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2019年5月31日金曜日

その失言、本当に失言?政治家を責めるだけでは国家国民の繁栄はない!

某政治家が、『子供を3人産んで欲しい』という発言をしました。
するとそれを叩く人が大勢いるようです。
叩く内容は色々ありますが、主に聞こえてくるのは、『子供が産めない人の事を考えろ』というものと、『子供が産みやすい環境を作る方が先だろ』という2つです。
私はこれ、どちらも正しいとは思いますが、しかしどちらも間違えていると思うのです。

私も昔、こういった批判をする側の人間でした。
実は私の友人に、子供が産めない女性がいて、こういう発言をする政治家を兎に角嫌っていました。
その友人は、友人とのお茶の途中、子供の話になると黙って席を立ちトイレに行くような、それほど辛い思いをしている人でした。
だから私は安易に『子供を産んで欲しい』などというような政治家は嫌っていましたし、当然その友人の前で子供の話をするのは控えていました。
その頃の私なら、きっとこんな発言をする政治家を責めていたでしょう。
そしてその頃の私は、馬鹿でした。
政治がどれほど難しく、世界がどういう状況にあるかを知らなかったのです。
そして日本という国がどういう国かも知りませんでした。
あの頃の私なら、きっと『子供が産みやすい環境を作れよ!』って言っていた事でしょう。
もちろんこれに関しては今でも言いますが、無理な事を言うつもりはないですし、何よりそれを理由に政治家のお願いを批判する事はありません。
何故なら、少子高齢化というのは、国民が一丸となって取り組まなければならない問題だからです。
国民も努力しなければならない、政治の力だけで解決できる問題ではないからです。

それでも、批判したくなる気持ちも分かりますし、言われて傷つく人がいるのも知っています。
だからといって、政治家からのお願いすら批判していては、問題を更に解決の難しいものにしてしまうのではないでしょうか。
政治家だけで解決できない問題があれば、そりゃ国民に協力をお願いする事だってありますよ。
議論するには、多少問題と思われる発言だってしますよ。
本音で語り合わないと、本当の意味で解決なんてできないのですから。

よくこんな声を耳にします。
『国会でしっかり議論しろよ!』
でもこれ、できるわけがないじゃないですか。
少し失言したくらいで、或いは誰かが傷つくからとか、差別だとか、配慮が足りないなんて責められるわけですよ。
そんな状況でまともな議論なんてできません。
だから結局、国会の場では当たり障りのないプロレスをするしかなくなるわけです。
野党やメディアが失言批判を煽るのも良くないですよね。
それが本当に国益を損なう失言ならともかく、差別だとか配慮が足りないだとか、そういう批判はするべきではないのです。
だいたい、誰も傷つかない絶対的な言葉なんてありません。
何を言っても誰かが傷つく可能性はあるのです。
それが言葉です。
極端な事を言えば『今日はいい天気だなぁ』と言っただけで傷つく人はいるかもしれないのです。
最愛の人が死ぬ間際『今日はいい天気だなぁ』と言って亡くなったとしましょう。
その人はこの言葉を聞くと思い出してしまい辛い気持ちになるのです。
だったらそれは言ってはいけない言葉なのでしょうか。
もちろんその人の事を知っていいれば、その人の前では言わないという選択肢になるでしょう。
でも政治家が国民に向けて、或いは国会の議論の場で喋るのに、そこまで配慮はできません。
ある程度予想して配慮する事はできますよ。
でも、『子供を3人産んで欲しい』という言葉、どう配慮するのですか。
どう伝えるのでしょうか。
『男性女性共に、子供が産める環境の人は、子供を3人は産んで欲しい』
こう言った所で、傷つく人は傷つきます。
それでも言って伝えなければならない事なのです。
政治だけではなかなか解決が難しい問題ですよ。
政治家が絶対権力者で、世界が日本だけなら可能かもしれませんよ。
でも、日本は世界の中で色々拘束され、悪いヤツもいるからまず国防の事も考えないといけないし、なかなか難しいのです。

民主主義国家は、政府と国民が協力して国を運営していくわけです。
国民は政治に文句は言うけれど、政治家は国民にお願いもできないのでしょうか。
絶対権力者なら、子供を3人以上産まないといけない法律を作ればいいのです。
できないヤツは納税額を倍にすればいいのです。
それで問題解決ですよ。
でも民主主義国家は、国民も国家の為に自ら進んで協力するから、それが必要ないはずなのです。

『女性は子供を産む機械』だとか、そういう問題発言は責めてもいいですよ。
それは失言です。
思う事自体私はどうかと思いますが、少なくとも言って良い事だとは思いません。
でも、少子高齢化が深刻な問題となっている今、『子供を3人産んで欲しい』というのは失言ですかね。
これを失言だと言って責める人が大勢いるようなら、日本の政治は良くならないし、問題も解決は難しいと、私は思います。

※※追記※※

私の友人に、男手一つで、或いは女手一つで二人の子供を育てている人がいます。
特に収入が多いわけではなく、男性の方はアルバイトで頑張っていますよ。
夫婦そろっていたら、頑張れば3人くらいなんとかなるのです。
やれないのではなく、やりたくないだけです。
まあやりたくない事を無理にやらせるのも違うとは思いますが、それが国家国民、そして子供達の未来の為だとしても無理ですか?
知ったこっちゃないというのなら、この問題に関しては何も言えません。
ただ、もしも未来の子供達の事を思うのなら、こんな事で批判するのは止めて、自分にできる事を頑張ってくれたらないと思います。

2019年5月27日月曜日

幻冬舎から刊行した書籍、百田尚樹氏の日本国紀の感想と評価

百田尚樹氏が書いた日本国紀という本があります。
この本に関して、称賛する人が多数いるとともに、批判する人も少なからずいるようですので、あくまで私読んだ感想ですが、ここに書きたいと思います。

私がこの本を買おうと思った理由は、『これ1冊で日本の歴史の流れが概ね分かる』と思ったからです。
今までもおそらく、日本の歴史を通史で書かれた本というのはあるのでしょう。
しかし最近、ソ連崩壊やらアメリカの公文書開示によって、新たに事実が出てきているわけで、それらを踏まえて最も最新でしっかりとしたものが読みたいと考え、だったらこの『日本国紀』が最適なのではないかと思い買う事にしました。

それで実際に読み始めてみて、正直少し思っていたのとは違いました。
歴史がストーリーとして書かれている本を期待していたからです。
神話の時代や伝説の時代もしっかりとストーリーとして書かれているのを期待していたのですが、この辺りはおそらく何処にでもありそうな感じで書かれていました。
ただまあ考えてみれば、古事記の現代語訳が読みたければそういった本を買えばいいわけで、読み進めていくうちに、徐々に期待通りの本だったという事が分かりました。
書かれている内容は、少し勉強している人なら概ね知っている内容でした。
しかしだからこそそれは事実が書かれているわけで、そしてそれが1冊の本としてまとめられている事が良い訳で、これは一家に1冊あって良い本だと感じました。

時々、百田氏の見解や考えも書かれていて、それは決して私と常に同じものではありませんでしたが、そういう見方、考え方もあるのだと納得させられるものでした。
8割くらい読んだ所で、これはしっかりとした歴史書だと確信しました。

ただ、そこからは少し印象が変わりました。
後半は主観で書かれている所が多く感じました。
或いは意味を取り違える恐れのある書き方がされているのが、私としては少し残念でした。
例えば『言霊主義が駄目だ』というような趣旨の記述がいくつかありました。
日本には『言霊』という文化があります。
それは、例えば悪い事を言えば現実になるのではないかという恐れ、本質はポジティブに物事を考えようとか、人を悪く言ったり批判したりするのは止めようといった意味なのかもしれませんが、悪い意味では言論を抑圧するものとなっていました。
戦争へ向かって突き進んだ時、負ける事を言葉に出して言えず、言霊主義が道を誤らせたといった感じの事が書かれていました。
一つの要因としてそれはあったかもしれません。
しかしもちろん言霊という文化が悪いものというわけではなく、状況によってちゃんと使い分けできなかったのが悪かったわけで、 頭の悪い人が読んだらそこは勘違いしてしまう可能性があります。
この辺り、或いは後半部分は、もう少し丁寧に書いてくださっていたらと思いました。

まあとはいえ、言霊の呪縛というのは、今の国会でもあると思うんですよね。
何か言えばすぐに『差別だ!』とか『配慮が足りない』だとか批判されるわけです。
それでいて『国会で議論しろ!』とか言う人がいるわけですよ。
まともな議論をしようと思ったら、誰かを傷つけるかもしれない事も、あまり声に出して言いたくない事も、言わないといけないんです。
言霊の呪縛というよりは、言論弾圧とか、ちゃんとした議論をさせない為の策略かと思うのですが、現代でも尚国会での自由な議論を邪魔する人達がいるわけで、百田氏が『言霊主義が悪い』と言う意味も分かります。
言えない事があったら、必ずそれだけ道を誤る可能性につながるのですから。

話が少しそれましたが、日本国紀は素晴らしい本だと思います。
後半少し百田氏の思いみたいなものが溢れていましたが、それはそれで一つの見方として間違っておらず、頭に入れておきたい事の1つですから。
そんなわけで、まだ読んでいない方は、是非読まれる事をオススメします。
できれば一家に1冊ですね。

2019年5月22日水曜日

自由と平等を理由にするのは止めよう!自由と平等の為に自由と平等は失われている‥‥

私は以前から、自由とか平等を理由にするのは止めた方が良いと言っています。
ちゃんとメリットとデメリットを考えて議論をしないと、大抵『その』自由と平等の為にメリットが失われ、デメリットが増えているように思うからです。

本当の自由で平等な世界とはどんな世界でしょうか。
法も秩序も何もない、全てが自由な世界。
北斗の拳のような弱肉強食な世界が、本当の自由で平等な世界です。
おそらく自由で平等を訴えている人でも、こんな世界を望んでいるわけではありませんよね。
でもそれこそが自由で平等な世界であり、法やルールを決めるたびに、自由や平等というのは失われていくのです。
逆に言えば、自由や平等を訴えるというのは、本当の意味でいえば『法やルールを無くす事』と言えるでしょう。

例えば現在、男女平等と職業選択の自由を訴え、男女同じに雇うよう法律が決められてしまいました。
確かにこれで女性の職業選択の幅は広がりましたが、これが本当に平等と言えるのでしょうか。
例えば雇う側からすれば自由が失われてしまったわけで、決して平等とは言えません。
職種には、男性の方が良い仕事もあれば、女性にしかできない仕事もあります。
男性は生物学的には子供を殺してしまったり、暴力を振るう事も多く、子育てや保育、或いは介護などの仕事は不向きです。
もちろん人間には理性がありますから、ちゃんとやればいいという人もいます。
でも実際、殺人事件やなんかは、圧倒的に男性の方が多いわけです。
そしたら当然、保育園で保母さんか保父さんどちらを雇うかを考えれば、当然保母さんの方が安心できるわけです。
でも男女平等で均等に雇わなければならないとしたら、それは働く側からすれば平等かもしれませんが、雇う側の経営者にとっては不平等であり、子供を預ける親から見れば、デメリットが大きくなるわけです。
前々から言っていますが、こんな法律はデメリットが大きく、早急に無くすべきものだと私は考えます。

だいたいそもそもこの世の中は不平等にできています。
現在、男性に向いた仕事、或いは男性にしかできない仕事、逆に女性に向いた仕事、女性にしかできない仕事を考えると、子育ても含めて、男性向きが10%、女性向きが50%、どちらでも良いが40%くらいの割合だと思うわけです。
ぶっちゃけ、色々できてしまう女性の方が優れていると思うのです。
ただ、どちらでも良い仕事というのは、生理とか健康面体力面を考えれば、どちらかと言えば男性を雇いたい所があるわけで、実は今まで自由にやっていたバランスというのは、まさに最高の効率の良さだったように思うわけです。
それを下手に不平等に法整備したおかげでそれが崩れ、職に就けない男性が溢れ、結婚ができなかったり遅れたりして、少子化が進み、悪い部分が表面化してきているのではないでしょうか。

何度も言いますが、本来自由で平等な世界にしていくというのは、現在ある法律を無くしていく事なのです。
それなのに一方からの声だけを聞いて法整備したら、それは別の所から見れば不自由になり不平等になっているのです。
別に不自由で不平等が悪いと言っているわけではありません。
そうするメリットがあり、デメリットをそれが超えるのなら、法整備は一向にかまいません。
つまり自由とか平等とか関係ないんです。
何かを決める時、それに大きなメリットがあり、デメリットを飲み込めるのなら、そう決めればいいのです。
それを考えず、自由と平等だけを理由に目先でやるのは間違っているのではないでしょうか。

人が集まって暮らす世界では、完全な自由や平等は望めません。
そうしないと概ね不幸になるからです。
自由や平等ではなく、より多くの人が幸福に感じる世界を目指したいですね。

ちなみに職業選択に関しては、男女平等とかいって下手に法律を作るよりも、景気を良くして売り手市場にする事がもっとも良いと思います。
男女ともある程度職業選択ができ、就職もできます。
100ある職業から100選べる人ってのはそもそもいないわけで、自分の能力の範囲内から選べればそれでいいと思うのです。
そして雇う方も、自由に人材確保できた方がいいでしょう。
ただし売り手市場ですから、欲しい人材を確保するには、それなりのコストを必要とします。
これは自由競争で当然ですね。
でも好景気なら、人件費は問題にならないでしょう。
だから外国人労働者を入れるのも反対です。
せっかく好景気で職業選択数が増えて給料も上がりやすくなっているのに、それを抑える政策だからです。
これは雇う側に贔屓した政策であり、これまた不平等政策と言わざるを得ません。

レッテルに惑わされず、政治家はメリットとデメリットをしっかりと精査して法律を考えて欲しいですね。

最後に‥‥
「自由だ!」「平等だ!」と言っている人は、当然憲法9条を破棄する事に賛成しなければなりません。
何故なら、これほど不自由で不平等な憲法は無いのですから。

2019年5月20日月曜日

日本はどうしてインフレにならないのか?それが分かれば『夢の国』『幸せの国』無税国日本ができるかもしれない!

日本は今、デフレから脱却しようと必死になって頑張っています。
しかしなかなか思うようにインフレにならない状況です。

もしも何をやってもインフレにならないなら、それはいくらでも政府はお金を発行して使う事ができるという事です。
何故らなら、それができない理由は『インフレになるから』だからです。
いくらでもというのは言い過ぎですが、せめて国家予算、100兆円から200兆円くらいを毎年発行してもインフレにならなければ、無税国家日本は可能です。
そうできないのは、流石に国家予算をお金の発行だけで賄ったらインフレになるとみんな分かっているからです。

極端な話、日本のGDPが500兆円くらいなので今政府が1000兆円のお金を発行し、そのお金で国民の仕事を全て2倍の値段で買えばどうなるでしょうか。
物価は倍になり、確実にインフレが起こるわけです。
逆に100円発行した場合はどうでしょうか。
流石にインフレにはなりませんね。
インフレ圧力にはなりますが、その程度の圧力ではビクとも動きません。
ゆっくりバックしている(小さなデフレ状態)車を後ろから押しても、人一人の力ではなかなか止められません。
しかし止める力、或いは押し返す力が大きくなれば、何処かで車は止まり、そして前に向かって進む事になります。
そのゆっくり前に進んでいく所まで国がお金を発行して財政出動すれば、確実にインフレにはなるのですが、それがどの辺りなのかが難しく、今はそれを探りながらインフレにしようとしている所だと言えるでしょう。

それにしても、現在日本は、多くの国債を日銀が買いとるといった状況にあり、それでもインフレしないのだからとんでもないデフレ状態にあります。
正直な話、真面目に無税国家にできるのではないかと夢を見ても良いくらいまできているように思うのです。
インフレしない原因、理由をはっきりと突き止め、それが人為的に簡単に行えるとしたら、それは可能なのです。
そこで私は、インフレしない理由を考えてみる事にしたわけです。

インフレ圧力は、確かに現在あります。
企業の人不足というのは、完全にインフレ時に見られるものですしね。
なのに何故賃金は上がらず、インフレは起こらないのでしょうか。
この辺りは何故か政府がデフレ圧力をかけているのも理由の一つでしょう。
外国人労働者の受け入れです。
本来人が足りなくなれば、人材確保合戦が始まり、賃金を上げていくはずなのです。
しかし外国人を受け入れる事で、賃金上昇が抑えられているのですね。
つまり外国人労働者を受け入れ続ける事ができれば、日本のインフレを抑える力となるわけです。
とはいえ外国人労働者を受け入れるのには、当然文化の違いなどから治安悪化が懸念されたり、デメリットが大きいですよね。
しかもずっと受け入れ続けるわけにもいかず、インフレを抑え続ける力にはなり得ないので、夢の国実現の為にやれる行為ではないでしょう。

ハッキリ言いましょう。
インフレを抑えるのに必要な事、それは国が発行したお金分、人々がそれをため込めばインフレは抑えられます。
簡単に言いましょう。
1000兆円発行して国民にばら撒いたとしても、手に入れたそのお金を国民が使わなければ、インフレは起こらないわけです。
つまり、国家予算を国が発行するお金で賄ったとしても、税金が0になったとしても、今まで通りお金をあまり使わない生活を国民が続けるのなら、税金に取られていた分全てを貯蓄に回すのなら、夢の国は実現するわけです。
ではその為にはどうしたらいいでしょうか。
まず国は、毎年予算分お金を発行します。
そして国民がお金を使わないように、『今は税金を0にしますが、どこかでまとめて全部請求します』という事にするのです。
すると国民は、お金を貯めておくしかありません。
本当は当然まとめて取るなんて不可能なんですが、毎年そのお金は積み上がってゆき、なんだか将来の借金となるのです。
あれ?今と結構似ていますね。{笑}
実は国債なんてものも、日銀が買えている時点で、本当は返す必要なんてないのです。
それを何故か将来の借金と思い込まされているから、なかなかインフレにはならないんですね。

結論を言えば、インフレになるかデフレになるかは、人々の気持ち次第なんです。
だから気持ちさえコントロールできれば、国家予算は全部お金の発行だけで賄う事が可能です。
まあなかなかそんな事は難しいですよね。
つまり無税国家にするのも難しいわけです。

そんなわけで、日本は健全なインフレ率、2%くらいを目標に今後もやっていくべきでしょう。
デフレ圧力をかけず、インフレ圧力を調整しながら徐々に強めていけば、いずれは達成できる目標かと思います。
それでもインフレしなかったら、その時は夢の国、無税国日本が誕生しているんでしょうね。

2019年5月18日土曜日

学生時代、男子は女子風呂を覗いたなんて話も多いはず‥‥主に年配者は‥‥

男子生徒が合宿で露天風呂にいた女子生徒を覗き見 30人を指導、だそうです。

まあそんなニュースを見た人達が色々な意見を書いていたりするわけですが、さて、これをどう判断すればいいのか、少し考えてみようと思います。
前にもどこかで似たような話をした事があるかもしれませんが、これから書くのは今の考えです。

私が子供の頃は、正直普通にあった『イタズラ』レベルの話でした。
ぶっちゃけると、率先して覗きをしようなんて男が逆にむしろモテるくらいでした。
活発で行動派な男は、モテるんですね。
いやいや、だから覗きを正当化しようとかいうのではありません。
まあそんな時代ですから、『男なら』というある意味アピールになっており、許されておりました。
いや、悪い事だという認識が希薄でした。
ちなみに今も、形の上ではハッキリ駄目だという事にはなっていないような気がします。
駄目であたり前なんですが、そういう法整備がされていないという事です。

まず、この辺りの話で気になるのは、一体何歳の学生だったのかという事です。
少なくとも我々が子供の頃は、小学生の間は銭湯で女子風呂に入る事が許されていたように思います。
つまり、覗くも何も、小学生の間はハッキリと許されていたわけです。
問題は中学生以上ですね。
男性が女子湯に入る事ができない年齢ですから、一般的な認識としては『覗きは駄目』という年齢です。
しかし、この辺りの年齢は少年との扱いで、法的には守られている年齢ですね。
グレーゾーンなわけです。
成人、選挙権が18歳以上になったわけですから、それ以上がやれば確実にアウトですが、それ以下の場合はどうでしょうか。
ニュースでは指導という事なので、それは当然の対応かと思います。
我々の頃でも、たとえ小学生であったとしても、反省の為に数時間正座させられるくらいの罰は受けました。
良い事か悪い事かと聞かれれば、当然悪い事なのです。
ただ、何故か若干許されている雰囲気も感じます。
それは何故かと考えると、完全に締め付けると逆に犯罪というのは増えるわけで、若いパワーをこの辺りで発散させ、怒られて学んでいくようにできているのかなとか思います。
それでいいとは言いませんよ。
今の若い子だと、それがトラウマになって精神的にやられてしまう女の子もいるでしょうしね。
逆にそういうイベントを楽しむ女子もいたりするから許されている部分もあるのかもしれません。
許されてはいないんですけれどね。

私は色々とまとめて考え直さなければいけない時期なのかもしれないとは思います。
淫行も成人と未成年では駄目だけど、未成年同士なら良いとか、基準が分かりづらいですよね。
そもそも人間の本能的に考えれば、一番性欲が旺盛な時期こそが適齢期なわけです。
それを社会としては都合が悪いからと言って抑えているわけで、少子化になるのも当然なのかもしれません。
ロリコンだと非難されている人もいますが、逆に女子高生辺りは性欲旺盛な人が多いです。
あくまで私の経験上の話なので、そんな事はないという人も大勢いるかもしれません。
当然、純粋でまだまだそういうのには興味のない人も結構いましたよ。
でも一時期、クラスの半分は援助交際をしているなんて事もありましたよね。
お金だけでそこまで大勢の女子高生が援助交際をするでしょうか。
或る種恋愛の一部だったのかもしれないとか思うのです。
私は女性ではないので、女性の本当の気持ちはわかりません。
女性と話して聞いた気持ちから判断しているにすぎません。

思うのは女性も全てが純真ではないし、全てが性欲旺盛なわけでもないという事です。
どちらの気持ちを大事にするかは、メリットとデメリットを考えてやるしかないですよね。

では私の意見です。
個人的には、小学生まではいままでのままで良いかと思います。
覗きをしたら注意指導するくらいで問題ないでしょう。
当然悪い事だという教育は必要です。
そして中学生(12歳)以上は流石にマズイと感じます。
それがトラウマになる子もいるでしょうし、デメリットが大きいです。
だから中学生以上はもう大人として扱う方が良いと思うのです。
犯罪を犯したら自己責任、女子風呂を覗いたら逮捕して実名報道ですよ。
結婚も両親の許可があればオッケーにするべきです。

まあでも、中高生はどちらか曖昧なままの方がいいんですかね。
曖昧な法的立ち位置だから、良い悪いも曖昧な所にいるわけですが、そういう時代も必要な気もします。

個人的意見としては上記した通りです。
それが正しいという自信はありません。
もっと色々な女性と本音で話してみないとって感じですね。
『色々な』女性と『本音で』ですよ。
偏った人達だけでも駄目ですし、本音でないと意味ないですからねぇ~

※※追記※※
これで言いたい事は伝わるかなぁ~って思っていたのですが、誤解されそうなので一応書いておきます。
中学生から本気で結婚オッケーなんて思っていませんからね。
あくまで義務には権利、権利には義務が伴うものであり、理由も無しに切り離せないって話ですよ。
刑罰は大人と同じだけど、他は大人扱いしないってのはフェアじゃありません。
ハッキリとした理由が必要です。
経済力、或いは責任能力がまだないという理由で結婚できないとしたら、刑罰も与えられないわけです。
むしろそんな事を言ったら、大学生も経済力は無いわけですから除外ですよ。
成人を18歳、結婚年齢も18歳からとしたのは当然の事なのです。

何処までが子供で、どこからが大人なのか、その判断は難しいですよね。
動物としてなら12歳以上で大人と言えるかもしれませんが、教育という意味では義務教育を考えれば、15歳、或いは18歳となるわけでして。
刑罰も、結婚も、他大人の権利、義務全て統一するのは難しく、かといって理由も無しに分けるのもおかしく。
だから今は、12歳から18歳未満は、どちらでもないような位置にあって、そこについてどう扱うのかは難しい所です。
私はどちらかと言えば、12歳以上はより大人として扱う方が良いと考えているという話です。
何故なら、中学生くらいの頃が一番イジメとか暴力とか、微妙な時期だと思うんですよ。
成長の早い人と遅い人の差がハッキリでるので、関係構築が難しいのです。
言って見れば、大人も子供も全部同じに扱う世界なんですよ。

なんにしてもそんな理由で私は結論にしましたが、どれがいいのかは正直分かりません。
元々の本題である覗きに関して、決して良い事だとは思いませんが、学生時代のこの行為を悪と言い切るほどの確信は私にはないのです。
そんな所です。

2019年5月17日金曜日

選択的夫婦別姓に前々から反対していたわけだけど、最近ますます反対する気持ちが大きくなった!

以前から、私は選択的夫婦別姓には反対しています。
理由は、まずそもそもメリットがない、そうする理由がないって所は大きいです。
誰に聞いても、『男女平等の為』とか、『面倒で不便だから』なんて事を言いますが、そもそも旧姓で仕事ができないわけでもなく、実際私の友人で幾人も旧姓のまま仕事をしている女性がいます。
更にいうなら、それ以外でも旧姓で呼んでいたりもします。
確かに手続きで面倒な所もありますが、大きな問題ではありません。
平等に関しては論外です。
平等が良い所もあれば、悪い所だってあるのです。
適材適所、男女はお互い欠けた部分を支え合って生きる関係にあるわけで、具体的にどうする方がいいのかは、ちゃんとメリットとデメリットを考えた上で決めるべきなのです。

では別姓にあるデメリットはどうでしょうか。
過去記事にだいたい書いてあるのでここではザックリ書きますが、まず、実際に取り入れているある国では、離婚件数が大幅に増えているという事です。
※ここら辺から後にだいたい書いてあります。 
つまり夫婦の絆の希薄化が問題ですね。
他にも伝統文化という面で、今のままの方がいいのではと考えます。
そう言うと北条政子がぁ、日野富子がぁ、とおっしゃる方がいますが、あくまでこの名前は現在の人がそう呼んでいるだけですし、私が今旧姓で呼んでいるのと同じです。
苗字はあくまで家の名前という意味で、男系が家を継承する基本的な文化があるという話です。
もちろん例外もあるでしょうが、大きく見てそうだという話です。
皇室が万世一系ってのも意味としては同じです。
皇室を手本にやってきた日本ですから、それを伝統と言っても問題はないはずです。
他にも、背乗りという問題があります。
外国人が日本人を殺し、その人の戸籍、名前を奪うというヤツです。
女性が苗字を変えるのは、現状あたり前にありますが、男性では数が少ないですね。
だから男性が苗字を変えていると、皆どうしてか気になります。
不審に思う事もあるわけです。
名前がそのままだと、知り合いにあったらバレますから変えたいのです。
背乗りする人にとってはこれは不都合ですね。
例えば外国人スパイが山田太郎と名乗っていたらおかしく感じます。
山田太郎を知る人にあったら、お前違うだろってなるわけです。
しかし苗字を変えてしまえば問題ありません。
ですが男性が苗字を変える事自体違和感のある現状では背乗りもやりにくいわけです。
つまり現在のままだと、男性スパイの防止に効果があるわけですね。
上手くできていると思いますよ。
女性には効果がありませんが、女性よりも男性スパイの方が圧倒的に多い訳で、その辺りの問題も耳にします。
細かく言えば他にもありますが、ここでは割愛します。

さてそんなわけで、前にもしかしたらどこかで書いたかもしれませんが、新たに今のままが良いと思う事があったので書きます。

苗字と言うのは家の名前です。
男性は家を継ぎ(何も仕事を継ぐという話ではない)、女性は男性に嫁ぐ形で家を出ます。
これを苗字という形で暗黙の内に了解させているわけです。
これは昔からの事で、明治からというのは、苗字を制度化しているかどうかという話に過ぎず、形は長く続いてきたものです。
何故長く続くかというと、そこに問題がなく、そして必要があったからです。
ではどんな必要があったのでしょうか。
男性が家を出て女性に嫁ぐも良し、両方家を出ても良いように思います。
でも、年を取って分かりました。
やはり男性は家を継ぎ、女性は嫁ぐ形が良いのです。
それは、老後の世話という部分で大きいように思います。
私はそろそろ介護を考えなければならなくなりました。
そこで困るのが母親の世話です。
私が女なら、何の問題もありません。
ですが男性が母親の世話をするには、何かと不便もあるのです。
そこで嫁がいれば、できない事をお願いする事ができます。
もちろん女性の家を女性が継いで男性を貰うというのもあります。
その場合はなんの問題もありませんが、男性が出てきた家が問題になりますね。
嫁に出た女性は、入った家の母親も、自分の母親の面倒も見る事ができます。
ですが婿を貰った場合、婿の出てきた家の母親の世話となると、 コミュニケーション不足などで抵抗を感じる人も多いのではないでしょうか。

ここでは関係の無い話ですが、同性婚を台湾が認めたというニュースが入ってきました。
私は反対していますので、正直嫌な流れだなと思いました。
まあ他国の事ですからここではとやかく言いませんが、日本では絶対にやめて欲しいです。
これも今まで反対理由を色々と書いてきていますが、そもそも結婚制度は子孫繁栄を援助支援する為のものだという事です。
男性同士の夫婦が養子をもらって立派に子育てしているなんて話を言う人もいますが、それはそれで別に法整備すればいいのです。
養子をもった同性夫婦に関する法律としてね。
別に同性で愛をはぐくんではいけないなんて法律はありません。
あくまで結婚制度が異性の間で行われる子孫繁栄の為の法律であるだけです。

なんにせよ、新しい法律を作ったり、今までの制度を変えるというのなら、今までの法律の意味を考え、デメリットを提示し、新しいもののメリットを具体的に示して欲しいです。
平等の為と言えば聞こえはいいですが、そろそろ平等が必ずしも良いものであるという認識はおかしいと理解してほしいですね。

とにかく、老後の世話という問題がでてきたなぁって個人的な話ですよ。
施設に預ければとか言うかもしれませんが、本当にそんなんでいいんですか?って思ったりもするわけですよ。
親がその方が良いという場合は問題ないですが、経済的な問題も有りますし、やはり親、ご先祖様への感謝は、ちゃんと行動で表したいじゃないですか。
正直、今老後を迎える親たちは、若者と価値観が違い過ぎて、一緒にやっていくには無理があるかもしれません。
私も相当ストレスをためております。
でも、この先を考えると、そうではなく、また親子が一緒に暮らした方が良い時代がすぐに来るように思うのです。
その時の為にも、今は特に法を改正する必要はないと思います。

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