となると、今よりも状況が悪くなる可能性もあります。
障碍者を雇う企業を支援し、企業が障碍者を支援するやり方の方がいいのではないでしょうか。
また、私は税金での支援に反対しております。
募金がしやすい環境を作り、障碍者を直接国民が支援できる方が、税金を納めるよりもよっぽど国民は納得してお金を出すでしょう。
その方法も以前の記事に書いています。
そちらをご覧ください。

昨日の記事でも書きましたが、障碍者支援は、まずはできる範囲でのバリアフリー化。
そして後は義手義足の開発、或いは障碍そのものを治す為の研究費に使うべきだと思うのです。
私の身内にも障碍者がいますが、何よりも障碍を治す事を望んでいるのです。
IPS細胞も研究が進んでいます。
そういう研究を後押しする事が、本当の障碍者支援なのではないでしょうか。
私の身内が生きている間に、しっかりとした再生医療が確立すれば、喜ぶでしょうね。
それで全て満足すると思いますよ。
是非、国家に負担になる方向で考えるのではなく、もっと前向きな話になってほしいなと思います。

2019年7月31日水曜日

れいわ新選組の議員が国会に出られないと発言した事で、参院は介助費用の負担を決定しました!これに関しての私の意見です!

参院、やっぱり介助費用負担を決めましたね。
まあやはり与党としてはリスクを回避したかったのでしょう。
私は色々な理由で反対ですが、その辺りは過去記事を読んでください。

れいわ新選組から舩後氏と木村氏、2名の障碍者国会議員について思う事

参議院議員になった舩後氏と木村氏のサポートはどこまでやるべきなのか?仕事を助ける事はできない理由!

れいわ新選組の障碍者議員のお二人 舩後氏と木村氏の仕事中のサポートを政府がするべきかどうか

さて、3つ目の記事でも書いた通り、今回の介助費用負担には反対はしておりましたが、認めた方が政府側としてはいいのではないかという事も言っておりました。
そしてその理由については、介助費用負担が決まってからと言っておりましたので、これから書く事にします。
おそらく誰か言ってるでしょうし、あたり前だからみんな思っている事だとは思いますけれどね。

そもそも政府の介助に反対する理由に、法的に仕事中の介助はしない事になっているので、やる必要が無いという事がありました。
決してやってはいけないという意味ではありませんが、この2名だけを優遇するわけにもいきませんし、私はやるべきではないと言ってきました。
しかしですね、別の見方をすると、これはやるべきなのです。
いえ、むしろやらなければならなかったのです。

国家として、障碍者の介助支援は仕事外と決まっています。
だからこれを理由に国家が介助する事はできません。
しかし、労働者を雇う側として考えたらどうでしょうか。
選挙では国民が面接官となって国会議員をしていただく人を選んで採用するわけで、それで選ばれたのがれいわ新選組(山本党)の舩後さんと木村さんなわけです。
そして採用したからには、雇う側が従業員の健康に配慮するのは法律で定められた義務です。
本来は最低限の健康管理と言いますか、働く為の必要経費は従業員側が負担するものです。
所得税を計算する上でも、一部経費として認められています。
ですが今回そうならないで介助もする事になるだろう事は、選挙前から分かっていた事でしょう。
障碍者を送り込み、国会を無理やり改革しようとするのは分かり切っていた事です。
それでもあえて国民は採用しました。
選挙制度に穴があったとか、山本太郎氏が障碍者を道具にしているとか、選んだのは一部のアホだとか言いたい人もいるでしょうが、それでももう採用してしまったのです。
だったら参院国会が介助費用を受け持つのは当然なのです。
だから今回のこの決定は正しかったと言えるでしょう。

ただし、この選択が本当の意味で良かったかどうかは疑問です。
これにより、山本党は功績を誇れるでしょう。
政権与党もリスクを回避して良かったかもしれません。
でも、間違いなく障碍者に対する不信感と言いますか、国民の中には悪い印象を持った人も多かったのではないでしょうか。
そして舩後さんや木村さんの印象も良くないモノとなっているでしょう。
今から国会で障碍者支援を訴えて改革をして行こうとするのに、これは良かったと言えるのでしょうか。
国民を味方につけ、賛同を得る事が大切なのではないでしょうか。
仮に改革が成っても、障碍者への感情悪化は、決して良い事ではありませんよね。
そういう意味では今回のやり方は間違いであり、改革がやりにくくなる決定をしたと言えるのです。

それでここから見えるのは、やはり山本太郎氏の狙いですよね。
この結果になった事で、山本太郎氏は障碍者の事よりも自分の事を考えていたという風に思われても仕方がないでしょう。
本当に障碍者支援の改革がしたければ、何とか舩後さんと木村さんを自力で介助し、国の介助支援を受けずに国会で訴えてもらうべきだったのです。

ただ、今回の件も含め、仕事外は国家が面倒みるけれど、仕事中は会社なり雇用側が何とかするという形がハッキリしました。
だからその上さらに国家に支援を求めるというのも違う気がしますよね。
従業員が負担できない場合は、雇用主や職場が介助サポートする上、国家もとなるとどういう対応になるのか難しい所がでてきます。
それにそもそも仕事の介助支援は難しいのです。
国家が人員を集めて、それぞれに必要な人を派遣するとなると、莫大な予算が必要でしょう。
それ以前に、人員を集める事も無理だと思います。
となると、もしも国家が介助支援するとしたら、仕事中の介助は会社なり自分が手配し、それにかかる費用を国に請求する形になるでしょう。
そしたら何が起こるでしょうか。
不正ですね。
庭掃除の仕事を受け、1000円、月3万円を受け取るのに、介助する人を100万円で雇うのです。
身内や友達が良いでしょう。
そして実際の庭掃除も介助する身内や友達にやってもらえば、100万円を楽に稼げる職の完成です。
出せる金額とか決めても、それはそれなりに不正が可能で意味はありません。
他にも不正のやり方は色々あるでしょう。
前にも書いていますが、介助を受けられる人と受けられない人の線引きをする必要もありますし、誰がどうやって決めるのか、そこに不公平感はないのかなど、とにかく問題だらけです。

だから、仕事外は国家が介助援助しますが、仕事中は雇用主なり自分がなんとかするしかないのです。

これからおそらく障碍者の為の改革を訴えていく事になりますが、介助の部分ではこれ以上は無理ですね。
たとえば社会のバリアフリー化なんかをまずは訴える事になるのでしょうか。
でもこれも限界があって、健常者が逆に不便になるような事はできません。
社会は健常者に最適で、障碍者でも便利に暮らせるものにする必要があるのです。

次に訴えるとしたら、義肢なんかでしょうか。
そういう研究費、或いはIPS細胞の研究費の要求となります。
そして最終的には、障碍者の障碍を治す為の研究費を要求するのでしょう。
これが本当の障碍者支援だと私は思います。

で、その費用ですが、私は税金よりも寄付の方が集めやすいと思いますよ。
枠組み作りや運用は税金でやるとして、後は寄付の方が国民の納得も得られるでしょう。
やり方は以前書いた通りです。

#障碍者 支援について考える!私が考える理想対策!ポイントはココだ!

とにかく、参院が山本党両名の介助支援をする事は正しい事です。
それは雇用主が労働者の健康に配慮しなければならないからです。
しかしこれは結果的に、障碍者にとってはマイナスになったかもしれません。
そしてやはり仕事中の介助支援は国家には難しく、雇用主や自らの役割です。
今後はそこではなく、障碍者が本当の意味で健常者と同じ生活ができる世の中にする為、国家に何かを訴えるのなら、障碍を治す、或いは克服する為の研究費が一番良いと思います。
きっとそんなに遠くない未来ですよ。

舩後さんと木村さんには、国民が既に持ち始めている不信感を払拭できるような働きができるよう、頑張ってもらいたいですね。

※※追記※※

厚生労働省によると、 『重度障害者の介護サービスは 会社に勤務したらその会社が負担する』のだそうです。
更に障碍者を雇用する事で助成金が出るんですね。
だったら仕事中も国が支援しているのと同じ事じゃないですか。
まあ必要に応じたお金ではないかもしれませんが、これだけやっていれば問題はないでしょう。

2019年7月30日火曜日

れいわ新選組の障碍者議員のお二人 舩後氏と木村氏の仕事中のサポートを政府がするべきかどうか

政府与党から、舩後氏と木村氏の仕事中のサポートに関して、検討するという話がでてきました。
まあ検討は当然だと思うわけで、今日は『どうするべきなのか』という所でお話をしたいと思います。

まず、私の考えとしては先日書いた通り、『サポートはできないし必要ない』と思っています。

参議院議員になった舩後氏と木村氏のサポートはどこまでやるべきなのか?仕事を助ける事はできない理由! 

理由は簡単にザックリ言うと、例えば舩後さんが『山に登って紅葉を集めて料亭に売る仕事がしたい』と言ったとしてもサポートできないでしょって事です。
ヘリと自動車と運ぶ人4人と健康管理をする人を全部準備するのでしょうか。
そこまでは無理でも、基準を儲ければと言うかもしれませんが、公平なものを規定するのはなかなか難しいと思います。
既に法律でも仕事中は無理なわけで、例外を決めてサポートするにしても法改正から始めなければなりません。

つまり現状『仕事中のサポートは無理』なのです。
だかられいわ新選組(山本党)がサポートし、仕事をしてもらうしかないのです。

しかしですね、ここでサポートしなければ、おそらく国会が始まれば与党は野党から責められるでしょうね。
まあ理由があるわけですから、批判をある程度かわす事は可能でしょう。
逆にサポートをしてしまったら、山本党は功績を誇り、変に調子づかせる事にもなりかねません。
だから本当はサポートはしない方向で行ってほしいのですが、私は一つ気がかりな事があります。
これを言う人をまだ発見しておりませんので、もしかしたら誰も気が付いていないのかもしれませんし、あたり前すぎて言う必要がないから誰も言わないのかもしれません。
でもこれを言われると、やっぱりサポートせざるを得ない状況に追い詰められる可能性があるのです。
そしたら与党としては無駄に支持率を下げて、野党は勢いづくでしょう。
とくに山本党の方々は盛り上がるでしょうね。
それだけは避けなければなりません。
このまま穏便に行くのならサポートはしなくてもいいのですが、万一の事を考えればサポートはしておくべきなのです。
その気がかりに思う理由は、サポートをする理由にもなり得ますから、それを言えば国民も例外として納得するでしょう。

その理由、誰も言う人がいないのですが、分かってないって事はないですよね‥‥

私はサポートをするべきではないと思っていますが、これを例外として確定し、変に突っ込まれない為にも、サポートはするべきかもしれないという考えもあります。

まあその気がかりな理由ってのは、政府がサポートを決めたら話したいと思います。
サポートしない方向で行くなら隠します。{笑}
どうせサポートしたらしたで山本太郎氏は『やればできるのにやっていなかっただけなんです!』とか言って、他にも改革を求めるんでしょうね。
でもそこは今回の例外理由で反論はできると思います。

さて、政府自民党がどういう結論を出すのか、まずはそちらに注目です。

2019年7月28日日曜日

参議院議員になった舩後氏と木村氏のサポートはどこまでやるべきなのか?仕事を助ける事はできない理由!

既に色々な声が上がっていますね。
最初は『言えば叩かれる』のではないかと様子を見ていた人も、声を上げる人が増えてくれば正直な考えを発し始めています。
私も選挙中に言うと言霊として何か嫌な事になりそうだったので黙っておりました。
終わってからすぐに意見を発しましたが、まあ懸念した通りの展開になりつつあります。

れいわ新選組から舩後氏と木村氏、2名の障碍者国会議員について思う事

やはり山本太郎氏のやり方は、障碍者にとってはマイナスになるのではないでしょうか。
仮に色々と改革が進んだとしても、国民の障碍者に対する風当たりは強くなる可能性が高いと思います。

とは言っても、とりあえずこれからなので、今は応援しますよ。
舩後さんと木村さん、頑張って欲しいです。
ただし、やれる事はれいわ新選組なり、山本太郎氏がサポートしていかなければなりません。
いくら助けたい人であっても、限界ってのはあるのです。
中でも仕事を助けるというのは、まず無理な事なのです。
舩後さんと木村さんだけを助けて、他の障碍者は無視するなんてできませんよね。
全ての障碍者の仕事を助ける?
そんな事は無理です。

私の身内の話をしましょうか。
私の身内には身体障碍者が1名、精神障碍者が1名います。
どちらも仕事をしておりました。
しかし精神障碍になってしまった身内は、そこで仕事を辞めてしまいました。
続けるのが困難だったからです。
でも、仕事を助けてくれる人がいるなら、続けられたでしょうね。
それもサポートしてくれるのでしょうか。
おそらく、同じだけの生産性を求めたら、二人くらいサポートしてくれないと無理ですよ。
だったら代わりに一人でやった方がいいですよね。
それでも二人、国はサポートしてくれるのでしょうか。
身体障碍者の身内の方は今も仕事は続けていますが、悪化した事から今はもう仕事内容を限定しています。
おそらくもうすぐ歩く事もできなくなるでしょう。
当然仕事は辞める事になります。
これも、仕事を続けるのを国はサポートしてくれるのでしょうか。
とりあえず一人派遣してくれれば、仕事は続けられますよ。
うちの家庭だけで、3人必要ですが大丈夫ですか?

できるわけがありませんよね。
公平な法整備をしようとするなら、仕事までは面倒をみる事はできません。
残念ですが、できる範囲でやってもらうしかないのです。
どうしても仕事がしたいなら、収入の範囲内で本人に対応してもらうしかないのです。

つまりですね、今回参議院議員になられる舩後さんと木村さんに対して、国会のバリアフリー化くらいなら可能かもしれません。
しかしそれ以外は自分でなんとかするしかないのです。
或いはれいわ新選組や山本太郎氏がなんとかするしかありません。

本来なら人のサポートというのは、国ではなんともできません。
それでも多少なりともそういうのがあるなら、それは頑張っていると思いますよ。
国家としてできるのは、人以外の部分だけなんですよ。
社会のバリアフリー化くらいです。
それにも予算がいるわけで、そんな簡単な事ではないのです。

何にせよ、仕事を助ける所まで言ったら無茶苦茶になります。
言う方もよく考えて言って欲しいですね。
でないと益々国民の障碍者への風当たりは強くなりますよ‥‥
そうなったら本末転倒ですから、今はとにかく舩後さんと木村さんが、或いはれいわ新選組の山本太郎氏が、自分達でなんとかする事を応援しましょう。

2019年7月27日土曜日

ゆうちょ銀行検索アプリのサービス開始?スパムメールが来たようです!お気を付けて!

ゆうちょ銀行検索アプリのサービス開始、というメールが来ました。
いつもスパムメールしか送られてこないメールアドレスだったので、おそらくスパムメールです。



※画像をクリックすれば拡大できます。
※メールの黒塗りは私のメアドと時間が書かれてあった場所です。

おいおい、何故サービス開始のメールなのに、いきなりセキュリティを高めるために口座の更新が必要なのでしょうか。
『すぐに更新します』のリンク先アドレスは『https://www.temetp.com/』 ですね。
ゆうちょのアドレスはありませんね。
アドレスを検索してみた所、検索結果がありませんでした。
あら?どういう事でしょうか。
私の読み取りが間違っていましたかね。
まあだいたいこんなアドレスだったという事で。

ちなみにゆうちょ銀行検索アプリを調べたら、『ゆうちょ銀行ATM検索アプリ』というのが有るらしいですね。
知りませんでした。

そんなわけでお気を付けください。

2019年7月26日金曜日

高校野球に改革は必要か?選手を無視してる?大人たちの勝手な思い?

私は、大の高校野球ファンです。
特に夏の甲子園は最高で、学生の頃は毎年4,5回は見に行っていたのではないでしょうか。
そんな私の大好きな高校野球で、最近改革の声が聞こえてきます。
理由は、選手への負担が大きいのではないかと言うのです。

今日、こんなニュースがありました。
大船渡高校の佐々木投手を投げさせないまま敗退した事で、苦情が殺到しているというのです。
佐々木投手は160キロ以上の球を投げる将来有望な選手です。
だから多投して肩や肘を壊すのを恐れ、将来の為に監督が投げさせなかったのでしょう。
しかしファンとしては当然面白くないですよね。
チームメイトも、或いは本人の気持ちも、正直どうなのかは分かりませんが、おそらくですがとても悔しい思いをしているのではないでしょうか。
果たしてこの選択は正しかったのか、疑問があります。

高校野球で改革が求められているポイントは3つです。
一つは、夏が暑すぎる事、二つ目は試合が続く事、三つ目は球数制限が無い事です。
一つずつ考えてみましょう。

夏が暑いのは昔からです。
私が甲子園に見に行っていたのは、球児と同世代の時です。
だけど、その暑さが問題だなんて思った事は無かったですね。
実際に暑さにやられる人もほとんどおらず、リスクも無きに等しいです。
もちろんこれから何かあるかもしれませんが、私は許容範囲内だと思います。
更に温暖化と言われていますが、大阪の気温はその頃と変わらず、むしろ湿度が落ちている分過ごしやすくなっています。
暑さを理由に何か対応が必要だとはとても思えません。

二つ目の問題は、これは対応が可能な部分もあるかもです。
しかし地区予選から本大会と、日程がそもそも詰まっている事も確かです。
予算の問題もあるでしょう。
この辺りの対応は有っても良いかもしれませんが、『高校野球を愛するファン』としては、正直今のままが良いと思います。
でもなんとかなるのなら、準決勝と決勝くらいは間隔を空けるのも必要かもしれません。

三つ目は球数制限です。
アメリカでは結構この辺りしっかりやってますよね。
でもですね、高校野球にかける球児の思いというのは、かなり強いわけですよ。
高校生活で肩がつぶれて終わっても良いという強い気持ちでやっている人も大勢いるのです。
しかも部員が多いチームなら良いですが、9人丁度とか、サッカー部から助っ人を頼んでいるチームとか、おそらく色々あるわけです。
そういう高校生全ての気持ちを考えたら、球数制限というのは、本人以外が無理に制限するのも難しい所があると思うのです。

結局の所、何を大切にするかって事なんですよね。
全ての選手の気持ちを大切にするのか、プロでやっていけそうな人を守るのか、或いはファンを大切にするのか、将来の為に精神力を鍛える場とするのか。

私はですね、ファンの為というのは違うと思います。
ファンとしては今のままがいいですし、野球人気のためだと言えばそうかもしれませんが、やはり一番優先する事ではないでしょう
そしてプロでやっていけそうな人の為でもないと思っています。
将来この中からプロでやって、そしてここで無理をしたから駄目になる人ってどれくらいいるでしょうか。
その少数の為に、全ての高校生の夢、熱い目標を無くすのも違うと思うのです。
高校野球の意義は、強い体と精神力を養い、何かを成し遂げる喜びを得られる事です。
みんなその為に苦しい練習に耐えているのです。
それを大人が高校球児の気持ちを無視して、勝手に改革とか、私は違うと思います。
まずは高校球児たちにアンケートをとってみて欲しいです。
球数制限はあった方が良いか、日程は間隔を空けた方が良いか、聞いてみたらいいと思います。
日程に関しては、学校の予算もありますからまあ色々運営側の配慮もいるでしょう。
でも球児が望むならそれはやってあげて欲しいですね。
球数制限も、多くの球児が望むのなら、良いと思いますよ。
ただ、その制限に泣く球児もきっといます。

プロになる素質ある子供を守りたいなら、本当は別の道を行く手もあると思うんですよね。
まあただそうすると、大リーグに選手を取られた日本野球界みたいな事にもなって、今一張り合いは無くなるかもですね。
『すげぇ佐々木投手の球を打って勝つ』ことが嬉しいわけで、いないとライバルとしてはガッカリでしょう。

なんにせよ、とにかくまずは球児の気持ちを聞いてみて欲しいです。
話はそれからだと思います。

2019年7月23日火曜日

#障碍者 支援について考える!私が考える理想対策!ポイントはココだ!

れいわ新選組が参議院選挙で2議席獲得したことで、障碍者の方が議員として国会で働く事となりました。
これに関してはおそらく賛否両論あると思いますし、個人的にはあまり歓迎はしておりませんが、とはいえ障碍者について考える良い機会になった事も確かです。
そこで今日は、私が提案する障碍者や高齢者の支援について紹介したいと思います。

障碍者支援は正直デリケートな問題です。
だから私は、あまり大々的にやるべきものではないと思っています。
例えば代表的なのが、24時間テレビです。
パラリンピックなんかもそうですが、こういう番組は障碍者の方々は励まされる一方、良く思わない障碍者もおられますし、普通の人でも、前向きに捉える人もいれば、逆に偏見や差別意識を大きくしてしまう人もいます。
せっかくみんな理屈では『助けるべき』と分かっていても、感情的にそれが難しくなる危険があるのです。

そして私は、税金による支援も、なるべくならやらない方が良いと思っています。
もちろん最低限は必要ですが、やり過ぎると反発もでてきます。
例えば「消費税を2%上げて障碍者支援に使います 」と言われても、「また増税かよ」とか、生活が苦しい世帯では「支援してほしいのはこっちだよ」と反発もあります。
反発はそのまま『障碍者への憎悪』に繋がる可能性があり、あまり良くありません。
増税の場合、景気悪化の懸念もあります。
私はあくまで『寄付による支援が望ましい』と考えており、ずっと訴え続けています。

しかしそうは言っても、そう簡単に寄付は集まるのでしょうか。
もちろんやってみなければ分からないのですが、れいわ新選組の活動費用として数億円が簡単に集まった所をみれば、使い道が明確であれば大丈夫だと感じます。

そこで私が提案するやり方を紹介したいと思います。

例えば、駅の出口改札機の1台をピンクにして、『募金改札』とするのです。
そこを通って出た場合、スイカなどから100円が募金として余分に取られる仕組みにするのです。
これだけ簡単に募金ができる状態があれば、募金自体が面倒だという人も簡単に行う事ができます。
気分が良ければ、『今日は募金してやるか』という人も出てくるでしょう。
税金として100円払うとなると、『税金なんて払いたくねえよ!』と思う人でも、募金なら『助けてやるか!』という気持ちになり、しかもその後の気持ちもさわやかなものになります。
税金を払った後は、『払わされた』という気持ちであまり良い気分ではありません。
しかし募金した後は、『今日は良い事したなぁ』と、嬉しい気持ちにもなれるのです。
そしてこの改札には利点があります。
混雑時などはおそらくこの1台だけ空く事になりますから、すぐに改札を出られるというメリットがあります。
気分はますます良い感じになるでしょう。

国家としては、とりあえずこのような仕組みをつくるべきです。
そして企業に募集をかけるのです。
例えば募金の1%とか2%はその企業の取り分とし、後は募金として納めてもらうという事でやります。
簡単に募金が集められる仕組みがつくれるなら、これは企業としても旨い話となります。
企業イメージもアップしますし、おそらく応募はあると思います。
そして集まったお金を毎年発表し、『100億円集まりました。今年は東京のバリアフリー化に使わせていただきます』とか、別けて詳細を発表してもいいでしょう。
そうすれば、自分の募金が何に使われているのかわかりますから、このエレベータは自分の募金で作られたとか、そういうのが分かって、募金のしがいもあるでしょう。
神社なんかでよくあるように、何処かに名前が入れらる、なんてのもあって良いかもしれませんね。

昔はそう、こういう弱者を助けるのって神社なんかがやっていたのかもしれません。
でも今は政教分離でそうもいきません。
だったら新たに、政府主導の募金システムを作って弱者救済を行えばいいのではないでしょうか。

ポイントとしては‥‥
①税金ではなく募金で行う事。
②募金が手軽にできる環境を作る事。
③募金する時に小さなメリットがある事。
④企業には手数料として数パーセントの報酬を与える事。
⑤集まったお金の使い方を明確化する事。

こんな所でしょうか。

今の日本人で、『障碍者なんてどうでもいい』なんて思っている人はほとんどいません。
ただ、どうしても今の環境では差別意識もできてしまいます。
障碍者でなくても、生活に苦しい人はいるわけです。
そんな中で税金でとなると、やはり不満に思う人はいるのです。
だからなんとかうまく募金によって弱者救済やバリアフリー化ができればいいと思います。

れいわ新選組から舩後氏と木村氏、2名の障碍者国会議員について思う事

正直、私はこの結果になる事を恐れていました。
やってはいけない事なのではないかと思っていました。
山本太郎氏には何か作戦というか思いがあるのかもしれませんが、結果として『障碍者に対する偏見や差別意識を大きくする』のではないかと思うからです。

れいわ新選組から、障碍者である舩後氏と木村氏が、これから国会で働く参議院議員に当選したのです。

私はとにかくまずは仕事をしっかりしてもらいたいと思っています。
それさえできれば、問題が起こっても最小限になると思うからです。

例えば仕事がほとんどできず、自民党議員がイライラした表情をしていたり、或いは苦笑いしていたりしたとしましょう。
さすればすぐにカメラでその顔が捉えられ、『この顔はどういう事ですか!?』 などと突っ込まれる事になるでしょう。
当然自民党議員は面白くありませんから、『これは国会に障碍者がいるからだ』という方向に気持ちが向く可能性があります。
そんな事になると結果的に、自民党議員に障碍者への差別意識を植え付ける事になるやもしれないわけです。
国民としても、国会中継を見てイライラする事にでもなれば、日本社会全体でマイナスになるでしょう。
或いは野党やマスコミから責められなかったとしても、イライラしたりする事が有れば障碍者にとってマイナスになります。
だから極力、そういう事があってはいけないと思うのです。

山本太郎氏は、一体何を狙ってこのような状況にしようとしたのでしょうか。
よく、『障碍者と一緒にいると心が和む』なんて話をする人がいます。
それが本当なら、与野党いつも批判をし合っていますが、それが和やかなムードに変わるのを狙っているのでしょうか。
そうなればこれは一つ良い変化になり得ますし、国会に舩後氏や木村氏が来てくれた意味も大きいでしょう。
ただそうなる為にも、両者の頑張りはかなり必要な気がします。

ここまで読んで、『何故障碍者がいるとイライラするんだ?!暖かい目で見るのが普通だろうが!』と怒る方もいるかもしれません。
でも、国会というのは国を良くしようと必死に頑張っているプロの戦場なわけですよ。
今の国会議員にそう思っている人がどれくらいいるかは分かりませんが、少なくとも必死になって頑張っている人達はいるわけです。
市井紗耶香氏が立候補すると表明した時、テレビの応対を見て多くの人はなんと言ったでしょうか。
『政治の事も分からない、何も答えられないような人が国会議員とか舐めている』、そういう意見が多かったように思います。
それはそうです。
今の国会にプロ意識を持った人がどれくらいいるかは置いといて、此処はプロが集う場所なのです。
例えばプロ野球、イチローはプロとして活躍する為に必死に練習してきた事でしょう。
そんなチームに、『障碍者にも生き甲斐を!差別は駄目だ!』という理由で一人レギュラーを外して試合に出させたらどうでしょうか。
イチローが外されライトを守る事になったらどうでしょうか。
ライトが狙われ、得点は取り合いの試合ばかり、ゲームはつまらなくなり、外されたイチローも普通の気持ちでいられるでしょうか。

ちゃんと仕事ができれば文句はありません。
障碍者でも、ちゃんとプロとしての仕事ができるのならいいのです。
でも、『障碍者だから』という理由でプロの世界に入れるというのは、それはその世界で真面目に努力している人への侮辱、国会では政治家への侮辱、国民への侮辱になり得るのです。

今の国会は先ほども言った通り、侮辱されても仕方がないと思われる議員が半数以上いると思います。
その議員への当てつけの為に山本太郎氏が障害者を国会に送り込んだというのなら、それはそれで意味はあります。
でも同時に、真面目にやっている議員や、そういう人に自分達の未来を託す国民にとっては、とてもじゃないけれど良い判断だとは思えません。

まだ何も始まっていないから何とも言えませんが、とにかく舩後氏と木村氏がちゃんと仕事をしてくれれば何も問題はありません。
だから私は、ただただそれを期待するだけです。
そうでなければそれは真面目に働く国会議員に対しては侮辱であり、国民に対しての裏切りです。
もちろんそんな議員、他に山ほどいます。
責めるならそういう議員も一緒に責めるべきでしょう。
そうは言っても、今後この2人の為に特別に何かしらやる事になるでしょうから、特に風当りは強くなります。
実際に責められるかどうかは別にして、心の中で負の感情が大きくなる事は十分あるでしょう。
だからとにかく頑張って欲しいと願うだけです。

正直、障碍者の未来は、この両名にかかっていると言っても過言ではないくらい重要かもしれません。

2019年7月22日月曜日

#参議院選挙 2019 の結果より!次の衆議院選挙で自民党が危ない?! #れいわ新選組 が怖い!

参議院選挙が終わりましたね。
皆さんはこの結果をどう見るでしょうか。
勝者無しとか、国民民主以外勝ちとか、公明党の勝ち、なんて声も聞こえてきますが、私の意見としては、自民党の惨敗、そしてれいわ新選組の勝ちだと思っています。

この選挙が始まる前から、私は『れいわ新選組が議席をとるんじゃないだろうか』と思っていましたし、それが一番怖いと思っていました。
なんせ山本太郎氏ですからね。{苦笑}
良くも悪くもあの人は革命家ですよね。
一見、『国家国民の為に真っすぐひたむきに頑張っている』ように見えます。
本心もそうかもしれませんし、そう見えるように頑張っているのかもしれません。
それは私には分かりませんし、とにかく無茶苦茶な所もありますが、その気持ちだけは伝わってくるのです。
こういう人は危険です。
本当に日本がボロボロの国ならこういう人に助けを求めるというのも有りかとは思いますが、日本は世界から見ればかなり良い国です。
だから悪くはなっても良くなる可能性は低いのです。
それは分かっているのですが、私も元々左派の人間でありますし、山本氏に投票したくなる気持ちも分からなくは有りません。
だからこそ、とても危険だと思うのです。

そんな山本太郎氏が率いるれいわ新選組が、私の嫌な予感通り、なんと2議席も獲得してしまいました。
これはヤバいと思いましたね。
次の衆議院選挙、自民党がれいわ新選組に政権を奪われる可能性が微レ存ながら見えてしまいました。
そんな事をさせるわけにはいきません。
そこで私は、こういう最悪が重なればあり得るという部分を話そうと思った次第であります。

まず、次の衆議院選挙でれいわ新選組が政権を取るには、当然ですが政権を取りに行く行動が必要です。
今のほとんどの野党は政権を取りに行く気が感じられません。
この中でもしも政権取りに本気になったとしたら、可能性は見えてくると思います。

次に自民党がこける色々な要素が同時に起こる事があったら怖いでしょう。
一つは、消費税増税による景気の悪化です。
悪化して対応がちゃんとできないと、今の若者は自民党から離れます。
既に今回投票率は低下しており、選挙にあまり興味の無い層は投票に行っていません。
そんな興味の無い層が、自民党は駄目で、しかも盛り上がっているれいわ新選組があれば、そちらに投票する可能性は高いと思われます。
他にも、れいわ新選組から当選した二人の議員の扱いに失敗すれば、自民党は世論から責められる事になるでしょう。
今日の昼初めて障碍者と言われる当選者をちゃんと確認しましたが、どれだけまともに議員としてやっていけるのか疑問を感じずにはいられません。
それでも選挙で選ばれた議員ですから、誠実な対応が求められるでしょう。
不満や暴言など言おうものなら、途端に自民党解雇、或いは議員辞職に追い込まれる可能性さえあります。
とにかく自民党員は慎重に今後の国会に臨まざるを得ないでしょう。
そして衆議院選挙で負ける可能性があるとしたら、最も気になるのは安倍総理の動向です。
安倍総理で選挙に挑むのならおそらく大丈夫ですが、他だと負ける可能性があります。
菅さんくらいですかね。
ダメージが一番少ないのは。
小泉進次郎議員だと勝てるのは勝てると思いますが、その後の自民党が心配です。

これらが重なると当然与党内部からも不満が出てくるでしょう。
内部からの崩壊、或いは分裂などが考えられます。
最悪公明党との協力関係を失う事にでもなれば、自民党以外の連立政権なんてのもあり得るかもしれません。

今はまだ、『次の衆議院選挙、れいわ新選組がそこそこ議員を獲得するんじゃね?』くらいです。
でも私の不安が的中していけば、もしかしたら微レ存ヤバい結果になるかもしれません。
私はそれが心配です。
想像してみてください。
山本太郎総理が文在寅韓国大統領と会談して、『竹島は上げますから、これから仲良くしましょう』とか言っている姿を。
プーチン大統領に『北方領土は全部いらないから、平和条約結びましょう!』と言うかもしれません。
それでいいのでしょうか。
書いていて少し夢を見てしまう自分もいるのですが、そんなギャンブルのような事、常人なら受け入れられません。

そんなわけで、とにかく自民党には今後しっかりとした政権運営を期待したいわけです。
他にも自民党の自滅要素はありますよ。
憲法改正の失敗です。
それを恐れて、憲法改正はやはりできない可能性の方が高いですね。
それはそれで支持率を下げる可能性も有りますが、次に負けるよりはマシと考えるかもです。

国民も、しっかりと考えて投票してもらいたいものです。

※※追記※※

今更変わらないと思うけれど、韓国に対する対応も、ヘタレたら自民党にはマイナスになります。
この辺りも気を付けないとですね。
むしろ今回とりあえず勝ったと言える程度で済んだのは、韓国への対応が有ったからだと思いますから。

2019年7月21日日曜日

選択的夫婦別姓に反対しているんだけど、こういう事があると更に不信感は募る!反対理由は少し減ったかに見えたが‥‥

政治家というのは、国家国民の為に新しい法律を作ったり、疑問のある法律を破棄したり改正したりするのがお仕事です。
大切なのは、 『国家国民の為』という部分です。
だから当然何かについて議論する場合は、全てをオープンにする必要があると思います。
メリットとデメリット、全てをテーブルに乗せて議論しなければなりません。
話せない理由もあるかもしれませんが、少なくとも自分の意見にデメリットとなるものに関しては、できる限りオープンにするべきです。
しかし、どうもデメリットを隠す傾向にあるように私には見えるのです。
別に論争をするわけではありません。
どっちが勝ったとか負けたではないのです。
国家国民の為にどちらが正しいのか、それを普通に話し合ってほしいのです。

選択的夫婦別姓というのは、かなり前から言われている事です。
しかし一向に中身が見えてきません。
デメリットを訴えていてもまともな反論は聞こえてこないし、メリットらしき事も大した理由ではありません。
これで本当に法改正しようとしているのか疑問です。
だからまあ個人で調べるしかないわけで、そんなわけで私は時々思いついた時に調べるわけですが、今回少し上記したような事で気になる事があったので記事にしたいと思います。

私が反対する理由など、今までの記事はリンクしておきます。
※全部ではないかもしれません。

私が夫婦別姓に反対する理由 そもそもどうして夫婦は同じ苗字なの?
選択的夫婦別姓に前々から反対していたわけだけど、最近ますます反対する気持ちが大きくなった!
選択的夫婦別姓には1000%大反対で議論の余地無し!話を聞くほど反対する気持ちが強くなる‥‥
さて再び選択的夫婦別姓に関して検証!やっぱりこれはと思える納得いく理由が一つも見つからなかった‥‥
そうだ!良い事思いついた!選択的夫婦別姓なんてやっぱりいらんかったんや!

まあ色々反対する理由はありまして、思いつきですが提案もしております。
これだけ色々考えて反対するべきだと思っているわけでして、今も全くその気持ちに変化はないのですが、今回は反対理由の一つが青信号になりかけたけど‥‥という話です。

私は反対理由の一つとして、『離婚率が上がるのではないか。家族の結束力が落ちるのではないか。』というのを不安視してきました。
ある人の話によると、スウェーデンでは離婚率が上がっていると聞いていたからです。
そうでなくても想像できますし、これに対しての意見も探しておりました。
そしたら偶々見つけたので、『なるほど、それなら安心かもしれない』と思ったわけです。

夫婦別姓で離婚率は本当に上がる?50%以上は家族の絆に変化なしと回答! 

こちらのサイトでは、日本国民の考えが記されていました。
夫婦別姓で離婚率が上がるのかどうか、アンケートの結果が載っています。
半分以上は大丈夫だと答え、不安視するのは3割強と言ったところでしょうか。
これを多いと考えるか少ないと考えるかは人それぞれかと思いますが、個人的には思った以上に不安視する声は少なかったように思います。
そういう意味では、この問題に関しては少し安心感の方が強くなった気がしますね。
ただ、同時に子供への悪影響もアンケートしているようで、こちらは不安が6割以上という結果になりました。
実際子供の問題は『家族の絆』よりも具体的に考えられます。
子供の名前をどちらにするかで揉めて離婚、或いは夫婦間に亀裂ができる可能性もあります。
親と違う苗字である事に子供が不安を持つかもしれません。
長い目で見ると、ご先祖様のお墓を誰が受け継いでいくかという問題も出てくるでしょう。
今は男系子孫がご先祖様のお墓を引き継いでいく感じになっていますが、夫婦別姓の家庭はどうするのでしょうかね。
続いてきたものには数多くの暗黙の了解もありますし、隠されたメリットが沢山ある可能性があります。
だから選択的夫婦別姓の法制化は、本当に慎重を要すると思います。

さて、続いてこういう記事も見つけました。

別姓は離婚の増加につながるのか?

こういう記事を待っていたんですよね。
何故ツイッターで夫婦別姓に賛成の人は、こういう記事を教えてくれないのでしょうか。
それくらい説得力のある記事です。
ザックリ言うと、選択的夫婦別姓が導入されても、離婚率は増えていないというデータです。
ならばこういう情報を広め、不安を取り除けば一つ問題は解決するのでしょう。
しかし一つ気になったのは、スウェーデンでは離婚率が上がっていると聞いていた事でした。
この記事でもスウェーデンを取り上げておりますが、今一最後しっくりきませんね。
そこで更に何かないか探してみました。

夫婦別姓論議・なぜ「スウェーデン」は語られないのか

なんという事でしょうか。
この記事を読むとやはり不安と言いましょうか、反対する気持ちが強くなりますね。
最初に書きましたが、メリットとデメリットは全てオープンにしないと本当の議論というのはできません。
しかし色々隠しているんですね。
別姓賛成派も別にそんなに多くもなさそうです。
先ほど見た離婚率に影響がないという記事も、この記事を踏まえると全く意味のないものになってしまいます。
他国の制度自体、その国の伝統文化に合わせ、或いは基本は今まで通りなんですね。
ほとんど選択的夫婦別姓は例外的な扱いです。
ドイツでは基本的には男性の苗字を受け継ぐ事になっていますし、何処で見たか忘れましたが、アメリカでは9割以上が男系継承ですよね。
そもそも海外の例としての参考にはならないようです。
ツイッターで議論した時誰かが言っていたのですが、選択的夫婦別姓にすると別姓を選ぶ人は多いと予想している方がいました。
ですが、それも無さそうな気がします。
イジメ問題という意味でも、別姓は子供に良くない気がします。
日本の伝統文化に倣えば、日本まあフランスのような感じになるのが良いのではないでしょうか。
というか選択的夫婦別姓をするなら、最低限それくらいはあたり前であるべきですね。
完全に自由というのはおかしいと思います。
スウェーデン以外で、今日本がやろうとしている選択的夫婦別姓はないのですから。
※データがちょっと前なので、その後導入している国はあるかもしれません。

そしてそのスウェーデン、事実婚もほとんど普通の結婚と同じような法整備がされているんですね。
先ほどの記事でも書かれていましたが、法律婚後の離婚率は少ないようです。
しかし事実婚も含めてみると圧倒的にヤバいじゃないですか。
単なる同棲のお試しとかじゃないですよ。
これが原因で家庭の事情も複雑になっています。
日本がやろうとしている選択的夫婦別姓だと、このスウェーデンに一番近いわけですよね。
かなり不安になると言わざるをえません。
私は以前言いました。
もしもどうしても選択的夫婦別姓をするのなら、例外的に許可する『許可制』にするのも考えるべきだと。
その場合は、他の国のデータもあてになりますから、この問題に関しては解消できるのでしょう。
ただ、私はそれでも反対ですけれどね。
他にも理由はありますから。

そんなわけで、また不安が大きくなってしまいました。
議論するのに、本当の事を隠しているというのはまずいですよ。
紹介した2つ目の記事は、それぞれの国の事情を知らずに書かれたものなのでしょう。
ですがこの順番で読むと、『やっぱり悪い事は隠している』と感じるわけで、不安はますます大きくなります。
本当に良い法律を本気で成立させたいのなら、最初から全てをオープンにするべきです。
小細工があると反対する気持ちは増えます。
政治家には、しっかりと問題点も含めて声に出してもらいたいですね。
まあ私の反対はもう揺らぎそうにありませんから、この議論は収束してくれる事を願っています。

※※追記※※

その後、ツイッターでわんわんさんという方からご意見いただきました。
https://twitter.com/i/moments/1048117261326667777

つまり文化伝統風習なども含めて、スウェーデンの離婚率が高いというのも参考にはならないと言った所でしょうか。
そうですね。
その通り、書かれている事に関してはその通りなのかもしれません。
だからこそ、違う文化の違うシステムをそのまま取り入れるわけにもいきません。
よく北欧を見習えという話がありますが、地政学的にも一緒には考えられませんし、日本にも日本人が正しいと考える文化があります。
急に選択的夫婦別姓というのは、日本の文化には合わないと言えるのでしょう。
ただし、『離婚率が上がる』という事に関しては、同じような前例がないので不安になるデータもなければ、不安を解消するデータもないと言った所でしょうか。
離婚率を不安視してこの制度を導入する場合、やはり今のままというわけではなく、日本の伝統文化は残しつつ、例外的に認めるというシステムがいいのではないかと思います。
他にも問題がありますので、それらが解消されたらという話にはなると思いますけれどね。
とりあえずわんわんさんの意見によって、たった一つの問題ですが赤信号から黄色信号になりました。
引き続きこの問題は見ていきたいと思います。

2019年7月16日火曜日

香港デモについて考える‥‥どうなったら香港民の勝ちなの?日本はどうなってほしいの?妄想の独り言!

私の妄想記事です。{笑}

世界は今、アメリカの民主党勢力と共和党勢力の政権争いによって大きく動かされています。
国も、権力者も、大企業も、そして個人も、ある時はどちらかに味方し、ある時は戦いに巻き込まれたりもします。
我々人類はそんな中で、各々が自分の幸せを求めて頑張っているのです。

民主党の目指す世界というのは、金による平和な世界です。
金が全てで、将来的にはおそらく一部の金持ちがその他大勢を支配する世界になるのでしょう。
結果的には社会主義に近い形になりそうですが、今を生きる我々にとっての現状は、ちょっとした格差社会と言った所でしょうか。
ですがそれなりに金さえあれば戦争に巻き込まれるような事もなく、平和な人生を歩む事ができるでしょう。
だから今を生きる人は、自分達の幸せの為に、こちらを支持する人が多いように思います。
一方共和党は、本音をぶつけ合って、時にお互いの全てを使って各々がより良いと思う形を目指しているように思います。
今は時々ぶつかる事も、時に戦争もあるかもしれませんが、結果的にはより精錬された世界を目指していると言えます。
今は辛いかもしれませんが、未来を重視しているわけです。

どちらがいいのかを考える時、今をとるのか未来をとるのかというのが重要になってくると思います。
金が全ての世界は、最終的には金で支配する事も可能になってきますから、未来に期待はできません。
ただし、今はそこそこ金さえあれば幸せな一生をおくれるでしょう。
未来を重視するのなら、今はまだまだお互いの価値観をぶつけ合わなければならない時代かと思います。
ただその戦いの先に、より良い世界が築けるはずです。

まあそんな世界の中で、香港というのはどういう位置にあるのでしょうか。
金が全ての民主党に近いのは、中国では江沢民派であります。
その江沢民にとって香港は、マネーロンダリングや資金移動をするのに重要な場所です。
香港の現状維持こそが江沢民、或いはアメリカ民主党の望みであると言えます。
しかしそれに対する勢力があります。
共和党は当然ですが、習近平の現中華人民共和国です。
習近平は江沢民とは敵対関係にあり、敵の味方は敵であり、敵の敵は味方という事で、この件に関しては共和党と利害が一致します。
つまり、香港を守りたい民主党と江沢民、香港の現能力を封じたいのが共和党と習近平といえるでしょう。
ちなみに、対江沢民という事では習近平と共和党のトランプは手を組んでいますが、その他では当然敵対している所もあります。
ですが習近平にとっての一番の敵は内の江沢民であり、大いに妥協してトランプに協力しているといった所でしょう。

さて、香港民にとっては、どういう結果が望ましいのでしょうか。
逃亡犯引き渡し条例は、香港の現能力を壊していくものであり、江沢民にとっては望ましくありません。
だからもしかしたらデモのスタートは、江沢民による扇動が有った可能性はあるでしょう。
江沢民は、今の香港には手出ししてほしくないのです。
一方習近平としては、逃亡犯条例もまあいいのですが、この機会に香港を叩き潰せたらいいと考えている可能性があります。
その思惑がぶつかり合い、その中で頑張っているのが香港民という事になるのです。

この戦い、香港民はどうなったら勝ちなんでしょうかね。
デモが潰され、香港が潰される結果は負けでしょう。
かと言ってこのまま残ったとしても、いずれは中国と一緒になる事が決まっています。
イギリスとの一国二制度の約束は50年です。
それまでマネー犯罪に利用され、いずれは共産主義の中に埋もれていく場所です。
香港人だけでは、どっちにしても最後には負けるのです。
勝利があるとしたら、一国二制度が終わるまでに、中国の共産主義を終わらせるしかありません。
だから今、中国人が大勢くる境の場所でデモを行い、中国人に向けてメッセージを発しているわけです。
そして中国人が目覚め、中国の共産主義を打倒し、民主化をする事が香港民の勝利と言えるのでしょう。

おそらくそこで、多くの中国人の血が流される可能性があります。
或いは香港人自身も、多くの血を流す事になるやもしれません。
我々は安易に『香港加油!』と応援していますが、そこまで頑張れと思って応援しているのでしょうか。
一部日本の左派がいきなり香港を応援したりしましたね。
あれは江沢民の目指す「金が全て派」の人達でしょうね。
メディアなんかもそうですが、中国共産党の批判はしませんでした。
とりあえず香港民に現状維持の為に頑張れという感じです。
でも本当に香港の人達の事を思う我々は、どういう結果を求めたらいいのですかね。
平和的に中華人民共和国が滅んで、民主主義国家の中国ができるのなら、それが一番いいのです。
でも、そんな事、ありえますかね。

そんな事を考えていると、安易に香港民を応援するのもどうなのだろうかと思えてくるわけです。

日本人としても、デモが中国に波及し、今の中国が崩壊して、あらたな民主主義国家ができる事が望ましいのでしょう。
そういう意味では香港民と同じかもしれません。
ただその過程で、今の香港民が今の裕福な暮らしを続けていけるのかどうかは、非常に怪しいと言わざるを得ないでしょう。

だからなのでしょう。
結果について語る人はほとんどいません。
みんな語れないのです。
ですがあえて、私は私の妄想と言う事で、思いをここに書いておく事にします。
いやいや世界は難しいですね。
単純に書きましたが、本当はこんなに単純な問題ではありません。
だけどなんとかうまく、みんなが幸せになれる形に収まってほしいものです。

2019年7月15日月曜日

元NGT48の山口真帆さんへの暴行事件について 事件の事をよく知らない人にはどう見えるのか?

前に、元NGT48の山口真帆さんが男性に暴行されるという事件がありました。
私は、この事件の事についてよく知りませんし、興味もそんなにありませんでした。
しかし今もツイッターをしていると、複数の人からのリツイートなどで頻繁に事件の解明を求める意見が流れてきます。
となるとやはりそれなりに気になってくるわけで、まあツイッターで今まで見てきた範囲内ではありますが、私なりの見解を記事にする事にしました。

ハッキリ言って事件の詳しい事も、そもそもNGT48の存在すら知らなかった私の見解ですから、全く見当違いの意見を書く事になるかもしれません。
或いはファンにしてみれば腹立たしい記事になるかもしれませんので、どんな事を言われても怒らない人だけ読んでください。{苦笑}
当然憶測だらけの見解になります。
ご理解いただける方のみ、先を読んでくださると助かります。

最初に結論から申し上げます。
私にはこの事件、『山口真帆さんを嫌う別のメンバー或いは複数人が、ファンの男性を使って山口さんに悪質な嫌がらせ、或いはイタズラをした事件』と見ています。
どうしてそう見るかはおいおい話していきますが、この時点で腹が立つとか思った人は、今からでも間に合いますので先は読まないでください。

順番に話していきます。
NGT48には、女性が沢山いるグループにありがちな、対立があったのだと思います。
山口さんを嫌うメンバーがいたのでしょう。
どうして嫌っていたのか、山口さんも相手を嫌っていたのか、嫌われる理由があったのか、等色々気になる事はあるのですが、今私がもっとも気になるのは『山口さんが今もこの事件の真相を解明したいと思っているのかどうか』という所です。
もしも今も解明を望む行動をとっているのなら、おそらく山口さんには全く非は無く、嫌うメンバーが仕掛けた悪質極まりない嫌がらせだったのでしょう。
今後もファンは山口さんを応援して、真相を解明するのに力を貸すのも良いと思います。
しかし今、もしも山口さんが何も言わなくなっているとしたら、さて、ファンはこの問題の解明を訴え続けるべきなのかどうか、少し考えてしまいます。

一つに、山口さんが嫌われる対立構造に、山口さん自身の評判を落としかねない理由があった場合です。
それならこのまま事件を終わらせた方が、山口さんの為には良いかもしれません。
ただ、個人的にはそういう理由はほとんど考えられないと思っています。
何故なら、山口さんに味方する声の方があまりにも大きく感じるからです。
他には、既にメンバーが内々に既に山口さんに謝罪している場合も考えられます。
その場合、山口さんはもう何も言う事はできないでしょう。
でも内心では事件の裏を公にしたい気持ちもあるかもしれません。
その場合はファンの運動だけが頼りです。
関係者に迷惑をかけたくないから何も言わなくなった可能性も高いです。
その場合は、その気持ちを汲み取って、静かにするのもファンの対応かもしれません。
逆の可能性もありますが、山口さんが評判通りの良い人なら、ファンはそろそろ騒ぎを続ける事を止めた方が良い可能性があります。

いずれにしても、後はファンがどう見るか次第ですかね。
ただ、結論は既に出ていると思っています。

これは、メンバーの誰かが、山口さんに悪質な嫌がらせをした、或いはけしかけた事件でしょう。

犯人とされる男性は、不起訴となっています。
どうして強制猥褻未遂は誰の目にも明らかなのに、起訴されないのでしょうか。
その理由を考えたら、もうそれしか考えられないからです。

起訴されなかった理由は2つです。
一つはメンバーによるイタズラだったからというもの。
もう一つは、山口さん本人がイタズラだった事を事実上認めている事。
何故なら、襲われた後、男性と共に公園に行き、事実の追及をしています。
襲われた時は怖かったでしょうが、その後なんらかの形で、これが悪質ではありますが『単なるイタズラ』だった事を理解していたと思われます。
もしも襲われた後、部屋に逃げ込み警察に連絡し、部屋で震えながら耐えていたというのなら、これは強制猥褻という事にもなった可能性は高いです。
でもそうなる前に男性が誤解を解いたと考えられます。

こんな悪質で卑劣な嫌がらせ、或いはイタズラを私は許したくはありません。
そもそも私はドッキリカメラですら大嫌いです。
ああいう番組を見ていると腹が立ってきます。
人を騙す行為は駄目だと思うし、一時でも本当の恐怖を味わうわけです。
それを冗談で済ますとか、私にはあり得ません。
ですが、『仲間内のイタズラ』では、悪意、今回の場合は『本当にレイプする意思があったのか』が証明しづらいのです。
おそらく今回の事件、仕掛けた側も、実行した男も、まさかここまで大事になるとは思っていなかったでしょう。
気分はちょっとした嫌がらせだったからです。
ですが本気で恐怖する山口さんを見た男性は、その時になって初めて事の重大さに気づいたのだと思います。
だからその後、これが嫌がらせだったと、本気ではなかったと説明したのではないでしょうか。
でもこれが、単なるファンの行為なら、流石に不起訴とはならなかったでしょう。
メンバーも一緒にイタズラに参加していたから、不起訴になったのだと思います。

最初に戻りますが、この事件の結論はでていると思います。
山口真帆さんを嫌うメンバーが、ファンをけしかけて、或いはファンと一緒になって行った、悪質極まりない嫌がらせ、柔らかく言えばイタズラ事件です。
問題はこれを明らかにした方が山口さんにとって幸せなのか、或いはみんなにとって幸せなのかどうかです。
その辺考えた上で事件の全解明を訴えるというのなら、それはそれで良いし、逆も然りです。
ただそれが言いたかったので、今回記事を書きました。

正直ほぼ憶測ですので、まるで当たっていない可能性が高いです。{苦笑}
でもまあよく知らない人にはこう見える、というのを書いてみました。

※※追記※※

一応こんな可能性を妄想している人もいるのではないかと言う事で追記しておきます。
なんらかの狙いがあって、男性をけしかけた誰かが別にいる可能性です。
誰かには言及しませんが、 まあ微レ存な可能性として‥‥

2019年7月9日火曜日

女性は自衛を!人が人を裁くには限界がある!ピンクレディーのSOSを聴こう!

前にも似たような記事を書いたかもしれませんが、改めて書きたいと思います。

伊藤詩織氏の山口敬之氏に対する訴訟の口頭弁論が始まりました。
この話の真実は何処にあるのかなんて、私にはもちろんわかりません。
ただ言えるのは、証拠が有れば有罪になり得るだろうし、無ければ無罪になるという事です。
それは人が人を裁く上での最低限の鉄則であり、必ず守らなければならないルールです。
何故なら、それを守らなくなったら、誰でも簡単に犯罪者に仕立て上げる事ができてしまうからです。
冤罪がいくらでも成立してしまうのです。
だから、証拠が無ければ無罪となるのは、どうしても仕方がないと言えるでしょう。
そして無罪となった人を責めてはいけません。
被害者は本当の事を知っているので責めるのも仕方がありませんし、その身内や関係者も被害者を信じて責める事はあるでしょう。
しかし部外者は、無罪になった人を責める事はできないのです。

ある人が言っていました。
部屋で二人きりだとしても、同意も無しに襲ったらそれはレイプだと。
もちろんその理屈は分かりますし、嫌なのに襲われた人は当然レイプされたと言うでしょう。
しかし二人きりの部屋で、被疑者がレイプをしたという証拠は残るのでしょうか。
おそらく難しいと思われます。
隠しカメラやなんかを設置していれば別でしょうが、基本的には無理でしょう。
そうなると、後でレイプされたと言っても、おそらく被疑者は無罪となってしまうのです。
これは人が人を裁く上での限界であり、どうにもならないのです。
人間は神様ではないのですから。

だから私は言いたいのです。
人が人を裁く限界を知っておいてほしいと。

女性を襲う男はクズです。
ですが残念ながら、どれだけ治安の良い国であっても、クズは一定割合いるのです。
たとえ全てを極刑にした所でクズはゼロにはならないでしょう。
だったらどうするべきでしょうか。
後は女性(被害者)に自衛していただくしかないのです。
人が人を裁ける限界を知り、これ以上行ったら証拠が残せないと感じたら、その気が無ければそれ以上はお断りするしかありません。
或いは自分で撃退できる力を持っておく事になるでしょう。
それを理解しておいてほしいのです。

悪いのはクズだというのは重々承知しております。
ですがそいつらをいくら責めた所で、人には裁ける限界があるのです。
その限界を知り、体を大切にしてください。

昔流行った、ピンクレディーのSOSという曲はオススメです。
昔の人はこれを聴いていたので、ガードが結構堅かったかもしれませんね。
警戒心も強かったのかもです。

被害にあってから、「悪いのは相手だ」と言っても、証拠が無ければ人間には有罪にはできないのですよ。
神様がいればいいんですけれどね。
或いは私が神様なら、男女問わずクズは裁いてあげるんですけれどね。

2019年7月6日土曜日

橋下徹氏のツイート発言が興味深かったのでちょっと考えてみる!

橋下徹氏のツイート発言、見た時『なんじゃこりゃー』と思いました。{笑}
皆さんはこの発言をどう捉えるでしょうか。
このツイートをツイッターサイトで見れば、上下にまだツイートがありますので、そちらを確認する必要もあります。
ですがまあ私が最初に思った印象としては‥‥

『プライドを傷つける行為は何をおいても絶対に許さない』

そんな風に感じました。
傷つける行為を許してまで他に守る価値などないわけですから、つまりはプライドが最も大切だと言っているように思えるわけです。
本心はおそらく違うとは思っていますが、でもその後のツイートを見てもそんな感じがするんですよね。

例えば韓国が悪い事をしていても、それに対して相手のプライドを傷つけるような暴言は使わないで、悪い事だけを批判すればどうだろうかと言っているのでしょう。
それなら分かります。
ただし、それを言ってしまったからと言って、理由が相応にあるのならそれは人として仕方がない事だと思いますし、橋下氏のツイートを素直に捉えると、実際に悪い事をしている韓国よりも、それに対して怒って相手のプライドを傷つけるような事を言っている人の方が悪いと言っているように感じます。
被害者なら何を言っていも良いというのは違いますし、傷つけるような事は言わない方が良いというのは納得しますが、どちらが悪いかと言えば悪い事をした韓国が悪いのです。
これはあくまで例えの話ですよ、念の為。

橋下氏は、自分がやっている非礼さに気づかず、他人の非礼さだけを批判するのは『最悪』だと書いています。
そこはやはり違うのではないかと思うのです。
最悪なのは先に非礼を働いた方です。
それに対して同じ事をしたなら、同類にはなるかもしれませんが、最悪ではありません。
実害に対して言葉で言い返すくらいなら、言葉の方がよっぽどマシだとも思います。
韓国は竹島を不法占拠し、嘘を世界に広めて日本を貶めています。
日本のプライドはズタズタです。
そこに言葉で罵声を浴びせても、実害とは比べるレベルではありません。

プライドを傷つけないようにして、上手くやっていった方が得ではないかというのなら、それはそれで分かります。
ただ、プライドを傷付ける差別を許して、そのほかに守る価値などないと言っていますから、この世の中で一番悪いのは差別と言っているようにも感じますし、プライドがぶつかった場合はどうするのでしょうかね。

靖国参拝の問題からこの話に流れた事を考えると、韓国のプライドも考えて日本が色々と折れてあげたらどうだろうか、そんな風にも感じます。
でも日本のプライドはどうなるのでしょうか。
先に日本のプライドがズタズタにされているのですよ。
もちろんこれが原因で戦争になるというのなら、今一度考え直す事もあるかもしれません。
しかし元々韓国側、或いは中国側の勝手な言いがかりなわけで、それに勝手にプライドを持たれても困ります。

ただ粛々と靖国参拝すればいい問題だと思うのですよね。
できないのは憲法解釈と公明党の反対が今は大きい気がします。

まあこれはあくまで橋下氏の持論だと本人もおっしゃっていますし、政治家でもないのですから思想考えに対して文句を言うのも違うでしょう。
だから橋下氏が馬鹿だとか言うつもりは全くありません。
ただ、ちょっと誤解を生むツイートかもしれないし、私の捉え方で合っているのなら、少し考え直した方がいいのではないかと、そんな風に思いました。
橋下氏の事ですし、何か考えあっての事かもしれませんしね。

とりあえず、橋下氏のツイートを見て、『橋下さん怖っ!』って思った話でした。

2019年7月5日金曜日

そうだ!良い事思いついた!選択的夫婦別姓なんてやっぱりいらんかったんや!

最初に断っておきます。
この記事は単なる思いつきで、検証も何もせずに書いております。
提案は半分ギャグだと思ってお読みください。{笑}

真面目に書いた、選択的夫婦別姓に反対する意見に関しては、過去記事をお読みください。

私が夫婦別姓に反対する理由 そもそもどうして夫婦は同じ苗字なの?
選択的夫婦別姓に前々から反対していたわけだけど、最近ますます反対する気持ちが大きくなった!
選択的夫婦別姓には1000%大反対で議論の余地無し!話を聞くほど反対する気持ちが強くなる‥‥
さて再び選択的夫婦別姓に関して検証!やっぱりこれはと思える納得いく理由が一つも見つからなかった‥‥

とは言え、少し反対する理由も書きます。
というかですね、これは今まで書いていない事ですが、選択的夫婦別姓に賛成する人は、本当に賛成してるの?と疑問に感じる所があります。
以前私が呟いたツイートがプチバズって、多くの賛成者からリプをいただいた事があります。
その時、ツイートだと誤解を生むので記事にして反対意見を書きました。
その記事に対して、5000以上のアクセスがあり、多くの方が読んでくださったようです。
しかし、その記事に対して、反論なりコメントが1件も無かったんですよね。
もうその時点で選択的夫婦別姓は間違っていると言わざるを得ないのですが、それでも賛成する理由に対して私なりの対応方法を書かせていただこうと思います。

ハッキリ言って、ずっとこの選択的夫婦別姓に関して注視してきて、これのメリットと言える部分は大きく分けて2つしかありませんでした。
その一つが、面倒さ、混乱の解消と、コストの削減というものです。
正直選択的夫婦別姓を導入した所で、混乱やコストに関しては改善できるかどうか微妙です。
面倒さという一点においては、まあ理由としては成立するでしょう。
ただし、私にはその程度という気もしますし、そういう意味でも反対しておりましたが、どうしてもというのなら、これら全て手続き上の問題ですから、そちらをキッチリ整理すれば済む話なんですよね。
パスポートには記載されているらしいですが、マイナンバーカードや免許証にも旧姓を書いておけばオッケーなのではないでしょうか。
そしてITが発展してきている今ですから、婚姻届けで苗字を変えれば、他でも変更されるようにネットワーク化しておけばいいのです。
そっちをやれと言った方が早いと思います。

もう一つが、今までの自分が無くなるようで寂しいという意見です。
この法律になんのデメリットもなければ、考える余地はあるかと思いますが、現状はこれも考える余地はなさそうです。
ある記事によると、女性の苗字変更に疑問を感じる女性が3割、感じない人が7割でした。
多数決をとっても今のままでいいわけですが、選択的なので3割の気持ちを考えるのもありです。
しかしその理由が概ね上記した通り『寂しい』だけなんですよね。
別の方の意見で『病む』というのを聞いていましたが、アンケートではそこまでの人はいませんでした。
つまり『病む』までの人はいたとしても例外程度だという事です。
『寂しい』程度で莫大な予算を使って法改正するとか、普通はあり得ません。
それでもどうしてもと言うのなら‥‥
と言う事で、今日の私の提案というわけです。

もうね、だったらもう苗字、氏、名前とすればどうでしょうか。
例えば佐藤太郎さんと山田花子さんが結婚した場合、佐藤太郎さんはそのまま、山田花子さんは、佐藤山田花子って名前にするのです。
これなら寂しくないですよね。
旧姓も一発で分かりますし、便利にもなりますよ。
もちろん今まで通り氏部分(旧姓部分)の省略は可能です。
あくまで正式名は佐藤山田花子であり、佐藤山田花子と佐藤花子は同一人物という事です。

最初に言いましたが、これは単なる思いつきです。
でもこれで寂しいという問題解決はできますね。

2019年7月3日水曜日

さて再び選択的夫婦別姓に関して検証!やっぱりこれはと思える納得いく理由が一つも見つからなかった‥‥

私は選択的夫婦別姓には大反対しております。
理由は、まずほとんどメリットが無い事です。
そしてあまりにデメリットが大きい事です。
詳しくは過去の記事をお読みください。
私が夫婦別姓に反対する理由 そもそもどうして夫婦は同じ苗字なの?
選択的夫婦別姓に前々から反対していたわけだけど、最近ますます反対する気持ちが大きくなった!
選択的夫婦別姓には1000%大反対で議論の余地無し!話を聞くほど反対する気持ちが強くなる‥‥

しかし賛成する人がいるのですから、理由はしっかりと聞いて考えるべき事です。
そこで私は以前からツイッターで反対を訴え、私の疑問に答えてくれる人を待っておりました。
そしたら今回、わんわんさんと言う方からツイッターで意見いただきました。
本当にありがとうございます。
そこで今回はじっくりと意見を検証したいと思います。
検証先リンク

まずは改姓後の不利益から意見が始まりました。

①結婚離婚養子縁組という個人情報が全く守られない
ちょっと言っている意味が分かりませんね。{汗}
具体的にどういう事なのか知りたいですが、少なくともこのような事で疑問に思っている人、或いは身近にはいないので、大きな問題ではなさそうに思います。

②改姓する事により改姓前と改姓後の人物が同一人物といちいち証明しなくてはならない
これは意味は分かりますが、これも大した手間ではない気がします。
パスポートに両方記載してあったりしますし、普段は口頭伝えればオッケーなのではないでしょうか。
問題視している人が全く身近にもいませんし、この辺りでどれくらいの不便を感じるものなのか、実際の声と、そういう声を上げている人数がどれくらいいるのか、ソースを示していただきたいです。

③改姓コストがかかる
これは以前私が唯一認めた現状のデメリットですね。
ただ、『選択的』ではその改姓不要によるメリットよりも、ごちゃまぜに管理するコストの方が高くなるのではないかという心配もありますので、やはりこれをデメリットと考えるにはちょっと足りない感じがします。

④改姓により喪失感で心を病む人が多い
これは蓮舫議員も指摘していましたね。
ただこれも全く聞いた事がありませんでした。
とりあえずどれくらいそういう人がいるのか調査が必要でしょう。
ただし、他国で選択的夫婦別姓をやっている所では、離婚率が増えています。
もしも喪失感で病むなら、離婚率は減ってもいいのではないかと思うのです。
メリットとデメリットを考えれば、やはりこれもデメリットの方が小さいと考えるべきでしょう。

⑤改姓した事により本来対等であるはずの夫婦に上下関係が出来、人間関係が崩れる例も多い
人間関係が崩れる今よりも、崩れない改正後の方が離婚率が高くなっているデータに当てはめると、実は別姓の方が人間関係が崩れていると言えるのではないでしょうか。
かりに人間関係が崩れるのではなく単なる希薄化だとしても、離婚率が上がる可能性が高いというデータがある以上、社会全体にとってデメリットが大きいです。
これも信憑性に欠けると言わざるをえません。
それに何故改姓が上下関係を作ると言えるのでしょうか。
父親が大黒柱的な家もあれば、かかあでんかの家もあります。
むしろ家では母親の方が強い家の方が多い気がしますがどうなんでしょうか。

⑥改姓したことにより配偶者の親と軋轢が生まれる事も数多く報告されている
改姓が理由だとどうして分かるのかが気になりますね。
そしてどのような軋轢が生まれているのでしょうか。
私にはちょっと想像できないので、この辺りももう少し丁寧な説明が欲しい所です。
ちなみに改姓が理由で軋轢が生まれたという話は今まで一度も聞いた事はありません。

⑦氏名上半分が変わることで「行方不明扱い」となる人も後をたたない
どこの国の話でしょうか。
日本で苗字が変った事で行方不明になった例はどれくらいあるのでしょうか。
実際の例とその数が知りたいです。
これも全く聞いた事がないので俄かには信じられない話です。

⑧職場で旧姓を使えてもその職場は二つの名字を管理するコストを負う
これは選択的夫婦別姓を導入しても同じ事です。
夫婦別姓を義務化するなら分かりますが、あまり意味を感じません。
それに私の職場では旧姓のまま仕事をしている女性が沢山いますが、そんなコストは聞いた事がないです。
どこにコストが生まれるのか疑問を感じます。

⑨少子化により現行法では家名が絶える家も多い
そうですね。
珍しい苗字など、無くなるのは寂しいと私も思います。
しかし子供が少子化で一人だと、結局どちらかの苗字を受け継ぐ事になります。
苗字かある程度減って行くのは仕方がない所なのでしょう。
養子縁組で上手く苗字が残せたらと思います。

⑩96%の女性が改姓している現状を国連から繰り返し「事実上の女性差別」勧告を繰り返されている。日本の恥
国連ではなく国連の『方から来た方々』ですね。
国連もそうですが、お金を出した国のプロパガンダに使われている現状、まともに機能しているとはいえません。
それに私は日本こそ真の男女平等だと誇りに思うくらいです。
男女は違うわけで、何もかもが同じが良い訳ではありません。
男女が共に幸せになるにはどういう風にするのがいいのか、それぞれ考える事が大切だと思っています。
無意味な平等に流される方が私は恥だと思います。

⑪改姓前と改姓後の人物が同一人物という証明は戸籍でしか出来ない。人権問題で戸籍を提出される機関も戸籍の取り扱いにコストがかかっている
ちょっとどういう事かわかりませんね。{汗}
証明する場面ってどれくらいあるのでしょうか。
多少面倒な所があるのは重々理解しておりますが、一度変えてしまって苗字の変更手続きを完了した後に、どれほどの手間とコストがあるのか、一般人が困るであろう場面を具体的に並べてもらいたいです。
私の周りの友人や、母親を見ていても、実際困っている所はまるでありません。

⑫もし職場で改姓すれば職場内の従業員改姓手続きを担当者が何日も残業しながらこなしている現実がある
そこまで残業しなければならないくらい何を変更するのか、具体的に知りたいですね。
私にはまるで想像できません。
私のいた会社では、登録名を変更するだけで全部変更されますから、大した労力を必要としません。
これから先の未来では、PCがますます導入されていきますから、もう今更変える必要はないでしょう。

⑬女性が改姓する前提があるため、家庭内で男女の兄弟を親が差別化して育ててしまう例も後をたたない
これも俄かには信じがたい話です。
私の友達はみんな親になっていますが、子供を差別して育てる親は一人もいません。
まあ女の子が欲しいという友達はいましたが、子供が生まれればみんな可愛がります。
子を愛する普通の親ではない話は、別の解決方法を考える必要があるでしょう。

⑭現制度のままだと夫婦で同姓同名が起こり得る。
これは確かにあり得ますね。
でも混乱以上にお互い嬉しい気持ちになるのではないかと私は思います。
むしろ同じ名前の人と結婚して同じ名前になりたいですね。
まあでも確率で言えばこの程度の確率をリスクと考えるのはナンセンスです。

⑮改姓手続きは多くは平日昼間しか出来ない。取らずにすむ有給を取らなくてはならず、その人の穴埋めも必要
むしろこれはメリットなのではないかと思いますね。{笑}
いやいや、現在の環境が悪いのは重々理解していますが、こういう理由なら休みもとりやすいのではないでしょうか。
結婚を祝う意味でも、みんな歓迎してくれますよ。

次に事実婚のデメリットが書かれていましたが、苗字を変えたくないから事実婚とか、それをデメリットというのは違う気がします。
改姓が面倒だから事実婚のデメリットを受け入れるって、そこまでして改姓したくない理由が知りたいのです。
上記した理由は、いずれも事実婚をしてまで避けたい理由には全く感じません。
選択的夫婦別姓にした所で、結婚が増えるとも思えません。
実際の体験をいくつか前に読んだ事がありますが、いずれも私には『その程度で?』としか思えないものばかりでした。
中には本当に苦しい事情のものもあるのかもしれませんが、それでもその数とデメリットを天秤にかければ、考える余地すらないくらい差があると思います。

後はコスト、手間の問題が書かれておりました。
この辺りも、今はITが発達していますし、ドンドン変更が簡単になるでしょう。
それに普通は、一生に一度だけの大きなイベントです。
多少の手間は私は問題がないと思っています。
もちろん、その手間も無い方が良いという考えは理解しますよ。
ただ、やはりデメリットに関する解決策、そしてもっとハッキリとしたメリットがないと、選択的夫婦別姓には大反対です。
今回も結局は、これはと思える理由には出会えませんでした。
それなのにデメリットだけは沢山、しかも深刻なものまであるわけです。

今あるメリットを捨て、法改正するデメリットを考えると、到底受け入れられない話ですね。

※※追記※※
ちなみに上記ツイートした事以外の事例はインターネットで調べられる範囲で調べた結果、ほとんど問題と言えるものは見つかりませんでした。
多少意見としてはありましたが、法改正が必要なほどの問題はないという事です。

2019年6月25日火曜日

あれも差別これも差別どれも差別やっぱり差別!!そろそろ整理して考えて欲しい‥‥そうだ!これからは『差蔑視』と言おう!

ツイッター上には、識者著名人そして弁護士と専門家が結構な数発言しております。
しかし、どうもまともでない事を言う人が結構な数いるようなのです。
弁護士なんかは法律の専門家だと思っていましたが、いやいや常識とかけ離れていると申しましょうか、自分の思想に偏った解釈をするものだと、ちょっと残念に思う次第なのです。
弁護士と言えどもやはり人間で、思想感情に左右されるのですね。
私のようにデジタルに考える方法にも欠点はありますが、基本はちゃんと抑えておく必要があると思うのですよ。
まあなんにしても、そろそろ差別の定義をしっかりとしておく必要があると思うので、改めての提案です。

差別というのは、言葉の意味としては色々あります。
しかし批判されているのはこの全てではありません。
詳しくは過去の記事を読んでいただきたいのですが、まあ簡単に言えば、批判すべき差別結果を批判するものではなく、批判すべき差別行為が批判されているのです。

差別とは、『差別意識』がまずあり、それによって『差別行為』を働き、『差別結果』が生まれるという流れです。
そのどれも差別という表現がされ、主に結果が批判されるからややこしいのです。
しかも差別には良い差別、問題無い差別も存在し、ちゃんと悪い差別だけを批判するべきなのですが、その辺りも曖昧に批判する人がいるから更にややこしいんですね。

だから私は新たな言葉を作るべきだと考えます。
そうですね、悪い意味だと一目で分かるように『差蔑視』なんてどうでしょうか。
或いは略して『差蔑』でも良いですね。
とにかく、差を付けて別にするだけではなく、蔑視するという意味も含めるのです。

では批判すべき差別を差蔑視として表現し、これから少しだけ話をします。

批判されるのは、『差蔑視意識』があり、『差蔑視行為』を働き、『差蔑視結果』をもたらすものです。
しかしこの全てが揃っている時は良いですが、どれか2つだったり、或いは1つの時は批判してもいいものなのでしょうか。
差蔑視意識は心の中の事ですから、批判しようにも批判できませんよね。
せいぜいそういう意識を無くす為の教育をするくらいで、これだけで批判される事はありません。
ただし、無い方が健全と言えるのかもしれません。
では大抵は此処を批判するであろう、差蔑視結果はどうでしょうか。
これはですね、ここから差蔑視行為や差蔑視意識が推測できる場合は批判しても良いとは思います。
ただし、偶々その結果になる場合もありますから、ちゃんと確認してから批判するべきだとは思いますね。
例えばある会社で、全く同じ仕事をこなす男女に、給料差がある場合です。
男性の給料は10万円、女性の給料は40万円です。
これは当然差蔑視に当たると思われます。
しかしこの給料は、実は男性が会社に懇願して望んで10万円にしてもらったとしたらどうでしょうか。
それならこの給料差で会社を差蔑視だと言って責める事はできませんね。
差別ではありますが、差蔑視ではないのです。

つまりですね、差蔑視とは大抵の場合、差蔑視意識、差蔑視行為、差蔑視結果、全てが揃ってこそ批判できるものとして存在するわけです。

しかし、結果はそうではなくても差蔑視は存在します。
たとえば、外国人社員に嫌がらせしようと、外国人社員にだけ昼食に嫌いな食材入りカレーをごちそうしました。
外国人社員は嫌いな食材が使われている事を知らずに食べ、メチャメチャ美味かったと感激し感謝しました。
お腹も壊す事なく、 結果何も問題になりませんでした。
これってどうでしょうか。
やっぱりその外国人社員に対する差蔑視ですよね。
偶々問題にはなりませんでしたが、このような場合も存在するわけです。
これは外国人を差蔑視して差蔑視行為を行っていますから、批判しても良いものです。
これを知ったら外国人社員は怒っていいのです。

差蔑視意識がないと大抵は差蔑視行為は無いので、これは一緒に考える事ができます。
つまり、差蔑視意識からの行為が批判対象であり、それが無い場合は差蔑視とは言えないのです。
先にも言った通り、差蔑視結果から『差蔑視意識からの行為』があったと思われるものは批判しても良いと思いますよ。

基本は、差蔑視意識からの行為によって差蔑視結果が出たものを批判し、結果が無くても批判対象にはなり得る、と言ったところでしょうか。
厳密にいえば、差蔑視意識がなくても差蔑視行為を働く事もあるので、差蔑視行為があったかどうかが批判の対象になるかどうかって所だと言えるでしょう。

差別って言葉は色々な意味を含むので、差別という言葉を使って問題にしている間は、問題にしている事に問題が生じる可能性があります。
ちゃんと分けて考えたいですね。

ちなみに、これら批判対象になり得る差蔑視行為ですが、そこに理由がある場合もあります。
その時は、ちゃんとその理由が妥当かどうかを判断する必要があるでしょう。
結論を言えば、むやみに差蔑視批判(差別批判)はせず、まずはどういう事情なのかを確認した方がいいですね。

※※追記※※

言葉の意味としてではなく法的な解釈としては‥‥

憲法14条の法の下の平等は最高裁判決の通例として
『差別=合理的理由のない区別』




男女平等は人としての本質的平等を言う

だそうです。
まあ言葉の意味としての差別と変わり無しと言いますか、これじゃ混乱しますね。

2019年6月24日月曜日

セクハラって生物学的に言えば求愛行動だったりもするんだよね‥‥大きな声は極論な気がする‥‥

人類というのは、突然今始まったものでもなければ、何度も途切れながらきたものでもありません。
何万年も前から存在し、社会はその中でゆっくりと進化してきています。
時には大きな改革があり、時には大事件によって変化しながら、それでも基本はゆっくりと精錬されてきたのです。
だから社会に大きな問題が当然出てくる事はありません。
大事件など大きな変化が有れば別ですが、普通に流れる時代の中で、いきなり大きな問題が降ってわく事などないのです。
あるとしたら、徐々に問題が大きくなってきてそれに気づいた時でしょうか。
それでもそれはおそらくそんなに大きな問題ではなく、大きな問題は必ず何十年も前から小さな問題としてあった事でしょう。

それなのに、インターネットでは偶に、突然降ってわいたように何かの問題に対して大きな声を上げる人がいます。
そういうのは決まって騒ぐほど大きな問題ではないはずです。
確かに問題と言えば問題なのでしょうが、大抵はまだ小さな問題として生まれたばかりか、既に改善する方向に向かっているものだと感じます。
例えば差別問題などは、100年前から比べればはるかになくなってきているものでしょう。
それに当時、今ほど問題にされていたかどうかと言えば、今と同じようなものなのではないかと思いますし、これは時代によってしっかりと変化してきているものだと私は思います。
騒ぐと、それは極論であるとみんなに言っているようなもので、逆に反論も多く、本当の問題は騒ぎの中には無いと言えるのではないでしょうか。

とは言え、時代の中で溜めに溜めた鬱屈や不満というものが、何かがきっかけで出てくる事も無いとは言えません。
そこで今日考えたいと思ったのが、痴漢とセクハラについてです。
まず最初に私の個人的感情から言いますと、痴漢に関しては、『冤罪ではない』事と、『常習犯である』事が確実であれば、死刑でもいいと思っています。
セクハラも、強制猥褻に当たるものはしっかりと取り締まるべきだと思います。

しかしですね、こういう問題をなんとかするように声が上がると、何故か男からは擁護意見や、酷いものは黙認するべきだという声まで出てきます。
これは一体なんなんでしょうか。
私は男の中でも、おそらく最も性欲から遠い存在で、どちらかというと女性側の男だと自覚しています。
昔からとにかく男のこういう所を嫌っていましたし、痴漢なんかも絶対にしないだけの理性はもっていると思っています。

でもですね、こういう問題に対して何故か反論する男が多いのを見ると、この問題もまた極論なのではないかと思うわけす。
そこで、私は基本女性側から考えておりましたが、今日は男性の気持ちも考えてみる事にしました。

痴漢は、ハッキリ言って強制猥褻罪です。
かなり悪質なものです。
で、色々な人の意見を見ているうちに、興味深い発言を見つけました。
『目の前におっぱいがあれば揉みたくなるのが男』
確かに、その感情というのは、多くの男性が否定できない所でしょう。
でも、男は理性でその行動を抑えているわけです。
ですが絶対に抑えられない体の変化というものもあるのですよね。
私のような不能男でも、本当に不能でない限りは、やはりそれなりに反応してしまうのです。
前にも書いた記憶がありますが、高校生の頃、満員電車で女性と体が密着するような時は、呪文を唱えて気を逸らすのに必死でした。
そういう事を考えると、痴漢に間違えられるリスクや、或いは寝ぼけていたり酔っ払ったりして理性を失っている時の行動にまでは自信が持てません。
私ですら絶対とは言い切れないのです。
となると、もしも痴漢というものを無くそうとするのなら、男女が電車に一緒に乗る事を避けるしか方法がないのかなとも思うわけです。

セクハラなんかはもっと難しいと感じます。
私ですら過去を振り返れば、セクハラ発言と受け取られる可能性のある事は言っています。
相手が嫌がったらそれはセクハラという定義らしいですから、正直どうにもなりません。
そしてスキンシップなんかも、良い時も有れば悪い時もあるわけで、これはなかなかに繊細な問題だと思うのです。
そもそも男性がどうして女性にそのような事をするのかを考えると、これはもう本能なのです。
生物学的に見て、男性が求愛行動をし、それに対して女性が拒否権を発動するというのが野生のルールです。
それを1300年前の古事記に日本人は書いていたわけで、それはもう真理なのでしょう。
求愛行動は流石に否定できないのではないかと思うのです。
猫の世界だと、強姦ですら求愛行動の一つになっているようです。
野良猫の雄が雌を追いかけまわしているのを見た事があります。
気が付けばその雄の子供を雌が産んでいました。
野生の世界ではそんなものなのです。
ただし人間は違います。
理性もありますし、強姦まで認めるつもりはありません。
ですが求愛行動すら規制したら、それは少子化や結婚できない男が増えるのも当然の結果なのではないでしょうか。

今のセクハラに関する法律は、確か職場での話に限るものかと理解しています。
つまり職場で求愛行動をするなと言っているような感じですかね。
女性に言わせれば職場じゃなくても、『求愛行動ならハッキリ言えばいい』と思うかもしれませんが、男もやはり不安なのですよね。
少しずつ様子を見ながら、徐々に求愛行動をエスカレートしていき、告白はある程度脈があるというのを確認してから行いたいわけです。
男性としては、求愛行動による多少の不満は我慢してほしいという所なのかもしれませんね。
まあ最も、この辺りは女性から積極的に男性にアプローチするのなら、少子化や晩婚未婚の問題は解決するのかもしれません。
でもね、これもまた男性の感情ですが、積極的に寄ってこられると、逆に覚めるんですよね。
女性だって自分から求愛行動をするのには、抵抗あるんじゃないでしょうか。
本能というのは割とコントロールが利かないもので、本当にやっかいだと思います。

『人が嫌だと思う事はやってはいけない』、これはあたり前だと思います。
でも男と女の問題だけは、なかなかそう上手くいかないものなのかなと、そういう結論ですかね。

一瞬、二人で飲みに行ったらここまでオッケーとか決めればいいのではないかとも思ったのですが、誘う時点でそれはあからさまになってしまうわけで、だったら最初からハッキリ言うよねって話になります。
求愛行動を拒否したらそれはセクハラになるわけで、この辺りは未婚と既婚で判断するしかないのかなとか、ん~難しいです。
正直結論は出せませんが、男と女の問題というのは、やっぱ現状程度が限界で仕方がないのかなって思います。

それでもここまでの考えをまとめると、痴漢に関しては対応策が必要だと思っています。
一緒に乗らないというのが一番いいとは思いますが、それもまた不可能でしょう。
そうなると、防犯カメラの設置とか、弱い男でも痴漢に立ち向かえるように警棒を所持しておくとか、何かしら対応ができればいいですね。
セクハラに関しては、草食男子が増えすぎている今の現状では、これ以上厳しく取り締まるのは不可能だと考えます。
女性の方からも、もっと積極的に来て欲しいという声もありますし、騒ぐ事が未婚晩婚者を更に増やす事になりかねません。
正直歯がゆいですよ。
私は男ですが、女性上司からセクハラを受けた事はあります。
そういう嫌な思いはしたくありません。
ですがまあ求愛行動だと言われれば、仕方がないのかなって思いますしねぇ。
既婚と未婚で分けるくらいがせいぜいでしょうか。
やっぱ私には分かりません。{苦笑}

ただ、下手に騒がず、セクハラに関してはとりあえず現状維持なのかなぁ。

※※追記※※

そうそう、痴漢経験のある男性って1割くらいいるんですよね。
そういうアンケートの結果ですから、本当はもっといるかもしれません。
もしも完全に取り締まれば、男性の1割がタイーホされるわけです。
そう考えると、やはり電車に男女が一緒に乗る事が問題とも言えるわけです。
しかも痴漢経験は、割合的には若い人の方が多いのです。
ただし常習者は年配者の方が多い印象で、若い人は若気の至りで1回やっちゃって、それで反省して止めるという事なのかもしれません。
ですが、そのデータが正しく若い人の方が多いとなると、この先痴漢をする人は増える傾向にあるという事です。
常習者が減れば痴漢被害は減るでしょうが、この問題はやはり改善が難しい問題なのかもしれませんね。

差別を法律で規制してはいけない理由 行為規範は道徳やモラルの問題です!

日本国憲法には、平等なんて文字が書かれています。
しかし一体平等ってなんでしょうか。
全てが平等の世界なんてものは、そもそも実現不可能ですよね。
人は生まれも育ちも何もかもが違うわけで、社会には沢山の役割もあるわけで、全てを同じにする事なんて不可能なわけです。
おそらくそんな事は誰もが理解していて、みんながある程度の所で納得してるのが今の世の中ではないでしょうか。
ただそれでも中には不当に差を付ける人はいますし、それに対して文句を言う人はいるわけで、それはそれで対応が必要なのでしょう。
だからまあ憲法にも書かれていて、それを守れという人がいるのは分かりますが、『では具体的に』と言ったところで、個別の事案を一つずつ解決していくしか方法がありません。
何故なら、平等の定義はとても曖昧で、誰もが平等と納得するようなものはほとんどないのですから。
人々が納得できる平等とは、つまり差別の無い世界となります。 
差別を定義できれば或いはと思いますが、差別も同様に定義が難しいですね。

ドイツやアメリカでは、平等や差別なんかの行為規範と呼ばれるものは、憲法裁判所や裁判所で一々判断を決めているようです。
日本ではそういう所がなく、おそらくは内閣法制局が独断で決める事になっていると思われます。
でもそれって、憲法に関しては内閣法制局が絶対的な権力を握っていると言えるわけで、権力が集中しているのはおかしいですよね。
だから今『憲法裁判所を作ろう』なんて話もでているわけですが、個人的には反対です。
何故なら、誰が裁判をするのかという問題もありますし、おそらく平等に関しては完璧な定義は難しいですからね。
一番良い対処方法は、憲法から行為規範を全て無くすのが良いと思うのですが、まあ憲法改正自体難しい今の日本では、流石にそこまでは無理なんでしょう。
だからもうとりあえずは今のまま、放っておくのが良いのかなと諦めています。
曖昧が故に、なんでもかんでも『平等がぁ~差別がぁ~』と問題にしてしまう人がいますが、とりあえずそれでどうこうなるわけでもなく、それが一番マシなのかなと思う次第であります。

さてしかし、そんな憲法のデメリットとして、行為規範を法整備化したいと思っている人がいるようなのです。
といっても、『差別をしてはいけない』なんて法律を作る所までは言っていませんけれどね。
近いのはありますが。
ただ、今後そのような声が上がる可能性があるとみて、先にそれは「やってはいけない」という話をしようかと思ったわけです。
既に憲法では問題があると言ったわけで、当然同じ理由で法律でも駄目だというのはすぐに分かると思います。
例えば『差別をしない』という法律を作ったとして、定義をどうするのでしょうか。
私はある程度過去記事に定義をまとめて書いておりますが、 それがそのまま受け入れられたとしても、最後は結局人々の価値観で『差別の理由』が判断される事になります。
こういう行為規範を法律にした例は過去にありますが、例えば代表的なセクハラにしても、最終的には結果判断が主です。
セクハラによってどういう被害を受けたのか、結果から判断されます。
行為ではなく、結果なんですよね。
だからセクハラを規制する必要は概ね無くて、結果を規制すればいいだけなのです。
まあなんとなくセクハラって入れておけば人々が納得するだろう的なもので、概ねセクハラ要素で規制できるのは僅かだと思います。
それよりも、これによるデメリットの方が私は大きいと考えます。
特に差別は、結果を見れば何でも差別と批判できるので厄介です。
平等にくじ引きで決めた結果でも、自ら進んでやった事さえも、結果から判断すれば差別と言えます。
裁判でちゃんとした判決が出るにしても、『差別と言う』事ができてしまうのです。
私の差別定義が採用されていればその辺りは問題が減りますが、それでも曖昧な判断を強いられる事に間違いはありません。
人々の価値観によって変わってしまうよく分からないものは、結局どうなるかと言えば、行為ももちろん加味しますが、結果で判断するしかないのです。
差別とかではなく判断するという事です。
差別を法律で規制するメリットはまるでありません。
なのに実はデメリットはあります。
なんでも差別として批判できるという事は、ちょっといざこざが有れば、誰でも金さえあれば簡単に訴えて嫌がらせする事ができてしまうのです。
それはどういう事かというと、金持ちは貧乏人を無条件で黙らせる事ができるという事です。
何かあったら、金持ちは『差別だ!訴えてやる!』と言えるわけです。
今でももちろんそのような部分はあります。
名誉棄損、侮辱、この辺りは結構分かりづらいですね。
でもそれ以上にもっと分かりづらいのが差別です。
もしもこの法律ができてしまったら、ネットSNSでは『訴えてやる!』の数が大きく増える事になるでしょう。
それは金持ち権力者が国民の声を黙らせることにも使えるわけです。
そんな法律が良い訳がありませんよね。
だから差別は法律で規制してはいけないのです。

ちなみにセクハラなんかは、状況が職場に限定されているので、とりあえずネットで言論封殺には使われていません。
でもおそらく職場では、『コミュニケーションがとりづらい』などの問題はあるんでしょうね。
相手の気持ちなんて本当の所は分かりませんから、喋らないのが一番いいとなってしまいます。
まあでも『そういうのは止めてほしい』という声があれば止めればいいという所もあり、とりあえず今の所はそれなりには機能している所もあるのでしょうか。
これで今まで嫌な思いをしていた人が上司に『言いやすくなった』という結果が出ているのなら、あって良かった法律になるのかもしれません。

差別のような行為規範は、道徳やモラルの問題です。
学校の授業でしっかり教育するのが対応策なのです。
今は、問題だと思われる結果を個別に規制するしかありません。

そんなわけで、『差別禁止』なんて法律を作ろうなんて考えないでほしいですね。
権力者金持ちが喜ぶだけですよ。

ちなみにヘイトスピーチの規制も私は大反対しました。
現に言論の自由は必要以上に抑え込まれつつあります。
別に言っても良いとは言いませんが、これも道徳やモラルの問題です。
学校でしっかり教育すればいいのです。
その結果、それが名誉棄損や侮辱に当たれば法律で取り締まればいいのです。
政治家はもう少しよく考えて法整備してほしいと思います。

2019年6月22日土曜日

選択的夫婦別姓には1000%大反対で議論の余地無し!話を聞くほど反対する気持ちが強くなる‥‥

法律を制定するにあたり、或いは改正するにあたり、大切なのは議論です。
新しい法律のメリットとデメリットを徹底的に洗い出し、改正の場合は旧法律のメリットもしっかり考える事が大切です。
その上でメリットがデメリットを大きく上回る、或いはデメリットに対して対応できる状況が整って、初めて法律とは制定改正されるべきだと私は考えています。

中でも伝統文化に関わるものは慎重を要します。
何故なら、一度変えてしまったら、取り返しのつかなくなる場合もあるからです。
更に、続いてきたものというのは、そこに問題がなく、或いは大きなメリットがあったから続いてきたものです。
長い年月の中で、その大きなメリットが見えにくくなっているものもあるでしょう。
だから慎重に慎重を重ね、慎重すぎるくらいに議論する事が大切になってきます。

とはいえ、時代が変れば変えていくべきものもあるわけで、私はそういうものを変えるのに対しては否定はしません。
変えた方が良いと思うものに対しては賛成しますし、ただそうでないものには反対するというだけです。

さてそれで今回は『選択的夫婦別姓』というものに対しての話ですが、現状私は大反対です。
これは『伝統文化』に関わる大きな法改正になると思われ、安易に変えて良いものではないと考えます。
そう言うと否定する方も結構おられるようですが、私のロジックではこれは伝統文化と断言できると思っています。
理由に関しては、このサイトの過去記事にありますので、そちらを読んでいただければと思います。
選択的夫婦別姓に反対する理由も過去記事にありますので、合わせてお読みください。
サイト検索窓から、『夫婦別姓』で検索していただければ出ると思います。

選択的夫婦別姓は、文化伝統に関わる法律を変えるものと認識しています。
そこには、もしかしたらとんでもなく大きなデメリットが隠されているかもしれません。
こういうのは徐々に効果を表し、100年後取り返しのつかない事になる可能性を含んでいます。
その時また戻せばいいと安易に考える人もいるかもしれませんが、長くじっくり蝕まれたものは、なかなか戻す事はできません。
現に、戦後アメリカによってやられた『WGIP(ウォーギルドインフォメーションプログラム)』によって、日本は未だに敗戦国から抜け出せず、自国に誇りを持つ事もできず、政府は国民の敵だと思っている人が大勢いるように感じます。
一度変えてしまうと、取り返しのつかないものもあるのです。

おそらく私も、10年前なら選択的夫婦別姓に賛成していた事でしょう。
しかし日本の事、世界の事、色々と勉強した結果、これは賛成できないと今では思っています。
私は若い頃、「苗字なんて結婚した時に好きなの付けさせてくれればいいのに」って考えてました。
中二病だったんですね。{笑}
今思うと法律がそうでなくて良かったと心底思います。

さて、私は現在『選択的夫婦別姓』に大反対しています。
その最も大きな理由は、あまり声に出して言いたくないので過去の記事を読んで察してほしい所ですが、当面反対してる理由が、『この議論をまともに話す人がいない』というものです。
メリットと言えば、『平等の為』だとか『不便の解消』程度の全く議論にもならないものです。
何度も言いますが、その平等にどれだけのメリットがあり、デメリットに勝るのかを知りたいわけです。
不便不便と言いますが、選択的夫婦別姓にする事にだって不便はありますよ。
役所は面倒になるでしょうし、結婚相手探しだって少し今までのようにはいかない人だって出てくるでしょう。
当然男性側の苗字にするものだと思っていたら別姓と言われ、それで結婚が流れる可能性もあるわけです。
便利という理由にメリットなんて私は無いと思っています。
だからまあ議論の余地すらないものだと今までは思っていましたが、デメリット側からでも消していく話ができる方がおられたので、少しは見るべき所もあるかもしれないと思い、今日はこの記事を書いている次第です。

割と興味を引くコメントですね。

一つずつ考えてみましょう。
最初夫婦別姓親子という事で外国の話かと思ったら、そうではなさそうですね。
離婚夫婦なんかの話をしているのでしょうか。
そのような事というのは、私のツイートへの話で、『子供がママと一緒の苗字がいい』とか、そういう話がでてくるのではないかと言った所で、それを否定されています。
私の話はたとえ話で、子供の気持ちとして『違う事で嫌な思いをする』のではないかという部分に関しては理解しておられるとは思いますが、にわかには信じられません。
現に私が子供の頃の話ですが、例えば親が離婚した後の子供は、やはり苗字に対して抵抗を持っていました。
多くはこれを口に出しませんが、苗字というのは割と重要な役割を果たしているのではないかと思うわけです。
この辺りは、法改正が進むようなら、その前に一度アンケートをとってもらいたいですね。
今の幼稚園、小学生、中学生くらいまでに、『自分の両親が違う苗字で、そのどちらの苗字になっていても問題ないかどうか、嫌だと思わないかどうか』という質問をです。
子供に不都合が出ているかどうかではなく、子供の気持ちは大切にしたいのです。

続いて改姓についてです。
変更できるという話は知っていましたが、詳しくは知りませんでした。
この期に調べてみると、概ね変更は難しいようですね。
簡単に言えば、元の苗字に戻したり、父方母方の変更で有ったり、ほぼ常識の範囲内です。
完全に変えられる場合というのは、『変で不都合な場合』のみですね。
過去の例を見ると、『肴屋』(信用してもらえなかった)とか、『大工』(職業が連想でき支障がある)『大楢』(おならを連想させる)『仁後』(二号さんを連想させる)などだそうです。
詳しくはこちらで‥‥
https://ka-ju.co.jp/column/change_last_name
今回のツイートに関しては、母方が嫌なら父方に、父方が嫌なら母方にって話だとは思いますが、『そんな事を言える15歳以上の子供っているの?』って感じです。
おそらく嫌だと思っていても、それを口に出して文句言える子供なんてまずいません。
幼少期くらいですよ。
それに15歳以上とか、そんな年齢になるまでが辛いのですよ。
そういう子供の気持ちを察して、最初から両親も子供も同じと決めておいた方が良いと私は思います。
ちなみに、苗字の改正自体無い方が良いと思っていましたが、ほぼ認められないと見て良さそうなので、私としてはその方が良いと考えています。

学校でも混乱は起きていないという話も、日本での話なのでしょうかね。
一人二人なら先生も把握できるでしょうし、この辺りは夫婦別姓のある他国の先生方の話をお聞きしたい所です。

心配な人は同姓にって部分は、上記した通り、結婚相手を探す難易度を上げる部分があるので、現在の少子化社会の中ではデメリットになりそうだと私は思っています。
というか、今日この記事を書いて改めてデメリットの方増えました。{苦笑}

そんなわけで、この法律を本当にやろうと思うのなら、まだまだ議論は必要かと思います。
背乗りなんかの問題も絡んできますし、この法律を通すなら、まずはチャイナやコリアが日本に友好的な民主主義国家になってくれる事が必要、なんて思いもありますね。

選択的夫婦別姓に前々から反対していたわけだけど、最近ますます反対する気持ちが大きくなった!

2019年6月19日水曜日

差別批判とは『不当と思われる差がある結果』ではなく『不当に差を付ける行為』を指して批判する事!

日本語って色々難しいですね。
というか全ての言葉ってのがそうではないでしょうか。
複数の意味があったり、定義や意味が曖昧だったりします。
放送禁止用語のキチガイだって、それは色々な意味があり、人を褒める時に使われる事だってあるのです。

差別という言葉も非情に曖昧で判断が難しいですよね。
差別化を図るなんていうのは、概ね良い行いなわけですが、一方でなんでもかんでも差のあるものを差別と批判する人もいるわけで、批判するならそれが悪いという事でなければならないはずです。
良い差別を区別という人がいますが、これももちろん曖昧な部分で、それなら『差別化を図る』ではなく『区別化を図る』というべきなのです。
厳密にいえば区別は『違うモノと認識する』事であり、そこから『差を付ける』事でそれは差別となるのです。
この時、この差を付ける行為が正当で有れば多くの人は区別と表現するし、或いは正当であっても差別と表現する人もいます。
日本語としてはどちらも『差別』と表現する方が正しいのでしょうが、正当な差別を批判する人がいるから『仕方なく区別と表現している』人が多くいるのだと思います。

私はこの辺りで、差別には『正当で悪くない差別』と『不当で悪い差別』があるという事をまずは全ての人が理解しておかないといけないと思うのです。
その見分け方として、私はいくつか記事を書いてきました。
①『行き過ぎた差別批判問題!『 #KuToo 』から女性差別批判が限界突破!!
②『自分で自分のロジックを論破していくスタイル!{笑}この世に絶対はない!『 #KuToo 』運動の葬儀屋バイトのパンプス強要が女性差別ではないという話
簡単に説明すると、物事には原因と結果があり、差別原因である区別要素を排除すれば差別という結果は起こりえないというロジックで、それが差別ではないという事を判断するものです。
2つ目の記事でも書いている通り、これは100%正しい判断とは限りません。
結果があるのに、そこに差別意識があったかどうかは分かりませんからね。
でも、差別批判はできないだろうという結論にはなりますね。
その辺りを今日は説明できればと思います。

差別には意味が色々あり、良い差別もあれば悪い差別もあります。
当然批判すべきは、悪い差別です。
良い差別まで一緒にして批判しては、それは無実の人に罪をきせて冤罪にするようなものです。
犯罪が確定した人を批判するのは良いですが、逮捕された人を批判した後無罪になる事もありますよね。
差別も同じで、それが悪い差別だとある程度言いきれる時だけ批判するのが正しいと言えるでしょう。
そうでないと社会もおかしくなってしまいます。
ですから、それが良い差別なのか悪い差別なのか、ちゃんと説明できる事が差別批判の最低限の条件でしょう。

そして差別批判は、『不当と思われる差がある結果』を批判するものではなく『不当に差を付ける行為』を批判するものです。
親切心から差を付けたら、結果逆になってしまう事もありますし、或いはその逆もあります。
女性はスカートが好きだと思ってユニフォームにスカートを採用したら、嫌いだと言う人もいるわけです。
嫌いなヤツに小さなケーキ、好きな人に大きなケーキをプレゼントしたら、大きなケーキは腐っていて、結果小さなケーキを貰った方が良かったという事もあるでしょう。
平等にしようとサイコロの出目の10万倍の給料にする事で同意し、結果男性が40万、女性が10万になる事もあります。
平等に決めても結果不当な差がつく事はあるのです。
だから、差別批判というのは結果から批判してはいけないのです。
それに結果を批判した場合、それは『嫌な事全て』を『差別』と批判する事ができてしまうからです。
「うちの会社の給料が低いのは差別だ」「躓いてこけたのは道路整備が遅れているこの町を差別している」なんでもこじつけが可能です。
世の中で悪い事や嫌な事が起こった場合、そうではない人が必ずいるわけで、その人と比べて差別だという事ができてしまうのです。

だから、何度も言いますが差別批判は、『不当と思われる差がある結果』 を批判してはいけません。
必ず『不当に差を付ける行為』を批判するものなのです。
ちなみにヘイトスピーチなんかは、言葉に出して言っているものなので、そこに意思があったかどうかは判断しやすいです。
だから批判対象となり得るかどうかはすぐにある程度は判断できます。
ただし、以前からずっと言っている通り、差別するには理由があって、その理由に正当性があるかどうか、人々の価値観によって判断に差が出てしまうものです。
差別批判できると思われるものでも、自分の価値観が人々と比べてどうなのか、理由をしっかり検証してから批判するべきでしょう。

それで、『不当に差を付ける行為』を批判するものだとするならば、『不当に差を付けたかどうか』という『差別意識があったかどうか』というのが重要になります。
上記した通り、親切心、或いは差を付けるつもりがなくても差がつく事はあるのです。
つまり『差別批判をするのなら、そこに差別意識があったかどうか』というのが重要になります。
差別意識がないのにそれを批判しても、そんなもの無くなりません。
或いは無くす為には区別要素そのものを無くすしかなくなります。
例えば性差別なら、男性、或いは女性どちらかを完全に消すしか対処方法がないのです。
何かを批判するのは、『問題を解決したいから』批判するのです。
解決できない批判をしていても意味がないのです。
差別批判は、差別した人に対して考えを改めよ』というものです。
道徳的に人としておかしいだろうという批判です。
その辺りしっかりと理解しておかないと、おかしな差別批判になるのです。

まとめです。

①差別には『正当で悪くない差別』と『不当で悪い差別』がある事を知っておく。
②批判すべきは、悪い差別である。
③差別批判は、『不当と思われる差がある結果』を批判するものではなく『不当に差を付ける行為』を批判するものである。
④差別批判をするのなら、そこに差別意識があった事を説明できる必要がある。
⑤差別批判は、差別した人に対して『考えを改めよ』というものであり、結果だけ改善しても差別は無くならない。

こんな所でしょうか。

おそらく厳密にいえば例外とかそういうのもあるかもしれません。
でも差別批判をするならば、とりあえずこの辺りの確認だけはしてほしいと思います。

※※追記※※

大切な事を書くのを忘れていました。
差別というのは、法律で規制するべきものではありません。
何故ならこれは、『行為規範』『道徳規範』であって、『裁判規範』ではないからです。
差別意識というのはおそらく誰もが持っていて、それは多くの場合心の中にとどめているものですが、流石に心の中までは規制できませんよね。
あくまで道徳教育の問題であって、法律で規制するものではないのです。
だから、憲法に『平等』とか書かれていても、現在の日本では『何それ?』状態です。
ドイツやアメリカでは、『憲法裁判所』や『裁判所』で判断されていますが、だったら最初から裁判で判断すれば良いというものです。
現在の日本では、実は肝心な憲法判断は、『内閣法制局』が独占的に判断する権利を持っています。
憲法に関しては、内閣法制局の独裁国家と言えるでしょう。
つまり、憲法に『平等』なんてものは書かない方が国民の為には良いという事なのですよ。
ちなみに明治の大日本帝国憲法には行為規範は無いそうです。
その代わり、教育勅語によって大切な行為規範は守るように広められました。
話がそれましたが、何にしても『差別を法律で規制するのはおかしい』のです。
もっとも、酷い結果をもたらすものに関しては、個別に法律で禁止する事はありますよ。
名誉棄損、侮辱、殺人、差別による犯罪はあります。
ただ、差別そのものは規制できないという事です。
基準も個人の価値観で大きく変わりますからね。

2019年6月15日土曜日

日本には性差別と言える差別はほとんどないが、女性蔑視発言が多いのは事実!その理由とは?!

日本には、性差別、特に女性差別と言われる差別はほとんどありません。
その理由は今まで色々な所で散々話していますし、先日もその一例を記事に書きました。

日本に性差別はほぼ無い事が確定!とあるアンケートがそれを証明してくれた!

しかし、「女性蔑視発言が多い!」という言葉を聞いた時、そういう言葉を発する男性を見る機会は確かに多いように感じます。
特に『女は黙ってろ!』とか、『女のくせに!』みたいな言葉はよく耳にする気がしますね。
※私の生活の中で実際に聞く事はほとんどないですが‥‥
いかにも『男性の方が上なのだから、下の女は口出しをするな!』という風に聞こえます。
そう考えるとやはり『女性差別』は多いのかもしれないと思い、もう一度考えてみる事にしました。

そもそも私は、元々超絶フェミニストであります。
子供の頃から、『女性の方が人間として圧倒的に優れている』と言ってきました。
まあそれが変ったのは、女性の本音を多く聞くようになってからでしょうか。
学校、そしてその後の職場が、圧倒的に女性の方が多い場所でした。
嫌でも女性の本音が耳に入ってくるし、目にしてしまうわけです。
結局、どっちもどっちだなって思ったわけです。
それで考えを改めて、今では『ややフェミ』くらいになりました。

とはいえ、『女性の方が優れている』という考えは今でも継続中です。
ただ、差別的意識という面でイーブンと感じただけで、人としての優劣を言うならば、やはり女性なのです。
生物学的に見ても、子供への愛情認知度と申しましょうか、そういうのが男性は欠けています。
子供を殺してしまう事が多いのは雄なのだそうです。
染色体で見ても、男性は劣ります。
男性は常に父親と同じY染色体をそのまま引き継いでしまうのに対し、女性のX染色体は進化するのだそうです。
だからいずれ男性(雄)は生まれなくなるのではないかという生物学者もいるようです。
私が感じる通り、男性よりも女性の方が優れている可能性は高いのです。
ぶっちゃけ、体力面以外で男性が女性に勝る所は無いと言えるかもしれません。
精神的安定という意味では男性の方があるかなと思う所もありますが、いざと言う時は女性の方が肝が据わっている気がしますし、男性としては『子供が産める女性』という所で、無意識に引け目を感じていたりもするのです。

実際に社会の中でも、女性の方が適応能力が高いです。
男性の方が優れている役割は、体力が必要なものだけです。
それ以外では女性の方が基本的に優れています。
それなのに今まで何故男性の方が仕事が多いのかと言えば、やはり体力面なんですよね。
生理などで体調を崩し、どうしても働けない時があるよりは、常に働けるという部分だけで男性が有利なのです。
或いは、女性にしかできない仕事ってのが多くて、だからそれ以外は男性にって部分もあります。
介護や看護などは、女性をみる以上、女性にしかできない場合があります。
また接客サービス業などでは、清潔感のある女性の方が良く、男女では売り上げに差が出る結果というのを私は実際に体験してきています。
町で表に出て働くのは女性、裏で働くのは男性という風になるのも、それは仕方のない所ではないでしょうか。

そして生物学的に見ても、子育ては女性の方が優れています。
自分の子供への愛情がどうしても薄い男性は、思い入れも少なくなりがちです。
もちろん人間は他の動物とは違って理性というものがありますから、できない事はありません。
あくまでどちらが向いているかという話です。
そしてそれを望むのも、女性の方が圧倒的に多いわけです。
女性は子供の頃から、将来の夢を『お嫁さん』と感じる人が多いです。
子供が欲しいという気持ちも大きいように思います。
結婚後は『専業主婦になりたい』という人も半数以上いるのではないでしょうか。
仮に半数だとして、社会に出て働きたいと思う女性は半数しかいないわけです。
となるとここで、現在の男女雇用機会均等法を見ると、おかしな部分が見つけられます。
男女同じ数だけ採用しようなどという風になると、女性の半分は働かないわけですから、もしも会社が確実に半々を守ってしまうと、男性の半分が職に就けない事になってしまうわけです。
そのあぶれた男性はどうするのでしょうか。
やりたくもない安い給料の仕事をする事になり、この辺りが未婚男性の増加に繋がっているようにも思われます。

ハッキリと言いましょう。
男女が能力によってまともに評価され職を奪い合ったら、男性は負けるのです。
そんなにハッキリとした能力差が出るわけではないですが、女性は働きたい人だけが働きに出てくるわけです。
しかし男性は、乗り気でないにも関わらず、男だから仕方なく働きに出る人も大勢いるわけです。
平均したら、男性は女性に勝てないです。
平等なルールでやったら、当然社会は成り立たなくなります。
だから男性は、唯一勝てる体力面をアピールして、その平等である意味不平等なルールをバランスのとれたものにしようとし、そしてそれが女性蔑視の言葉となるのではないでしょうか。
劣っている事を自覚しているからこそ、出てこざるを得ない言葉なのです。
そうしないと、社会のバランスが取れないわけです。

ハンデですよ。
男性にハンデを与えないと、世の中のバランスって取れないんですね。
でもそれは、お互いが求め、お互いが幸せになる為のものですから、決して不平等なものではありません。
それぞれが幸せになれる適材適所に導く為のものなのです。
それを差別と言って否定する事は、一番お互いが幸せになれるバランスを崩す事になるわけで、それが果たして差別にあたるのかという事です。
しっかりとした理由がある差別は差別とは言いません。
区別です。
言葉の意味としては差別とも言えますが、差別という言葉をあえて使うのなら、『良い差別』と『悪い差別』です。
今の世界は、良い差別まで否定しているように思います。
まあ確かに『女のくせに!』みたいな事を言われれば腹も立つでしょうが、男は女性に勝てる部分が力しかない事を無意識に自覚しているのだと思います。
私はそういう言い方は決して肯定はしませんが、社会の安定の為に、差別批判ではなく単なる暴言として否定してくれる事を望みます。

日本に性差別はほとんどありません。
あるのは、男性による女性に対する妬みからくる暴言なんですね。
アホとかボケとかカスとか、そういう言葉と一緒と捉えてくれると、良い社会になるのではないかと私は思います。

ちなみに、女性が『男のくせに!』とか『男は引っ込んでろ!』なんていう事もありますよ。
それは妬みからではないですが、まあそれは良しとしますかね。
男にしっかりとしてほしいという思いだったりしますし、うん、結局どっちもどっちなんですけれどね。{笑}

2019年6月13日木曜日

今日もスパムメールが2通!【重要】楽天株式会社から緊急のご連絡&Amazonアカウントを利用制限しています

もう毎日のようにスパムメールですよ。{苦笑}
ネタにしかならないのでもうそろそろ止めていただきたいですね。




まず一つ目が、【重要】楽天株式会社から緊急のご連絡、だそうです。
一応楽天は利用しているので、どんな連絡なのか気になりますね。
クレジットカード情報がぁ!!!
そんなもん登録してないわ!!
しかも差出人のメアド、どこやねん。
noriply@093.jp
返信してくるな!日本の奥さん?
なんか上から目線のメールアドレスやね‥‥

続いて、Amazonアカウントを利用制限しています、だそうです。
アカウントが制限されているのに閉鎖されているんですか。
制限ってのは完全閉鎖と同じなんですね。
で、差出人は‥‥
admin_a185@a185.jp-safeservice031.info
検索しても情報がまるで無し。
アクセスするのは怖いのでしませんが、完全にメールだけのサーバーな感じですかね。
あるいはロボット巡回拒否しているか。

そんなわけで、こんなスパムメールも出回っていますのでお気を付けください。

2019年6月12日水曜日

日本に性差別はほぼ無い事が確定!とあるアンケートがそれを証明してくれた!

私は以前から、『日本には性差別、主に女性差別はほとんどない』と言ってきました。
男女には元々差があり、生物学的に見てもそれぞれにあった役割があります。
それぞれにあった役割に合わせて今の社会があるわけで、そこに不当な差はありません。

もしも今の社会に差別があるというのなら、それは別に差別意識から差別したのではなく、偶々そうなったか、或いはメリットを追求した適材適所という考えがそうさせたものです。
だからたとえそれが差別だったとしても、駄目な差別ではありません。
情況に適した差別と言えるでしょう。
人によってはそれを区別と言います。
もちろん、差別している人が全くいないと言っているわけではありません。
世間が騒ぐほど、多くはないという事です。

それは以前紹介した、あるアンケートからも分かります。
生まれ変わるなら、男女どちらがいいかというもので、結果はやや女性の方が多いという結果となりました。
このアンケートは時々見かけますが、年代によってあまり変化はなく、やや女性の方が多いという結果ばかりです。
あくまで私が見かけた範囲ですが、これを見る限り、少なくとも女性が差別されて虐げられているようには感じませんね。

そして今回、全く別のアンケート結果から、更に『日本人には性差別意識がほとんどない』事が分かりました。
そのアンケートとは、『女性天皇に賛成ですか?』という問いです。
結果は、賛成が80~90%、反対は20%にも満たないものでした。
しかもこのアンケートは、皇室のルールや歴史など、ほとんど知らない人達に聞いたものです。
知っていると答えたのは10%~ 20%程度でした。
私は知っているので反対しますが、知っている人が概ね反対するとしたら、この結果から、皇室の事をほとんど知らない国民はどちらでも良いという結果と言えるでしょう。
中には女性の方が良いと思っている人がいるとしたら、むしろ女性差別意識よりも男性差別意識の方が強い事になりますね。

この結果を持って、そして先に書いたアンケート結果も踏まえると、日本に性別差別はほぼ無いと断定できますね。
何度も言いますが、もちろんゼロではありません。
区別できる違い、差が有れば、どうしても差別してしまう人は必ずいます。
この世から悪人がいなくならないのと同じです。
でも、日本人はほとんどの人が、男女の間に上下関係は無いと思っています。
適材適所、その場にふさわしいのはどちらかとか、そういう事を考えるともちろん違いがあるのですからどちらかを選ぶ事にはなるでしょう。

でも、差別はほぼ無い!と言い切っても良さそうです。
或いは、差別があるにせよ上下意識はなく、男女ともどっちもどっちって事ですかね。

※※追記※※

男女差別が無いと思われる別のデータが見つかったので追記です。
日本での自殺者は、圧倒的に男性の方が多いようです。
倍以上ですね。
これはつまり、日本社会は男性の方がよりストレスを感じると考えられるのではないでしょうか。
或いは男性の方が生き辛いと言えるのかもしれません。
もしも女性に対して悪い差別が行われていたとして、そういう結果になるでしょうか。
或いは社会そのものが男性不利だから女性差別で調整されているとも考えられます。
まあ何にしても、今の日本は差別が酷い悪い世の中ではないですよ。

『女系天皇』は憲法違反です!憲法を正しく理解しよう!先例を無視したら日本が日本でなくなる!

女系天皇は憲法違反です。
その事について今日はお話します。

現在、女系天皇は、天皇継承のルールでは認められていません。
そしてこれからも、認められる事はないでしょう。

まず第一に、日本国憲法という『憲法典』に 『日本国民の総意に基づく』と書かれているからです。
天皇というのは、国民の総意、つまり100%認められていなければ存在しえないのです。
私は少なくとも『女系天皇』に反対です。
つまり、最低でも私が生きている間は『女系天皇』は存在し得ないわけですね。

そんな事を言うと、おそらくこう反論する人がいるでしょう。
「今の天皇も反対している人がいるではないか!」と。
確かに国会議員の辻元清美氏のように、ぼろくそに言って否定している人もいますね。
でも、日本国民にはいません。
何故なら、そんな人は日本国民とは認められませんから。
日本に生まれ、日本国籍を持ち、日本国民として生きていくには、最低限守るべきものがあります。
それが、日本のルールです。
最低限それを守る人だけが日本国民として認められるのです。
だから、現在憲法典に『国民の総意』と書かれている以上、日本国民になった時点でこれを守ると約束してる事になるのです。

では女系天皇は絶対に誕生させられないのでしょうか。
『憲法を改正し、国民の総意を取り払えばいいのでは?』そう考える人も出てくるでしょう。
これも意味がありません。
何故なら、憲法典というのは、憲法という氷山の一角に過ぎないからです。

日本国憲法は、憲法典です。
そして日本には、多くのあたり前のルールが存在し、その全てが憲法です。
その中で、『重要だから確認しておこう』というものや、『政治に関する事』、或いは『時代によって変わる事を確認する必要があるもの』などを書き記したものが憲法典なのです。
書く必要の無いあたり前の事は憲法典には書かれていないのです。
それはそうです。
全部ルールを書き記す事なんて不可能だからです。
『日本人は日本の道を歩いても良い』とか、『息をして良い』とか、一々書きますか?
どれだけ頑張っても書き終える事は不可能でしょう。
だから書いていないだけなのです。
そういうルールを、文化、先例、慣習、風習、伝統など、色々な言葉で言い表す事ができます。
中には時代と共になんとなく国民の総意によって変わるものも有れば、また国民の総意によって変わらないものもあるのです。

日本の皇室、天皇の男系継承というのは、この憲法によって先例という形であるのです。
このルールは、国民の総意によって、なんとなく決められてきました。
誰もがあたり前と思っていました。
もしも違うと思う人がいたら、別にそれを訴える事はかまいません。
そしてなんとなく国民全員がそう思うようになったら、この憲法は自然と変わるでしょう。
そうなれば自然に女系天皇というものが誕生するかもしれません。
でも少なくともこれは変らないものだと思います。
皇室に限らず、王朝の継承は男系継承と『世界』で認められており、日本人の意識だけで変える事は不可能だからです。
そして古くから残る王朝は日本にしか存在しません。
今あるものがルールであり、これを変えたら違うものになってしまいます。
或いは、過去の王朝の歴史が書き換えられる事になります。
どこかの国では、王朝が乗っ取られ別の王朝になるという歴史があったでしょう。
しかしここでルールを変えれば、その王朝は継続性を持つ事になります。
過去の歴史は変りません。
即ちもう日本の皇室のルールを変える術はないのです。

ただし、そのルールにのっとって変えられるものはありますよ。
きちっと『先例(憲法)』を守り、変えられる部分に関して変えられます。
もしも皇室の安定を望むなら、旧宮家の復活などは先例があるのでできます。

そんなわけで、女系天皇は憲法違反であり、女系天皇そのものも、本来存在し得ないものです。
女系天皇をやろうと言っている人は、『憲法違反しようぜ!』と言っているのと同じです。
或いは、『2000年以上続いてきた日本王朝を終わりにしようぜ!』と言っているのです。
即ち『日本をぶっ壊して革命しようぜ!』って話です。
女系天皇も良いかな?と思っている人がいるとすれば、もう一度よく考えてみて欲しいです。

もしも先例(憲法)なんてどうでも良いというのなら、今後、先例を無視した天皇を政府が自由に決められるようになりますよ。
そうなれば、『次の天皇は安倍ちゃんね!』と、安倍総理が天皇になる事も可能になります。
それどころか『よし、金正恩を天皇にしよう!』なんて事も可能になるのです。
その国は日本ですか?
だから先例は大切なんですね。

2019年6月11日火曜日

女系天皇は何故駄目なのか!?分かりやすく説明!先例を無視し政府が自由に皇嗣を決められるようになったら日本終了!

一部報道で、あるいは一部野党から、『女系天皇』や『女性天皇』って話が聞こえてきます。
でもこれ、大変危険な話なのです。
結論から申しましょう。

こんなものに同意してはいけません!!!!

では何故駄目なのか、その理由をお話します。

まず、現在の天皇陛下の継承は、万世一系、男系男子に限られています。
継承順位も既に決まっているのです。
しかし今、『愛子天皇待望論』とか出てきていますね。
それは、今後天皇になると決まっている人を排除する議論に他なりません。
これは大変失礼な話です。
もう決まっているんですよ?
それをメディアや野党は止めさせようとしているのです。
天皇陛下だからとか皇族だからだとか関係ありません。
民間でも、何の落ち度もない人の決められた権利を奪う事はないのです。
まして伝統ある皇室です。
あり得ない事かと思います。

次に、天皇皇室の継承ルールを考えてみましょう。
憲政史家の倉山満氏の話によれば、『先例、男系、直系』の順に守るべきルールなのだそうです。
直系と言うのは、親から子、子から孫へって事ですね。
しかしそれが今難しい状況です。
でもそれは優先すべきルールなだけで、他がしっかりと守られていたら問題ありません。
実際、過去何度も直系から外れる事はありました。
次に優先すべきは男系ですが、これは先例にも含まれるもので、先例の中には男系以外にもルールがあります。
そのような説明を倉山氏はしていたように記憶していますが、私の理解だと、男系というのは男系男子という事で、先例は、男系女子を含む、その他のルールと言った所です。
この順番で優先して後継者を決め、絶対に守るべきは先例という事になります。
この理屈で、女系天皇はあり得ないという事になります。
過去、女系天皇は実はいましたが、その方々はもれなく男系でもありました。
つまり男系という部分は守られていたのです。
よって、ルールという面でも、『女系の女性天皇』はあり得ませんし、『男系の女性天皇』も、最後の手段と言った所となります。
当然『女系の男性天皇』もあり得ません。

では何故、このルールを破る事はできないのでしょうか。
それは簡単で、もう2000年も続いているわけで、今更変えても認めない人がいるという事です。
だからもしも何かしら変えるにしても、この先例だけは破ってはいけないのです。
そして当然安定して皇位継承していただくには、先例、男系、直系の順番も守るべきなのです。
憲法にも記されています。
天皇皇室は国民の総意なのです。
今まで総意で有り得たのは、先例というルールをしっかりと守って来たからです。
今まで認めてきた事だから、この先もずっと認められるのです。
変えたら、もう認めない人がいるわけで、途端にそれは憲法違反にもなり得るのです。
『女系天皇』は憲法違反でもあるわけですね。

更に、このルールは何も日本だけのルールではありません。
王朝のルールでもあるのです。
もしも愛子内親王殿下の息子が天皇になったとしたら、そこで現在の日本王朝が終わるのです。
つまり、日本という国はそこで終わり、新たな国がスタートする事になるわけです。
ある意味革命ですよね。
実はこの方法による革命を許さない為に、しっかりと男系男子継承をしてきたわけです。
国を守る為に最も良い継承方法だったわけです。

もしも女系天皇が生まれたら、たとえ法律で定めても、認めない国民が大勢出てくるでしょう。
そうなると、きっと国内は混乱し、別の天皇を立てる勢力が生まれ、日本は二分され争いが起こるでしょう。
そんな事は許されません。
だからこそ、我々の祖先は、今の皇室を守る為に命を懸けて守ってきたのです。
どうでもいいものが、どうして2000年も続くのでしょうか。
大切なものだから2000年も守られてきたのです。
そして大東亜戦争で、何故若者は神風特攻という命を懸ける戦いをしたのでしょうか。
全ては『今の日本の国体を守る為』であり、日本において国体とは皇室そのものです。
そんな皇室を、我々の代でぶっ壊してもいいのでしょうか?
何かとてつもない大きな理由が有れば、慎重に議論する余地はあるでしょう。
しかし現在、そんな大きな問題は有りません。
議論する余地すらないのです。

とはいえ、それなりの危機は目の前にあります。
男系の系統が、今一筋しかないという危機です。
元々そこから『女系天皇』などと言う、本来は存在し得ない言葉が生まれ、議論が始まりました。
でも本来なら、議論はそこにはいかないはずなのです。
何故なら、まずは男系、そして先例から対応を考えるのが普通だからです。
『女系天皇』などという議論には悪意しか感じません。
まずは旧宮家を復活するなり、旧宮家の男系男子を養子に迎えるなり方法があるのです。
ちゃんと先例がある方法をとり対応すれば、誰もが賛成せざるを得ないのです。

まとめますと‥‥
①現在の継承に駄目出しするのは、継承予定の方々に失礼である。
②女系天皇は天皇の継承ルールに反している。
③女系天皇を認めない人が出てくる以上、憲法違反である。
④国体を守る為に男系継承が最も優れている。
⑤女系天皇を認められない人が男系男子を天皇と立てて国内で争いが起こりえる。
⑥ご先祖様が命がけで守ってきた皇室をここで終わらせる事になる。
⑦安定継承の為の対応は先例にならって行うべきである。

一応言いますけれど、最後の手段として、男系の女性天皇というのは過去にありました。
だから愛子内親王殿下は、天皇になる可能性を持っていらっしゃいます。
しかしそれは最後の手段です。
もしも可能性があるとしたら‥‥
そうですね。
例えば結婚をせず、旧宮家から男系男子の養子ももらった場合。
或いは旧宮家の男系男子と結婚をした場合などでしょうか。
その場合に皇室に色々な不幸が有ったりすれば、可能性はゼロではありません。
ただし、皇室の不幸を願う人なんて日本人には一人もいません。

そうは言っても、最悪を想定して、愛子内親王殿下には、旧宮家の男系男子と結婚し、宮家を復活していただけないかと、私は期待しております。

※※追記※※

とても素晴らしい意見をいただきましたので、それも追記させていただきます。
もしも政府が法律で皇嗣を自由に決められたら、それは恐ろしい事です。
悪意を持って次の天皇を自由に決める事ができるわけですから。
だから皇室の安定を望むなら、或いは日本の国体を守っていくならば、最低でも先例に倣う必要があるのです。
もしも後継者問題を解決しようと思うなら、何でもオッケーでは駄目です。
必ず『先例』に倣って決めるべきですね。

後、男系男子継承は女性差別だという人がいます。
これは大きな間違いで、あえていうのなら男性差別です。
皇室は男性が入れないようになっているわけで、女性は誰でも皇族になれる可能性があります。
何故このような事になっているのでしょうか。
それは、皇室を乗っ取ろうとする悪いヤツは、大抵が男だからです。
実際に過去、この男系継承のおかげで皇室が何度も守られてきました。
④にも書いた通り、国体を守る為にはとても優れているのです。

大事な事を書き忘れていました。
私が以前からずっと言っていたのは、遺伝子染色体の話です。
男性の染色体は『XY』であり、女性は『XX』です。
男性のY染色体は、息子から孫へ、男系である以上必ず引き継がれます。
しかし女性はそういうのがないので、2代離れれば似ない子が生まれます。
男系男子は常に似た子が生まれるわけで、必ず天皇の資質を持っている子が生まれると言えるでしょう。
遺伝子情報なんて分からない時代から男系継承をしてきたのは、その辺り本能で分かっていたように思います。
天皇の資質という面から考えても、血統を大切にする事は必要なんですね。

それと、天皇には宗教的役割がある事も抑えておきたいですね。
それは女性には大変厳しいもので、だから男系男子継承の方が望ましいのです。
祭司の継承という意味で、天皇は男系男子しか認められないという事もあります。
それは古事記にも書いてあって、男系継承ではない場合災厄があるようです。

合わせてこちらもお読みください。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
『女系天皇』は憲法違反です!憲法を正しく理解しよう!先例を無視したら日本が日本でなくなる!

サイト利用規約※説明や注意事項※  秋華神社エントランス