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2018年8月6日月曜日

地球温暖化ってしているの?懐疑的な私が、今度は大阪の最高気温と最低気温から考える!

本当に暑い日が続きますね。
夏の甲子園が始まり、この暑さの中でやる事に疑問を呈す声も聞こえてきます。
確かに私は学生の頃、炎天下の中で部活動をしていましたが、こんな38度なんて気温は聞いた事が無かったようにも思います。
せいぜい33度くらいの記憶ですね。
もし私の記憶が正しければ、大阪で5度も気温が上昇している事になります。
流石にそんな環境でスポーツするのもどうかと思いますし、とりあえず調べてみる事にしました。

その前にここまでの私の考えをまとめておきます。
二酸化炭素による地球温暖化には懐疑的で、東京や大阪の気温が上がっている理由は、主にヒートアイランド現象であるというのが私の見方です。
理由は、第一に、近年の気温上昇は、平均気温で3度ほどで、ヒートアイランド現象による気温上昇が考えられる数字に当てはまる事。
第二に、沖縄地方など、近年気温の上昇が見られない地区も有る事。
第三に、逆に観測史上最低気温を記録した南極など、寒くなっている地区もある事です。

もしも地球温暖化が事実だとしたら、大阪だとヒートアイランドを含め、5,6度は上昇しているはずなのです。
現状平均気温を見る限りでは、ヒートアイランドによる上昇の範囲内ですから説明がつきません。

でも、もしかしたら最高気温、或いは最低気温での上昇もあり得ると思い、今回調べてみる事にしたわけです。
私が学生の頃、一体どれくらいの暑さの中で部活動をしていたのでしょうか。
感覚的には、そんなに大きく変わった感じはありません。
少なくとも大阪ではの話ですが。
ただ、東京では何度か本当にヤバい暑さを体感しているので、東京は東京で調べてみる必要があるでしょう。

とにかく今回は大阪です。


気象庁、過去の気象データより拝借してまいりましたデータです。

1883年、日清戦争よりも前からのデータが残っていますね。
その頃の大阪の最高気温は‥‥
既に34度から36度くらいを記録していますね。
近年せいぜい38度だと考えると、ヒートアイランドで説明がつく程度に思えます。
1947年、戦後になって38度をようやく記録。
これだけだとまだイレギュラーな感じがしますが、その後は全体的に1度ほど上昇している気がします。
そしてちょくちょく38度台を記録していますね。
そして1994年に39度台を記録です。
その後は39度台はありませんが、全体的に気温が2度ほど上昇している感じです。

この結果だと、むしろ平均気温の上昇よりも変わらない結果と言えるでしょう。
ざっと見た感じ、明治の頃と比べると2度ほど上がっているようですが、戦後で見るとあまり変わりません。
ただ、高い気温の回数が増えているだけで、上がっているわけではなさそうです。
平均気温でみる以上に、温暖化していないようです。
私が部活動に励んでいた頃にも38度台を何度か記録しており、高校野球において、昔より暑くなっているからという説明は通じない気がします。

確かに言われてみればそうで、私は学生の頃熱中症一歩手前まで行きましたが、それと今は対して変わらないのです。
ちゃんと気を付けていれば、そして鍛えていれば、少なくとも我々世代の高校球児と今は同じと言えるでしょう。

それに、データ画像をよく見ると分かりますが、湿度が昔よりも下がっている事が分かります。
湿度が下がれば体感温度は下がるわけで、暑さを感じるか感じないかと言えば、ほとんど昔と変わらないのではないでしょうか。

では一応、最低気温からも見てみますか。
アレ?2,3度どころか、5,6度上がってますよ。
これは、平均気温を押し上げているのは、むしろ最低気温が上がったと考えた方が良さそうです。
つまり、少なくとも大阪という場所においては、温暖化しているというよりは、むしろ快適な気温になっていると考えた方が良さそうです。
最高気温はあまり変わらず、湿度は下がり、寒さが和らいでいるわけです。

これがもしも地球温暖化の影響だとしたら、むしろ大阪人としては歓迎するべきですね。{笑}
まあ正直な所、ヒートアイランド現象以上に、説明できる要素は全くありませんでした。
冬に気温が上がるのは、ヒートアイランド現象としては当然にも思えます。
例えば夏の気温があがるヒートアイランドは、室内を冷やす為に熱を発するわけですが、冬は、室内を温める為に熱を発するダブル発熱だからです。

今回大阪の気温データを見た感じでは、地球温暖化は無いと言えるでしょう。
気温は確かに上がっていますが、ヒートアイランド現象という説明が一番正しいように思います。
そして夏の甲子園や炎天下の部活動に関しては、私たちがやって来た程度ですから、今まで通りやれると思います。
私が今、炎天下で仕事ができるのも、学生の頃にそうやって鍛えてきたからだと思いますし、良いのではないでしょうか。

ただ、これで地球温暖化が無いとは言い切れません。
逆にあるってのも全く言えないと思います。
気温が上がっている地域もあれば、下がっている地域もあるわけで、ただ気候が変動しているだけとも考えられるのです。
そんなわけで、引き続きこの問題に関しては見ていきたいと思います。

2018年8月5日日曜日

夏の甲子園、高校野球をどうするべきか考える!暑すぎる夏は考えものだが‥‥

最近、夏の甲子園の、朝日の運営方法を疑問視する声が多く聞かれます。
確かに暑すぎる今年を見れば、かなり無謀なスポーツ大会にも感じますが、さて、とは言え一概に朝日批判だけでいいのでしょうか。
私も朝日新聞の報道等には疑問を持っていますが、夏の甲子園はそれとは別の話だと感じます。
批判すべきは批判すべきですが、そうでない場合は冷静に意見を言いたいですね。

夏の甲子園の運営で疑問視されている部分は2ヶ所あります。
一つは、暑すぎる夏、熱中症を出す危険が高まっているのに、そのまま大会を行うのかという事です。
そしてもう一つは、女性を排除するような所です。
他にも、国歌を誰も歌わないとかありますが、今回は先の2点について考え、意見を述べたいと思います。

暑さが酷い中、そのまま大会を実行するのには、私も疑問を感じています。
私は外で働く事も、エアコンの無い個室で働く事もあるのですが、正直体温を超える気温は危険です。
いくら若くて強靭な体を持った高校生でも、流石にリスクが高くなってくるでしょう。
とは言え、上がる声は概ね私よりも甘いといいますか、リスクすら許容しない所のように思います。
たとえば投球数を制限するという話も出ていますね。
確かにプロになる事を前提とした場合、ここでの無理はあまり良くないという見方もできます。
しかしプロになるのは高校球児の内、何人でしょうか。
プロになる人の為にルール作りをするのか、それとも他に目を向けるのかで変わってくる話です。
それに、プロになるにしても、例えば200球を投げぬいた投手が、それによってマイナスになるばかりとも限りません。
200球投げぬいた感動があるからこそ、プロになって注目を集めたりします。

例えばボクシングという競技は、本気の殴り合いです。
運が悪ければ失明したり、最悪死に至る事もあるスポーツです。
そんな競技、どうしてやる人がいるのでしょうか。
だからこそ面白いという部分も有ったりするからではないでしょうか。
私が夏の甲子園が好きなのも、そういう所があります。
ヘトヘトになりながら、限界ギリギリで戦う姿に感動を覚えるのです。
春の甲子園より、夏の甲子園の方が圧倒的に面白いと感じるのはその為かと思います。
選手も当然、その辺りを感じて競技に打ち込んでいるのではないでしょうか。

それに、高校球児のほとんどは、将来プロ野球選手にはなれません。
それでも甲子園を目指し、頑張っているのはどうしてでしょうか。
もちろん優勝したいとか、プロになりたいって気持ちもありますが、おそらく学生の部活の主な目的は、強靭な心身をつくる事にあると思うのです。
将来きっとそれが役立つ事がある、そう思って苦しい事にも耐えるわけです。
仕事って言っても、本当に色々あります。
その中には、暑いからと言って泣き言を言えない職も沢山あります。
夏の建築や工事、配達の仕事はお休みにしますか?
被災地復興は秋になってからにしましょうって言えますか?
暑くて危険だと分かっていても、誰かがやらなければならない仕事はあるのです。

高校球児に限らず、運動部に所属している人達は、大抵暑さとも戦っています。
私も炎天下の中で部活していたので、まあ今ほどの暑さではなかったにしろ、気持ちは分かります。
しかしだからこそ、今でも暑さに耐えて仕事もできますし、皆ができない仕事ができる事は誇らしくもあるのです。
鍛えるという意味では、炎天下のもとでやる部活も、十分必要ではあるのです。
ただし、熱中症で倒れるリスクが高い場合は別ですよ。
鍛える時には、倒れたり怪我をしたり、リスクが当然あります。
みんなリスクを許容してトレーニングしているわけです。
ただ、どれだけリスクを許容するのかって範囲は議論するべきでしょう。
私は35度以上の、或いは体温を超える場合の屋外スポーツ、クーラーの無い室内での屋内スポーツは、あまりやらない方が良いとは思っています。
とは言え、競技や設備状況、その目的など、色々と加味して考える必要があるでしょうけれどね。

ちなみに私は、部活の合宿で一度ヤバくて休ませてもらった事があります。
熱中症寸前って感じですかね。
それでも、部活をやらなければ良かったなんて思いませんよ。
むしろやっていた事が今役に立っていますから。

次に女性の参加を認めないルールについてですが、こんなものは語るほどでもないとは思っています。
男子専用の競技だからと言えばそれまでです。
差別とかいう人もいますが、男性女性それぞれにあったものってのはあるのです。
適材適所、それでいいじゃないですか。
それが真の平等だと思うのですが、それで納得しない人の為に、少し思う事を話します。

高校野球のリハーサル中、女子生徒6人が体調不良になったそうですね。
これだけを見ても、体力的に女性が男性よりも劣っている事が分かります。
過酷な競技だから、女性は参加できない事になっているのです。
女性が参加したら、熱中症で選手が倒れるリスクが増えるのですから、それを抑えるという意味で正しい判断なのではないでしょうか。

まあ私は、どうしてもやりたい女性は、自己責任でやっても良いとは思いますよ。
男性と同じだけやれる体力のある女性もいるでしょうし、それはかまいません。
ただ、色々な競技で男女分けられていたりもするのに、高校野球にだけ女性参加を認めるってのも、逆に変かと思いますけれどね。

暑い炎天下でも仕事ができるように鍛える方法ってのは、別に良いものがあるかもしれません。
将来鳶職に就きたい人は、炎天下でもしっかりと意識を保ってできるように、何かしら鍛えておく必要があるでしょうから、いい方法があるのならそれでもいいです。
その中に、高校野球ってのも、現状ではあるのではないでしょうか。
暑さの中で集中してしっかり仕事ができる体と精神力を、彼らはもっているでしょう。
将来自分の力を発揮できる場所を作っておくだけでも、それはそれなりに価値があるのです。

私の友人で、鳶職に就いていた人がいました。
学生時代は特にスポーツもせず、心身を鍛えているってヤツでは無かったです。
そんなヤツが鳶職ですよ。
その後その友人は、落ちて亡くなったと聞きました。
もしも学生時代、高校球児のように少し無茶もしつつ鍛えていたら、こんな事にはならなかったかもしれません。
多少のリスクで、将来の命が救われるのなら安いものだって考えもできますよね。
リスクを取らずに金儲けができないのと同じで、多少のリスクは必要なのです。

ちなみにくれぐれも言っておきますが、リスクをとるかとらないか、どれくらいとるのかは、自己判断です。
別に野球部に入りたくなければ入らなければいいし、100球以上投げたくなければ監督に頼む事はできます。

この辺り、監督や教育者がしっかりリスク管理すればいいのかなってのも思いましたが、これは却下です。
何故なら、監督が100球しか投げさせずチームが負けたら、監督は一生恨まれるかもしれません。
そういう事態が考えられる以上、許容しないリスクへの対応を決めるのは、主催者や運営者になるのでしょうね。
高校野球をプロ養成機関にするのなら、主催者や運営者がルールを見直すべきなのでしょう。

そんなわけで、炎天下で多少リスクがあっても、心身を鍛えておくべき仕事もあるのです。
くれぐれも言っておきますが、無茶をするという意味ではありません。
「無茶」と「許容できるリスク」の間を何処におくのかって議論をするべきだという事です。
『熱中症を出すな!』ではなく、何処までリスクを取るべきなのかって話をするべきかなと、私は思います。

※追記※
他で書いているので書き忘れていましたが、女性が男性に体力で劣るというのは、広い意味です。
暑さに強いか弱いかだけではありません。
今回、高校野球のリハーサルで6人が体調不良になりましたが、全て女子生徒でした。
これは、女性だからという理由かもしれないし、男子球児は鍛えられているからかもしれないし、偶々かもしれません。
ただ、一般的に男性の方が体力に優れているのは事実としてあり、そういう意味で暑さにも男性の方が強かったのだろうという私の考えです。
統計的には差はありません。
それぞれ行動が違うので一概には言えませんが、外での仕事が多い男性の方が多くて当然な気もしますが、そうではない辺り、男性の方がやや強いかなって印象はありますけれどね。

それと、そんなに高かった記憶はなかったのですが、大阪は私が部活をしていた頃も、最高気温38度を記録している事がありますね。
今と大して変わらないようです。{汗}

2018年7月30日月曜日

自分に差別意識があるかどうか調べてみよう!差別だという人ほど差別意識が高いのでは?

差別に対する見方は、人それぞれ違いますよね。
自分は差別だと思っていても、別の人はそうは思っていなかったり‥‥
それは仕方がないのです。
人それぞれ価値観や考え方は違うわけで、ハッキリした線引きはできません。
それに差別自体、全てが悪いわけでもないし、なかなか難しい問題なのです。
普通の人なら多かれ少なかれ差別意識というものは持っていて、私は差別意識が無い方がおかしいとさえ思いますね。

ただ、差別も度が過ぎると駄目なだけです。
そうでないものを一々目くじら立てて批判する人の方が、私は差別意識が強い人だと感じます。

まあ今日はその辺りハッキリさせてみたい人の為に、チェック方法を考えてみました。
考え方は簡単です。
同じ条件で、どちらの立場に立つかで差別と感じたりそうでなかったりする場合は、そこには差別意識があると言えます。
或いは、別の人種、国籍、宗教、民族だと感じ方が変れば、差別意識があると言えるでしょう。

例えば人種による差別意識を確認するには、①白人、②黒人、③黄色人種、などを用意します。
宗教なら、①カトリック、②プロテスタント、③ムスリム、④ユダヤ、⑤無宗教、或いは日本人的、神道のような無宗教なんかも用意して構いません。
とりあえず、日本人に当てはまるものも用意しておくといいでしょう。
国籍なら、在日コリアなんかもあると分かりやすいかもですね。

それでチェックする前に、先に言っておきたい事があります。
おそらく日本人なら、日本人贔屓の結果がでる可能性は大いにあります。
私はそれは決して差別だとは思っていません。
日本人にとって、日本民族日本国籍の人というのは、おそらく遠い親戚であり、家族だからです。
日本人のほとんどには、天皇の血が入っているとも言われていますし、親近感を持ってもそれは仕方がないと思うのです。
むしろ家族に愛情が無い方が問題だと私は思いますね。

これはあくまで私の考えですので、それを押し付けたりはしません。
他と同じと思う人はそれはそれでいいと思いますよ。

さてではゆっくり考えていきましょう。
そうですね、会社の採用なんかで考えてみましょうか。
この会社は、女性社長が率いるグループ会社で、色々な事業を手掛けています。
最近少しグローバル化に後れをとっていると感じた社長は、『英会話と読み書きのできる社員5人』を募集する事にしました。
試験では、読み書きがしっかりできるかどうかを調べる事と、他にも少し適正を見る為に、後は社長面接で、英会話の能力と、コミュニケーション能力と、いくつかの質問をする事にします。
グループ企業には英会話教室なんかも有り、そちらでの登用なんかも考えています。

さて採用試験に集まったのは、白人が5人と黒人が5人でした。
それで結果は、白人5人が採用となり、黒人5人は不採用となりました。
あなたはこれを差別だと思いますか?
私は差別だとは思いませんが、その辺りは今は置いておきましょう。
今度は、白人と黒人の結果を入れ替えてみてください。
それでも最初の判断と同じだと思うのなら、おそらく白人と黒人の間に差別意識はなさそうです。
違った結果が出たら、あなたには人種による差別意識がありそうです。

でもこれだけではハッキリとは言えません。
差別か差別でないかのボーダーラインから大きく離れた所では、答えに変化は出にくいのです。
差別判断のボーダーラインギリギリを探る必要があるのです。

この採用試験で、どれも差別だと感じた人は、今度はより差別じゃなさそうな状況、差別じゃないと感じた人は、より差別に近い状況を検証する必要があります。
ではまず、どれも差別だと感じた人は、こんな状況を考えてください。
この採用試験の内容を会社は本人を含め、特定の人達に公表しているとします。
その人達は、試験内容と点数、採用に不正がないかを確認して、間違いなく結果通りに採用していると言ったとしましょう。
そしたらどうでしょうか。
本当に偶々、白人と黒人の結果が分かれたように見えますね。
それでもこれは差別だと思いますか?
普通の人ならここまでされたら普通は信じるでしょう。
でも、試験内容は社員数十名しか知らない事だったらどうでしょうか。
少し微妙にはなってきますが、人数が多ければまあ信じる事にはなるんでしょうね。
その人数でボーダーラインをはかりながら、人種をいれかえ、或いは他の民族、宗教、国籍なんかでも試してみて、全て結果が同じなら、差別意識は全くないものと思います。
ただ、普通の人は、日本人とそれ以外の所で、少し差別意識があるかもしれません。
まあ少しその辺りに出るくらいは、先に言った通り私は問題が無いと思いますけれどね。

それで、最初の条件の時に差別ではないと感じた人は、今度は差別とより感じるように条件を変えていきましょう。
例えば、女社長が社内の噂で、不採用にした側のグループに対して好ましくない発言をしていたという話が聞かれたらどうでしょうか。
もしかしたら差別だったのではないかと思ってきませんか?
それでも噂はあくまで噂だと思うなら、更に条件を差別に近づけてみましょう。
暗黙の事実として、社内ではあたり前の話として不採用側グループを社長が嫌っているとしたら。
それでも差別じゃないというのなら、もうハッキリと社長が『不採用グループは嫌いだ』と言っていたらどうでしょうか。
それでも、嫌いならしょうがないと思う人もいるでしょうね。
だったら、試験内容は無視して、なんとなく不採用グループ側のそれが会社に合わないと思ったらから、なんとなく不採用にしたってならどうでしょうか。
例えば黒人なら、黒人を理由に会社を不採用にしたって事です。
ここまでくれば、多くが良い悪いは別にして、差別だと感じるのではないでしょうか。
それで立場を入れ替えてみても差別だと感じるのなら、差別意識は概ね無いと言えそうです。

こうやって差別か差別でないかのボーダーラインを探し、その辺りで色々な人種、民族、宗教、国籍で比べてみて、それでも考えが変わらなけば、差別意識は概ね無い人と言えそうです。
逆に意見が変る所があれば、そこには差別意識を持っていると言えるでしょう。

私は、ハッキリ言って差別意識はあります。
ただ、それをあからさまに表に出したりしませんし、無理に平等に扱おうとするので、行動としては差別しない人に見えるでしょう。
でも気持ちとしてはあるんですよね。
おそらく多くの人が、私と同じだと思うのですがどうなんでしょうか。

この例だけに限らず、色々な状況で試してみると、結構自分が見えてきますので、暇なら色々試して考えてみてください。

2018年7月28日土曜日

本日後悔したこと!いきなり子供に声をかけられ質問された!

今の部屋の温度は31度ですが、最近の暑さのせいで、これでも涼しく感じてしまいますね。
こういうのに慣れると、いきなり熱中症って事にもなりかねないので、気をつける必要があるかもです。

さて、今日は『子供にいきなり声をかけられ質問された話』です。

本当に突然でした。
近くを通り過ぎようとしている子供がいきなり声をかけてきました。
男の子と女の子で、おそらく小学校低学年くらいでしょうか。
女の子の方がやや年上で顔の雰囲気が似ている事から、おそらく姉弟かと思います。
先に声をかけてきたのは女の子の方でした。

『鼻血と汗って間違える?』

えっと、あまりにいきなり聞かれたので、私はよく考えず、『間違えへんなぁ』と答えました。
すると女の子は少し寂しそうな顔をしていました。
次に男の子が質問してきました。

『飴と雨は間違える?』

私は普通に『間違えるな』と答えました。
そして今度は一言加えました。

『飴ちゃんっていえば間違えへんで』

そんな話をした後、子供達は去っていきました。

で、私は後になってよくよく質問の意味を考えました。
それで思ったのです。
『もう少し気の利いた答えを言えたのではないか』と‥‥

おそらく女の子は、鼻血が出た時に『汗かな?』って思ったのでしょう。
そういえばそんな話、小学生くらいの頃にはありました。
私くらいの年になれば、鼻血と汗は間違えないし、間違えても鼻水とくらいでしょう。
鉄の臭いもしますし、鼻血と汗は間違えません。
でも小学生の頃には、確かにそんな話もしたような気がするのです。

それで思ったのです。
こういう一方に決めつけるような答えって、子供にはあまりしない方がいいのではないかと。
これから色々な意見や考えを取り入れ、自分で判断する事が求められるわけで、一方に決めつけた答えを提示するのは、大人としてどうなのかと。
大人同士ならそれでもいいでしょう。
言われても納得できなければ別に考えを変えないわけですし。
でもこの女の子は、『鼻血と汗は絶対に間違えないもので、間違えてはいけない』なんて思う事にもなるのではないでしょうか。
今回はそこまで心配する必要もないでしょうが、まあやはり大人として、もう少し良い答えを提示してあげられたらなって、少し後悔したという話でした。

2018年7月27日金曜日

人権(権利)や義務を考える!基本的人権の尊重はそれを守るという意味ではない!社会的弱者(身体障碍者等)を支援救済する事は憲法違反?

これはあくまで私の考えを記事にしたものです。
私が考えた理屈から導きだされた一つの結論です。
これが正解ではありませんのでご了承ください。
といいますか、私の記事のほとんどがそうですが‥‥{笑}

今日は、人権、権利と義務について少し整理して書きたいと思います。
まあ整理できないと思いますが‥‥{汗}

『権利には義務が伴う』なんて言われますが、これは一つの見方としては正しいし、そういう風に考えるのが普通だと思います。
しかし今回は少し違った所から攻めてみます。

まず、人権とか権利ってなんでしょうか。
私は『人間が生まれながらにしてできる事全て』だと思っています。
人を殴る事も、物を盗む事も、逆に何かをやらない事も、全てできる事はその人の権利と言えるのではないでしょうか。
しかしそんな権利を自由に行使されたら、北斗の拳の世界、とても住みにくい世界になってしまいますよね。
そこで人は基本的人権というものを定めます。
『他人の人権、権利を阻害しない範囲』という定義をするわけですね。
つまり、他人に迷惑をかけなければ何をやっても良い、何を拒否しても良い、これが基本的人権だと私は考えます。
これってある意味、自由という考えでは理想的な世界ですよね。

とは言えですね、「そんなの関係ねぇ!!」って言って、人を殴ったり人権を阻害する悪い人はいるわけです。
災害なんかが起こって食べ物が無くなれば、他人の物も盗んだりするわけですよ。
そこで人々は集まって考えるわけです。
悪いヤツがいたら、みんなでこらしめて我々の生活を守ろうと。
そして、災害が起こったりした時の為に、みんなで食べ物を貯蓄しておこうと。
これが今で言う、『労働の義務』と『納税の義務』になるわけです。
本当は働きたくない自由権利を行使したいけれど、或いは納税なんてしたくないけれど、自分の生活を守る為には仕方がない事ですよね。
このように全ての人が納得した形が、国家の基礎となるわけです。

そこには、働かない権利はありません。
納税しない権利もありません。
基本的人権は一部失われています。
しかし、国家が安全を保障し、災害時には対応してくれるわけです。
それはつまり、『基本的人権を尊重はしてるけれど、国家が与える別の権利の為に失う事になっている』と言えるのではないでしょうか。

こうして、人々が集まって生活する社会、国家は、基本的人権を少し貰いながら、新たな別のより良い権利を与えるという取り決めを増やしていく事になるのです。

死にそうな時に助けてもらえる権利なんてそもそもありません。
しかしその分少しお金を払ってくれれば、その権利を与えます。
救急車を用意します。
本当はお金を払わない権利を主張したい所ですが、助けてもらえる権利の為に基本的人権を削ります。
これが概ね『義務』という事になります。
義務とは基本的人権を失う事であり、その代わり国家から新しいより良い権利を得る為の手段とも言えそうですね。

さて、これが本来あるべき国家の在り方だと私は考えるわけですが、最近は少しおかしな事になっています。
権利を得られないのに、義務が生じているという事が起こっています。
例えば『弱者救済』の為の『消費税増税』なんかですね。
お年寄り救済など、全ての人がいずれ受けるであろう権利は良いとしても、おそらく自分にはまるで関係がない障碍など、一部の人への権利の為に義務を押し付けられています。
これは『基本的人権の侵害』と言えるでしょう。
弱者を助けるのはとても素晴らしい事ですし、できるのならやりたい事ではあります。
障碍者支援に関して言えば、本来あるべき権利をできるだけ回復させてあげようという、ある意味人権を尊重した行いでもあります。
しかし個々の事情でやりたくない人もいるのです。
そういう人達は、助けない権利を行使したいはずです。
それを無理やり奪うのは、基本的人権の尊重を謳った憲法違反とも言えます。

本来、『弱者救済』は、やりたい人がやり、たりたくない人はやらないってのが、『基本的人権の尊重』という事になります。
そこで昔は、宗教がそれを担い、上手く基本的人権が尊重されてきました。
助けたい人は施設に寄付し、助けたくない人は何もせずに済んだのです。
しかし今は、国家にそれをやらせようとしていますよね。
例えば全ての人が将来は年をとって爺さん婆さんになるわけで、年金みたいな弱者救済は分かりやすいです。
でもそれですら、最近は払いたくないという人が大勢います。
それは、自分が犠牲にする権利よりも、得られる権利の方が小さいからです。
年金をしっかり払っても、払った分返ってくるとは限りません。
だから反対する人が大勢いるわけですが、それを障碍者などの弱者救済に当てはめたらどうでしょうか。
当然賛成者はそれ以上に減るわけで、そしてやっぱり憲法違反となるのです。
障碍者支援なんかは、障碍者を助けたいと思う人が集まって障碍者支援施設を造り、寄付を募って運営し、障碍者を助けるという風にするべきなのです。
それを政府が少し支援するくらいはかまいません。
納税の際に寄付も一緒に受け取って、ちゃんと届けるくらいは有ってもいいでしょう。
あくまで基本的人権を尊重するのならの話ですよ。

国家が与える権利には、常に義務、誰かの人権喪失が伴ってしまいますから、国家の取り決めには、国家国民の利益が不可欠になってくるのです。

本来、国民の大多数が納得しない権利と義務を定めるのは、できる限り避けるべきです。
そして、やりたい人だけでできる事は、やりたい人だけでやるのが一番問題が起こらないんですよね。
例えば防衛は、やりたい人だけでやるには限界があります。
だから国家がやるしかありません。
でも、弱者救済はやりたい人だけでやる事もできるんですよ。

弱者救済は、本来あったであろう人権を主張救済する所にあります。
一つの人権主張の形です。
でも、救済しないというのも、救済する側の人権ではあるのです。
誰かの基本的人権を壊す事で、無かったはずの人権を復活させるという作業があるとしたら、それは基本的人権の尊重にはならないのではないでしょうか。

死刑制度に対しても、似たような声が上がりますよね。
殺された人、或いはその家族の人権は無視して、加害者の人権だけを守ろうとする風潮。
基本的人権の観点から見れば、弱者救済と同じ問題がそこにはあります。
本当に重要な部分以外は、国家に対する義務と与えられる権利は、なるべく少ない方が良いという考えがあります。
それがリベラルという事ですね。

さてしかし、見方を変えればまた違った考えになります。
障碍者などの支援救済を『保険』と考えたらどうでしょうか。
自分が障碍者になる可能性もありますし、子供が障碍を持って生まれてくる可能性だってあるわけです。
その時に何も無いと困ると思うのなら、それに対して保険をかけておきたいと考えるのも普通の考えです。
ただ、保険となると個人で入る事も可能なので、国家としてどこまで義務づけるかというのは難しい問題です。
でもそれが国家国民の利益になるのなら、考える余地はあるでしょう。
つまり障碍者支援に関しては、こういう視点で議論するのが、本来必要なのではないでしょうか。

そういう考えでLGBTのLGBを考えると、LGBには支援は必要がないと思えます。
私がホモだった場合、或いは子供がレズになった場合、国家にどれくらいの支援を望み、どれくらいの保険をかけておきたいと思うでしょうか。
私なら『しゃーない』で終わりですね。
ホモだったとして、ホモダチがいればそれ以上は望みません。
別に同性と結婚したいとも思いませんし、息子がそうであったとしても変わらないでしょう。
まあだから、こういう基本的人権の考えから結論を出せば、こういう答えも出てきますね。

他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい、それが基本的人権だとしたら、国家が与える権利は基本的人権を多少犠牲にして得られる権利という事になります。
そしてその考えからすれば、弱者救済は基本的に『保険』という考えで考えるべき事でしょう。
その考えから導きだされる答えとしては、障碍者支援は国家の意思として考える必要があるものに思いますし、LGBTの特にLGBに関しては、支援は必要なさそうという結論になりました。
この理屈が正しいかどうかは分かりませんが、一つの考え方として皆様に提示させていただきました。

※※追記まとめ※※

人権 = 人が生まれながらにして持っている全ての権利
基本的人権 = 人権 - 他人の人権を侵害する行為
義務 = 利益の為に、人権の一部を国家や組織に差し出す事
権利 = 義務を果たす事で、国家や組織から得られる利益や行い

2018年7月23日月曜日

LGBTとロリコンの違いを考える!何故LGBTの人権を主張する人がいるのにロリコンの人権は蔑ろにされるのか?

最近、LGBTの人権を訴える声が大きくなってきていますね。
性同一性障害は、その名の通り障害なわけですが、まあ最近は人権配慮などから、異常ではなく特殊な人と言った方が良いのかもしれません。
とはいえ普通ではないわけで、そんな普通ではない人を差別しないよう色々と声があがっているわけです。

しかしですね、現状でも既に法の下の平等という意味では平等なわけで、そこに特別な法を作ったり、税金を投入する必要はあるのでしょうか。
そもそも結婚制度というのは、人間の本来やるべき子孫繁栄にあった方がいいから法整備されているわけで、それを前提としないLGBT者に適応するのは違う気もします。
もしも何か財産相続などに関して必要性があるのなら、他の法で検討するのが普通かと思います。

私はあくまで現状変更には反対の立場ですが‥‥

その理由として、性的な特殊性を持った人というのは、LGBTだけではないという事です。
LGBT以外で最も多そうなのがロリコンではないでしょうか。
極端な人は小さな子供に性欲を感じ、そうでなくても、子供を産める若い10代の子にしか興味がないという人もいるでしょう。
むしろその辺りになってくれば、人間を動物の『人』として考えれば、むしろ健全だとも言えます。
しかし何故かそういう人は社会で冷たい目で見られ、LGBTは社会的に優遇しようとしているあたりは、いささかおかしいのではないでしょうか。
まあロリコンの場合とLGBTの場合を一緒に考える事はできません。
何故なら、ベクトルが違うからです。
ロリコンは人としては問題なくても、社会的に12歳の子に結婚を許せば、社会で生きていく上で必要な人間性が形成される前に大人としてやっていく事になります。
今の社会ではそれは難しいので、ロリコン様には涙をのんで差別を受け入れてもらうしかないのです。

ではLGBTはどうでしょうか。
結婚制度のそもそもの目的に合わないだけで、特に問題はありません。
しかしそもそもの目的に反しているのは、12歳との結婚を許す以上に本末転倒とも言えます。
何度も言いますが、結婚制度は『子孫繁栄の為に定められた法』なのです。
それが証拠に、近親結婚ができませんね。
4親等以上、従妹以上に血が離れていないと結婚できないのです。
世の中には、ファザコンやマザコン、或いは兄妹で愛が生まれる事もあります。
そういう人たちも、ある意味LGBTと同じですよね。
しかし何故そういう人達の結婚を認めないのでしょうか。
結婚制度のそもそもの目的に反するからです。
もしも同性結婚を認めたら、親子や兄妹での結婚も認めるべきとなるのです。

おかしいですよね?
私の感覚がおかしいのでしょうか。

こうして考えると、LGBTよりもむしろ結婚の年齢制限を撤廃する方が先なのではないかと思います。
動物としての『人』と考えれば、そちらの方が問題は圧倒的に無いのですから。
それを別にしたとしても、結婚制度のそもそもの意義に反するものを認めるとするなら、『誰と結婚しても良い』くらいにしないと、それは差別になると思うのです。

世の中には色々な特殊な人がいます。
同性愛者もいれば、ロリコンショタコンもいるし、ファザコンマザコンブラコンシスコンだっているのです。
その全ての人の人権を全て認めるのか、それとも社会的に問題があるものは制限させてもらうのか、それは話し合ってどちらかに決める必要があるでしょう。
しかし、動物としての『人』としては問題の無いロリコンには権利を与えず、そういう意味で問題のあるLGBTには優遇措置をとるのは、ちょっと違う気がします。

私は、今の制度のままで良いと思っています。
結婚制度は子孫繁栄の為の制度であり、年齢制限は社会に出る為の準備期間としてその年月が必要だから定められているのです。
それは皆同じ条件ですし、その法律の範囲内で、人に迷惑をかけずに好きにやってくれれば、私は良いと思います。

ところで杉田水脈議員が、ゲイと名乗る人から殺害予告されたようですね。
https://twitter.com/miosugita/status/1021213480571973633
ロリコンが『12歳と結婚できるようにしないと殺す!』なんて言いませんよ。
オタクだって『2次元と結婚させてくれないと‥‥』なんて言いません。
きっとこういう人がいるから、脅されて声をあげている人がいるのかなって思いますよ。

LGBTを救済するよりもまず、ロリコンに愛の手を!{笑}
実際どちらの方がおかしいのか、そのおかしさにあった法はどうなのか、冷静に考えて欲しいです。

2018年7月19日木曜日

暑い日が続きますね!これは地球温暖化の影響?温暖化って何?

暑い日が続きますね。
本当に毎日ヘトヘトですが、こういう日が続くと必ず言う人がいます。

『地球温暖化の影響だ!』

でもちょっと待ってください。
これは本当に一般的に言われている温暖化の影響なのでしょうか。
その辺り、ちょっと書きたいと思います。

まず温暖化と言うのなら、私は3つの条件があると思うのです。

①世界的に温度が上昇している。
温暖化とは『地球温暖化』の事であり、全体的に上がっているという事ですよね。
しかし今年南極では観測史上最低気温を記録したりと、何処も温度が上がっているわけではなさそうです。
上がっている所も有れば、下がっている所もあるという事です。

②周期関係なく今上がっている。
歴史上何百年何千年単位で、気温が上がっている時期もあれば、下がっている時期もあるはずです。
江戸時代辺りは小氷河期と言われていたわけで、特に寒かったわけですしね。
短いスパンでも、今年は大阪でマイナス3度に迫るほど寒かったわけで、私の記憶ではそこまで寒かった事はほぼありませんでした。
そこだけ見れば寒冷化しているとも言えるのです。

③二酸化炭素によって温暖化している。
そしてこの問題の最も大きなポイントは、二酸化炭素によって気温が上昇しているという事です。
これに関しては、まだハッキリ言える段階ではありません。
単に原発推進の為に言い出した事であり、『地球温暖化=二酸化炭素が増えている』となっている今、なんでもかんでも『温暖化』というのは違うのではないでしょうか。

実際、戦後のデータを見れば、平均気温で2,3度は上昇しています。
日本の本州だけを見れば、確かに気温は上昇していると言えるでしょう。
しかし沖縄はどうでしょうか。
或いは都心部や気温の上昇しやすい場所を除けば、ヒートアイランド現象で考えた方がしっくりきます。
エアコンで2,3度気温が上がるという話もありますし、全部止めたら意外と昔と同じような気候に戻るのかもしれません。
まあそこには二酸化炭素と繋がる部分もあるわけで、全く二酸化炭素が関係ないというのも違うでしょうが、原因ではないのです。

太陽の活動は今むしろ弱まっているという話もあり、1990年代をピークに最近上昇が止まっていたのも、もしかしたら気温の上昇が終了に近いのかもしれません。
でも今年の夏を見るとまだまだ上がりそうな予感もあり、日本に限れば地震との関連から、地下で熱が上がっている可能性なんかも私は気になっています。

少なくとも言えるのは、まあ戦後辺りと比べれば、今の日本は暑くなっているという事です。
そして二酸化炭素と関連付けて減らそうとか言っているのは過剰反応だとは思いますが、二酸化炭素自体は人には毒なので、あまり出さないように心がけるのは良い事でしょう。
でも暑くなっているとは言え、それは地球規模ではないかもしれないし、偶々そういう周期に入っているだけで、二酸化炭素は関係がない可能性も高いのです。

湿度的には下がっている傾向もあるので、体感としては過ごしやすくなっているなんて話もあります。
確かに、10年から20年前に感じたヤバい暑さは、あれ以来感じる事はないですからね。
今は大阪だからかもしれませんが、東京で感じたあのヤバさは、今はありません。

とにかく、夏が暑くなっている事は事実ですが、『地球温暖化の影響』とは違うのでしょう。
その辺りはしっかり理解しておく必要があると思います。
私は概ねヒートアイランドからの影響だと思っています。

とはいえ私は不安に思っている事があります。
暑くなると当然健康への配慮は必要でしょう。
それで夏の高校野球を考え直そうなんて声もでてきています。
確かに無理はマズイのですが、夏だから見ている方もやっている方も楽しいって所があると思うんですよね。
やるやらないは個人で判断する事もできるわけで、あまり夏の甲子園を責めるのは、私は一ファンとしては避けて欲しいと思います。
でもこれだけ暑いと、やっぱ難しいですかね。

とりあえず暑い日が続いていますので、健康にはお気を付けください。

2018年7月2日月曜日

強姦や強制猥褻事件があると、必ずこんな意見がでてきます!女性の行動も軽率だったのではないか?何故被害者が責められる?

男性が女性を襲う、強姦や強制猥褻の事件があります。
こういう事件が起こると、必ずこんな事を言う人がいます。
『家に行った女性も悪い』『二人っきりで酒を飲むのが悪い』など‥‥

すると当然それに反論する人もいます。
『女性が悪いわけがない!悪い事をしたのは男性であり、責められるべきは男性側だ!』

さて、これはどちらの意見が正しいのでしょうか。

法的には、男性と一緒に酒を飲みに行ったり、家に行っちゃいけない法律はありません。
だから犯罪者側が全面的に悪いのは言うまでもないのです。
でも何故かかなり多くの『女性が悪い意見』が出ますよね。
それは何故でしょうか。

それはですね、男性にはどうにもできない本能というのがあるんですね。
魅力的な女性がいればムラムラしますし、エッチな事を考えていなくても体が反応する事も多々あります。
若い頃は特にですね。
満員電車で女性が近くにいるだけで、正直拷問ですよ。
必死に他の事を考えて性欲を抑える努力をしている男性も多いのではないでしょうか。
ムラムラしてしまうのは動物としての本能であり、それはどう頑張っても止めようがないのです。

しかし我々は理性があります。
ムラムラして体が反応しても、行動を起こしたくなる体を理性で必死に止めるわけです。
私はヤバい時は、心の中で『臨兵闘者皆陣裂在前』と延々唱えていましたね。
もちろん私は女性を襲おうなんて微塵も考えませんが、体の反応を抑える為にそうしていました。

若い頃全くエロに興味が無かった私でも、男の本能には勝てない所があったのです。
おそらく普通の男性は、もっと大きな性欲を抑え込む戦いを強いられていたでしょう。
とはいえ理性がありますし、体が反応したからと言って『女性を襲う』という選択肢はまずありえません。
ですが、その箍が外れる場面があります。
それが、『家に来る』とか『酒を飲む』とか、簡単な所で言えば『夜』であるとか、或いは『女性が露出の多い服を着てくる』だけでも、箍が外れかねない男性はいると思います。

さて、ではそんな男性が犯罪者にならない為にはどうしたらいいでしょうか。
逆をやればいいんですね。
『家に来させない』『酒は飲まない』『夜に女性と会わない』『露出の多い女性には近づかない』

できそうなものもありますが、女性の協力もないと難しいものもありますね。

つまりはそういう事なのです。
だから女性も悪いという意見も出てくるわけです。
私は大丈夫ですよ。
そして今の日本人の多くは、本能である性欲を理性で抑えられる人がほとんどだとは思います。
でも中には、どうしても抑えられない人もいるのです。
その人は、悪として生まれてきたのでしょうか。
生まれで人を差別して良いのでしょうか。
そういう人の為に、社会が少しは協力して犯罪者にしないってのは、どちらかと言えばやった方が良い事ですよね。
性欲増し増しの人でも安心して暮らせる社会を作る為には、女性の協力も必要なのです。

まあぶっちゃけ私にはそういう人の気持ちなんて分かりませんから、女性が協力できないってならそれはそれでいいと思いますよ。
それで犯罪者男性だけを責めるのも全然オッケーです。
とは言え「人権を大切に!」なんて言う人なら、生まれながらに性欲が強すぎる男性の事も考えてあげたらどうかと、そんな所なんじゃないですかね。

私はどちらが正しいなんてここでは言いません。
でもそういう男性もいるわけですから、被害に会わない為にも、女性側も注意してくれれば平和だなって思います。

※※追記※※

そうそう、どうして人は服を着るのでしょうか。
大切な所だけでも隠そうとするのでしょうか。
これも性欲を抑える為かもしれませんね。

そして日本では昔から、女性は慎ましく、むやみに肌は見せないようにしていたように思います。
だから世界と比べても、性犯罪が抑えられてきたのではないでしょうか。
別にそうしないからと言って女性が悪いとは言いませんよ。
ただ、そういう現実があるねって話でした。

更に、男はどうやらすぐに勘違いしちゃう所があるらしいです。
私の場合は、膝に手を置かれたりスキンシップがあると、『気がある』と思ってしまいます。{汗}

2018年7月1日日曜日

他国で暮らすという事を考える 国籍民族の違いは文化価値観の違いであり‥‥在日差別?

ツイッターでこんな話をしている人を見つけましたので、少し在日差別について考えたいと思います。


まず、大前提として差別がいけない事は先に言っておきます。
この話をしている人の主張を全面的にそのまま理解すれば、まあ客は言い過ぎだしこれは差別と言えるかもしれません。
最も悪いのは客です。
でもあえて問題を色々な方向から見てみたいと思います。

①外国人が他国で暮らせば、それは両方が嫌な思いをする。

もしもこの在日の方が、普通に韓国で暮らしていたらどうなんでしょうかね。
この方はもちろん、客も、店の責任者も辛い思いをしなくて済んだでしょう。
違う国で暮らすと言う事は、暮らす人も、相手側の国民にもリスクがあるのです。
価値観文化の違いは当然あります。
そこで問題が起こる事もあるでしょう。
在日のように似た価値観をもっていたとしても、国家の関係や同胞の行動によっては、今回のような事にもなってしまいます。
このお客は、どうやら関西人のようですね。
関西と言えば悪い事をする外国人や在日も多く、正直多くの人が悪い印象を持っていたりします。
実際に何度も被害にあっている可能性がありますから。
だからと言って他の在日の方にあたるのは駄目ですが、人の感情ってのはなかなかコントロールできません。
こういう事は起こりえるのです。
それなのに何故、他国で暮らそうとするのか、或いは日本政府は受け入れるのか、その辺りに私は疑問を感じます。
人道的にとか、過去の歴史とか理由はあるとは思いますが、結果どちらも嫌な思いをするのだから、もう少し考えた方が良いと思うのです。

②意思疎通ができなかったのは何故なんだろう。

この方は、お客との意思疎通ができずにお客を怒らせたと理解しています。
意思疎通ができなかった理由はなんでしょうね。
この方の文章を読むに、どうも日本語がちゃんと喋られるようには見えません。
もしそうだとして、どういう職場で働いていたのでしょうか。
意思疎通が重要な職場だとしたら、それはやはり本人にも責任はあると思います。
もちろん雇った側も何故雇ったのかとなりますね。
この視点で言えば被害者はむしろ客となります。
ただし、概ね普通の飲食店やコンビニなどでしたら、今では外国人が沢山働いておられます。
だから外国人なら『外国人か、ならしゃーない』となるのが日本人として普通でしょう。
そういう外国人が働いていても当然の店だとしたら、この客は言い過ぎだと思います。
とはいえ、最低限の応対ができていなかったとしたら、この方にも非がありますね。

③人種は関係ないでしょと言い返したのはマズイ。

私は、客が神様で偉いなんて思ってはいません。
持ちつ持たれつでやっているわけで、そこに差はないのです。
しかし元々意思疎通がしっかりできなかったのはこの方の落ち度に思えます。
ハッキリした事が分からないので、あくまでこの文章からはそう見えるという話です。
それなのに、お客に言われるまで謝罪の言葉を言っていないように捉えられます。
日本人の感覚なら、まず謝罪はあって当然です。
それができない事を『外国人だから』と思うのは当然の感覚と言えるでしょう。
ただ問題は今回『韓国』だという事です。
韓国だと特に差別が駄目だという意識が働き、これを見てると『断然客が悪い』ように見えますね。
でも、外国人だから謝る文化が無いんだなって事なら、それはやはり違う文化価値観を持っている人が同じ社会で生活している事が問題とも言えます。
日本で暮らしている以上、まず謝罪した方が良かったのではないかと思います。

④通名を使っていたら‥‥日本人のフリをしていたら‥‥

そうですね。
日本人の名前なら、或いはここまで問題にはならなかったでしょう。
しかし通名は、別に問題もあるわけで、やはり使用は制限されるべきです。
まあでもお店で働く時の名札くらいなら、適当な名前でも良いとは思います。
アレって、クレームなんかの際誰が対応したのかが分かればいいわけで、それくらいはかまわないと思います。
でも誇りをもって韓国名を使ったんですよね。
本人が誇りをもっていても、日本ではやはり韓国人を煙たく思っている人も多いわけです。
そういうリスクを覚悟して日本で暮らしているのではないでしょうか。
なんにせよ、外国で暮らすという意識に少し欠けているようには思います。

⑤この世界がおかしい。

おかしくはないですよね。
これが人間ですよ。
良い所も有れば悪い所もあります。
相容れない価値観を持った人も大勢います。
だから国が分かれ、ある程度共存できる人達だけが一緒に暮らしているのです。
正直この方は可哀想だなって思いますし、できればこのバイト先で楽しくやらせてあげたいです。
でも、自分がそのバイト先に迷惑をかけてしまったという意識がまるで見えません。
差別は確かに悪いし、この客を非難するのは当然です。
でもそもそも意思疎通ができなかったのは誰の責任でしょうか。
まずはそこで謝罪できていれば、この問題もここまでにはならなかった気がします。

それに、今回この客は明らかに差別だとは思いますが、差別するにも理由があるわけです。
たとえば隣の山田さんの主人が犯罪者なら、その家の家族を少し嫌な目で見てしまいますよね。
でも別だからと言い聞かせるわけですが、奥さんや息子も犯罪者なら、『あの家族はおかしい』と思い、娘や他の家族の事もそういう目で見てしまう事もあります。
韓国という国家は、日本にとってはそういう嫌な人が多い国なんです。
そこは韓国人が日本で暮らすなら、理解しておくべき所です。

何度も言いますが、悪いのは客です。
これは明らかに韓国人だからという理由で、過剰なクレームを入れているように見えます。
ただ、受け答えが大切な職場で、外国人だからそれができなかったという意味で客が言ったのだとしたら、まあ感情的には理解できる範囲ですよ。

くれぐれも、韓国人だからという理由で、必要以上のクレームやイジメはいけません。
ただ、韓国人自身が、韓国人の印象を凄く悪くしているのも事実です。
印象が悪ければ、連帯責任意識のある日本では、一緒くたに悪く思う人もいるのです。
それを理解して、日本で暮らすのなら注意して生きて欲しいですね。

ちなみに私が責任者だったら、この方が客と自分、両方に謝罪があればクビにはしないでしょう。
でも謝罪したかどうか、この文章では分からないので、一応こんな結論です。
そして、意思疎通がうまくいかなかったのは客側がおかしかった場合は、この方に同情しかありません。
店の責任者も、しっかり守ってやれって思いますね。

同じ事を何度も繰り返すクドイ記事を最後までお読みくださりありがとうございます。
誤解されそうなので、何度も同じ事を書いてしまいました‥‥



2018年6月26日火曜日

日本はどうして平和な国なのか?どうして治安がいいのか?答えは仕事に対する意識?

日本というのは平和な国です。
世界と比べても圧倒的で、日本の江戸時代のように平和が続いた国というのは他に見られません。
歴史を振り返ってみても、国内での争いでは一般人を巻き込まず、海外と比べて規模も小さいです。
どうして日本は、そんなに平和なのでしょうか。
そして今も治安の良さは世界トップレベルです。
大きい意味では戦争が無い、小さな意味では治安が良いというのが平和ですね。
今日はその辺り考えてみたいと思います。

日本はどうして平和なのかと考えた時、私は三つの理由を思い浮かべました。

①地政学的に島国は平和を維持しやすい。

日本は海に囲まれた島国で、外敵に狙われにくいというメリットがありました。
戦争をしようにも海があるので、なかなか攻め込まれなかったんですね。
そして小さい意味でも、外国人が入ってきづらい環境というのは、治安維持の為には良い事です。
今の時代は外国人が簡単に沢山入ってきていますので、そのメリットは薄れていますが、昔はかなり効果があったでしょう。
実際外国人犯罪というのは多いですよね。
犯罪率も日本人より高いです。
外国人の工作によって、日本人同士が争うなんて事もあるでしょう。
まあ先に言った通り、現代ではそのメリットもかなり効果が薄れていますが、昔は特に効果があったと思います。

②地震や台風など、自然災害が多く団結するしかない。

日本は自然災害がとにかく多い国です。
だから、人々は争っている余裕が無かったんですね。
団結して協力しないと、人が生きていくには厳しい土地だったのです。
これは現代でも言える事で、何時どこで大きな地震があるのか分かりませんから、みんなで協力して立ち向かう必要がありました。
富士山だっていつ噴火してもおかしくないわけです。
不安や経験から、自然と人々が心を一つにする事ができたと考えられます。
ただ最近はその団結意識が薄れてきています。
私は、だから最近地震が多く、それは神様が人々に警告しているのではないかとか思うわけです。何にせよ日本で生きていく上で団結は不可欠で、だからこそ平和が維持されてきたと考えられるでしょう。

③人々が良く働く。

争いは、主に食べ物の取り合いや、生きていくために起こります。
しかし日本はそんな事で争っていたら災害で全滅しかねないわけで、しっかり備える必要がありました。
もちろん災悪は自然災害だけではありません。
火災や凶作など、何処の国にでもある問題も日本にだってあります。
それプラス日本は特に大きな自然災害が多く、備えなければ生きていくのが無理な環境なのです。
備える為に必要なものは、労働力と、そして労働力から生まれる金です。
昔は米なんかですね。
今も日本人が働き者なのはあたり前の事で、備える為には外国人よりも多く働く必要があるのです。
多く働き、いざと言う時に自分を含めみんなを助けられるようにするのです。

こういう理由があるから、日本は長く平和で、今も治安が良いんですね。

一致団結してよく働くからこそ平和で治安の良い国があるのです。
平和の為、いざと言う時に人々を助ける為に働いていると考えると、仕事も素敵な事に感じますよね。
だから日本では、働く事が喜びであり幸せで、よく働く事は美徳となるのです。
よく働いている人というのは、いざと言う時日本人を助けている事になるわけですからね。

まあ現代では、時間働けばそれでいいというものでもありません。
より多く稼いで、より多く納税している人が素敵だという事になります。
とはいえ、もちろん実際の労働自体も社会に貢献していると言えるわけで、長く働くという事も人々を助けている事になります。
最近では『楽したい』とか『仕事をしたくない』なんていう人がいます。
別にそれ自体全ては否定しませんが、『多く納税する』か『労働で社会貢献する』せめてどちらかは、日本人として必要な事です。

日本以外の国では、労働は罰と捉える事も多いと聞きます。
でも何故日本では喜びなのでしょうか。
それには、この国の事情がやはりあったのです。
人一倍働く事で、争いを無くし平和を維持している国だからなのです。

そんなわけで、仕事に喜びを感じ、仕事を一生懸命するのが、日本人が日本人である条件みたいなもんなんですね。
辛い仕事も多いですが、仕事は日本においてとてもステキな事なのです。
仕事に誇りをもって、今日も労働に打ち込みたいですね。

※※追記※※

誤解の無いように一応付け足しておきますが、外国人が入ってくる事には良い事もあります。
新しい技術、新しい考え、違った文化やモノの見方、色々ありますね。
ただ平和の観点から言うとデメリットがあり、それもあって私は移民には反対しています。
つまり上記した日本の事情等しっかり理解した外国人なら、私は日本に移民してくる外国人を否定はしません。

2018年6月24日日曜日

日本人の名前って昔はどうだったの?女性の苗字ってどうだったの?伝統なの?そうでないの?

先日、私がしたツイートが大きな反響を呼びました。

夫婦別姓に反対する理由、というわけでもないですが‥‥
まあ苗字は男系の継承、或いは家の継承であるから、伝統文化と言ったわけですが、それに沢山の反論が寄せられました。

『別に伝統でも文化でもなんでもない』 と。

そうですね、今で言う苗字自体は伝統文化ではないという意見も分かりますが、こういったシステム自体は、私は今でも伝統文化であると思っています。
そこで今日は、苗字について勉強してみようと思います。
今から勉強しますので、書き終わる頃には意見が180度変わっている可能性もありますが、はたしてどうなるでしょうか。{笑}

その前に一応言っておきますが、夫婦別姓に反対する意見として、根本的な事を一つ言っておきます。
日本において苗字とは『家の名前』であり、そもそも別姓という考え自体がおかしなものです。
もしも意見下さった人の言っている事が正しく、『海外は選択的夫婦別姓が認められている』とするならば、根本的に苗字に対する認識が違うのでしょう。
海外では『受け継がれる名前』程度の意味しかなかったのではないでしょうか。
日本ではそうではなく、『受け継がれる家の名前』なんです。
そういう意味で今の日本の苗字は伝統文化と言えるはずなんですが、まあそうではないと言う意見が多数あったので、色々な視点から考えたいと思います。

まず、そもそも伝統文化とはなんでしょうか。
今調べておりますよ。{笑}
私の意見は後で書くとして、調べた内容は‥‥
『世代を超えて受け継がれた精神性』
『人間の行動様式や思考、慣習などの歴史的存在意義』
『信仰、風習、制度、思想、学問、芸術などの様々な分野において、古くからのしきたり・様式・傾向、血筋、などの有形無形の系統を受け伝えることをいう。』

参考
http://www.jtco.or.jp/tradition_culture/?id=5
https://www.weblio.jp/content/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E6%96%87%E5%8C%96

こんな意味だそうです。
これだけなら益々私の言ってる事は間違いなさそうですが、おそらくポイントはこの辺りなのではないでしょうか。

①長く続いている事。
明治にできた法律という事で短いという意見が多々ありました。
でも、明治からの伝統を受け継ぐ味、とか、アレって伝統じゃないんですかね。
宝塚が女性だけなのは伝統ではないのでしょうか。
まあ長さだけで伝統を否定する事はできないでしょう。

②あたり前の事。
夫婦別姓の例を挙げてくださる人もいましたが、あたり前の事でも例外はあります。
普通に考えてそれが普通だと思うのが伝統文化だと私は思いますね。
その頃の人がそれをあたり前に思っていたかどうかなんて想像でしか言えませんが、私はあたり前に男系が家(苗字、或いは苗字のようなもの)を継承するという文化はあったように思います。

③日本が発祥である事。
この辺り重要視されているように思います。
でもこれも、伝統を否定するものになり得るでしょうか。
稲作は日本の伝統とは言わないんですかね。
仏教はどうでしょうか。
神道は日本生まれですが、おそらく海外の何かを参考にしている可能性があります。
参考程度ならいいのでしょうか。
独自進化を遂げていたらいいのでしょうか。
私の感覚では、『長く続くあたり前の事』なんだと思うんですが、どうでしょう。
その辺りの認識が違えば、それは意見も違ってくるでしょうね。
だからこれをもって否定するのは難しいかと思います。

それではいよいよ本題の苗字です。
私の記憶から先に言っておきます。

まず、明治に日本国民全てに苗字が定められたのは知っています。
しかしその前から、苗字らしきものがあったのは言うまでもないでしょう。
全ての人が持っていたわけではないですが、『家の名前』は有ったはずです。
それを苗字と定めたのが明治だったという認識です。
それで名前ですが、その前は苗字と名前という単純なものではなかったですよね。
確か‥‥
ハッキリとはしりません。{苦笑}
源氏と平家を表すものとか、名前、呼び名、家名(今で言う苗字)、色々あったかと思います。
その中で、家名と名前だけにしようと決めたのが明治ですよね。
まあ話によるとドイツの法律を真似たとか聞きましたが、もしも今ドイツが男女別姓を許しているとしたら、苗字は家名でなく受け継ぐ人の名前であり、日本とは意味がまるで違います。
同じルールでも中身は違うって事ですよね。
あくまでそのまま使えるから使ったってだけでしょう。
それにドイツって、氏名の間に何かが入ったりとかしませんでしたっけ?
よく知らないので、知ったかは止めておきます。

それで女性の名前ですが、昔はどういう感じが基本だったのでしょうか。
私の印象(私は記憶力が悪いのでザックリ印象で覚えています)で話すと、名前だけ、或いは呼び名だけで呼ぶ事が多かったような気がします。
それで正確に言う場合は、例えば山田太郎と結婚した花子さんの場合は、山田太郎家の花子という感じだったかと思います。
あくまで私の印象ですよ。
正確ではありませんよ。
さてそれで明治の頃全ての人に苗字をつけ、苗字とセットで名前を言う場合のルールとして、今の法律があるわけですが、過去の風習をスッキリとさせて形にしたものと感じませんか?
明治の頃困ったはずです。
スッキリ書けないは、名前をコロコロ変えるヤツもいるは、定まったルールもないからみんな違うはで、だから一つのルールを定めたわけです。

『ここから先は、「家の名前である苗字」と「その人個人を表す名前」だけにしよう』

海外では山田の子「太郎」かもしれませんが、日本では山田家の子「太郎」という伝統文化を苗字と言うやり方で形にしたのです。

さて、これが私の思う日本における苗字の歴史ですが、実際はどうだったのか調べてみましょう。

ほうほう、幼名ってのが有ったりするですね。
仮の名前でしょうか。
まあこれは言われてみれば有ったなって感じだし、知っていたと言えば知っていました。

ほうほう、8世紀後半から名字はありましたが、名乗れなかったので忘れ去られたものもあるそうですね。
名字の歴史は結構長いようです。

姓と氏は違うってヤツですね。
姓は平、氏は北条‥‥
両方とも今でいう苗字ですが、少し違いますね。
大きな意味で姓、小さい意味で氏ですね。
姓名とか氏名とか今でも言いますが、両方の意味を兼ね備えたものが苗字なのかもしれません。

皇族には姓が無い、これも知っています。
それで皇室から出る女性も賜姓を受けて姓を持っていたのですね。
なるほどおそらくこの辺りは別姓になった可能性がありますね。
皇室から出る女性というのは苗字がなく、それで現代では男性の姓を貰うという形にしているのかもしれません。 
昔は結婚してどうなったかは分かりませんが。
北条時宗の妻祝子を例に挙げておられますが、その場合、『北条時宗室政子』(政子⇒祝子?)だったり『従四位内侍北条祝子』という事になるのではないかという話です。
北条祝子だと現代風であり、意味的には同じ『北条の家の祝子』で、共通のようですね。
今の表現の仕方は違いますが、意味は同じです。

ただ、ハッキリとした事というのはなかなか言えなさそうです。
女性が名前を記す場面が少なく、別の呼び方だったり、姓と氏だけで表現される事が多かったようですね。
山田さんちの奥さん、山田太郎の嫁、みたいな感じで記されるか、或いは概ね呼び名で呼ばれていたと思われます。

上家長制度の中では男性の血筋が優先、みたいなのもあったんですね。
そして女性は家を出て嫁に行くわけです。

さて、ここまで調べた事が正しいかどうかなんて、私には分かりません。
ただ、似たような事を言っている人は何人かいらっしゃいますし、ある程度伝統と言えるのではないでしょうか。
スッキリとしたルールになったのは明治ですが、それ以前から男性側の家名(苗字)を受け継ぐ風潮はあったようです。

こちらに色々な人の意見が書かれていますね。
https://togetter.com/li/914840

これによると、明治9年に夫婦別姓制度があったんですね。
でもまあ問題があるから変えられたのでしょう。
山田さんちの佐藤花子ってのもちょっと混乱しますし。
北条政子や日野富子は学術用語ですか。
名前は呼び名で通じれば良かった時代に、こう呼ばれていたかどうかは分かりません。
今の人が分かりやすいように表現されていると考える事もできます。

そんなわけで、今のようなスッキリと決まったルールは、昔からあったわけではありません。
でも、家名を男系で引き継ぐというのは、概ね昔からあったようです。
そして女性が嫁いだ先の家に入るというのも有り、今の苗字のルールは日本の伝統文化に沿ったものと言えるのではないでしょうか。

昔の事ですから、ハッキリと断言する事はできません。
でも、今も自然にそれが受け入れられているのですから、それを伝統文化という事に間違いはないと私は考えます。

※※追記※※

こんなハッキリとした文献があるんだぁ‥‥(上記リンク先から)

だいたい室町時代に丹波国の女性が「鶴野」という苗字から(家の名前だけど)「井本」という嫁ぎ先の苗字を名乗っている文献があるので(戦国女性の姓・苗字・名/坂田聡)「日本が同姓(=苗字)を名乗るようになったのは明治時代からで100年ほどしか歴史がない!」というのは大嘘だよ。

やっぱり、伝統と制度を一緒くたにしている人が多いのだと思います。
伝統は伝統としてアリ、それを参考にそれに沿った形で法整備されたわけで伝統は伝統ですね。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichiromatsutani/20151218-00052572/

この記事もまあ面白いんだけど、色々な例が庶民では見られたって、基本は男系相続だったんじゃないかと思います。
それに武家で伝統であって、それを一般庶民に広めたとしたら、それもまた伝統です。
囲碁とか元々庶民の遊びでは無かったですよね。
それが広まって伝統の遊びになるわけですよ。
他にもそういう皇室、公家、武家でのものが一般に広まった伝統というのはあるかと思います。
なんにせよ、伝統じゃないっていうのは違うでしょう。

ちなみに、再び男女別姓関係の話を少しさせていただくと、私は「伝統だから今の法律は絶対に守るべき」、だなんて思ってはいません。
伝統文化でも、変えるべきは変える必要はあると思います。
ただし、伝統文化というのは、良いから続いてきたわけで、その中には必ず見えないメリットというのが有ったりします。
安易な考えで変えると失敗する可能性が高いです。
まあその辺りは、先日書いた記事に反対する理由を書いていますので、そこから読み取って頂ければと思います。
当然そこに書かれていない伝統文化のメリットというのも十分にあり得ますよ。
伝統文化を読み解くのは、そんなに簡単ではありませんからね。
https://plus.google.com/+Syuka/posts/8dtSPoyLTM5

2018年6月23日土曜日

日本に生まれて日本が嫌いで何が悪い?私が思う事

ある所でこんな発言をしている人がいました。
『日本に生まれたからといって日本が嫌いで何が悪いんだ!』

良い悪いは別にして、私の思う所を書きたいと思います。

日本が嫌いだという人がいるのは、これは仕方がない事だと思います。
全ての人が全てにおいて満足できる国なんておそらく造れないでしょうし、好き嫌いの感情は、自分で完全にコントロールできるものではないからです。
ただ、日本の悪い所ばかりを見てしまうような人生を歩まざるを得なかった人は、不幸だなと思います。
日本には良い所も沢山あり、少しでも前向きに生きられたら、結構好きになれるからです。
ポリアンナのように良かった探しをすれば、日本って世界の中でもかなり良い所が多い国なんですよね。
そんな日本が嫌いというのは、ただただ不幸としか言いようがありません。

さて、とはいえ嫌いだという人を否定もできません。
それは仕方のない所もあるからです。
でも私は、それを言葉に出していうのは、あまりよろしくないとは思います。

理由の一つとして、『好きは好きを、嫌いは嫌いを生む』からです。
例えば台湾人が『日本を好きだ』と言ってくれれば、悪い気はしませんよね。
それで単純な日本人は、『台湾好きだ』となります。
あのプーチンですら、『日本の文化が好きだ』と言えば、指示する日本人は大勢いるわけです。
おそロシアとか言いながらも、プーチンとなら上手くやって行けそうだと思うのです。
逆に中国や韓国のように、『日本が嫌いだ』 という国が有れば、日本人の方も『中国や韓国は嫌いだ』という風になります。
嫌いという感情は争いを生む場合も多く、良いものではありませんね。
そういう気持ちを持ってしまうのは仕方がないにしても、それを広げる行為はあまり良くありません。
だから『嫌い』と言う事は、極力避けるべきだと私は思います。
もちろん問題があれば指摘するのは必要ですよ。
でも『嫌い』というのはよろしくないのではないでしょうか。

他にも理由はあります。
好きな人への配慮ですね。
最近ジャニーズのタレントが批判される機会がありましたが、そこであがった声として『ファンの気持ちも考えて』というのがあります。
好きなものを否定されるというのは、とても悲しいのです。
嫌いなものを好きという人が現れても、それほどショックは受けません。
でも好きなものを嫌いと言われるのは辛いものです。
だからできれば嫌いというのはあまり言わない方がいいのです。

関連して、人間関係を上手くやっていく為にも、嫌いというのは言わない方が良いです。
私は自身の経験としてそれを感じています。
私は実際に嫌いになる人がほとんどいなかった事もありますが、人を嫌いだとか悪口を言った事がほとんどありません。
※リアルでの話です。
そういう所が上の人下の人両方から評価され良い立場を築いてこられたと思います。
そしてある時本当にちょっとした否定をした事があるのですが、おそらくそれが原因である人との関係が崩れた事もありました。
少なくとも人生上手くやっていこうと思ったら、『嫌い』という事はなるべく言わない方が良いと感じます。

まあそうは言っても、嫌いという人がいるのは、考える必要はあるでしょう。
全ての人に好きと言ってもらえる国造りはほとんど無理な話ですが、問題があるのならどうするのが良いのか考える必要はあると思います。
あっちを立てればこっちが立たず、なんて事も多々あるので、改善が難しい問題も多いですが、日本が嫌いという人がどんな理由で嫌いなのか、それはしっかりと聞いていきたいですね。

日本は神の国で、言霊というものもあります。
嫌い嫌いと言っていたら、日本の神様に嫌われ益々不幸になる可能性もありますし、嫌いな人も嫌いとは言わず、問題を指摘していく形にした方が良いと、私は思います。

2018年6月18日月曜日

差別を批判する前に その差別、本当に差別か確認したい!

何度も言っている事ですが、差別について少し書きます。

差別とは、理由も無く差を付ける事です。
良い方に差を付ける場合は逆差別になり得ます。
理由がある場合でも、その理由に見合わない差を付けると、これも差別になります。

難しいのは、その理由が見合っているかどうかは、人それぞれ個人の価値観によって違うという事です。
だから差別だと思った場合、まずは理由を確認し、その理由が自分の価値観だけでなく、世間一般でも見合っているのかどうか検証する必要がありますね。

ただ難しいのが、『連帯責任的』な差別です。
たとえば日本人が外国で犯罪を犯し、その国の人が『日本人はでていけ』というのは、ちょっと言い過ぎです。
でも日本人なら、なんとなく連帯責任感を持っていますから、『犯罪を犯すからそいつが悪い』と思うわけです。
まあ一人のせいで日本人が全て悪く見られるのもおかしいですが、日本人ならこういう感覚を持っていますね。

とはいえこれはやりすぎだと感じる人も多いでしょう。
しかし日本人の外国での犯罪率が、群を抜いて多ければ、流石にこれは『日本人でていけ』と言われても無理もないと思ったりします。
もちろん私はよっぽどじゃない限り(感情的になってしまう場合など)そんな事を言うつもりはありませんが、発言者を責めるのは違うと思います。

差別って、個人の価値観によって差があるから難しい所があるんですね。
でも、特に極端な判断をする人の声が特に大きいように思えるわけで、それに引きずられるのは違う気がします。

差別という言葉を聞いた時は、一体何が差別なのか。
本当に差別と言えるものなのか。
ちゃんと判断していきたいですね。

2018年6月16日土曜日

私が夫婦別姓に反対する理由 そもそもどうして夫婦は同じ苗字なの?

私は元々、夫婦別姓には賛成していた記憶があります。
それどころか、『結婚したら好きな苗字を付けさせてほしい』とまで思っていました。
しかしじっくり考えて、或いは今の自分の状況を振り返ると、とてもじゃないけれどこれには賛成できないと思うようになりました。
ツイッターで少し意見をいただき、考える機会になりましたので、その辺りまとめておきます。

まず、離婚率が上昇するのではないかという懸念を持っています。
別姓だから別れた後の手間が省けるわけで、可能性としては考えられますね。
そしてこの場合一番被害を被るのは子供です。
もしもそうなるのであれば、これだけでも十分反対する理由にはなるでしょう。
ただ、そうはならないという意見もいただきました。
これは私が心配しすぎだという可能性は十分にあるでしょう。
それでも安心できるだけの理由は聞かれなかったので、とりあえずこれは私の不安であり、不安があるから反対という程度の理由としてあげておきます。

次に、離婚もそうですが、色々と子供が困るのではないかという事です。
あるブログか何かを紹介していただいて読んだのですが、マイノリティからの脱却の為に夫婦別姓が制度化されて欲しいという意見がありました。
確かに両親の苗字が違うのは現状では超マイノリティであり、おそらく子供の頃はこれをネタにからかわれたり、イジメの原因にもなりえます。
子供とは残酷で馬鹿です。
全ての子供とは言いませんが、私はそうでした。
友達をからかうネタとして名前というのは確かにあったのです。
しかし、これを制度化したとして、そういうのが無くなるでしょうか。
むしろ制度化されれば別姓を選ぶ家庭が増え、それでもマイノリティである事は変わらず、からかわれたりイジメられる子供が増えるだけに感じます。
大人の感覚では、ちゃんと教育すればとか、法整備されていればというのは思う所ですが、子供にそんな事は関係ありません。
夫婦別姓を選ぶ人が半数近く、或いはクラスでそれなりの数いれば問題ないでしょうが、私は夫婦別姓を選ぶ人はそこまで多くないだろうと予想します。
日本は男系男子で継承している天皇陛下がおられる国であり、国民はそれを見習う形である国です。
それから外れる選択を大勢がするとは、私には考えられません。
よって、からかわれたりイジメられる子供が増える可能性が高く、夫婦別姓は止めた方が良いとなります。

それにそもそも苗字とはなんでしょうか。
それは家を表す名前です。
山田家、佐藤家、その家の名前です。
なのにその家の名前が二つあるのは不自然です。
苗字は家の継承の為にあるわけで、いらぬ争いもおきそうです。
一人っ子同士の結婚の場合、別姓の方がいいという話がありました。
そこまではまあ理解できますが、では子供ができた時、どちらの苗字を付けるのでしょうか。
そこで夫婦間で喧嘩にはならないのでしょうか。
子供が一人だったらどうするのでしょうか。
その後離婚なんかした日には、また子供の苗字が変る変わらないでもめます。
苗字が同じ場合は、その苗字を継承する事もできるようで、子供を守る為の法律はあるようです。
でも別姓にしていたらどうでしょうか。
山田パパと佐藤ママがいて、子供は山田を名乗っていたら、離婚で佐藤ママに着くことになりました。
この場合どうするんですかね?
同じなら苗字をそのまま使う制度がありますが、佐藤ママがこの時山田に変更して、そして離婚するのでしょうか。
子供の事を考えれば、或いは家庭の無駄な争いを無くす為にも、別姓を選べるなんてものは無い方が良い気がします。

そして天皇陛下に関して先に少し言及しましたが、日本は代々男系男子の継承によって家庭を守る伝統を持つ皇室を持った国です。
それが上手くいっているから2678年も続いているわけで、それを国民は見習うわけです。
もちろん男子が生まれない家庭もあるので、家を守るという意味では婿を貰うという場合もありますが、血を守るという意味では婿を貰えばそこで終わってしまいます。
男子のY染色体は、男子が生まれれば必ず継承していますが、他のX染色体はどうか分かりません。
これがDNAの分からない時代から行われているわけで、これはもう人間の本能というしかないでしょう。
つまり男系で家を継承していくのが人間の自然な流れなのではないでしょうか。
これについて差別をいう人もいますが、女性にしか子供が産めないのと同じで、男性にしかY染色体はないという事です。

少なくとも、私は家庭を継承していく為の苗字という意味で、自分の苗字を自分の代で終わらせてはいけないと今は考えています。
ご先祖様に申し訳がないと感じるのです。
そのために、今は男子が生まれるまで子供をつくり続けたいとさえ思います。
このように考えるのは、今の苗字の制度、男系苗字を受け継ぐという伝統がある事も大きいでしょう。
もちろん、男性だけではなく女性側の苗字を受け継ぐ事もできるわけですが、それは女性しか生まれなかった家の継承の為に必要だからだという事が分かります。
血の継承はできずとも、家の継承も大切ですからね。
それはご先祖様への感謝と義務みたいなものですから。
そうしなければならないと思わせるような今の法律ですから、変える事のデメリットを感じるのです。
『どうしてお父さんとお母さんは苗字が一緒なの?』
『それはね、一つの家族になったからだよ。一緒にこの先祖代々伝わる山田家を守っていくって約束の為だよ。』
こうやって教えられれば、 何か感じるものはないでしょうか。
少なくとも今の私は夫婦別姓を導入したからと言って気持ちは変わりません。
ただ、これから先の人達は、家を受け継ぐ、或いは血を受け継ぐというご先祖様への感謝が薄れてゆくのではないかと危惧します。

男系男子で家を受け継ぐ形が、結婚したら男性側の苗字になるという意味であり、それができない場合でも家を受け継ぐ形が女性側の苗字になるという意味なのです。

血に意味はないとか言う人もいますし、事実そうかもしれません。
でも私は意味があると思っています。
男系男子で続いてきた天皇陛下は、国民の幸せを願うという意味ではブレていません。
100人以上もいるのに、それはどうしてでしょうか。
大きく分ければ、黒人、白人、黄色人種、やはり特徴というのはあるのです。
その家の特徴を引き継ぐというのは、私は意味があると感じますし、それを壊してゆくかもしれない制度にはやはり反対です。

夫婦別姓が、血や家の継承に対して、それを大切に思う気持ちに影響するのではないかというのが、私が不安に思う所です。
ほんの小さなほころびが、将来大きな穴になる可能性も感じます。
まだ最も私が反対する理由に関してはハッキリ書いていませんが、ここまで書けば私が本当は何を一番危惧しているのかが分かると思います。

とりあえず、夫婦別姓にどういう利点があるのか、或いは私の不安を払拭できるだけの説明、理由が有れば、考えも少しは変るでしょう。
或いは日本でなければここまで反対はしていません。
元々夫婦別姓にはおそらく賛成だったわけですからね。
漠然とですが、その方が良いと思っていたのです。
でも、夫婦別姓でないと絶対にダメだという理由も聞こえてこないのです。
それに説得力があり、不安とデメリットを超えるだけの理由があるのなら、それを示していただきたいですね。
今の法律でも、概ね違う苗字で活動する事は可能です。
私も本名以外の名前でいくつか活動していますし、私の友人にも本名以外で活動しておられる人が沢山います。
もちろん会社には本名を登録してはいますが、少しの手間を除いてデメリットもありません。

どうしても導入した方がいい理由が示されない限り、変えなくていいものは変えない方が良いのです。
今は夫婦別姓の方が便利だって人はいるにはいますが、それ以上のデメリットはあると思いますし、今までのメリットを無くす気がします。
メリットというのは、苗字は血や家の継承そのものですから、その為に子孫を残し、ご先祖孝行しようという気持ちが生まれるって所です。
苗字が家の名前でなくなれば、それを継承しようとする気持ちが薄れてしまいます。
少なくともどちらかの親の苗字しか引き継げなくなるわけで、想いは半分になるでしょう。
結婚しなくてもいい自由、子供を産まなくても良い自由と言われると、そこまで大切な事ではないと感じます。
だから私はそうしてきました。
今になって後悔しています。
なんでそんな勘違いするような自由があるのでしょうか。
※その説明は他で散々やっているのでここでは割愛します。
こういう人もいるわけで、夫婦別姓を導入すれば、家の継承に対しての思い入れが薄くなる可能性が十分にあるのです。

もう一度言いますが、苗字は家の名前です。
山田さん家の太郎くんであり花子さんです。
それを別姓にするというのは、もう家の名前ではなくなり、家の名前もなくなるという事です。
先祖代々受け継いできた家を大切に想う為にも、夫婦別姓には反対します。

※※追記※※
一番普通な夫婦同姓な方が良い理由を書き忘れていました。
国家が国旗に集い団結するように、家族も苗字に集って団結する要素はあると思うのです。
他人がどうしようが勝手だという意見もあります。
おそらく10年前の私ならそう言っていたでしょう。
でも、やっぱり日本人みんなでより幸せになれる可能性が高い方を選びたい、そういう思いが今はありますね。

さらに‥‥
コスト面を指摘してくださる人がおられました。
これは確かに重要な問題で、一つの理由として考えるべきものでしょう。
ただ、これだけで夫婦別姓を取り入れるとしたら、全面的にそうしない事にはあまり意味を感じませんね。
でも状況によっては議論すべき事でしょう。

それと、夫婦別姓を選択できるという部分は理解しておりますよ。
選べてしまう事を危惧している所も大きいわけです。
選べてしまう事に問題があると私は思っています。

さらに‥‥
イジメる側が悪いというご指摘をいただきました。
ありがとうございます。
それは確かにその通りで、責められるべきはイジメをした側です。
しかしどれだけイジメた側を責めても、イジメを止めるよう教育をしても、悪いヤツや馬鹿なヤツは必ずいるのです。
防衛策を講じるのは必要だと思います。
子供虐待で死に至らしめた事件がありました。
いくら子供を虐待するのはいけない事だと言って罰則を設けても、こういう事をする親はいます。
それに対し何も対策を講じず、虐待する親が悪いと責めるだけでは問題は解決しません。
そうならない為にできる事はないのか、考える必要もあるという事です。
私はそういう意味で、選択的夫婦別姓も止めた方がいいのではと思う所です。

さらに‥‥
世界で夫婦別姓を選べないのは日本だけというようなコメントもチラッと見ました。
ツイートが多すぎて正確に全ては拾えませんが‥‥
仮にこれがそうだとして、だったらこれで日本の離婚率が低ければ、選択的夫婦別姓によって離婚率が高くなる可能性もあり得るわけです。
まあ海外と日本を同じには考えたくないので、あくまで一つの参考としてですが、先進国の中では離婚率は低い方のようです。
これで離婚が増えると断言はできませんが、不安なデータが一つ出てきてしまいました。{汗}

さらに‥‥
夫婦別姓が必要な人が、不正ではないですが、離婚と結婚を繰り返すなどの行為をするようですね。
これに関しては取り締まる方が私は良いと思いますが、そこまでしなければならないほど別姓が必要なら、これは議論の余地があると思います。
例えば選択的ではなく、許可制なんかも踏まえて。
それが良いかどうかは今は言えないのであくまで議論の余地があると思う所ですが。
ただ、私の想像力では『絶対に夫婦別姓でないと都合が悪い』という状況が思いつきません。
それに説得力があれば、別の方法も踏まえて議論したいですね。

最後にします。(予定)

ちょっと通知が多すぎてコメントや質問なども追えない状態です。
※ツイッターの話。
それで最後に、反論というか疑問を書かせていただきます。
正直私は記憶力には自信がありません。{苦笑}
だから物事はイメージと理屈でなんとなく覚えるようにしているので、自分が絶対に正しいなんて思っておりません。
だから情報はまずそれが正しい事を前提に話しますが、やはり疑問を感じるものは疑ってかかります。
そう感じた部分を一応あげておきます。
まず私が最初に夫婦別姓(選択的)に反対した時、書いて問題視されたのは『伝統文化』だとした所です。
私はそう思っていましたが、言われてみれば断言できる資料等見た事はありません。
でもザックリとした印象として、日本は男性が家(苗字)を継ぐというのは昔からあったように思います。
※大昔は苗字が無かったので、文字通り家ですね。
そこで何人かの名前をあげられ『夫婦別姓は昔からあった』という指摘を受けました。
なるほど、深く考えていませんでしたが、あったのはあったのですね。
でもだからと言って、家(苗字)の男性継承が伝統文化で無いという事には繋がりません。
例外は当然あるでしょうし、慣習としてそうであっても、そうでない事なんて山ほどあるでしょうから。
それともう一つ指摘されたのが、苗字の法律は明治に定められたという事です。
苗字が明治の頃から正式に始まったのは知っています。
ただその前から、公にせずとも持っていた人は大勢いますし、まあ正式に全国民に定められたのがその時だという事です。
さて法律ですが、法律とは何故定めるのでしょうか。
どのように定めるのでしょうか。
『問題があるから、国民が納得するルールを決める』のが法律で、国民が納得するルールというのは、すなわち『伝統文化をふまえて』決めるのが普通です。
大日本帝国憲法は日本の伝統文化を元にルールと重要な確認事項を文書化した憲法典の事ですね。
つまり法律が定められる前からある伝統文化慣習にのっとって苗字の法律が定められたわけで、その前から既にそういう傾向はあったはずです。
それが証拠に、苗字のルールでは男女どちらの苗字にしても良いわけですが、男性に大きく偏っていますよね。
これはそれまでがそうだったからそうなったと見るのが自然なのではないでしょうか。
そうでない資料とかあるのなら見てみたいですが、とりあえず私の少ない知識の中ではそれはみつけられません。
家(苗字)は男性継承が基本、これは長く続いている事だと今も思います。
むしろそうで無い情報を提供し指摘をされる人が見られなかったので、よりその可能性が高いと感じます。
そして昔は、男性が生まれないと家を継ぐ者がいないという事態もあったかと思います。
そういう時は養子をとったり、或いは次男三男をもらってきていますね。
当然そういう事も踏まえて、法律では『男女どちらかの苗字を名乗る』とされているのです。
さてそれでその後、女性の苗字を名乗る人はどれくらいいるでしょうか。
かなり少ない数しかいないのは、それまでは主に男性が家を継承してきたという事ではないでしょうか。
法律には、あたり前の事で問題が無ければ定めたりしません。
当然法律的には、家を継いだ人の苗字を継がなければならないという事もありません。
男性が家を継いでも、女性の苗字にしたっていいのです。
ですが、ほとんどそうはならなかったのは、法律に書く必要がないくらいそれが慣習化されていたという事です。
もちろん例外はいますけれどね。

それで確かに思うのは、今は家を継ぐという意識はもうかなり薄れていて、家を継ぐ人の方が珍しい状態です。
だから『選択的夫婦別姓』に関しては、そろそろ導入も考えられる時期と言えるかもしれません。
そもそもおそらくですが私は賛成派ですからね。
でも今違うのは、やはり家を継ぐという意識は強く有った方が良いと感じるからです。
私にはそれが全くありませんでしたが、今になってそれが大切だと感じ後悔しています。
これでもしも選択制とはいえ夫婦別姓が法律化されれば、ますます家を継ぐという意識は薄れるように感じます。
苗字は家の名前ですからね。
そして今の時代は、家を継ぐとは、仕事や家そのものの事だけではありませんよ。
主に血であり、家族の事です。
大きい意味では日本国家そのものの継承です。
そしてそれが、ご先祖様への感謝だと思いますから、私は大切だと思うのです。
私は今まで、ご先祖様への感謝の気持ちがありませんでした。
ご先祖様に感謝するというのは、それこそ日本の伝統文化です。
その為に家を継承していくのです。

まあでも色々な意見を持った人がいる事が分かって良かったですよ。
前々から言っていますが、私は自分と違った意見をより多く聞きたいのです。
でも今回多くの方が私に意見下さいましたが、説得力のある意見を言って下さった人はほとんどいませんでした。
コスト面でというのは、かなり良い意見でした。
それなら苗字を分離して考えるのもアリかとかそんな事も考えましたよ。
山田太郎さんなら、届け出は『太郎』だけで良い事にするのです。
それだと同じ名前が増えてややこしくなるなら、また昔のように間に名前を増やすとか。{笑}
山田佐藤太郎にして、普段は佐藤太郎で何でもできて、山田は完全に家の名前として分けるのです。
半分冗談ですが、コスト面を考えるのならそういう方法なんかも有るかな?という話です。

全ての質問には答えられませんし(私の知能の問題も有り)、全てに目を通す事も出来ていませんので、もしかしたら私の欲している情報を提供してくれていた人がいたかもしれません。
ただ、この辺りが私の限界ですので、ここに書かれている事が私の考えるほぼ全てだと理解していただければと思います。
これで何が言いたいか分からない人には、私には納得いく説明は不可能だと思います。
ちなみ分かっておられ、それに同意している方も見受けられましたので、全く伝わらない文章でもないはずです。
そんなわけで、この話はここで締めたいと思います。
ご意見ありがとうございました。

そうそう、子供が欲しいのに子供ができない人への配慮が足りない発言だという意見もございました。
もっともな事だと思います。
傷つかれた方がおられたら、それは申し訳なかったです。
ただ私は以前から言っている通り、少子高齢化や家族意識の希薄化が社会問題としてある以上、誰かが言うべきは言わざるを得ないと思っておりまして、それは言う方も心苦しいのですが、言う事にしています。
もしもそういう発言が聞きたくない方は、ツイッターでは私をブロックするなりして対応して下されば助かります。

その後の追加情報はこちらにもあります。
日本を考えるぼっちの会

2018年6月1日金曜日

女性はか弱い存在だから守られるはず!憲法9条があれば日本は攻撃されない?

私は男性ですから、女性の本当の気持ちは分かりません。
だから最近色々な女性の意見を見て回っていたのですが、その時少し思った事を書きます。

女性は男性を怖いと思っているという話を目にしました。
確かに女性は男性よりも体力的に劣るわけで、そう感じるのも無理はありません。
でも男性の私から見れば、だからこそ男性を怖がらずにいられる社会が、日本ではつくらているのではないかと思うわけです。

女性を守るものは一体なんでしょうか。
一つは男性も共通ですが、警察というハードです。
そして他にも、法律というソフトが男性と共通してあります。
しかし女性には、それ以外にもソフトが存在します。
それが、風潮であったり、教育であったり、文化であったりします。

例えば男性は女性を守るものだと教えられます。
女性に暴力を振るうなんて最低だという風潮があります。
顔に傷でも付けようものなら、罪は男性相手よりも大きくなります。
だから普通の男性は、女性に暴力を振るうなんてありえないのです。
最悪あったとしても、本気で殴ったりはしません。
そんな日本ですから、私は『女性の方が男性を怖がる必要がない』という風に考える所もあるのです。
言いたい事も女性の方が言いやすいと思っています。

ただ、事犯罪という風に考えると、やはり女性の方が狙われやすく、そういう意味で男性を怖がる女性ってのが一定数いるのかなと、それは仕方がない所かと、私は思ったりしていたわけです。

そんな時、ふと憲法9条が思い浮かびました。
憲法9条って、ある意味この話に似ているのではないかと思うわけです。
女性が弱くかわいらしい存在であるから、男性は守り暴力を振るったりはしません。
日本は憲法9条があるから、外国は攻撃してこないのです。
でも、男性が怖いのですよね。
実際女性が狙われる犯罪もありますよね。
だったら、吉田沙保里選手のように強くなればどうでしょうか。
これが憲法9条改正という事と重なる気がするのです。

男に『女性はか弱い存在だから攻撃してはいけません!』って言うのは、中国の憲法に9条と追加するようなものです。
そう考えると、確かに『風潮』や『教育』や『文化』があっても、男性を怖いと感じる気持ちが分かります。
中国の憲法にそんなものがあっても、関係ありませんから。
女性が本当の意味で男性を怖がらない為には、吉田沙保里選手のように強くならなければならないわけです。

でも流石にそんな事は無理ですよね。
だから女性が男性を怖く思う事は、どれだけ頑張ってもなかなか無くす事はできないでしょう。

しかし国は違います。
憲法9条を改正して、吉田選手のように強くなれるのです。
そして、自衛隊を強化する事で、ボディーガードを付けることまでできるのです。
そしたら安心ですね。
今はアメリカという警察がいますが、女性の気持ちを考えれば、それだけでは安心できないという事が分かります。
安心する為には、憲法9条を改正し、自衛隊を強化するしかないのです。

それは、女性が吉田選手のように強くなり、警察のいる町で、ボディーガードに守られているようなものです。
こうなれば安心ですね。

そんなわけで、日本は女性なのです。
いくらか弱く可愛い存在であっても、やはり中国やロシア、北朝鮮という男性は怖いのです。
そして犯罪者は、そんな女性こそ襲ってくるのです。
憲法9条を改正し、吉田選手のように強く、そして自衛隊を強化し、ボディーガードを付けましょう。

2018年5月31日木曜日

障碍者差別にするな!障碍者は何処まで助ける必要があるのか?

こんなニュースがありました。

『名古屋城の木造復元天守閣にエレベータを付けないのは障碍者差別だ!』
そんな言葉に対して、名古屋市河村市長は、エレベータを付けない判断をしました。

これは当然ですね。
少なくとも、これは『差別』には当たりませんから。

理由は簡単です。
何も無い所を何もないままにするのは、別に差別ではないからです。
何も無い所に差を付けるのが差別です。

例えば歩けない人の為に、全国全てに動く歩道を付けないのは差別でしょうか。
『最低限生きていく上で必要な部分は助けましょう』というのは国家として目指している所ですから否定しませんが、それ以上は個々の優しさによるものなのです。
だから『差別』や『人権』という言葉を使われると、逆にやりにくいですよね。
『障碍者も名古屋城の天守閣に登りたいので、エレベータを付けていただけませんか?』
そういうお願いであれば一考の余地はありますが、『差別だから作れ』は違います。

それにそもそも、障碍者ってなんでしょうか。
多かれ少なかれ、或いは重度か軽度の差はありますが、みんな障碍を持っていたりするのではいでしょうか。

例えば視力が悪いという事。
これも障碍と言えば障碍です。
だからメガネは国民無料配布、成人になったらレーシック手術費用はタダ、なんて事にするんでしょうか。
そうしないと差別でしょうか。
そんなわけありませんよね。

私事で言えばまだまだ色々な障碍がありますよ。
左利きなのはある意味障碍です。
この社会を生きる中でデメリットが多いです。
モノを買う時は大抵なかったり値段が高いです。
左利き支援をしてほしいです。

或いはサイズが合わないという事もあります。
男性平均より著しくサイズが違えば、買いたくても商品がありません。
小さい場合は女性ものを買う事になります。
ちゃんとサイズをそろえないのは差別でしょうか。

慢性の病気はどうでしょうか。
私は酷い時は週一で酷い下痢になる事があります。
こんなでは、トイレにすぐにいけないような職には付けませんね。
電車やバスの運転手とか、飲食店で働くのもかなり辛かったです。
電車やバスの運転席をトイレにしないと差別でしょうか。
まあそれはそれで面白いアイデアですが、そんな義務はありません。

他にも私はそれなりの睡眠時間が必要ですし、早起きすると体調が悪くなる可能性が高くなります。
最近仕方なく早起きを続けて半年になりますが、既に去年の2倍くらい体調の悪い日があります。
体調が悪くなると鼻水が止まりません。
下を向いての作業ができなくなりますから、デスクワークなんて到底できる状態ではなくなります。
そんなに頻繁に休ませてくれる会社、或いは遅い時間からの出勤で大丈夫な会社はどれくらいあるのでしょうか。
我慢できるだろうと思う人もいるかもしれませんが、私はその時は鼻にティッシュを詰め、15分に1回取り換えるくらいでないと駄目になるんですよ。
取り換える時はゴミ箱の上でティッシュを外すのですが、外した途端ダラダラと鼻水が出て鼻提灯までできます。
こんなになるのに、会社でデスクワークができるでしょうか。
薬でなんとかするにしても、眠くなったり、そのお金はどうするんでしょうかね。

このように、何にしてもみんな差はありますが、それぞれに障碍と言える何かを持っていたりするわけです。
だから自分でなんとか生きていけるレベルにあれば、後は自分でなんとかするのが基本になるわけです。

さて、お城にエレベータが無いと生きて行けないでしょうか。
サービスとしてそういう人を助ける為に何かをしてあげるのはとても良い事だと思います。
できる限りそうあるべきだとも思います。
でも、それが無いと差別批判するのは全く当てはまらないと思います。
こういう行き過ぎた差別批判は止めて欲しいですね。

2018年5月28日月曜日

らしさ教育を見直そう!男性らしさ、女性らしさは必要だから昔から言われてきた!

ツイッターを見ていたら、こんな女性の話が目に留まりました。

『ぶつかってくる男性に対して文句を言ったら反撃された。通りすがりの人は誰も助けてくれなかった。』

これはよくある話なのではないでしょうか。
最近の人は男性に因縁をつけられ困っている女性を見て見ぬフリする人が多いように思います。
それは人としてどうかと思いますが、さて自分がそれを目撃した時、助けられるかと言えば正直自信がありません。

なんせ私はチキンハートの臆病者ですからね。

困っている女性を助けるのは男性として当然の事だと思います。
でも、助けたくても助けられない男性、或いは損得で考えてそれをやらない男性も多いでしょう。
助けに入って逆に怪我、或いは殺されでもしたらたまったものではありません。
女性になら手加減もあるでしょうが、男性の自分に対しては本気で殴りかかってくるかもしれません。
助けるメリットなんて正直ないわけで、だったらリスクを負わないというのも正論なのです。

それでも男性が女性を助けるのは必要です。
戦争に女性が行かなかったのは何故だか分かりますか?
男性は一人で子供を沢山つくる事ができますが、女性は一生に産める数には限界があります。
ぶっちゃけ動物的に見れば男性よりも女性の方が大切なのです。
だから男性が女性を守るのはあたり前の事なのです。
体力的にも男性の方が強いという部分で当然と言えば当然でしょう。

それでも助けられないのは、臆病なだけではありません。
喧嘩のやりかたを知らない人が多いのです。
私もその一人ですが、ハッキリ言って喧嘩になれば『相手を殺してしまわないか心配』なのです。
たとえば女性を襲っている男性がいたとして、助ける為に何をするのでしょうか。
『チミチミやめたへ』
そんな事を言いながら説得するのでしょうか。
そんな事をして殴りかかってきたらどうしますか?
私は常日頃から人が襲ってきたらどうかわすか、どう反撃するかをシミュレーションしています。
それが上手くいけばいいですが、上手くいかなければ正直殴られただけでも死にそうな私です。
精一杯反撃する事になるでしょう。
それでもしも相手を殺してしまったら‥‥
そう思うとなかなかトラブルに自分から入ってゆく勇気がわかないのです。

女性を守る為の殺人は正当防衛として確実に認められるというのなら、まあ全力で助けようとする人も増えるでしょうが、そんな法律が作れるのですかね?
なかなか難しく、下手すると過剰防衛で牢屋にぶち込まれるのは助けた側となるのです。
そんなわけで、なかなか『男性は女性を助けるのがあたり前』と言っても、今の世の中難しい所が多いのです。

さてしかし、難しいからと言ってそのままではいけません。
昔はもっと男がしっかりしていて助ける人も多かったように思います。
年配者が注意して逆に殺される、なんて事件も多いですね。
年配者は女性を守るという意味では今の男性よりもしっかりしているように思うのです。
それは何故でしょうか。

私は、『らしさ教育』があったからだと思います。
男は男らしく、女は女らしくです。
そうできない人、或いは自由を求める人がこれに反対していますが、社会を良くする為には、私は有った方が良い教育だと思っています。
男性は女性を守るのが当然で、強い身体と精神を持つ必要があるのです。
そういうものを鍛える為に、小さい頃からしっかり教育する必要があるでしょう。
女性も実は女性らしさってのは必要です。
その理由は、男性に守ってもらう為であり、確実に守られる為です。
そんな事を言ってもピンときませんよね。
説明しましょう。

まず、守りたいもの、守りたい人ってのはどんな人でしょうか。
家族であったり友人であったりすると思います。
でもそれはそれなりの関係があるからで、赤の他人を守る場合、そうしたいと思う対象はどんな人でしょうか。
『赤ちゃん』であったり、『子供』であったり、『女性』であったりするわけです。
その共通点はなんでしょうか。
それは、『可愛い』という事です。
可愛いというのは、守られるものの条件と言えます。
赤ちゃんが凶悪な顔をして生まれてきたらどうでしょうか。
親ならまあ守るかもしれませんが、全く関係がないとちょっとどうなるか想像できません。
では動物の赤ちゃんで考えましょう。
猫の可愛い赤ちゃんなら守ってあげたいと思いますが、猫の赤ちゃんが鬼や悪魔のようないでたちだったらどうでしょうか。
到底守る気にはなれないでしょう。
むしろ怖くて逃げます。
つまり、女性が女性らしく可愛くふるまうのは、男性から守ってもらう条件になり得るのです。

もちろん、そんな事がなくても男性は女性を守るべきだとは思いますよ。
でも、さあ守りに入って、黄色い声援があるのと、『おんどりゃ!私を守らんかい!』と言われるではどうでしょうか。
やはり男のやる気を左右しますよね。
そうすれば、その悪党との喧嘩の勝ち負けを左右するのは確実でしょう。
私なんて本当にお調子者だから、応援されるのとされないのでは結果が大きく違ってきます。
そんな事もあるので、女性もやはり女性らしくあった方が守られやすくなるのです。

確かに、らしさ教育というのは、そうできない人にとっては重いものかもしれません。
私なんて男らしさがあまりないから、言われると嫌な気持ちは分かります。
でも、多少なりとも言われてきた事で、そうあろうと努力はしてきたし、そうあるべきだとも思っています。
だからまあ全く何もできない人よりもマシな行動はできるのではないかとは思っています。
おそらくよっぽどでない限りはスルーしてしまいそうですけれどね。
少なくとも女性連れで歩いている時に何かあっても、自分だけが逃げるような事はしないでしょう。

らしさ教育を否定する人がいます。
気持ちも分からなくはないです。
それでも、やはり社会をより良くする為には、それぞれがそれぞれの最低限の役割を果たせる方が良いのです。
男が男らしいふるまい、女が女らしいふるまいができる事で、世の中が上手くいくのです。

そんなわけで、らしさ教育をもっとしっかりやる必要があると思います。
皆さんはどう思われるでしょうか。
悪いヤツがいる限り、何でも話し合いでは解決しません。
らしさ教育はちゃんとやって欲しいですね。

嫌な事から逃げてばかりでは、社会は成り立たないのですよ。

そうそう書き忘れていたけれど、らしさ教育をしっかりとすれば、当然『女性にわざとぶつかっていく男性』とか『痴漢する男性』とか減るでしょう。

2018年5月25日金曜日

TOKIO山口メンバーの事件が報道された時、どうして「家に行った方も悪い」なんて声が出たのか?

TOKIOの山口メンバーによる強制猥褻事件が報道された時、「家に行った女性も悪い」なんて意見がネット上で見られました。
それに対して「それは酷い!違う!」という声もありましたが、さて、これはどうなんでしょうかね。
私は今までの自分の経験から、女性に非はなく、全面的に山口メンバーが悪いと言っていました。
とは言え、ちゃんと親も教育しておくべきだったというのが私の考えです。
今もこの考えは変わっておりませんが、どうして「女性も悪い」というような意見が出てくるのでしょうか。
今回はその辺り考える事にしました。

考えるきっかけとしてあったのが、山口メンバーの事件の被害者女性は責められるのに、どうしてアメフトで監督の指示通りルール違反をして怪我をさせた人に対しては理解があるのかという疑問をツイートする人がいた事でした。
これに関しては、悪い人に対して同情するという意味では同じですし(山口メンバーとタックルした学生)、被害女性と加害選手を同じに考えるのは違うので、これに関しては議論の余地はありません。

でも気になったわけですね。
どうして被害女性を責める人がこんなに多かったのだろうかと。
それで考えに考えた話をいくつかしていきます。

まず、『女性が山口メンバーの家に行かなければ』という話は、『子供が川の近くで遊ばなければ』ってのと同じなんだと思います。
違いは加害者がいるかいないかってだけで、災悪にあったという意味では同じですよね。
川は危険だから近くで遊んではいけないと分かっていても、子供は遊んだりして、落ちて溺れて死亡事故に繋がったりしります。
だから親はしっかりと『川の近くで遊んじゃダメだよ』って教育するわけです。
山口メンバーの事件でも、普通親なら『男性の家に若い女性が行く事の危険性』を知っているはずです。
だから普通はしっかりと教育すると思うのです。
それで被害にあってしまったら、『だから川の近くで遊んだら駄目だって言ったのに』という話にもなるわけです。
ただ今回は、加害者がいるという事で、責めるのは加害者って事で良いとは思うですが、被害にあう事が災悪だと考えると、「女性も悪い」というのは理解できないくはないのです。
「川がそこにあって流れているのが悪い!川を無くせ!」なんていう人もいるかもしれませんがね。{笑}

それで法的にも実際にそう定められているものがあります。
自動車運転で大切な車間距離やシートベルトです。
例えば自動車運転で法律がなかったとして、前を走る車が居眠りをしていて、ハッと目覚めて驚いて急ブレーキをかけたとします。
そしたら後ろを走る車がそれに追突してしまいまいた。
普通に考えればこれは「居眠りをしていて急ブレーキをかけた方が悪い」わけですが、法律はそうはなっていません。
そういう事を防ぐために車間距離を取らなければならなくなっているわけで、注意を怠る事も責められる場合があるのです。
シートベルトも同じですね。

山口メンバーの強制猥褻のような事件は、たとえどれだけ厳罰化した所で、男性の家に行く女性がいる限りなくならないと考えます。
だったらどうするのでしょうか。
車間距離を取るように、シートベルトをするように、被害を受ける側が注意しなければならないのです。
その気がないなら、独身男性の家には女性は行かないという注意が必要でしょう。
個人的には、男女2対2くらいまでは危険だと感じますが、その辺りは断言できません。

さて、さらっと『男性の家に行く女性がいる限り、このような事件はなくならない』と書きましたが、その理由も話しておきます。
女性は、好きな男性に家に誘われたら、どんな気持ちになるのでしょうか。
『何かがあるかもしれない』と期待する事も往々にしてあるのです。
つまり逆を言えば、男性も考えるわけです。
女性が家に来たら『この子俺の事好きなのかな?』『何か期待しているのかな?』『やっちゃってもいいのかな?』『むしろやっちゃうべきなのかな?』『何もしないと逆に失礼になるのではないかな?』まあ色々考えるわけです。
普通の人は様子を見ながら正解を見つけるわけですが、グダグダとする男性を嫌う女性も多くて、どうしても間違いを犯してしまう男性は出てくるのです。
グダグダして嫌われたくはないですからね。

女性が期待するラインである、男性の家に行くという行為は、その気が無い女性にとっては危険なラインであるという事です。
ちなみに、タクシーに一緒に乗ったらオッケーだとかそんな事をほざいている議員もいましたが、タクシーに一緒に乗って期待する女性なんてなかなかいません。
何かをしないと失礼にあたるのではないかとか、考える余地もありません。
だから流石にタクシーには無理がありますね。
逆にラブホテルなんかだと、これはお互い期待して行く場所ですから、問題がないでしょう。
とはいえ、恋愛の最中にいきなり『ラブホ行こうぜ!』なんてムードも何もないわけで、やはり『男性の家に行く』くらいのラインが丁度微妙なラインとして必要なわけです。

まあそんなわけで、『独身男性の家にいく』というのは、『川の近くで遊ぶ』とか『車間距離をとらない』というのと同じような危険があると言う事です。
だから『山口メンバーの家に行くのが悪い』なんて意見も出てくるのです。
それは、この問題が起こらない最も効果的な方法は、『川の近くで遊ばない』『車間距離を取る』という事であり『独身男性の家には行かない』って事であるわけですから、そういう声が出てくるのも当然と言えば当然なんですね。
ただ、被害者の気持ちを考えていないとか、悪いヤツが悪いという当然の事を言うのが筋ですから、まあ批判するのも当然なわけで、両方の意見が出ている今くらいが健全と言えばそうなのでしょう。

どちらかの意見を封殺すれば一見穏やかですが、こういった被害にあう女性は減りません。
男性の家に行くのは危険なのに、それを言ったらダメというのもおかしいですからね。

何にせよ、若い女性が独身男性の家に行くというのは、そういう行為に及ぶ可能性があるという事をしっかり認識して、親は子にしっかりとした教育をする事が求められると思います。

もしもこの記事を読んでいる若い女性がおられるのなら、認識しておいてくださいね。
男に家に誘われても、その気がないなら決して行ってはいけませんよ。
断り方としては、『親に男の家には行っちゃダメだって言われているから』とか言えばいいのです。
何か脅されたら、それは脅迫ですから犯罪です。
スマホで録音しておいてやりましょう。
録音するだけなら犯罪にはなりません。
それをむやみに他人に聞かせたりするのがプライバシーの侵害になるだけです。
証拠として残して、後で何か不都合な事をされたら親に相談してくださいね。

2018年5月21日月曜日

多様性のある世界と多種多様な人々が共存する世界は違う!世界を一つに考える人はどちらを求めるのか?

多様性のある社会が素晴らしいような風潮があります。
私はこれは危険だと感じますから、今日はその辺りも含め、多様性についてお話したいと思います。

まず、多様性のある世界とはなんでしょうか。
多種多様な人々が共存する世界でしょうか。
違います。
多種多様な人々が上手く住み分けをして存在する世界の事です。
つまり、今の世界は、既に『多様性のある世界』と言えるのです。

なのに世界を一つにしたい人は、何故か多様性のある社会を求めます。
日本を多様性のある社会にするというのは、国を分ける事に他なりません。
これは歴史に逆行する危険な考えです。
たとえば東京は日本人が、大阪は中国人が、愛知は韓国人が、みたいに住み分けて存在する社会です。
そんなものを求めているわけでは当然ありませんよね。
おそらくは『多種多様な人達が共存する社会』にしたいと思っているのです。

でもこれ、それなりにはできても、完全に共存なんて不可能です。
例えば日本を多種多様な人々が共存する世界にしたとして、みんな言語が違って生きていけるでしょうか。
成り立つでしょうか。
日本は明治維新の時に、廃藩置県で藩を無くしある意味統一しました。
その時、言葉の問題を無くすために標準語を定めたのです。
日本で生きていくには、最低限日本語の読み書きと会話ができなければなりません。
どうしても共存ができない違いや文化もあるのです。

それでも日本は寛容な国で、宗教なんかは受け入れやすいと言われています。
神道は仏教を受け入れ、今あらゆる宗教を受け入れています。
でも、果たしてこちらが受け入れても、入ってきた人は神道を受け入れているのでしょうか。
仏教なんかには、未だに『鳥居の下をくぐるな』なんていう所もあります。
それでは上手く共存はできませんね。
共存するには、両方が認め合わなければならないのです。

それだけではありません。
日本が全ての宗教を認め合えたとしても、認めた宗教同士が認めるとは限らないのです。
イスラム教シーア派、スンニ派、キリスト教プロテスタント、カトリック、ユダヤ教、色々な宗教同士が認め合えるのでしょうか。
認め合えなければそこに対立が生まれ、社会を維持できなくなる可能性があるのです。

世界を一つにっては、実は認め合えないものは排除していくという事なのですよね。
つまり世界を一つにしたいというのは、多様性を失わせるって事なのです。
それを分かって『世界を一つに』と言っていない人が多い気がします。
多種多様な人々がそれなりにできる限り共存という事なら可能でしょう。
でも本当に世界を一つにするには、かなりの多様性を失わせるのです。

そんなわけで、「世界を一つに!」と「多様性のある世界」を同時に言っている人は矛盾しています。
その辺りよく考えて発言してほしいですね。

2018年5月9日水曜日

下ネタや下品な話は駄目なのか?セクハラが騒がれる今考えたい!

私は、下ネタが嫌いです。
と言っても流石に今の年にもなればさほど抵抗はありませんが、まあ今まで嫌ってきたから特に好き好んで話すものではありません。

先日中学生の頃の友達と飲んだのですが、その時に友達が言いました。
私の前でこういう話はしてはいけなかった、ごめんごめんと。
それを聞いて、私は少なくとも中学生の頃から『下ネタが嫌い』という事でみんなに認識されていたのだと知らされました。

まあそんな私の話はどうでもいいのですが、それほどまでに下ネタを嫌っていた私なのですが、セクハラが騒がれる昨今、どうも騒ぎ過ぎなのではないかと思ったので少し書きたいと思います。

セクハラは凄く悪い事のように言われています。
確かに相手を不快にさせたり傷つける言葉は良くありません。
しかし、ちょっとしたエロトーク、下ネタまでセクハラだと言って叩くのは、どうも違うような気がするのです。
私も下ネタに常に不快な気持ちになってきた側ですよ。
本当にマジでそんな話は止めて欲しいと思っていました。
でもですね、世間を見れば、男性に限らず女性も含めて、私の感覚は少数派な事に気が付いたのです。
しかもですね、よくよく見ていくと、下ネタって悪い所だけじゃないんですよね。

例えば20人の男女が集まって楽しく話をします。
すると必ずどこかで、下ネタグループってのができていて、だいたいそこのグループが一番盛り上がるんですよね。
初対面や付き合いが浅いと、共通する話題ってないじゃないですか。
そこで万人共通でできる話ってのが下ネタだったりするわけです。
男性の場合は9割が好むし、女性でも半数は否定しません。
確かに嫌がる人がいるというデメリットもありますが、メリットも大きいのです。

原発が問題になった時、こんな例えがありました。
自動車事故で人が亡くなる可能性の方が原発で亡くなるよりも大きいのに、何故自動車は廃止しろと言われないのかって話です。
確かに言われてみれば、自動車ってリスクが大きいですよね。
でも乗られるのは、メリットが大きいからです。

では下ネタはどうでしょうか。
セクハラになり得るデメリットはあるものの、多数の人との人間関係構築に役立つ話なわけです。
嫌われるデメリット以上に、良い人間関係を作れるメリットが上なら、人はどうしても話したくなるのではないでしょうか。

ある人は言います。
別に他にも話はできるし、そんな話をしないと人間関係上手くやれない人は社会人として失格だと。
それはそれで言い分は分かります。
でも、それしか人間関係上手くやって行ける為の話題を持っていない人もいるのです。

一昔前まで、社会に出て働くのは男性が中心でした。
職場も男性が中心だったわで、意外と下ネタだけで会社の人間関係構築が上手くいっていた可能性があります。
しかしそこに女性が入ってきて、そうもいかなくなりました。
嫌だという人が増え、人間関係構築が難しくなったのです。
だから最近の若者は、上司と上手くいかずに『仕事が面白くない』とか言っている可能性はないでしょうか。
もしも上司と下ネタトークで打ち解けていたら、或いは仕事も楽しくなっていたかもしれません。

私は下ネタトークとか下品な話は別に今も好きなわけではないですよ。
でもですね、そういう話が好きな人が自分の周りには男女問わず大勢いて、そういう人たちが結構上手くやっているのをみるとですね、 否定ばかりはしていられないと思うわけです。

デメリットもありますが、万人共通で話せる話題でもある下ネタ。
自分だけが嫌いだと言っていた時の疎外感は確かに嫌ではありました。
でもこれほどみんなが楽しめる話題を、仕事中だからという理由で取り上げてしまうのも、なんだかもったいない気がするんですよね。
仕事中にって思うかもしれませんが、別に客商売でもなければ、リラックスして良い人間関係の中で仕事をした方が効率もいいと思うんですよ。

まあ私は別に下ネタを話すつもりは全くないので、仕事中の下ネタ発言は死刑にしてもなんでもいいですよ。
昔の私の感情的にはね。
でも、よくよく考えてみると、セクハラって言葉で縛ってしまうよりは、有効活用した方が社会の為になるのではないかと、なんとなくそんな事を思いました。

相手が明らかに嫌がっているのに、話せと言っているわけではないですよ。
あくまで、何でもセクハラだと言って否定するのも違うのかなって感じです。

2018年5月8日火曜日

最近の若者は甘ったれている!いやいや低賃金で奴隷のように働かせるのはいかがなものか?!

現在の労働環境の中で、年配者と若者の言い分には温度差があります。
年配者は『最近の若者は甘ったれている!』と言い、若者は『低賃金で奴隷のように働かせるのはどうなのか?』と声を上げます。

これ、どっちが正しいとかどっちが間違っているって話ではないんですよね。
まあ企業によっても違いますし一概には言えないのは当然ですが、概ねこれらの主張は『両方ともその通り』というのが私の考えです。

確かに昔と比べて、今の若者は軟弱に感じます。
私の父親なんかは朝8時から深夜の2時まで働いていた事もあり、とにかく仕事の毎日でした。
それで多少は一般的な家庭よりも裕福ではありましたが、さてしかし、今の生活と比べてどうだったでしょうか。
ハッキリ言って今の新婚夫婦が暮らす家庭の方が裕福な生活がおくれているような気がします。
確かに自動車だったり住まいだったり、大きな買い物はできません。
でも、衣食に関する辺りや、その他の家電などの充実ぶりを見ると、遥かに今の方が良いのです。

しかし、人の幸せってのは絶対的なものでしょうか。
貧しい時代に生きた人は、今の人々よりも不幸を感じていたのでしょうか。
違いますね。
幸せとは相対的なものなのです。

つまり、年配者は絶対的なものを見て今の若者を批判し、若者は相対的感覚で今を嘆いていると言えるのです。

だったら若者の言い分の方が正しいと言えなくもないわけですが、それもまた違います。
社会を支えていくには、やはり今の若者の働きには足りない所があるのです。
だからと言って私は若者を責める気にはなれません。
その理由は、仕事自体昔の方がやりがいが有ったり楽しかったからです。
例えば個人事業ってのは、自分の力で頑張るわけで楽しいです。
でも今の時代、組織じゃないと戦えない職種も多く、規制が増えて自由にやれない所が多いです。
個人で何か商売をしようと思っても、やれるのは地域にあった飲食店くらいではないでしょうか。
電気屋なんかは、もう家電量販店に対抗なんてできませんし、ネット販売にも押されています。
とにかく個人で戦いづらい世の中なのです。
組織の中で働くのが苦手な人は、もう選択肢として、苦痛を感じる仕事がほとんどなわけです。
それは昔の人よりも辛いと言えるでしょう。

とはいえ組織で戦っていかなければ、海外におくれをとります。
日本は現在の立場上、お金だけが支えの国とも言えます。
それだけではない所も有りますが、最後の支えはそれだけなのです。
だから組織化して働くという流れは、この先も続くでしょう。
ただ今のままでは、若者がやりがいを見出し、前向きに働きやすい環境の会社をつくるのは難しいのも事実です。
その辺り、国家が何か対応策を出していく必要があるように思えます。
多少、個人事業がやりやすいようにできる部分があるのなら、まずはその辺り考えたいですね。
とりあえず、嫌な規制は取っ払っていく必要があります。

しかしそれだけでは難しいです。

もっと簡単に会社がつくれ、会社運営ができる環境が必要でしょう。
個人的には、経理関係に無駄があると感じます。
もう社会保険や年金は国家のそれに全部統合して、会社は一切タッチしない方向にしてほしいと思います。
元々個人事業の方が良いという理由で、国移民年金の貰える額は低くなっていますが、実際は現在逆です。
個人事業の方が厳しいのです。
だったらもう国民年金に統一して、社会保険もなにも会社と切り離した方がいいのではないでしょうか。
給料に対する税金なんかも、もっと単純にすべきです。
日本国民は全てマイナンバー登録をした収入専用の口座を作り、収入は全てその口座を通さなければならないようにします。
そして毎月見込み税額を自動で引き落としされ、年末にはちゃんと調整されるようにするのです。
更に経費がある場合は、毎月の登録、或いは年末に一括登録する事で、税金が返ってくる仕組みも作ります。

会社経営に細かい所があるから、会社をつくるというハードルは高くなります。
しかしこれからは、簡単に会社がつくれないと、若者の仕事へのモチベーションは高められません。
学校を卒業したら、半数以上が友達と一緒に起業するくらいでないと駄目だと思います。
それを既存の会社が買収したり、逆に買収されたりして、事業を拡大していくくらいの流れが欲しいですね。
その為に、高校くらいから学生起業を推進します。
これくらいやらないと、若者の労働意欲は高められないと思います。

私が社会に出る少し前までは、女性は専業主婦があたり前でした。
別にそれが絶対に正しいとはいいませんが、だからこそ男性は仕事に10時間でも12時間でも打ち込めたのです。
家に帰ってから家事をしなければならないとなると、そりゃ仕事も辛く感じますよ。

今の若者は正直可哀想だと思います。
でも、社会を支える為には泣き言は言っていられません。
若者は文句を言いながらも頑張っているのですから、政治の方がなんとかできる所はやってあげるべきなのです。
まずは規制をできるだけなくし、自由に働ける環境を作る事。
起業しやすいように、或いは起業があたり前に思えるように、教育の分野から、納税、保険などもっと簡単にする事。
女性は4時間の正社員とかも良いかもしれませんね。
或いは副業を原則認めて、2時間社員、4時間社員、6時間社員なんか作ればいいと思います。
効率という面では落ちますが、気分を変えて働けるというのは、モチベーションを保つのに良いかもしれませんからね。

まあ何にしても、今の若者を甘いと責めるのは少し可哀想だし、そう言いたくなる年配者の気持ちも分かります。
それは多分、どちらのせいでもないのです。
時代がそういう時代なのです。
だから政府は、時代にあった働き方ができるように、色々と無駄な気遣いをしなくてもいいような対応をしてほしいですね。

2018年5月4日金曜日

TOKIOの山口達也氏による強制猥褻事件について考える!若者の考えに目の覚める思いがした!

TOKIOの山口達也氏による強制猥褻事件が騒がれております。
おおよそ報道などから受ける感想といたしましては、感情的に言えば『死刑で良いよ』というのが私の気持ちです。
ただ、私はこういった方面に関しては、他人との判断に大きな乖離を自覚しておりまして、まあ法的に判断すればTOKIOを辞めるくらいで丁度いいのだろうなと思っておりました。
世間の声もそのくらいですからね。
ジャニーズだから事務所の力で復活してくるのだろうなとは思っていますけれどね。{笑}

さてしかしですね、町の声を聞いたアンケート結果によりますと、意外と『TOKIOは辞めなくていい』という意見が多かったのであります。
しかもこういう強制猥褻なんかに温かった世代ではなく、今の若者の多くがそう言っているのです。
これはどういう事なのでしょうか。

自分の判断という部分を振り返ると、小学生くらいまでは『母がそう言うから』『友達がやっているから』など、自分の意思で判断するというのがあまりありませんでした。
中学生くらいから、『俺はもう自分で判断する』とか、『もう自分の判断は大人と変わらない』など、自分の行動に対して自分で責任を持つという気持ちが生まれました。
これが反抗期を生むわけですね。
この頃の判断は、少ない知識と経験、そして感情による判断ですから、大人から見れば間違いが多いわけです。
それから色々と経験し、色々な人の意見を知り、法律を理解して、最後は感情を押し殺し『世の中で上手く生きていく為の判断』をする事になるわけです。

山口達也氏がどうするべきかのアンケートで『TOKIOは辞めなくていい』と若者が判断したというのは、今まさに恋愛をしている世代が、その経験の中、感情を中心にしてそう思っているとも言えますよね。
それってつまりは、『人としての判断』としてはそれが一番正しいのではないかとも思うのです。
色々な人の意見は関係なく、法律も知らない、ただ今恋愛をしている人が感じるままなのですから、私はそれを尊重してあげるべきなんだと考えるのです。

人は成長するにつれ、法律で縛られた世界に慣れてきます。
それは、年配者は感情ではなく、法律に引っ張られる判断をしていく事になるのです。
法律と感情がかけ離れていなければ、恋愛に関しては経験に差は出ませんから、若者と年配者の意識に差はできません。
まあ差があるとしたら、自分は良いけど娘は駄目って所でしょうか。
それはワガママというものですし、今回の事件に関してはそれも少ないかと思います。

殺人に対しての罪としては、みんな似たような判断をしますよね。
それは感情と法律に差が無いという事です。

私は、そういう形が法律として一番自然だと考えます。
つまり今回の強制猥褻に関して、世間のルールは、人としての実際の感情とかけ離れているわけで、ちょっと罪が重いのかなって思うのです。

法律というのは、人々の感情から作られるものです。
みんなが悪い事だと思うから悪い事とされ、みんながこれくらいの罪だと思うからそれなりの刑が科せられるのです。
刑に対しての意見を言う時、年配者はどうしても今ある法律に引っ張れる判断をします。
でも若者は、素直な感情で判断するのですから、本当はそちらの方が正しいのではないかと私は思うわけです。

私の感情は置いといて、男が自分の家に来た女性に強制猥褻をしたというのは、どれくらいの罪なのでしょうか。
女性側にも責任はなかったのでしょうか。
私は、辛い思いをした女性が法的に全く悪くない事を知っています。
親がしっかり教育していなかった事も、今の法律や今時の空気を考えれば仕方がないと思います。
でも、若い人の素直な気持ちとしては、『男の家に行った方も悪いんじゃね?』というのがあるんでしょうね。
だからこの強制猥褻を判断する時、その辺りは十分考慮する必要があるのではないかと、若者に教えられた気持ちがいたしました。

強制猥褻罪と一言でまとめるのではなく、状況も十分考えるべきなんですよね。
法律で定められていようとも、法律の方が人々の感覚からずれているという事はあり得るのです。

すぐには私自身の判断を変える事はできませんが、もしかしたらこの辺りの法律はやり過ぎなのではないかと、そんな事を感じる若者の声でした。

2018年4月26日木曜日

多様性のある世界。その中で多様化する日本社会。理想の世界を考えた時、多種多様な考えは何処まで許されるのか!

この前の記事を書いてから、多様性と多様化についてずっと考えていました。
人々は多種多様な考えを持っています。
だから世界は多様性のある世界となっています。
国ごとに価値観や文化、憲法や法律が異なり、それが地球という世界で共存しています。

そんな世界だから、今日本も多様化し、多種多様な考えを持つ人々の共存が求められています。
しかしちょっと待ってください。
多種多様な考えには共存できないものもあり、それを一緒にしてしまっていいのでしょうか。
価値観の違う外国人犯罪は、日本人の犯罪よりも多くなっています。
それは考え方が違うのですから当然です。
そうならない為に多様性のある世界があるのに、日本を無理に多様化するのは少し違うのではないでしょうか。

例えば私は世界は一つであるべきだと思っています。
しかし今世界の人々が一緒になって上手くいくでしょうか?
人を殺しても良いと考える人も少なからずいるわけで、そんな人がご近所に沢山いたら怖くて生活できません。
だから世界が分かれているわけで、世界の統一は、アメリカのような形が理想だと考えます。
世界政府を作り、世界で共通する価値観でまずは大きな法律や憲法を作ります。
そして後は地域ごとにそれぞれ決めればいいのです。
共産主義の地域があってもいいですし、銃を持っていい地域も人々が求めている以上無くせません。
私の世界統一の理想は、世界政府を作り、各国が一つの地域として独自の規律や文化を持つ世界です。
そこからは時間をかければ、ある程度共通の価値観が生まれてくるでしょう。
徐々に長い年月をかけて、統合していければ良いのです。

すぐに国まで無くして一緒くたにしていいという人は、一体どんな世界を望んでいるのでしょうか。
多種多様な考え方を全て認め合う事なんて不可能です。
殺人ですら、世界には正当化する人がいますし、日本にだって『何が悪いの?』と思っている人もごく少数ですがいるのです。
そんな考え方を認めて社会が上手くやって行けるとは思えません。
法律は何故存在するのでしょうか。
違う考えを持った人を排除する為ですよ。
殺人をして良いと思っている人を排除する為に法があるのです。
言論弾圧して良いと思っている人を排除する為に言論の自由が定められるのです。
法というのは、多様な考えを否定し、それを広め認識させる為のものでもあるのです。

とはいえ、ぶつかる考え方が半々になれば法整備も難しいですよね。
そこで多様性が求められるわけです。
つまり住み分けですね。
共産主義が良ければ中国や北朝鮮に移住すればいいのです。
拳銃が持ちたければアメリカ国民になる事をオススメします。
世界は既に多様性にあふれており、今更日本を多様化し多様性のある国にする必要はないのです。
それは国を分裂させるという意味でもあるのですよ。
『専業主婦がいいから法律に定めろ!』『いやいや共働きが良いから!』なんて争いが起こり、じゃあ近畿より西は専業主婦エリア、中部より東は共働きエリア、なんて決めるんですかね。
まあこれは現在共存できてはいますが、少子化という問題にもしかしたら繋がっているかもしれないわけです。
どちらかに決められたら、少子化対策も楽ですよ。
専業主婦なら今までの日本のように早くから子供を産めますし、共働きばかりなら社会ももう少ししっかりとした補助が可能です。
例えば共働きの場合は保育所が優先的に使えて費用もタダにすれば、少子化対策にはなります。
でもこんな共働き世帯を贔屓する法律を作れば、専業主婦世帯から文句が出ますよね。
自由に選べるのは良いですが、それには相応のリスクや歪みが生まれるのです。
これくらいならまあなんとかなると信じたいですが、どうしても共存不可能な価値観や考え方もあるでしょう。
その場合はどちらかに決めつけるか、或いは住み分けする以外に方法がないのです。

今は既に多様性のある世界であり 、ある程度住み分けが行われている状態です。
別の価値観を受け入れ、共存できるのなら良し、できなければやはり良いと思う人が多い方に決めざるを得ません。
それが嫌なら、自分の価値観にあった国に移住するのがいいのです。

そんなわけで、日本に多様な考えが入ってきて、それを議論するのはアリだと思います。
しかし共存できない多種多様な考えもあるわけで、時には排除も必要だというのは理解しておくべきですね。

多様化する社会とは本当に良い事なのか?色々な考えがあるのはあたり前の事!

昨日色々な人のツイートを眺めていたらこんなツイートを見つけました。
なんかテレビでやっていたらしいのですが、共働きの家庭で母親だけが家事をしていてそこに報酬がないのがおかしいと思う子供がいて‥‥
ああ、詳しくはツイート先を読んでいただければと思いますが、とにかくそのツイートに対する意見や、他のツイートも見ている時に、『多様化が求められるのに一つの考えに誘導するような道徳の授業はおかしい』というような発言を見つけましたので、ちょっと多様化について考えたいなと思った次第であります。

確かに現代、昔と違って男性が外で仕事をして、女性が家庭を支えるだけの家庭は減ってきております。
女性も働きたい、そう思って出ていく人もいれば、経済的な問題でやむなく働く場合もあるでしょう。
これからは多様化の時代で、色々な家庭を認めていく時代です。
だから確かにツイートの意味も分かりますし、子供が疑問に感じた事を一つの価値観で縛って別の結論に無理に導くような授業というのはおかしいですね。
私もこれに関しては賛成です。

ただ、多様化というのは本当に良い物なのかというと、これには少し疑問を覚えました。
時代の流れで仕方なく多様化はしていますが、それが人々の生活で幸せかどうかは、色々と考える余地があると思えるのです。
人間も馬鹿じゃありませんから、長い歴史のある国ではそれは今まで色々と試してきたはずです。
その中で一つの結論に達していたとしたら、それはある意味正解なのです。
それでも今はグローバル化の時代で、もちろんそうも言ってはいられません。
だから今日本では古き良き日本の価値観と、多様化する価値観が対立を始めています。
男性が働き、女性が家を守るというのもそうですね。
今はどちらも選べると言った感じですが、これからは共働きがあたり前になっていくのではないでしょうか。
そうしないと、海外との競争に勝てませんから、おそらくそれで仕方がないという事でそうなるのだと思います。
これは一旦多様化して、先に価値観が収束していくという事です。
多様化というのは一時的なもので、もしかしたらやはりどこかで結論に達してしまうものもありそうです。

もちろん、多様化したまま選べ続ける事ができるものもあるでしょう。
例えば結婚に関して、昔は20代後半には結婚して子供を産むというのがあたり前で、それができない人は白い目で見られる事もありました。
それが良いか悪いかは一旦置いといて、そんな時代は多様性のある時代へと変わり、何歳で結婚しようが、子供がいようがいまいが、一生独身であろうが、個人が自由に選んで行ける時代となりました。
私はこれに喜んだ方です。
一生独身の方が気楽でいいぜ!なんて思いながら若い頃を過ごしました。

しかし、今になって凄く後悔しています。
20代の頃に結婚して子供をつくって普通の家庭を築けていたらと思うのです。
年をとるほど相手を見つけるのは難しいですし、結婚もやはり今になってするべきだと思っています。
あたり前ですが自分も年をとり、いずれは身動きの取れない老人になるのです。
その時子孫がいないと、誰が私の面倒をみてくれるのでしょうか。
金を出せば老人ホームで暮らす事もできるでしょうが、とても寂しい気がするのです。
こんな事なら、『結婚は20代でするのが当たり前だからみんな結婚して子供つくれよ』ってのがあたり前だったら良かったのにとも思うのです。
確かに選べるというのは自由で素晴らしいと思います。
ただ結果も自己責任です。
ですがそうすると、甘えが出る人も大勢いるわけです。
私などはきっとその典型だと思います。
自分のやりたい事を優先してしまったが為に、今猛烈に後悔する事になったのです。
甘えない為にも、良い物は決めつけておく事もある意味正しいのではないかとも思うのです。

まあこれが正しいかどうかは、まだまだ私の中では結論が出ていませんけれどね。

そして実際、多様化によって現代社会で弊害もでています。
少子高齢化です。
子供を作らない自由、結婚しない自由、多様化したために子供が減ってきています。
多様化だけの責任ではありませんが、もしも結婚出産が義務に近い形で認識されていたら、こんな問題は起こらなかったのでしょう。
これに関しては今、別の方向から改善しようと努力がされています。
子育て支援や学校教育無償化などです。
でも、多様化した今の状態では、多少改善はできても、ある程度やりたい事は我慢して結婚して子供を作る事の必要性が共有できなければ、この国の人口は減る一方となるでしょう。

私は多様化について、何処までが良くて、何処までが悪くて、どれが良くてどれが悪いか、結論を出せる段階にはありません。
ただ、昔ながらのもので縛っているものにはそれなりに理由があり、多様化すれば確かに自由があってその時はいいのですが、社会を維持する為にはある一つの方向性を教える事も大切なのではないかという事なのです。

共働きで母親だけが家事をするのはおかしい、これだけ見れば全くその通りなのです。
多様化して、色々な価値観を共有しましょうというのも、色々な人が最高の幸せを求める為には必要だと思います。
でも、自由というのは社会に弊害を生む場合も多々あるのです。
この辺りよく考えなければならないのではないかと私は思います。

多様化というのは、決して自由で良いだけのものではありません。
デメリットも多々あります。
今後はそのデメリットを検証し、改善する為には何が必要なのかを考えなければなりませんね。

2018年4月25日水曜日

人を責める前に確認しよう!言葉によるセクハラを決める3つ+αのポイント!

誰かをセクハラ認定し責める前に、この3つは確認してほしいなと思い記事を書きます。
ほら、犯罪者じゃないのに犯罪者呼ばわりして責任を追及したりするのは違いますよね。
そういう間違いを犯さない為にも、セクハラを責める前に確認してほしいのです。
セクハラって凄くイメージが悪いじゃないですか。
このレッテルを貼られると、犯した罪以上の責任をとる事になっている気がするのです。
だから責める前に確認してほしいのです。
特に言葉だけの場合は注意が必要だと思うのですよね。
どういうシチュエーションで言ったのかも分かりませんし、良かれと思っていた可能性もあるでしょうから。

その3つのポイントですが‥‥

①性的な発言である事。
これは当然なのですが、意外となんでもセクハラという所があります。
それだと事実以上に悪い印象を与えます。
ちゃんと確認しておく必要があります。
性別的な発言も含みます。

②被害者が不快に思っている事。
この辺りは人によって違うわけで、本人の気持ちを確認しなければ分かりません。
そういう所がこの法律の問題点だと指摘する声も多いです。
ですがそういう法律なのですから、これはセクハラを責める前にしっかりと確認しておく必要があります。

③職場である事。
これは、基本的に上下関係があるという事です。
そのセクハラに対して不快感を示したり拒絶する事で、被害者の社会的立場が悪くなるという事です。
加害者は、被害者の弱みに付け込むという事です。
そういう関係が無ければ、もう会わないなどの対応ができますね。
報復などを恐れざるを得ない関係であるかも、セクハラとするかどうかの大切なポイントです。

この3つのポイントを確認してからセクハラは責めましょう。
もしもこのポイントを1つでも満たしていない場合は、セクハラとは言えない可能性があります。
責めるにしても、『それは相手の気持ちを考えていない発言だから止めるべきだ』など、セクハラという言葉を使わない方がいいでしょう。

さてではこれを踏まえ、福田財務次官のセクハラ疑惑について考えます。
既にセクハラだと責める声も多いですが、本当にそれでいいのでしょうか。

まず一つ目、性的な発言かどうかですが、これは出てきている録音などから、まず間違いがないと言えますね。
続いて二つ目は、被害者が不快に思っていたかどうかです。
本人の声は表に出てきていませんが、テレビ朝日がこれはセクハラだと認めている事など、話を聞く限りでは辛い思いをしていたと思われます。
よってこの条件も満たすでしょう。
では、三つ目はどうでしょうか。
女性記者は仕事として会ってはいますが、福田財務次官はテレ朝とは関係がないですよね。
では弱みに付け込む感じでしょうか。
福田事務次官の力によって、女性記者をクビにしたり、嫌な部署に移したり、減給したり、そういう事はできないと思われます。
例えば福田財務次官の親戚がテレ朝の社長だったりすれば別ですが、これはセクハラと認定するのは難しそうです。
それに弱みに付け込むというよりも、思惑に付け込んだ発言に感じますね。
女性記者は、なんとか特ダネを聞き出す為に会っているわけです。
福田財務次官は、それに対して話す義務は全くありません。
それでも話せというのだったら、福田財務次官にしても見返りは欲しい所でしょう。
性的なものはどうかと思いますが、見返りを求めるのは当然です。
とても微妙な所だとは思いますが、これでセクハラというのは、福田財務次官を必要以上に貶める行為となるでしょう。

ただし、このチェックではセクハラ認定が難しいにしても、ただ一つセクハラとできるポイントがあります。
それは、『本人がセクハラと認識していたかどうか』という事です。
例えば被害者本人から、或いはテレビ朝日から福田財務次官に『女性記者が嫌がっているので、性的発言は止めていただきたい』という話が伝わっていれば、それはその後に行われた発言はセクハラとなります。
そして悪質でもありますから、これは責任問題にもなってくるでしょう。
本人が認識していたかどうか、ここは大変重要です。
本人が認識していなければ、それがたとえセクハラだとしても、責任を追及するのは難しいです。
上記三つのポイントを満たしていたとしても、せいぜい今後はセクハラしないという誓約書を書かされたり、謝罪をする程度のものでしょう。
そこまでに会社や被害者に大きな被害が出ていた場合は別ですが。
しかし止めてくれと言った後にもやっていた場合、或いは認識していたが悪意を持って続けていた場合は、責任をとるべきです。
降格、減給、左遷、慰謝料の支払い、最悪クビもあります。
四つ目のポイントである本人の認識は、セクハラを責める上で最も重要な所なのです。

まあこうやってまとめましたが、人の価値観によって意見はあるでしょう。
ただ、法律的にはこんな所なのです。
人を責めるのなら、法に合わせて行いたいですね。
でないと、福田財務次官のように、過剰な責任をとらされる場合もあるのです。
辞任ですが、これは皆さんが責めたからそうなったのです。
本人が否定していて、法的にまだ分からない所があるのですから、これはやり過ぎでしたね。
結果どうなるのかはまだ分かりませんが、冤罪のような事が起こらないような世の中にしたいです。

とは言え、福田財務次官はちょっと嫌だとは思いますよ。{笑}
責める気持ちも分かります。
情報が欲しければキス、みたいな事を言っているわけじゃないですか。
好きだからとは言っていますが、情報を、恋愛を上手く進める為の武器にするのは、男としてなさけなくは思います。
ただ、 セクハラというレッテルだけは止めましょう。
他の問題につなげてしまおうとする人もいますから。

あくまで私の感想ですよ。
 ただし、この情報を公開した側も、こんな恥ずかしい情報を公開した事で、しかも勝手に録音した録音データなわけで、プライバシーの侵害、名誉棄損にあたる可能性もあります。
ちゃんと全部が分かるまでなんとも言えない問題なので、思惑が無い人はおとなしく今は見守りたいですね。

※最後に※
ちなみにこれは法的な意味でのセクハラで、言葉の意味としては『性的嫌がらせ』です。
つまり本人に嫌がらせの意図が無い場合はセクハラとは言えません。
あくまで言葉の意味としてですよ。

セクハラ問題について考える!その三!セクハラに対して正しい認識を持とう!セクハラは犯罪ではないよ!

先に、今回伝えたいセクハラの問題点を言っておきます。
それは、セクハラが犯罪として、或いは必要以上に悪い事だと認識されるように、レッテル貼りに使われている事です。
もうね、セクハラの認識はこの程度にしておきましょうよ。
『相手が嫌がらなければ何をしてもいい』
ポジティブに考えた方が良いんじゃないでしょうか。

セクハラを法的に調べてみると、実にバランスが良いとわかります。
被害者の気持ちで左右される部分はどうかと思いますが、それ以外は納得の法律です。

さてでは説明していきます。
セクハラを犯罪か何かだと思っている人が多そうですが、実はそうではありません。
性的な嫌がる行為、侮辱、悪口だと思ってください。
言葉のセクハラだけに限れば、『アホボケカスオタンコナスおまえの母ちゃんでべそ!』と言っているのと大差ありません。
それがあくまで性的なものに限られているだけです。
そう考えれば、道徳的によろしくない、或いはお行儀の悪い、優しさの足りない言葉ってだけで、そこまで否定されるものでもありません。
批判されるべき言葉ではありますが、相手がショックを受けたら、それに対してゴメンナサイと誤れば済む程度の言葉なのです。
では何故犯罪だと思われているかというと、行き過ぎるとちゃんと別に定められた犯罪に繋がってしまうからです。
侮辱、名誉棄損、強制猥褻、障害、色々あります。
アホボケカスでも毎日言ってイジメて、イジメられた方が病気になって入院すれば、犯罪となり得るわけです。
セクハラも、言葉としてはその程度のものだと考えていいでしょう。

でもセクハラは法的にも駄目だと定められているのは何故でしょうか。
あくまでそういう言葉は、セクハラ的言葉というのが正しいのかもしれません。
セクハラ的言葉がセクハラになるには2つの条件があるのです。
一つは相手が嫌がっている事。
これなくしてはセクハラにはなりません。
アホボケカスと変わらないのです。
そしてもう一つが、嫌がっている事を相手に伝える事で、被害者の社会的地位が加害者の手によって壊されてしまう可能性がある事です。

セクハラは男女雇用機会均等法に定められた会社の改善義務にあたる事柄にすぎません。
どうしてそういう事になっているのでしょうか。
それは、セクハラに関する会社の改善義務は、弱者を守る為の法律だからです。
友達や同じ立場で話せる人の場合、セクハラ的言葉を言われて嫌な思いをすれば、それを自分の手で避けたり改善する事が可能です。
しかし会社の上司と部下などの関係だと、それができません。
だからこそ法律でセクハラを無くすよう改善義務が定められているのです。

では、これを理解したうえで長尾議員のセクハラ発言と言われるものを考えてみましょう。
長尾議員は、福島瑞穂議員などに対して、『あんたらは俺にとって女としての価値がない』と嫌味を言ったように見えます。
これは決して良い言葉ではありませんが、これだけではセクハラにはなりません。
セクハラ的発言なだけです。
もしかしたら福島議員は『長尾議員に女性と見られる方が気持ち悪いから良かった』と思っているかもしれないのです。
そしたら長尾議員は良い事を言った事になります。
福島議員が不快を表明して、初めてセクハラ発言ではないかという風になります。

さて福島議員はショックを受けているでしょうか?
そういう反論は返ってきていないように思います。
それなのに長尾議員は謝罪をしてしまいました。
これは、嫌味に嫌味を重ねた事になる可能性があります。
『あんたらは俺にとって女としての価値がない』と言った後に『ああ、ごめんごめん。俺みたいな良い男に言われてショックだった』と言ったとも捉える事ができます。
まあ真面目な謝罪だったので、嫌味で言ったわけではないと思いますがね。

とにかくこれをセクハラとする為には、福島議員が『長尾議員のような良い男にそんな事を言われてショックだった』と言って初めて成立するわけです。

それでもですね、世間的にはなんとなくそれがセクハラ発言だと思われていますが、法的にセクハラ認定するにはもう一つの条件をクリアする必要があります。
社会的立場です。
同じ職場でと定められているのは、弱者を守るためだというのは先に説明しました。
さて、福島議員は弱者でしょうか。
長尾議員に言い返したら、社会的地位を失い、議員でなくなったりするのでしょうか。
そんな事はありませんね。
だからこれは『法的にはセクハラにあたらない』のです。

そうは言っても、何度もいいますが、決して長尾議員の言った事はいいものではありませんし、優しさに足りません。
批判は有ってもいいでしょう。
でも、これをセクハラとレッテル貼りして責めるのはいかがなものかと思います。
「行儀が悪い言葉だから止めた方がいい」とか、「相手がショックを受ける可能性があるから」とか、アホボケカスと同程度の言葉として否定するべきなのです。

セクハラとして批判する前に、まずは『言われた側がショックを受けているかどうか』そして『反論したら社会的立場など失ったり仕事に支障がでるのか』という部分を確認しなければなりません。
今回長尾議員の発言をセクハラと批判している人はやり過ぎです。
それは、セクハラというのが実態以上に悪い事だと認識されているのが原因だと思います。
または広く捉えられすぎているのです。

セクハラは、正しく理解する事が求められていると言えるのではないでしょうか。
むやみにセクハラという言葉は使わず、批判するならちゃんと正しい言葉で批判したいですね。

※色付きの文字の所は、半分冗談ですよ。
※あまりポジティブに捉えて、無茶はしないでください。

2018年4月23日月曜日

セクハラの問題点を分かりやすく!問題なのは痴漢冤罪が生まれるのと同じ!被害者のフリをして加害者にもなり得る!

セクハラの問題点に関して、少し前に記事にしました。

財務省福田事務次官のセクハラ問題が話題になっているので、セクハラの問題点について話そうと思う。

でもちゃんとまとめて書けずに分かりにくいのではないかと思い、改めて分かりやすく単純明快に伝えさせていただきます。

セクハラの問題点は、痴漢という犯罪が冤罪を生むのと同じ問題です。
それは‥‥

『被害者と加害者を入れ替える事ができてしまう』
『被害者のフリをして相手を陥れ加害者にする事ができてしまう』

という事です。

例えば痴漢では、わざと座っている男の横に立ち、お尻を触られたと騒ぎ罪人に仕立て上げようとした事件がありましたね。
もしこれで捕まって痴漢にされていたら、被害者が刑事罰を受けていた事になります。
女性の悪意で、男性は簡単に犯罪者に仕立て上げられてしまうのです。

セクハラも同じです。
女を武器に陥れたい男性からエロトークを引き出し、それを録音して公開すれば、女性は簡単にセクハラ被害者となり、男性は加害者となってしまうのです。
本当はそんな事をすれば、女性側が名誉棄損で刑事罰を受けるはずの案件です。
でも、今の状態はそれが可能なのです。

今、福田財務次官のセクハラ問題が騒がれています。
事実として出ている情報を一通り確認はしましたが、まだハッキリとした事が言える状況にはありません。
それなのに世間では、福田財務次官のセクハラの疑惑が、完全に行っていたかのような話として対応がされています。
セクハラ問題は、それでは駄目なのです。

女性記者が本当にセクハラにあっていたら、それは当然そのまま被害者ですし、何としても守るべき存在です。
ですが、セクハラというものは、被害者と加害者を逆にもできるものでありますから、慎重に疑ってかからなければなりません。
当然逆の場合を主張する人も現れ、被害者を更に貶めてしまうという問題が生まれたりもするのです。

これは、被害者にとっても良いものではないのではないでしょうか。

今インターネットでは、被害者のハニートラップを疑う書き込みが沢山あります。
それは、セクハラがそういう見方もできてしまうものだからです。
被害者とされる人の気持ち一つで犯罪にもなり得てしまうのですから、ちゃんと検証しなければならないものだという一面がセクハラにはあるのです。
だからむしろ、そういう声が出てくる事は、あって然るべきものなのです。

被害者となる人の為にも、セクハラはもっと明確な線引きが必要なのではないでしょうか。
これが有ったらセクハラという明確なモノがあれば、被害者が有らぬ疑いをかけられて苦しむ事もないですし、男性が陥れられる可能性も概ね無くなるのです。
そうすれば被害者の二次被害も避けられるでしょう。

世間では、「何でもセクハラと言っていたら何にも喋れなくなるじゃないか」という声も少なからずあります。
半分ネタで言っている人も大勢いますが、そう感じている事は事実です。
被害者の感情ではなく、世間一般的な価値観で判断できるものにする事が求められると思います。

2018年4月22日日曜日

法的な視点から福田財務事務次官セクハラ問題を考える!私の常識から逸脱するものでは無かった!

最初に言っておきます。
財務省の福田事務次官のセクハラ問題は、出てきている情報からはまだなんとも言えない状態です。
福田氏を犯罪者扱いしたり、むやみにテレ朝の女上司を叩いたり、女記者のハニートラップを決めつけたりするものではありません。

さてそれで、この問題を今まで私は『世間の雰囲気と私の価値観による常識』だけで見てきました。
でもそれだとこの先は判断できないと思い、ちゃんと法律を調べて見てみる事にしました。
(今まで法律も理解してなかったんかーい!<自分でツッコミ>)
そうするとまあそれは、私の常識から逸脱するものではありませんでした。

まず、今回犯罪になり得ると世間一般で思われている所は、セクハラ発言自体と、勝手に会話を録音したというこの2点ではないでしょうか。
それでもセクハラを受けていたのなら、裁判になった時に証拠が必要だし、録音は仕方がないというのが世間一般の感じ方だと思われます。
で、録音に付いて調べた結果、会話を勝手に録音する行為は『犯罪にあたらない』という事です。
へぇ~初めて知りました。{汗}
『録音しないと証拠が』って思う事は今までに何度もあり、これは変だと思っていたのですが、まああたり前と言えばあたり前でしたね。
例えば録音した音声を公開し、その会話で馬鹿にしたり、オフレコで内緒にしていた事を公開したりと、プライバシーの侵害をする事が違法であって、真っ当な理由で録音をする事は違法ではないのです。

次にセクハラですが、セクハラは基本職場での性的、性別的な発言や行為によって辛い思いをさせてしまう事のようです。
法的には男女雇用機会均等法の一部にあたり、罪としては『職場の改善』や『慰謝料』という対応になります。
でも実際は犯罪としての印象が強いですね。
それは、強制猥褻や名誉棄損、侮辱罪など、別の犯罪に結びつくケースがあるからで、セクハラ自体は犯罪とは少し違うようです。

まあここまで調べて私は安心したといいますか、私の価値観で常識通りの法律で良かったと思います。

さてそういう知識を得た所でこの福田氏の女性記者セクハラ事件を見てみましょう。
まず先に勝手に録音して雑誌社に持ち込み公開した事は、福田氏のプライバシーを侵害し、名誉棄損を行ったと取られる可能性があり、これ自体はあまりよろしくはなさそうです。
証拠は裁判で出す為、或いは会社へ伝える為のものとして使うのが良かったのでしょう。
ただしこのセクハラがセクハラの枠を越え、強制猥褻など犯罪になり得る場合は考える余地があるりそうです。
ただ、現段階では何とも言えません。

次にセクハラですが、前にも書いた通り現段階ではなんとも判断ができない状態です。
それでも現状女性記者が被害を訴えているとして、それなりにセクハラがあったとしたら、一番悪いのは法律的にはテレビ朝日という事になりそうです。
今回のセクハラは、規定通り仕事中、職場での話となっています。
職場は仕事をしている場所全てで、飲み屋で取材を行っている場合もそこが職場と言えます。
そしてそのセクハラを知った場合、改善義務は会社にあります。
取材記者を代えるなり、取材を取りやめるなどの対応が必要だったのでしょう。
もちろん、セクハラ加害者に対しても本来なら慰謝料の請求が可能です。
しかしこちらは職場の人というよりは取引先相手です。
嫌なら取引を止める事も可能で、おそらく慰謝料を請求しても通らないでしょう。
よっぽど酷ければ別かもしれませんが、現在出てきている情報からは全く問題がないように思えます。

とは言え、私の価値観で言えば、今回のこのセクハラ事件は、『誰も悪くない』という結論ですね。
何度も言いますが、あくまで現在出てきている情報を見る限りではですが。
女性記者が何故名誉棄損にあたるかもしれない録音公開に踏み切ったのか、この辺りの方が今後まずい事になる可能性さえあります。
よっぽど精神を病んでいてどうしようもなかったとしたら仕方がない所ではあると思いますが、その場合今の状況ってどうなんでしょうね。
もしもそこまで病んでいたら、警察に相談するべき所まできていたと言えるでしょう。
それで内々に調査をして、被害者の人権をしっかり守りながら結論を出すべき問題でした。

そしてもしも女性記者がそこまで病んでいたら、野党が『麻生財務大臣辞職しろ!』と訳の分からない事を叫んでいるのが一番の人権侵害ではないかと思うのです。
本来は、被害者の事もあるので結論が出るまで弁護士の調査に任せましょう、というのが普通です。
被害者の女性記者の事を思えばそうします。
でも何故か法的にも常識的にも全く関係の無い麻生財務大臣が責められているのです。
責めるにしても法的にはテレビ朝日を責めるべき問題なのです。
仮に福田氏が犯罪者とされるにしても、そんな事でトップが一々責任を取っていたら組織が成り立ちません。
警察官の犯罪が時々報道されますが、そのたびに警察のトップが辞めていたら組織がグチャグチャになります。

そんな変な理屈で野党が騒ぐものだから、おかしいと思う人が事実関係を明らかにして本当はどうだったのか調べ、色々な憶測が飛び交って、女性記者がハニートラップをしたなんて話が出てくるのです。
それで傷つくのは被害者なんですよ。
女性記者の人権を最大限尊重するのなら、ここはまず弁護士に事実を調査してもらい、適切な対応を取ってもらうのが最善ではないでしょうか。
今後どういう結論になるのかは分かりませんが、福田氏ももしかしたらあらぬ罪をきせられて職を辞する事になったと被害を訴えるかもしれません。
それも全て悪いのは、よく分からない騒ぎ方をした野党議員、或いはマスコミなのではないでしょうか。
騒ぐにしても、『被害者を守れ!事実関係を明らかにして適切な対応を!』と言うべきです。

まだ結論はでていません。
あくまで女性記者がセクハラに相当苦しんでいたという前提の話です。

とにかく結論を出すのは、全てが明らかになってからにしないと駄目です。
被害者の女性記者の為にも、ここは静かに事の行方を見るのが正しいと思います。
(↑主に野党とマスコミが麻生財務大臣を叩く事を止めろって話ですよ)

2018年4月21日土曜日

住み良い社会にするだけでは駄目!日本人は精神力を鍛えよ!セクハラ、イジメ、体罰問題に関係する話

最近はセクハラ問題が騒がれていますね。
そして前にはイジメ問題や体罰の問題なんかもありました。
このどれにも共通するのが、弱者を嫌な気持ちにさせるという所です。

そこで我々は、セクハラは止めよう、イジメを無くそう、体罰は禁止という具合に弱者を守ろうとしてきました。
こうすれば嫌な気持ちにならなくて済みますし、素晴らしいですね。

しかしですね、私はこれ、問題があると思っています。

例えばイジメを見ると、『その程度のイジメで自殺するの?』ってニュースがよくあります。
私が学生の時代だったら、クラスの男子の半分が自殺していてもおかしくありません。
体罰も、少し頭を叩いただけで大問題です。
或いは廊下に立たせただけで責められます。
セクハラはもう何でもセクハラの一言で片づけられるくらい幅が広くて把握しきれません。

それでもその悪い所を取り除けば、社会は住み良くなっていくのでしょう。

でもですね、よく考えてください。
世の中そんなに甘い世界ですか?
悪いヤツはいなくなりますか?
理不尽な事は無くなると思いますか?
たとえ日本でそれができたとしても、これからの未来はグローバル化がドンドン進むでしょう。
日本人はこの先、世界と戦わなければならないのです。
そこで、今日本が向かっている方向で太刀打ちできますか?
理不尽に負けて、気が付けば日本は中国の支配下に入っているかもしれませんよ。
その時、『中国人は日本人を好きにイジメてもいい』なんてのが常識の世界になるかもしれません。
果たしてこのまま進んだ先の日本人が、その理不尽を跳ね返せるでしょうか。
或いは少なくとも耐えて行けるでしょうか。
年間自殺者が100万人を突破とか、そんな悲しい未来になる可能性があります。

だからですね、確かにセクハラはいかん、イジメかっこ悪い、暴力教師反対、とは言えですね、だったらそれとプラスして、強い精神力を鍛える事もしていく必要があると思うのです。
女性だって社会に出て世界と戦っていくんだとしたら、なまっちょろい考えでは駄目でしょう。
世界にはまだまだ理不尽がいっぱいなのです。
小さい頃から柔道や剣道なんかで精神力を鍛え、強い人間にならなければなりません。

まあそうすると、自然とセクハラやイジメ、暴力教師にも負けない人間になって、問題が問題でなくなる可能性もあるわけです。
精神力を鍛えられたら、セクハラやイジメをしようとする人もいなくなるし、機嫌が悪いからと教師が生徒にあたる事もなくなるでしょう。

住み良い社会にするという発想は否定しません。
でも、今の日本に大切なのは、心身共に強い子供を育てるという事ではないでしょうか。
これからの時代を考えても、理不尽に負けない人材が必要です。
少し発想の転換をして、みんなで強くなるという方向を目指してみるのが良いのではないかと私は思います。

2018年4月19日木曜日

財務省福田事務次官のセクハラ問題が話題になっているので、セクハラの問題点について話そうと思う。

テレビ朝日の女性記者が、財務省の福田事務次官にセクハラを受けたとされる報道が世間を騒がせています。
なのでこの機会に、セクハラの問題点について少し話そうと思います。

まず最初に、私の事を少し話しておきます。
私は若い頃から下ネタが大嫌いで、今でも私はそういう風に思われています。
実際下ネタは話さないし、今も好きではありません。
ただ、好きになれない理由は、話の中でプライベートな話になるからで、まあ相手のある話ですから話さないのがマナーだと私は考えているからです。
そして実際に下ネタが嫌いだという人も一定数いるわけで、だったら話さない方がいいと私は思うわけです。
しかし、下ネタに関しては、男女問わず好きな人も多く、飲み会の席なんかでは話が盛り上がってしまうのも事実です。
だから自分の感情だけでこれを否定する事はできないと現在は考えています。

さてそれでセクハラですが、セクハラとはなんでしょうか。
性的な話をして相手に嫌な思いをさせてしまう事だという認識です。
正確には性別的な話というべきでしょうか。
例えば男性が女性に対して『綺麗な髪だね』と言っただけでも、それを女性側が嫌だと感じれば、それはセクハラとなってしまいます。
男性としては喜んでもらえると思って言うわけですが、相手が嫌がればそれはセクハラになってしまうのです。

セクハラの問題点の一つに、何がセクハラになるのか分からないという点があります。
相手が喜ぶのか嫌がるのか分からないわけで、嫌がればセクハラになるのです。
それも性的なものに限定されず、予想できない所にまで広がっています。
だからセクハラを犯罪とするには無理があるのです。

そこで必要なのが、セクハラを受ける側も、それがセクハラになるという事を意思表示しなければなりません。
それがないと、誰もがセクハラで訴えられる可能性があるからです。
痴漢の冤罪と同様、女性の気持ち一つで男性は犯罪者となるのです。
例えば『そんな事は言わないでください。セクハラになりますよ。』と、しっかり相手に伝える必要があります。
或いは直接言えない場合は、誰かに伝えてもらう必要があるでしょう。
でないと男性側はそれが良いのか悪いのか判断できません。
性的な発言も、男女の間では必要になる場合があります。
セクハラ被害を訴えるには、必ず先にそれがセクハラになるという事を伝えておく必要があるのです。
なのにその辺が曖昧なのも問題点となります。

他にも問題点はあります。
性的発言(性別的発言)というのは、男女問わず好きな人が多いという事です。
嫌いな人もいますが、好きな人もいる、厄介な話題なのです。
しかも好きな人の間では、普通の会話よりも凄く盛り上がってしまうのです。
だからついつい相手が喜んでくれると思えば、男女問わず話してしまうのです。

そして注意していても、酒の席では好きな人は言ってしまいます。
次の日には覚えていない人もいて、正直酒の席でセクハラ発言をするなと言っても無理です。
それに少なくとも私が共に酒を飲む女性は、半分が積極的に下ネタ会話に参加しています。
まあ今でこそ時効と言う事で大昔の話をすると、高校生レベルでも下ネタ会話を積極的にします。
あの時は正直ショックでしたね。{苦笑}
私の女子高生に対する夢が全て打ち砕かれた瞬間でした。
逆に言えば、あの時私は女子高生からセクハラされた側という事になりますね。
本当に気分が悪かったですよ。
でも、それをセクハラとして訴えるとか、そういう気持ちは今も無いですけれどね。

そんなわけで、セクハラという犯罪にはいくつも問題点があります。
性的でない言葉も含めて、人を不快にする発言なんてものはいくつもあるのです。
そしてそれは人それぞれであり、一概には言えません。
そんなものを犯罪とするには無理があるのです。

私は男ですが、女性からセクハラ発言になり得る事を言われた事もありますよ。
不快な思いをする事も何度もあります。
それでも、それを犯罪とするのには、正直違和感を覚えます。
道義的道徳的な問題であって、犯罪とするにはそこから一歩先というか、ハッキリとした行為が必要かと思います。

酒の席でみんなが盛り上がっているのに、自分だけ不快だからと文句が言えますかね。
男女の間の話なんだから、色々ありますよ。

今回の福田事務次官のセクハラ問題、セクハラをされたとされる女性記者は、ちゃんと伝えていたのでしょうか。
『そういう事を言うとセクハラですよ。止めてください。』
ちゃんとそう言っていたのにあえてそれを言い続けたとしたら、それは悪質な嫌がらせですから罪を問う事もできるでしょう。
でも、そういう事を伝えていなかった、或いは酒の席での話となると、二人きりなら男性側も勘違いしますよね。

その辺りがどうだったのかハッキリしないので私はその件に関してはなんとも言えませんが、セクハラという犯罪には問題点があるという事を、今日はお伝えしておきました。

2018年4月18日水曜日

どうしてみんな左だ右だとこう極端なのだろうかと思い続けて‥‥あたり前だけれどそうならざるを得ないんですね。

最初に、全く関係のない話からさせていただきます。
本日歩いていると、足元で違和感を感じました。
すぐに見てみると、どうやら犬のウンコを蹴ってしまったようでした。{汗}
『だれだよ!』と思いましたが、幸い踏んだ感じは無かったのでホッとしていました。
しかしその後なんだか臭いと思い靴の裏を確認すると、ちゃっかり全力で踏んでいました。
本当に、本当に犬のウンコはちゃんと持って帰ってください。{泣}

では本題です。

政治や歴史を勉強し始めた頃、『どうしてこう人々は極端なのか?』と疑問に思いました。
私は別に左派でも右派でもないと思っているのですが、ある人からは左翼だと言われ、別の人からは右翼と言われ、訳が分かりません。
まあ左端から見れば他は全て右翼であり逆も然りなわけですが、そういうのとは少し違う気がします。

私は脱原発派であり、世界は一つでみんな世界市民というのには賛成しています。
だから左翼だと言われるわけです。
しかし急に脱原発を行うのは問題があるし、徐々に方法を考えてやるべきだとも思うわけで、そうすると今度は右翼扱いです。
世界の統一も、文化や価値観の違いがまだまだあり、急には無理だと言うとこれもまた右翼になるようなのです。
これらは単なるレッテル貼りだとは思うのですが、どうしてどちらかの思想を持つ人というのは、こうも極端なのでしょうか。

その理由が、あたり前の事なのですがようやく分かりました。{苦笑}

戦前日本は、『鬼畜米英』と叫び、戦争に突入していきました。
しかしおそらく内心ではそうは思っていない人も大勢いたでしょう。
でもそれが声として表に出てこなかったのは、今を見れば分かると思います。
マスコミは常にどちらかに偏っていて、なんとなく言えない雰囲気がありますよね。
人権を大切に、差別は駄目だ、平和で自由な世界を、と言えば確かにそれは正しく、そう思わない所があっても否定しにくいです。
世間にはそういう空気があるのです。
それでも、幸い今はインターネットがあるので、その本心を表に出していく事ができます。
だから戦後の世界に対して「No」を言える人が出てきて、今世界は大きな転換点を迎えているわけです。

それにしても今まで、インターネットが無かったにせよ、どうしてこの方向性に対して何も対応ができなかったのでしょうか。
どうしてそんな空気が生まれ、その偏った方向に突き進んできたのでしょうか。
おそらく途中、丁度いいところがあたはずなのに、 きっと気が付いていた人は大勢いたでしょうに。

その理由は、その世界で既得権が生まれ、みんな己が利益を追求してしまっているからだと気が付きました。

戦後、我々はGHQの方針で人権、平等、平和、自由という方向で国家運営をしてきました。
するとそこには、その方針にそって利益を獲得する人がでてきて、既得権ができ、それがドンドン大きくなってきたわけです。
するとその既得権を持つ人は、もうそちらにまっしぐらに進むしかなくなるわけです。
それが行き過ぎた間違いになってしまった場合であっても、自分の利益を考えると、その間違いが正しい事になるのです。
そうして日本は、左に左に進む中で、丁度いい位置を通り過ぎ、すっかり極端な考えをするおかしな人が大勢いる社会となっていたのです。

戦前は悪いヤツは叩く、日本人は絶対に守るという正義の中、そういう国にまっしぐらだったんですね。
その正義に反する事は言いにくく、その正義の中で社会が構築され、その中で上手くやっていく術を国民が持ち、その方向性を変える事は、多くの国民の不利益となっていったわけです。
結果を見れば違ったと言わざるを得ないのですが、もう右に進む為の歯車として、国民が構築されてしまっていたのですね。

今はと言いますと、左に進む為にあらゆるものが構築されてしまっています。
かなり行き過ぎていると気が付いていた人も大勢いたでしょうが、自分がもう既にその歯車の一つになっていて、今さら方向転換が難しいのです。
中には左に進む歯車にがんじがらめになっている人もいるでしょう。
そんな人は、生きる為に尚も左に進むしかないのです。

つまり、世の中バランスがとれないと、極端な思想は更にドンドン極端にならざるを得ないのです。
そして間違いが声となって表に出てくる頃には、かなり極端な世の中になっていて、戻すにもその幅は大きく、どちらも極端になってしまうのです。
幸い今は、確かに左に寄り過ぎたとは言え、まだ許容範囲内です。
だから左側の人の意見は頑なに極端ですが、戻す方は大きく戻すべきだという人もいれば、少しずつ戻していこうという人もいるのです。

どうして人は極端な方向に進もうとするのでしょうか。
それは、ある方向に向かって進んでいた世界が、既得権や生活を作ってしまっていて、それが間違いのエリアに入っていても、 それを認めたら既得権や生活を失ってしまうから、更に間違った方向に進もうとせざるを得ないんですね。

今、国家国民の為と考えれば、明らかに極端でおかしな事を言っている人が大勢います。
それは、今までの世界がつくりあげてきた既得権なりを失いたくないから言うしかないのです。
もうゴールをして逆に離れていっていると分かっていても、左に進む担当として力を大きくしてきた人は、それが辞められないのです。

そう考えると、人はバランスをとっていくのが苦手なのかもですね。
それでもなんとか手を尽くしてバランスはとっていかなければなりません。
中国は、皇帝の誕生と打倒を繰り返しバランスをとってきたのでしょうか。
日本は世界の中でも早い段階で気が付いて、安倍政権が誕生しましたね。
その前には、プーチン、習近平がでてきていました。
後にはトランプやメイ、蔡や金正恩によって、世界は大きく方向転換しようとしています。
行き過ぎてしまってからの方向転換なので、民主主義国家は抵抗勢力に悩まされていますが、果たしてうまくやれるのでしょうか。

なんだか上手く伝わりそうにない文章になってしまいましたが、言いたい事は伝わったかと思います。
ある方向に進む世界が人々に色々な利益権力を与えてしまっているので、そこで美味しい思いをした人は、もうその方向以外には行きたくないんですね。
だから言っている事が極端に外れた事になるのです。

今は戻る時です。
多くの人がそう思っています。
だからなんとかうまく、方向転換したいですね。

2018年3月5日月曜日

竹田恒泰氏の説明を聞いてもモルゲッソヨ(分からない)仮想通貨(暗号通貨)っていいの?

竹田恒泰氏と言えば、私的には8割以上納得できる支持率の高い言論人と言えます。
そんな竹田氏と全く意見が一致しない話がありましたので書きたいと思います。

竹田氏と言えば、仮想通貨推進派ですね。
それで仮想通貨に関して動画の中で力説しておられたのですが、その後にとったアンケートでは、今一視聴者にそれが伝わっていませんでした。
普段竹田氏が説明した後にとる大抵のアンケートは、竹田氏の意見通りの結果がでます。
でも今回仮想通貨に関しては、私の見る限り初めてそうではない結果がでたんですね。
良いが30%台、悪いが一桁、そしてモルゲッソヨ(分からない)が50%以上という結果でした。
この結果を受け竹田氏は、『モルゲッソヨだから票が取られた』という風に解釈しておられました。

いえいえ違いますよ。
仮想通貨に関して、本当に分からない人が多いのです。
いつもは的確に何が良くて何が悪いのかハッキリ言うのですが、今回の説明にはそれが無かったのです。



例えば犯罪に使われるという仮想通貨の欠点があります。
そこでの説明は、一番犯罪に使われているのは米ドルだという説明でした。
確かに米ドルは犯罪に使われています。
マネーロンダリングにも使われています。
でもだからと言って仮想通貨が問題無いという説明にはなりません。
仮想通貨の問題は、安全な所から一気に大量にお金が盗めてしまうという所です。
そして盗んだ後も、ゆっくりとマネーロンダリングできてしまったり、その為に使われてしまう所です。
最近コインチェックが500億円以上の仮想通貨NEMを盗まれました。
米ドルが安全な所からこんなにあっさりと盗まれ、ゆっくりと資金洗浄されるでしょうか。
確かに今はまだ成長途中の仮想通貨ですから、今後はセキュリティも高まるでしょう。
それでもおそらく今後狙われるのは仮想通貨の方だと私は考えます。
盗まれた後の対応がほぼできませんからね。
ハードフォークとかリセット的な事でしか、取られた金は取り返せないのです。
ブロックチェーン技術は素晴らしいですが、利点でもあり欠点でもあるのです。

通貨量のコントロールにも言及しておられました。
そしてそれがさも悪い事のように言われておりましたが、コントロールは必要です。
ユダヤ陰謀説とか、世界の金をコントロールしているとか、それで利益をあげているのが仮に本当だったとしても、仮想通貨が良いという理由にはなりません。
仮想通貨はこういった一部の人が利益を享受するシステムをぶっ壊す為に作られたそうです。
私も以前から、今のお金のシステムはおかしいと言ってきた者です。
汗水たらして働いた人よりも、ちょっとお金を動かすだけの金持ちの方が良い生活ができるのはおかしいですよね。
こういうのは無くす必要があるでしょう。
でも、だったら仮想通貨の登場でそれが無くなるのでしょうか。
仮想通貨が出てきてから、ちょっとお金を動かすだけで儲けている人が爆発的に増えました。
当然逆に損している人もいるわけですが、何にせよお金の問題がより一層強まっている気がします。
落ち着いてくれば、或いは日本が仮想通貨を導く立場に立つ事を望んでおられましたが、確かに国家の利益を考えればそうでしょう。
どうせ普及するのなら、勝ち組になるべきではあります。
でもこれ、毒でもありそうな気がしてなりません。

金融に特化した国、イギリスのように他に何も無い国へ向かってしまうのではないでしょうか。
私は日本国民はそんなに馬鹿ではないと思っていますが、日本人は汗水流して働いた方が良いと考えています。

お金のコントロールに関しても、景気コントロールをしなければおそらくドンドンインフレに進みますよ。
仮想通貨が普及しきった未来ではの話ですが。
新たに出る仮想通貨に金が流れ、他の貨幣価値が落ちるわけです。
通貨量が増えればインフレになるというデータは出ているのです。
少なくとも日銀のコントロールは必要になってくるのです。

竹田氏は、今の金融システムをぶっ壊し、その先の理想が見えているのかもしれません。
でも、少なくとも私にはまだそれが分かりません。
悪いものをぶっ壊せば、そこに良いものが生まれるわけではないのです。
更に悪いものが生まれる可能性さえあるのです。

ただ、竹田氏がここまで推すのには、おそらく裏に相応の理由があるとも思えます。
確かに犯罪や脱税に使われる危険のある仮想通貨ですが、抜け道というのはやはり少しは必要です。
竹田氏がよく言っておられる事に『監視社会が進む事に対する懸念』がありますね。
悪いヤツが悪事の為に悪い事をして金を集めるのに対して、正義は真っ当な方法でしか金を集められません。
これはすなわち悪いヤツの方が有利というルールです。
でも合法的な抜け道が有れば、一応五分の条件では戦えるわけです。

明治天皇の玄孫で、日本への愛国心の強い竹田氏が言うという事は、もしかしたらその辺り声に出していない思いがあるのかもしれないと、私は邪推しております。

何にせよ、仮想通貨を推進するのであれば、もう少し具体的に何か説得力のある利点が必要でしょう。
日本は災害大国で仮想通貨にたよりっきりというわけにもいかない国ですから、かなりの説得力が必要と思います。
推進する事が本当に必要なら、いくつか分かりやすいメリットの説明が必要だと思った話でした。


2018年2月27日火曜日

仮想通貨(暗号通貨)ロスカット祭り(損切り祭り)で買いが入れられない?そりゃそうだ!売って値段を下げロスカット売りを買い戻している?

Zaifで少し前、ロスカット(損切り)祭りが起こったらしいですね。
ロスカットの連鎖で他の取引所ではありえない値下がりがあったのです。
その中で買いを入れてもエラーで買えなかったという話もあり、さてこれは一体どういう事なのだろうかという声が聞こえてきます。

ぶっちゃけ、今は特にルールが決まっておらずやりたい放題、取引も買い手と売り手を引き合わせる取引所ではなく、あくまで売買所、交換業者なわけでして、なんでもできるのです。
たいだい取引手数料がマイナスの取引所もあり、おかしいと考えないんですかね。
常に安く買って高く売るシステムが出来上がっているのですよ。
そこで手数料が取られているも同然なんですが、まあ買う方も売る方も求める価格で売買できるのなら、それはそれでいいのでしょう。

しかしですね、ロスカットの売り注文って、出している人ってどうして出せるのか不思議です。
例えば100万円のビットコインを、ロスカット70万で設定したとしましょう。
そういう人がたとえば300人いたとして、売買所の板というのは薄いわけです。
90万買いが100人、80万買いが100人、70万買いが100人いたとしてここに300売りを浴びせれば、価格は一気に70万まで落ちるわけです。
301売れば更に下がりますね。
そしてロスカット売りがいるわけですから、ここで一気に302買い戻すわけです。
すると70万円以下の価格でロスカット売りの300を買い戻し、まだ売りはこれ以上きていないわけですから、買いのある価格100万円以上にすぐに戻す事ができるわけです。

ハッキリ言いましょう。
ロスカット設定をした時点で、それはもうその値段以下でも売りますよって事なんです。
株なんかの取引きではルールがしっかりしていますから、価格操作はしてはいけません。
でも、仮想通貨にそんなルールはあるのでしょうか?
仮想通貨の自由が素晴らしいとか言いますが、自由ってそういう事ですよ。

そんなわけで、少なくとも仮想通貨のロスカット設定なんて、私は止めた方が良いと思っています。
まあ、本当に暴落する時には有ってほしいものですが、リスクも大きいと認識しておくべきですね。

※あくまでそういう事も可能だという話をしているだけで、Zaifがそうやっているという話ではありません。

2018年2月21日水曜日

仮想通貨(暗号通貨)について本音で語ります!日本人の取引が4割とか言っている時点で騙されてる気がするよ!

今日は仮想通貨について、色々本音で語りたいと思います。
私は何も知らなかった頃、仮想通貨を買っている人は馬鹿だと思っていました。
無価値のものにどうしてそこまでお金を出せるのだろうかと不思議でした。
しかし勉強して、その考えは変わりました。
実際に持ってみると、昔欲しいと思っていた『インターネット上で匿名でお金をやり取りできるツール』であったわけですし、これを使いたくなる気持ちは誰よりも理解できます。

ただ、だからと言って今の仮想通貨を肯定する事はできません。
何故なら、何より反社会的集団やテロリストなどの資金調達手段になっているからです。
そういう視点から、現在の仮想通貨を買っている人に対しての思いを述べると‥‥

仮想通貨で損してる人は、そのお金が反社会的集団やテロリスト、或いは犯罪者に使われている可能性が高いです。
直ちに仮想通貨からは撤退するべきでしょう。
ガチホしている人も同様です。
ガチホ状態というのは、預けているお金が誰かに使われている状態、つまり使っている人の中には悪い奴らもいるのですから、例えば北朝鮮の核開発に加担しているも同然です。
今すぐ全額売りましょう。
そして利益があるのなら、税金等差し引いて利益分だけで遊びましょう。
儲けている人は、とても素晴らしいです。
危うくテロリストを支援する為に使われそうだった金を、上手く食い止めたのです。
これからも、とにかく確実に利益を出せるように頑張ってください。
いえ、利益が出せる確信があるのなら頑張ってください。
ただ、ホールドしていたら支援しているのと同じなので、活発に売買するか、利益分だけで今後は頑張って欲しい所です。

はい、私はこんな感想ですね。{笑}
あくまで私の感想ですから、これに気持ちを動かされる必要はありませんよ。

それにしても、だいたい今の仮想通貨にはまだまだデメリットが多すぎますよ。
危険でもあります。
コインチェックやZaifの事件を見ても、『仮想通貨自体のシステムに問題はない!悪いのは取引所(販売所)だ!』なんて言う人がいますが、これもおかしな言い訳です。
仮想通貨が仮想通貨のシステムだけでマーケットをつくれていますか?
それぞれの国の法定通貨と交換できるようになって初めて仮想通貨はお金っぽく使えるわけです。
インターネット上で法定通貨関係無しに、『トヨタの○○車が1ビットコイン!』なんて販売を始め、そのレートで他の商品も固定価格で買えるようになって初めて問題が無いと言えます。
円に換金する事前提では駄目なのです。
換金が必要な段階で、マーケットを含めて仮想通貨を評価しなければなりません。
仮想通貨販売所で問題が有れば、それを含めて仮想通貨の評価は決まるのです。
そんなわけで今はまだ、仮想通貨は危険と言わざるを得ません。
犯罪組織に狙われやすいという意味でも、財布がネット上に公開されているという意味でも、とにかくデメリットだらけです。

さてしかし、こんな仮想通貨のおかげで、なんとなく世界の勢力図が見えてきたのではないかと、私は勝手に思っております。
仮想通貨を積極的に推進する国、或いは扱っているであろう国もあれば、逆に取り扱いを禁止しようとしている国もありますね。
日本のようにそこそこ認めている国もあれば、積極的に規制をしていこうと声をあげる国もあります。
まあ日本なども規制は考えているわけで、世界の多数派は『上手く規制してそれなりに扱っていこう』って感じですかね。
積極的に扱っていこうとする国はロシアです。
そしておそらく今回のNEMを盗んだ犯人と言われている北朝鮮ですね。
この辺りは仮想通貨で資金を集め、上手くやっていこうとする悪い奴らです。
盗んだNEMも換金できなければただの電子データに過ぎないのですが、どうやらロシア辺りの取引所で換金されているらしいのです。
ロシアはそもそも北朝鮮に手を貸しているとみられているわけで、この辺りはがっちり繋がっていそうですね。
逆に仮想通貨を禁止する動きは中国です。
そしてそうしようとした韓国もそれが理想なんでしょうね。
この辺りは、ロシアや北朝鮮に利用されたくない、或いは中国なんかは反共産党の人に資金が渡るのを恐れているのでしょうか。
蛇の道は蛇ですから、こういった国もロシアや北朝鮮に近いと考えられます。
その他の国は、資金集めに利用したい国からすれば、それなりに積極的に仮想通貨売買をしてほしいと思っているはずです。
日本、或いは韓国なんかは仮想通貨の取引が活発ですよね。
こういう国は、スパイ工作員が多く入っていて、踊らされているように感じます。
しっかりしている国ほど、あまり仮想通貨にはのめり込んでいない気がしますね。

そんなわけで、仮想通貨を積極的に推し進めようというのは、一旦立ち止まり考え直した方が良いのではないでしょうか。
今のまま仮想通貨があるならば、ロシアや北朝鮮、或いはテロリストや反社会的集団に金が渡り、核開発の資金や悪事に金が使われる事になるのです。

世界が足並みをそろえて全ての犯罪を取り締まれるのならいいですよ。
でも、闇取引できる場所は存在しているのです。
格好の標的ですよね、資金洗浄しやすくネットで簡単に大金を盗めてしまうのですから。

今後どのように成長し、どのような規制が行われるのかは分かりません。
それによって仮想通貨が素晴らしいものになる可能性はあります。
でも現状は危険なものと言っていいでしょう。
日本人は上手く富を奪われているのです。
儲かっている人はいいですが、損している人のお金は、核開発や日本を狙う武器に変わっている可能性があるのです。
その辺りよく考えて、今後仮想通貨に向き合っていきたいですね。

2018年2月19日月曜日

Zaifが21憶ビットコインを売り?どうしてそうなった?資産が2000兆円以上とか国債全部引き受けられるね!

コインチェックの次はZaifですか‥‥

Zaifの0円バグで21億BTCコイン(時価総額2246兆円)をGETした麺屋銀次さんが話題。Zaifはアカウントロックしダンマリを決め込んでるもよう

日本の取引所はどうなっているのでしょうか。{苦笑}
だいたいバグとはいえこういうのが処理されてしまう辺りおかしいですよね。
無い物を売っていたのでしょうか。
本来は表面上の取引に連動して、実際にモノが受け渡しされるはずです。
受け渡しができなければ、それが繁栄されるはずがないのです。
でも資産2000兆円以上になっていたわけで、これは表面上だけ取引させて、裏ではノミ行為をしていたって事でしょうかね。

ノミ行為自体、仮想通貨取引に関して法的にどうかは知りません。
でも、存在しない21憶ビットコインが板に乗せられるのは、これはマズイと思いますよ。
取引のコントロールも可能という事になってしまいます。
例えば無いモノを自由にできるのなら、値段を上げたくない時は上値に分厚い売りを出しておけばいいのです。
100万円に買いきれないくらいの天上があれば、それを上抜けするのが難しいと考え、今日はそれ以上には上がらないと考えます。
仮に大量に買おうと思った人がいて、成り行きで大量の買いを入れて来れば、売りを一旦外して超高値で買い取らせる事もできます。
逆も然りですね。

実際に無い物の売買というのは、そういう意味で絶対にやってはいけない事です。
株の空売りなんかは、ちゃんとそこにある株を借りてやっているわけで、不正はできません。

まあなんにしても、こんな事がもしもまかり通っているのなら、仮想通貨が危険だと言われても仕方がないですね。
もしも無いもを売っていたとしたら、価格操作はされていたと考えていいでしょう。
だからZaifで取引していて損をしている人は、文句を言って良いと思いますよ。
本当に早くしっかりとした法規制が必要だと感じます。

ただ、ネット上で匿名で取引できるのは便利なんですよね。
ちゃんとウォレットは脱税できないように個人との紐づけをして、でもネット上では匿名で使えるって感じなら、全く問題ないと思うんですよ。

今仮想通貨が人気なのは、投機ゲームが楽しめるからってのが大きいと思いますが、それはそろそろ終わりにしてもいいのではないでしょうかね。




2018年2月18日日曜日

私は視点が真逆だったのかもしれない!仮想通貨(暗号通貨)はコミュニティ(マーケット)がしっかりしていて価値を持っていないと駄目だと言ったが‥‥

私は以前言いました。
『仮想通貨が価値あるものになる為には、それ自体に価値を持たせないと駄目だ』と。
例えば一定のコミュニティをつくり、その中で価値を共有できるものにしなければならないとか、 まあ今の法定通貨で言えば、国というコミュニティの中では交換アイテムとして定められているわけで、そういう後ろ盾に欠けているのが仮想通貨だと思っていました。

しかしですね、仮想通貨は通貨として流通させる為のものでは無かったのではないかと気が付きました。
順番が逆なんです。
法定通貨は、国の中で便利にブツブツ交換ができるアイテムとしてつくられたわけですが、仮想通貨はもしかしたらコミュニティをつくる為の道具なのではないでしょうか。

まず仮想通貨を発行し、適当にばらまきます。
するとその仮想通貨を持っている人の間に、何やら共通意識が生まれるわけです。
『この仮想通貨の価値が上がればいいなぁ‥‥よし、上げていこう!』と‥‥
その仮想通貨を支持する人々の間に連帯感が生まれ、そこに1つのコミュニティが出来上がるのです。
そうなればみんなが今度は協力して、それで何ができるのかを考えだします。
もちろん通貨として買い物に使えるようにする事も有れば、それ以外にも特定のものと交換できるチケットなんかにも使われます。
そして価格が付いて売買も自由に行われている辺りは、その仮想通貨を支持する人々の間で融資が行われているようなものです。
元々ゼロ円の所に、例えば1ビットコイン100万円とすれば、1つ持っていれば100万円の融資をしているようなものです。
ビットコインを50万円で買って、100万円の状態で持っている人というのは、50万円の融資をしていて、いつでもそのお金を返却してもらって、更に50万円の融資が受けられる状態というわけです。

なんとなくですが、国内で一定のコミュニティをつくり協力している『宗教集団』のようですね。
仮想通貨がある意味信じる神と言った所でしょうか。
気が付けば資産が倍になっていたりするわけですが、でもその実態は何時でもみんなで助け合える道具によってそう見せられているわけです。
見せられているだけではなく、実際助けてもらえるわけですから、助け合いという意味では日本人にとってうってつけの道具になり得たわけですね。
だから仮想通貨を『金を生む神』のように捉え、その仮想通貨を信仰するがごとくのめり込んでいくわけです。

これは否定批判をしているわけではないですよ。
信じればそれは神になり得るわけですから。
ただ、信じなくなればそれは神ではなくなるわけで、危うさも持っているという事は理解しておくべきでしょう。
神でなくなれば、それはただの紙切れになるわけです。

仮想通貨は、一種の信仰対象なのかもしれません。
最近そんな風に感じます。

サイト利用規約※説明や注意事項※  秋華神社エントランス