なんかテレビでやっていたらしいのですが、共働きの家庭で母親だけが家事をしていてそこに報酬がないのがおかしいと思う子供がいて‥‥これ衝撃だった。道徳の授業で「家族愛は無償」ということを教えるために、「お母さんの家事労働にも対価を払うべきなのでは?」という意見を述べた男の子がクラスで笑われて、恥ずかしさを植え付け、異なる意見を封じられる……。 #クロ現プラス pic.twitter.com/thiWMcMmCD— ヒノッチ (@hinocchi) 2018年4月23日
ああ、詳しくはツイート先を読んでいただければと思いますが、とにかくそのツイートに対する意見や、他のツイートも見ている時に、『多様化が求められるのに一つの考えに誘導するような道徳の授業はおかしい』というような発言を見つけましたので、ちょっと多様化について考えたいなと思った次第であります。
確かに現代、昔と違って男性が外で仕事をして、女性が家庭を支えるだけの家庭は減ってきております。
女性も働きたい、そう思って出ていく人もいれば、経済的な問題でやむなく働く場合もあるでしょう。
これからは多様化の時代で、色々な家庭を認めていく時代です。
だから確かにツイートの意味も分かりますし、子供が疑問に感じた事を一つの価値観で縛って別の結論に無理に導くような授業というのはおかしいですね。
私もこれに関しては賛成です。
ただ、多様化というのは本当に良い物なのかというと、これには少し疑問を覚えました。
時代の流れで仕方なく多様化はしていますが、それが人々の生活で幸せかどうかは、色々と考える余地があると思えるのです。
人間も馬鹿じゃありませんから、長い歴史のある国ではそれは今まで色々と試してきたはずです。
その中で一つの結論に達していたとしたら、それはある意味正解なのです。
それでも今はグローバル化の時代で、もちろんそうも言ってはいられません。
だから今日本では古き良き日本の価値観と、多様化する価値観が対立を始めています。
男性が働き、女性が家を守るというのもそうですね。
今はどちらも選べると言った感じですが、これからは共働きがあたり前になっていくのではないでしょうか。
そうしないと、海外との競争に勝てませんから、おそらくそれで仕方がないという事でそうなるのだと思います。
これは一旦多様化して、先に価値観が収束していくという事です。
多様化というのは一時的なもので、もしかしたらやはりどこかで結論に達してしまうものもありそうです。
もちろん、多様化したまま選べ続ける事ができるものもあるでしょう。
例えば結婚に関して、昔は20代後半には結婚して子供を産むというのがあたり前で、それができない人は白い目で見られる事もありました。
それが良いか悪いかは一旦置いといて、そんな時代は多様性のある時代へと変わり、何歳で結婚しようが、子供がいようがいまいが、一生独身であろうが、個人が自由に選んで行ける時代となりました。
私はこれに喜んだ方です。
一生独身の方が気楽でいいぜ!なんて思いながら若い頃を過ごしました。
しかし、今になって凄く後悔しています。
20代の頃に結婚して子供をつくって普通の家庭を築けていたらと思うのです。
年をとるほど相手を見つけるのは難しいですし、結婚もやはり今になってするべきだと思っています。
あたり前ですが自分も年をとり、いずれは身動きの取れない老人になるのです。
その時子孫がいないと、誰が私の面倒をみてくれるのでしょうか。
金を出せば老人ホームで暮らす事もできるでしょうが、とても寂しい気がするのです。
こんな事なら、『結婚は20代でするのが当たり前だからみんな結婚して子供つくれよ』ってのがあたり前だったら良かったのにとも思うのです。
確かに選べるというのは自由で素晴らしいと思います。
ただ結果も自己責任です。
ですがそうすると、甘えが出る人も大勢いるわけです。
私などはきっとその典型だと思います。
自分のやりたい事を優先してしまったが為に、今猛烈に後悔する事になったのです。
甘えない為にも、良い物は決めつけておく事もある意味正しいのではないかとも思うのです。
まあこれが正しいかどうかは、まだまだ私の中では結論が出ていませんけれどね。
そして実際、多様化によって現代社会で弊害もでています。
少子高齢化です。
子供を作らない自由、結婚しない自由、多様化したために子供が減ってきています。
多様化だけの責任ではありませんが、もしも結婚出産が義務に近い形で認識されていたら、こんな問題は起こらなかったのでしょう。
これに関しては今、別の方向から改善しようと努力がされています。
子育て支援や学校教育無償化などです。
でも、多様化した今の状態では、多少改善はできても、ある程度やりたい事は我慢して結婚して子供を作る事の必要性が共有できなければ、この国の人口は減る一方となるでしょう。
私は多様化について、何処までが良くて、何処までが悪くて、どれが良くてどれが悪いか、結論を出せる段階にはありません。
ただ、昔ながらのもので縛っているものにはそれなりに理由があり、多様化すれば確かに自由があってその時はいいのですが、社会を維持する為にはある一つの方向性を教える事も大切なのではないかという事なのです。
共働きで母親だけが家事をするのはおかしい、これだけ見れば全くその通りなのです。
多様化して、色々な価値観を共有しましょうというのも、色々な人が最高の幸せを求める為には必要だと思います。
でも、自由というのは社会に弊害を生む場合も多々あるのです。
この辺りよく考えなければならないのではないかと私は思います。
多様化というのは、決して自由で良いだけのものではありません。
デメリットも多々あります。
今後はそのデメリットを検証し、改善する為には何が必要なのかを考えなければなりませんね。