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2018年5月31日木曜日

障碍者差別にするな!障碍者は何処まで助ける必要があるのか?

こんなニュースがありました。

『名古屋城の木造復元天守閣にエレベータを付けないのは障碍者差別だ!』
そんな言葉に対して、名古屋市河村市長は、エレベータを付けない判断をしました。

これは当然ですね。
少なくとも、これは『差別』には当たりませんから。

理由は簡単です。
何も無い所を何もないままにするのは、別に差別ではないからです。
何も無い所に差を付けるのが差別です。

例えば歩けない人の為に、全国全てに動く歩道を付けないのは差別でしょうか。
『最低限生きていく上で必要な部分は助けましょう』というのは国家として目指している所ですから否定しませんが、それ以上は個々の優しさによるものなのです。
だから『差別』や『人権』という言葉を使われると、逆にやりにくいですよね。
『障碍者も名古屋城の天守閣に登りたいので、エレベータを付けていただけませんか?』
そういうお願いであれば一考の余地はありますが、『差別だから作れ』は違います。

それにそもそも、障碍者ってなんでしょうか。
多かれ少なかれ、或いは重度か軽度の差はありますが、みんな障碍を持っていたりするのではいでしょうか。

例えば視力が悪いという事。
これも障碍と言えば障碍です。
だからメガネは国民無料配布、成人になったらレーシック手術費用はタダ、なんて事にするんでしょうか。
そうしないと差別でしょうか。
そんなわけありませんよね。

私事で言えばまだまだ色々な障碍がありますよ。
左利きなのはある意味障碍です。
この社会を生きる中でデメリットが多いです。
モノを買う時は大抵なかったり値段が高いです。
左利き支援をしてほしいです。

或いはサイズが合わないという事もあります。
男性平均より著しくサイズが違えば、買いたくても商品がありません。
小さい場合は女性ものを買う事になります。
ちゃんとサイズをそろえないのは差別でしょうか。

慢性の病気はどうでしょうか。
私は酷い時は週一で酷い下痢になる事があります。
こんなでは、トイレにすぐにいけないような職には付けませんね。
電車やバスの運転手とか、飲食店で働くのもかなり辛かったです。
電車やバスの運転席をトイレにしないと差別でしょうか。
まあそれはそれで面白いアイデアですが、そんな義務はありません。

他にも私はそれなりの睡眠時間が必要ですし、早起きすると体調が悪くなる可能性が高くなります。
最近仕方なく早起きを続けて半年になりますが、既に去年の2倍くらい体調の悪い日があります。
体調が悪くなると鼻水が止まりません。
下を向いての作業ができなくなりますから、デスクワークなんて到底できる状態ではなくなります。
そんなに頻繁に休ませてくれる会社、或いは遅い時間からの出勤で大丈夫な会社はどれくらいあるのでしょうか。
我慢できるだろうと思う人もいるかもしれませんが、私はその時は鼻にティッシュを詰め、15分に1回取り換えるくらいでないと駄目になるんですよ。
取り換える時はゴミ箱の上でティッシュを外すのですが、外した途端ダラダラと鼻水が出て鼻提灯までできます。
こんなになるのに、会社でデスクワークができるでしょうか。
薬でなんとかするにしても、眠くなったり、そのお金はどうするんでしょうかね。

このように、何にしてもみんな差はありますが、それぞれに障碍と言える何かを持っていたりするわけです。
だから自分でなんとか生きていけるレベルにあれば、後は自分でなんとかするのが基本になるわけです。

さて、お城にエレベータが無いと生きて行けないでしょうか。
サービスとしてそういう人を助ける為に何かをしてあげるのはとても良い事だと思います。
できる限りそうあるべきだとも思います。
でも、それが無いと差別批判するのは全く当てはまらないと思います。
こういう行き過ぎた差別批判は止めて欲しいですね。

2018年5月28日月曜日

らしさ教育を見直そう!男性らしさ、女性らしさは必要だから昔から言われてきた!

ツイッターを見ていたら、こんな女性の話が目に留まりました。

『ぶつかってくる男性に対して文句を言ったら反撃された。通りすがりの人は誰も助けてくれなかった。』

これはよくある話なのではないでしょうか。
最近の人は男性に因縁をつけられ困っている女性を見て見ぬフリする人が多いように思います。
それは人としてどうかと思いますが、さて自分がそれを目撃した時、助けられるかと言えば正直自信がありません。

なんせ私はチキンハートの臆病者ですからね。

困っている女性を助けるのは男性として当然の事だと思います。
でも、助けたくても助けられない男性、或いは損得で考えてそれをやらない男性も多いでしょう。
助けに入って逆に怪我、或いは殺されでもしたらたまったものではありません。
女性になら手加減もあるでしょうが、男性の自分に対しては本気で殴りかかってくるかもしれません。
助けるメリットなんて正直ないわけで、だったらリスクを負わないというのも正論なのです。

それでも男性が女性を助けるのは必要です。
戦争に女性が行かなかったのは何故だか分かりますか?
男性は一人で子供を沢山つくる事ができますが、女性は一生に産める数には限界があります。
ぶっちゃけ動物的に見れば男性よりも女性の方が大切なのです。
だから男性が女性を守るのはあたり前の事なのです。
体力的にも男性の方が強いという部分で当然と言えば当然でしょう。

それでも助けられないのは、臆病なだけではありません。
喧嘩のやりかたを知らない人が多いのです。
私もその一人ですが、ハッキリ言って喧嘩になれば『相手を殺してしまわないか心配』なのです。
たとえば女性を襲っている男性がいたとして、助ける為に何をするのでしょうか。
『チミチミやめたへ』
そんな事を言いながら説得するのでしょうか。
そんな事をして殴りかかってきたらどうしますか?
私は常日頃から人が襲ってきたらどうかわすか、どう反撃するかをシミュレーションしています。
それが上手くいけばいいですが、上手くいかなければ正直殴られただけでも死にそうな私です。
精一杯反撃する事になるでしょう。
それでもしも相手を殺してしまったら‥‥
そう思うとなかなかトラブルに自分から入ってゆく勇気がわかないのです。

女性を守る為の殺人は正当防衛として確実に認められるというのなら、まあ全力で助けようとする人も増えるでしょうが、そんな法律が作れるのですかね?
なかなか難しく、下手すると過剰防衛で牢屋にぶち込まれるのは助けた側となるのです。
そんなわけで、なかなか『男性は女性を助けるのがあたり前』と言っても、今の世の中難しい所が多いのです。

さてしかし、難しいからと言ってそのままではいけません。
昔はもっと男がしっかりしていて助ける人も多かったように思います。
年配者が注意して逆に殺される、なんて事件も多いですね。
年配者は女性を守るという意味では今の男性よりもしっかりしているように思うのです。
それは何故でしょうか。

私は、『らしさ教育』があったからだと思います。
男は男らしく、女は女らしくです。
そうできない人、或いは自由を求める人がこれに反対していますが、社会を良くする為には、私は有った方が良い教育だと思っています。
男性は女性を守るのが当然で、強い身体と精神を持つ必要があるのです。
そういうものを鍛える為に、小さい頃からしっかり教育する必要があるでしょう。
女性も実は女性らしさってのは必要です。
その理由は、男性に守ってもらう為であり、確実に守られる為です。
そんな事を言ってもピンときませんよね。
説明しましょう。

まず、守りたいもの、守りたい人ってのはどんな人でしょうか。
家族であったり友人であったりすると思います。
でもそれはそれなりの関係があるからで、赤の他人を守る場合、そうしたいと思う対象はどんな人でしょうか。
『赤ちゃん』であったり、『子供』であったり、『女性』であったりするわけです。
その共通点はなんでしょうか。
それは、『可愛い』という事です。
可愛いというのは、守られるものの条件と言えます。
赤ちゃんが凶悪な顔をして生まれてきたらどうでしょうか。
親ならまあ守るかもしれませんが、全く関係がないとちょっとどうなるか想像できません。
では動物の赤ちゃんで考えましょう。
猫の可愛い赤ちゃんなら守ってあげたいと思いますが、猫の赤ちゃんが鬼や悪魔のようないでたちだったらどうでしょうか。
到底守る気にはなれないでしょう。
むしろ怖くて逃げます。
つまり、女性が女性らしく可愛くふるまうのは、男性から守ってもらう条件になり得るのです。

もちろん、そんな事がなくても男性は女性を守るべきだとは思いますよ。
でも、さあ守りに入って、黄色い声援があるのと、『おんどりゃ!私を守らんかい!』と言われるではどうでしょうか。
やはり男のやる気を左右しますよね。
そうすれば、その悪党との喧嘩の勝ち負けを左右するのは確実でしょう。
私なんて本当にお調子者だから、応援されるのとされないのでは結果が大きく違ってきます。
そんな事もあるので、女性もやはり女性らしくあった方が守られやすくなるのです。

確かに、らしさ教育というのは、そうできない人にとっては重いものかもしれません。
私なんて男らしさがあまりないから、言われると嫌な気持ちは分かります。
でも、多少なりとも言われてきた事で、そうあろうと努力はしてきたし、そうあるべきだとも思っています。
だからまあ全く何もできない人よりもマシな行動はできるのではないかとは思っています。
おそらくよっぽどでない限りはスルーしてしまいそうですけれどね。
少なくとも女性連れで歩いている時に何かあっても、自分だけが逃げるような事はしないでしょう。

らしさ教育を否定する人がいます。
気持ちも分からなくはないです。
それでも、やはり社会をより良くする為には、それぞれがそれぞれの最低限の役割を果たせる方が良いのです。
男が男らしいふるまい、女が女らしいふるまいができる事で、世の中が上手くいくのです。

そんなわけで、らしさ教育をもっとしっかりやる必要があると思います。
皆さんはどう思われるでしょうか。
悪いヤツがいる限り、何でも話し合いでは解決しません。
らしさ教育はちゃんとやって欲しいですね。

嫌な事から逃げてばかりでは、社会は成り立たないのですよ。

そうそう書き忘れていたけれど、らしさ教育をしっかりとすれば、当然『女性にわざとぶつかっていく男性』とか『痴漢する男性』とか減るでしょう。

2018年5月25日金曜日

TOKIO山口メンバーの事件が報道された時、どうして「家に行った方も悪い」なんて声が出たのか?

TOKIOの山口メンバーによる強制猥褻事件が報道された時、「家に行った女性も悪い」なんて意見がネット上で見られました。
それに対して「それは酷い!違う!」という声もありましたが、さて、これはどうなんでしょうかね。
私は今までの自分の経験から、女性に非はなく、全面的に山口メンバーが悪いと言っていました。
とは言え、ちゃんと親も教育しておくべきだったというのが私の考えです。
今もこの考えは変わっておりませんが、どうして「女性も悪い」というような意見が出てくるのでしょうか。
今回はその辺り考える事にしました。

考えるきっかけとしてあったのが、山口メンバーの事件の被害者女性は責められるのに、どうしてアメフトで監督の指示通りルール違反をして怪我をさせた人に対しては理解があるのかという疑問をツイートする人がいた事でした。
これに関しては、悪い人に対して同情するという意味では同じですし(山口メンバーとタックルした学生)、被害女性と加害選手を同じに考えるのは違うので、これに関しては議論の余地はありません。

でも気になったわけですね。
どうして被害女性を責める人がこんなに多かったのだろうかと。
それで考えに考えた話をいくつかしていきます。

まず、『女性が山口メンバーの家に行かなければ』という話は、『子供が川の近くで遊ばなければ』ってのと同じなんだと思います。
違いは加害者がいるかいないかってだけで、災悪にあったという意味では同じですよね。
川は危険だから近くで遊んではいけないと分かっていても、子供は遊んだりして、落ちて溺れて死亡事故に繋がったりしります。
だから親はしっかりと『川の近くで遊んじゃダメだよ』って教育するわけです。
山口メンバーの事件でも、普通親なら『男性の家に若い女性が行く事の危険性』を知っているはずです。
だから普通はしっかりと教育すると思うのです。
それで被害にあってしまったら、『だから川の近くで遊んだら駄目だって言ったのに』という話にもなるわけです。
ただ今回は、加害者がいるという事で、責めるのは加害者って事で良いとは思うですが、被害にあう事が災悪だと考えると、「女性も悪い」というのは理解できないくはないのです。
「川がそこにあって流れているのが悪い!川を無くせ!」なんていう人もいるかもしれませんがね。{笑}

それで法的にも実際にそう定められているものがあります。
自動車運転で大切な車間距離やシートベルトです。
例えば自動車運転で法律がなかったとして、前を走る車が居眠りをしていて、ハッと目覚めて驚いて急ブレーキをかけたとします。
そしたら後ろを走る車がそれに追突してしまいまいた。
普通に考えればこれは「居眠りをしていて急ブレーキをかけた方が悪い」わけですが、法律はそうはなっていません。
そういう事を防ぐために車間距離を取らなければならなくなっているわけで、注意を怠る事も責められる場合があるのです。
シートベルトも同じですね。

山口メンバーの強制猥褻のような事件は、たとえどれだけ厳罰化した所で、男性の家に行く女性がいる限りなくならないと考えます。
だったらどうするのでしょうか。
車間距離を取るように、シートベルトをするように、被害を受ける側が注意しなければならないのです。
その気がないなら、独身男性の家には女性は行かないという注意が必要でしょう。
個人的には、男女2対2くらいまでは危険だと感じますが、その辺りは断言できません。

さて、さらっと『男性の家に行く女性がいる限り、このような事件はなくならない』と書きましたが、その理由も話しておきます。
女性は、好きな男性に家に誘われたら、どんな気持ちになるのでしょうか。
『何かがあるかもしれない』と期待する事も往々にしてあるのです。
つまり逆を言えば、男性も考えるわけです。
女性が家に来たら『この子俺の事好きなのかな?』『何か期待しているのかな?』『やっちゃってもいいのかな?』『むしろやっちゃうべきなのかな?』『何もしないと逆に失礼になるのではないかな?』まあ色々考えるわけです。
普通の人は様子を見ながら正解を見つけるわけですが、グダグダとする男性を嫌う女性も多くて、どうしても間違いを犯してしまう男性は出てくるのです。
グダグダして嫌われたくはないですからね。

女性が期待するラインである、男性の家に行くという行為は、その気が無い女性にとっては危険なラインであるという事です。
ちなみに、タクシーに一緒に乗ったらオッケーだとかそんな事をほざいている議員もいましたが、タクシーに一緒に乗って期待する女性なんてなかなかいません。
何かをしないと失礼にあたるのではないかとか、考える余地もありません。
だから流石にタクシーには無理がありますね。
逆にラブホテルなんかだと、これはお互い期待して行く場所ですから、問題がないでしょう。
とはいえ、恋愛の最中にいきなり『ラブホ行こうぜ!』なんてムードも何もないわけで、やはり『男性の家に行く』くらいのラインが丁度微妙なラインとして必要なわけです。

まあそんなわけで、『独身男性の家にいく』というのは、『川の近くで遊ぶ』とか『車間距離をとらない』というのと同じような危険があると言う事です。
だから『山口メンバーの家に行くのが悪い』なんて意見も出てくるのです。
それは、この問題が起こらない最も効果的な方法は、『川の近くで遊ばない』『車間距離を取る』という事であり『独身男性の家には行かない』って事であるわけですから、そういう声が出てくるのも当然と言えば当然なんですね。
ただ、被害者の気持ちを考えていないとか、悪いヤツが悪いという当然の事を言うのが筋ですから、まあ批判するのも当然なわけで、両方の意見が出ている今くらいが健全と言えばそうなのでしょう。

どちらかの意見を封殺すれば一見穏やかですが、こういった被害にあう女性は減りません。
男性の家に行くのは危険なのに、それを言ったらダメというのもおかしいですからね。

何にせよ、若い女性が独身男性の家に行くというのは、そういう行為に及ぶ可能性があるという事をしっかり認識して、親は子にしっかりとした教育をする事が求められると思います。

もしもこの記事を読んでいる若い女性がおられるのなら、認識しておいてくださいね。
男に家に誘われても、その気がないなら決して行ってはいけませんよ。
断り方としては、『親に男の家には行っちゃダメだって言われているから』とか言えばいいのです。
何か脅されたら、それは脅迫ですから犯罪です。
スマホで録音しておいてやりましょう。
録音するだけなら犯罪にはなりません。
それをむやみに他人に聞かせたりするのがプライバシーの侵害になるだけです。
証拠として残して、後で何か不都合な事をされたら親に相談してくださいね。

2018年5月21日月曜日

多様性のある世界と多種多様な人々が共存する世界は違う!世界を一つに考える人はどちらを求めるのか?

多様性のある社会が素晴らしいような風潮があります。
私はこれは危険だと感じますから、今日はその辺りも含め、多様性についてお話したいと思います。

まず、多様性のある世界とはなんでしょうか。
多種多様な人々が共存する世界でしょうか。
違います。
多種多様な人々が上手く住み分けをして存在する世界の事です。
つまり、今の世界は、既に『多様性のある世界』と言えるのです。

なのに世界を一つにしたい人は、何故か多様性のある社会を求めます。
日本を多様性のある社会にするというのは、国を分ける事に他なりません。
これは歴史に逆行する危険な考えです。
たとえば東京は日本人が、大阪は中国人が、愛知は韓国人が、みたいに住み分けて存在する社会です。
そんなものを求めているわけでは当然ありませんよね。
おそらくは『多種多様な人達が共存する社会』にしたいと思っているのです。

でもこれ、それなりにはできても、完全に共存なんて不可能です。
例えば日本を多種多様な人々が共存する世界にしたとして、みんな言語が違って生きていけるでしょうか。
成り立つでしょうか。
日本は明治維新の時に、廃藩置県で藩を無くしある意味統一しました。
その時、言葉の問題を無くすために標準語を定めたのです。
日本で生きていくには、最低限日本語の読み書きと会話ができなければなりません。
どうしても共存ができない違いや文化もあるのです。

それでも日本は寛容な国で、宗教なんかは受け入れやすいと言われています。
神道は仏教を受け入れ、今あらゆる宗教を受け入れています。
でも、果たしてこちらが受け入れても、入ってきた人は神道を受け入れているのでしょうか。
仏教なんかには、未だに『鳥居の下をくぐるな』なんていう所もあります。
それでは上手く共存はできませんね。
共存するには、両方が認め合わなければならないのです。

それだけではありません。
日本が全ての宗教を認め合えたとしても、認めた宗教同士が認めるとは限らないのです。
イスラム教シーア派、スンニ派、キリスト教プロテスタント、カトリック、ユダヤ教、色々な宗教同士が認め合えるのでしょうか。
認め合えなければそこに対立が生まれ、社会を維持できなくなる可能性があるのです。

世界を一つにっては、実は認め合えないものは排除していくという事なのですよね。
つまり世界を一つにしたいというのは、多様性を失わせるって事なのです。
それを分かって『世界を一つに』と言っていない人が多い気がします。
多種多様な人々がそれなりにできる限り共存という事なら可能でしょう。
でも本当に世界を一つにするには、かなりの多様性を失わせるのです。

そんなわけで、「世界を一つに!」と「多様性のある世界」を同時に言っている人は矛盾しています。
その辺りよく考えて発言してほしいですね。

2018年5月9日水曜日

下ネタや下品な話は駄目なのか?セクハラが騒がれる今考えたい!

私は、下ネタが嫌いです。
と言っても流石に今の年にもなればさほど抵抗はありませんが、まあ今まで嫌ってきたから特に好き好んで話すものではありません。

先日中学生の頃の友達と飲んだのですが、その時に友達が言いました。
私の前でこういう話はしてはいけなかった、ごめんごめんと。
それを聞いて、私は少なくとも中学生の頃から『下ネタが嫌い』という事でみんなに認識されていたのだと知らされました。

まあそんな私の話はどうでもいいのですが、それほどまでに下ネタを嫌っていた私なのですが、セクハラが騒がれる昨今、どうも騒ぎ過ぎなのではないかと思ったので少し書きたいと思います。

セクハラは凄く悪い事のように言われています。
確かに相手を不快にさせたり傷つける言葉は良くありません。
しかし、ちょっとしたエロトーク、下ネタまでセクハラだと言って叩くのは、どうも違うような気がするのです。
私も下ネタに常に不快な気持ちになってきた側ですよ。
本当にマジでそんな話は止めて欲しいと思っていました。
でもですね、世間を見れば、男性に限らず女性も含めて、私の感覚は少数派な事に気が付いたのです。
しかもですね、よくよく見ていくと、下ネタって悪い所だけじゃないんですよね。

例えば20人の男女が集まって楽しく話をします。
すると必ずどこかで、下ネタグループってのができていて、だいたいそこのグループが一番盛り上がるんですよね。
初対面や付き合いが浅いと、共通する話題ってないじゃないですか。
そこで万人共通でできる話ってのが下ネタだったりするわけです。
男性の場合は9割が好むし、女性でも半数は否定しません。
確かに嫌がる人がいるというデメリットもありますが、メリットも大きいのです。

原発が問題になった時、こんな例えがありました。
自動車事故で人が亡くなる可能性の方が原発で亡くなるよりも大きいのに、何故自動車は廃止しろと言われないのかって話です。
確かに言われてみれば、自動車ってリスクが大きいですよね。
でも乗られるのは、メリットが大きいからです。

では下ネタはどうでしょうか。
セクハラになり得るデメリットはあるものの、多数の人との人間関係構築に役立つ話なわけです。
嫌われるデメリット以上に、良い人間関係を作れるメリットが上なら、人はどうしても話したくなるのではないでしょうか。

ある人は言います。
別に他にも話はできるし、そんな話をしないと人間関係上手くやれない人は社会人として失格だと。
それはそれで言い分は分かります。
でも、それしか人間関係上手くやって行ける為の話題を持っていない人もいるのです。

一昔前まで、社会に出て働くのは男性が中心でした。
職場も男性が中心だったわで、意外と下ネタだけで会社の人間関係構築が上手くいっていた可能性があります。
しかしそこに女性が入ってきて、そうもいかなくなりました。
嫌だという人が増え、人間関係構築が難しくなったのです。
だから最近の若者は、上司と上手くいかずに『仕事が面白くない』とか言っている可能性はないでしょうか。
もしも上司と下ネタトークで打ち解けていたら、或いは仕事も楽しくなっていたかもしれません。

私は下ネタトークとか下品な話は別に今も好きなわけではないですよ。
でもですね、そういう話が好きな人が自分の周りには男女問わず大勢いて、そういう人たちが結構上手くやっているのをみるとですね、 否定ばかりはしていられないと思うわけです。

デメリットもありますが、万人共通で話せる話題でもある下ネタ。
自分だけが嫌いだと言っていた時の疎外感は確かに嫌ではありました。
でもこれほどみんなが楽しめる話題を、仕事中だからという理由で取り上げてしまうのも、なんだかもったいない気がするんですよね。
仕事中にって思うかもしれませんが、別に客商売でもなければ、リラックスして良い人間関係の中で仕事をした方が効率もいいと思うんですよ。

まあ私は別に下ネタを話すつもりは全くないので、仕事中の下ネタ発言は死刑にしてもなんでもいいですよ。
昔の私の感情的にはね。
でも、よくよく考えてみると、セクハラって言葉で縛ってしまうよりは、有効活用した方が社会の為になるのではないかと、なんとなくそんな事を思いました。

相手が明らかに嫌がっているのに、話せと言っているわけではないですよ。
あくまで、何でもセクハラだと言って否定するのも違うのかなって感じです。

2018年5月8日火曜日

最近の若者は甘ったれている!いやいや低賃金で奴隷のように働かせるのはいかがなものか?!

現在の労働環境の中で、年配者と若者の言い分には温度差があります。
年配者は『最近の若者は甘ったれている!』と言い、若者は『低賃金で奴隷のように働かせるのはどうなのか?』と声を上げます。

これ、どっちが正しいとかどっちが間違っているって話ではないんですよね。
まあ企業によっても違いますし一概には言えないのは当然ですが、概ねこれらの主張は『両方ともその通り』というのが私の考えです。

確かに昔と比べて、今の若者は軟弱に感じます。
私の父親なんかは朝8時から深夜の2時まで働いていた事もあり、とにかく仕事の毎日でした。
それで多少は一般的な家庭よりも裕福ではありましたが、さてしかし、今の生活と比べてどうだったでしょうか。
ハッキリ言って今の新婚夫婦が暮らす家庭の方が裕福な生活がおくれているような気がします。
確かに自動車だったり住まいだったり、大きな買い物はできません。
でも、衣食に関する辺りや、その他の家電などの充実ぶりを見ると、遥かに今の方が良いのです。

しかし、人の幸せってのは絶対的なものでしょうか。
貧しい時代に生きた人は、今の人々よりも不幸を感じていたのでしょうか。
違いますね。
幸せとは相対的なものなのです。

つまり、年配者は絶対的なものを見て今の若者を批判し、若者は相対的感覚で今を嘆いていると言えるのです。

だったら若者の言い分の方が正しいと言えなくもないわけですが、それもまた違います。
社会を支えていくには、やはり今の若者の働きには足りない所があるのです。
だからと言って私は若者を責める気にはなれません。
その理由は、仕事自体昔の方がやりがいが有ったり楽しかったからです。
例えば個人事業ってのは、自分の力で頑張るわけで楽しいです。
でも今の時代、組織じゃないと戦えない職種も多く、規制が増えて自由にやれない所が多いです。
個人で何か商売をしようと思っても、やれるのは地域にあった飲食店くらいではないでしょうか。
電気屋なんかは、もう家電量販店に対抗なんてできませんし、ネット販売にも押されています。
とにかく個人で戦いづらい世の中なのです。
組織の中で働くのが苦手な人は、もう選択肢として、苦痛を感じる仕事がほとんどなわけです。
それは昔の人よりも辛いと言えるでしょう。

とはいえ組織で戦っていかなければ、海外におくれをとります。
日本は現在の立場上、お金だけが支えの国とも言えます。
それだけではない所も有りますが、最後の支えはそれだけなのです。
だから組織化して働くという流れは、この先も続くでしょう。
ただ今のままでは、若者がやりがいを見出し、前向きに働きやすい環境の会社をつくるのは難しいのも事実です。
その辺り、国家が何か対応策を出していく必要があるように思えます。
多少、個人事業がやりやすいようにできる部分があるのなら、まずはその辺り考えたいですね。
とりあえず、嫌な規制は取っ払っていく必要があります。

しかしそれだけでは難しいです。

もっと簡単に会社がつくれ、会社運営ができる環境が必要でしょう。
個人的には、経理関係に無駄があると感じます。
もう社会保険や年金は国家のそれに全部統合して、会社は一切タッチしない方向にしてほしいと思います。
元々個人事業の方が良いという理由で、国移民年金の貰える額は低くなっていますが、実際は現在逆です。
個人事業の方が厳しいのです。
だったらもう国民年金に統一して、社会保険もなにも会社と切り離した方がいいのではないでしょうか。
給料に対する税金なんかも、もっと単純にすべきです。
日本国民は全てマイナンバー登録をした収入専用の口座を作り、収入は全てその口座を通さなければならないようにします。
そして毎月見込み税額を自動で引き落としされ、年末にはちゃんと調整されるようにするのです。
更に経費がある場合は、毎月の登録、或いは年末に一括登録する事で、税金が返ってくる仕組みも作ります。

会社経営に細かい所があるから、会社をつくるというハードルは高くなります。
しかしこれからは、簡単に会社がつくれないと、若者の仕事へのモチベーションは高められません。
学校を卒業したら、半数以上が友達と一緒に起業するくらいでないと駄目だと思います。
それを既存の会社が買収したり、逆に買収されたりして、事業を拡大していくくらいの流れが欲しいですね。
その為に、高校くらいから学生起業を推進します。
これくらいやらないと、若者の労働意欲は高められないと思います。

私が社会に出る少し前までは、女性は専業主婦があたり前でした。
別にそれが絶対に正しいとはいいませんが、だからこそ男性は仕事に10時間でも12時間でも打ち込めたのです。
家に帰ってから家事をしなければならないとなると、そりゃ仕事も辛く感じますよ。

今の若者は正直可哀想だと思います。
でも、社会を支える為には泣き言は言っていられません。
若者は文句を言いながらも頑張っているのですから、政治の方がなんとかできる所はやってあげるべきなのです。
まずは規制をできるだけなくし、自由に働ける環境を作る事。
起業しやすいように、或いは起業があたり前に思えるように、教育の分野から、納税、保険などもっと簡単にする事。
女性は4時間の正社員とかも良いかもしれませんね。
或いは副業を原則認めて、2時間社員、4時間社員、6時間社員なんか作ればいいと思います。
効率という面では落ちますが、気分を変えて働けるというのは、モチベーションを保つのに良いかもしれませんからね。

まあ何にしても、今の若者を甘いと責めるのは少し可哀想だし、そう言いたくなる年配者の気持ちも分かります。
それは多分、どちらのせいでもないのです。
時代がそういう時代なのです。
だから政府は、時代にあった働き方ができるように、色々と無駄な気遣いをしなくてもいいような対応をしてほしいですね。

2018年5月4日金曜日

TOKIOの山口達也氏による強制猥褻事件について考える!若者の考えに目の覚める思いがした!

TOKIOの山口達也氏による強制猥褻事件が騒がれております。
おおよそ報道などから受ける感想といたしましては、感情的に言えば『死刑で良いよ』というのが私の気持ちです。
ただ、私はこういった方面に関しては、他人との判断に大きな乖離を自覚しておりまして、まあ法的に判断すればTOKIOを辞めるくらいで丁度いいのだろうなと思っておりました。
世間の声もそのくらいですからね。
ジャニーズだから事務所の力で復活してくるのだろうなとは思っていますけれどね。{笑}

さてしかしですね、町の声を聞いたアンケート結果によりますと、意外と『TOKIOは辞めなくていい』という意見が多かったのであります。
しかもこういう強制猥褻なんかに温かった世代ではなく、今の若者の多くがそう言っているのです。
これはどういう事なのでしょうか。

自分の判断という部分を振り返ると、小学生くらいまでは『母がそう言うから』『友達がやっているから』など、自分の意思で判断するというのがあまりありませんでした。
中学生くらいから、『俺はもう自分で判断する』とか、『もう自分の判断は大人と変わらない』など、自分の行動に対して自分で責任を持つという気持ちが生まれました。
これが反抗期を生むわけですね。
この頃の判断は、少ない知識と経験、そして感情による判断ですから、大人から見れば間違いが多いわけです。
それから色々と経験し、色々な人の意見を知り、法律を理解して、最後は感情を押し殺し『世の中で上手く生きていく為の判断』をする事になるわけです。

山口達也氏がどうするべきかのアンケートで『TOKIOは辞めなくていい』と若者が判断したというのは、今まさに恋愛をしている世代が、その経験の中、感情を中心にしてそう思っているとも言えますよね。
それってつまりは、『人としての判断』としてはそれが一番正しいのではないかとも思うのです。
色々な人の意見は関係なく、法律も知らない、ただ今恋愛をしている人が感じるままなのですから、私はそれを尊重してあげるべきなんだと考えるのです。

人は成長するにつれ、法律で縛られた世界に慣れてきます。
それは、年配者は感情ではなく、法律に引っ張られる判断をしていく事になるのです。
法律と感情がかけ離れていなければ、恋愛に関しては経験に差は出ませんから、若者と年配者の意識に差はできません。
まあ差があるとしたら、自分は良いけど娘は駄目って所でしょうか。
それはワガママというものですし、今回の事件に関してはそれも少ないかと思います。

殺人に対しての罪としては、みんな似たような判断をしますよね。
それは感情と法律に差が無いという事です。

私は、そういう形が法律として一番自然だと考えます。
つまり今回の強制猥褻に関して、世間のルールは、人としての実際の感情とかけ離れているわけで、ちょっと罪が重いのかなって思うのです。

法律というのは、人々の感情から作られるものです。
みんなが悪い事だと思うから悪い事とされ、みんながこれくらいの罪だと思うからそれなりの刑が科せられるのです。
刑に対しての意見を言う時、年配者はどうしても今ある法律に引っ張れる判断をします。
でも若者は、素直な感情で判断するのですから、本当はそちらの方が正しいのではないかと私は思うわけです。

私の感情は置いといて、男が自分の家に来た女性に強制猥褻をしたというのは、どれくらいの罪なのでしょうか。
女性側にも責任はなかったのでしょうか。
私は、辛い思いをした女性が法的に全く悪くない事を知っています。
親がしっかり教育していなかった事も、今の法律や今時の空気を考えれば仕方がないと思います。
でも、若い人の素直な気持ちとしては、『男の家に行った方も悪いんじゃね?』というのがあるんでしょうね。
だからこの強制猥褻を判断する時、その辺りは十分考慮する必要があるのではないかと、若者に教えられた気持ちがいたしました。

強制猥褻罪と一言でまとめるのではなく、状況も十分考えるべきなんですよね。
法律で定められていようとも、法律の方が人々の感覚からずれているという事はあり得るのです。

すぐには私自身の判断を変える事はできませんが、もしかしたらこの辺りの法律はやり過ぎなのではないかと、そんな事を感じる若者の声でした。

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