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2018年6月26日火曜日

日本はどうして平和な国なのか?どうして治安がいいのか?答えは仕事に対する意識?

日本というのは平和な国です。
世界と比べても圧倒的で、日本の江戸時代のように平和が続いた国というのは他に見られません。
歴史を振り返ってみても、国内での争いでは一般人を巻き込まず、海外と比べて規模も小さいです。
どうして日本は、そんなに平和なのでしょうか。
そして今も治安の良さは世界トップレベルです。
大きい意味では戦争が無い、小さな意味では治安が良いというのが平和ですね。
今日はその辺り考えてみたいと思います。

日本はどうして平和なのかと考えた時、私は三つの理由を思い浮かべました。

①地政学的に島国は平和を維持しやすい。

日本は海に囲まれた島国で、外敵に狙われにくいというメリットがありました。
戦争をしようにも海があるので、なかなか攻め込まれなかったんですね。
そして小さい意味でも、外国人が入ってきづらい環境というのは、治安維持の為には良い事です。
今の時代は外国人が簡単に沢山入ってきていますので、そのメリットは薄れていますが、昔はかなり効果があったでしょう。
実際外国人犯罪というのは多いですよね。
犯罪率も日本人より高いです。
外国人の工作によって、日本人同士が争うなんて事もあるでしょう。
まあ先に言った通り、現代ではそのメリットもかなり効果が薄れていますが、昔は特に効果があったと思います。

②地震や台風など、自然災害が多く団結するしかない。

日本は自然災害がとにかく多い国です。
だから、人々は争っている余裕が無かったんですね。
団結して協力しないと、人が生きていくには厳しい土地だったのです。
これは現代でも言える事で、何時どこで大きな地震があるのか分かりませんから、みんなで協力して立ち向かう必要がありました。
富士山だっていつ噴火してもおかしくないわけです。
不安や経験から、自然と人々が心を一つにする事ができたと考えられます。
ただ最近はその団結意識が薄れてきています。
私は、だから最近地震が多く、それは神様が人々に警告しているのではないかとか思うわけです。何にせよ日本で生きていく上で団結は不可欠で、だからこそ平和が維持されてきたと考えられるでしょう。

③人々が良く働く。

争いは、主に食べ物の取り合いや、生きていくために起こります。
しかし日本はそんな事で争っていたら災害で全滅しかねないわけで、しっかり備える必要がありました。
もちろん災悪は自然災害だけではありません。
火災や凶作など、何処の国にでもある問題も日本にだってあります。
それプラス日本は特に大きな自然災害が多く、備えなければ生きていくのが無理な環境なのです。
備える為に必要なものは、労働力と、そして労働力から生まれる金です。
昔は米なんかですね。
今も日本人が働き者なのはあたり前の事で、備える為には外国人よりも多く働く必要があるのです。
多く働き、いざと言う時に自分を含めみんなを助けられるようにするのです。

こういう理由があるから、日本は長く平和で、今も治安が良いんですね。

一致団結してよく働くからこそ平和で治安の良い国があるのです。
平和の為、いざと言う時に人々を助ける為に働いていると考えると、仕事も素敵な事に感じますよね。
だから日本では、働く事が喜びであり幸せで、よく働く事は美徳となるのです。
よく働いている人というのは、いざと言う時日本人を助けている事になるわけですからね。

まあ現代では、時間働けばそれでいいというものでもありません。
より多く稼いで、より多く納税している人が素敵だという事になります。
とはいえ、もちろん実際の労働自体も社会に貢献していると言えるわけで、長く働くという事も人々を助けている事になります。
最近では『楽したい』とか『仕事をしたくない』なんていう人がいます。
別にそれ自体全ては否定しませんが、『多く納税する』か『労働で社会貢献する』せめてどちらかは、日本人として必要な事です。

日本以外の国では、労働は罰と捉える事も多いと聞きます。
でも何故日本では喜びなのでしょうか。
それには、この国の事情がやはりあったのです。
人一倍働く事で、争いを無くし平和を維持している国だからなのです。

そんなわけで、仕事に喜びを感じ、仕事を一生懸命するのが、日本人が日本人である条件みたいなもんなんですね。
辛い仕事も多いですが、仕事は日本においてとてもステキな事なのです。
仕事に誇りをもって、今日も労働に打ち込みたいですね。

※※追記※※

誤解の無いように一応付け足しておきますが、外国人が入ってくる事には良い事もあります。
新しい技術、新しい考え、違った文化やモノの見方、色々ありますね。
ただ平和の観点から言うとデメリットがあり、それもあって私は移民には反対しています。
つまり上記した日本の事情等しっかり理解した外国人なら、私は日本に移民してくる外国人を否定はしません。

2018年6月24日日曜日

日本人の名前って昔はどうだったの?女性の苗字ってどうだったの?伝統なの?そうでないの?

先日、私がしたツイートが大きな反響を呼びました。

夫婦別姓に反対する理由、というわけでもないですが‥‥
まあ苗字は男系の継承、或いは家の継承であるから、伝統文化と言ったわけですが、それに沢山の反論が寄せられました。

『別に伝統でも文化でもなんでもない』 と。

そうですね、今で言う苗字自体は伝統文化ではないという意見も分かりますが、こういったシステム自体は、私は今でも伝統文化であると思っています。
そこで今日は、苗字について勉強してみようと思います。
今から勉強しますので、書き終わる頃には意見が180度変わっている可能性もありますが、はたしてどうなるでしょうか。{笑}

その前に一応言っておきますが、夫婦別姓に反対する意見として、根本的な事を一つ言っておきます。
日本において苗字とは『家の名前』であり、そもそも別姓という考え自体がおかしなものです。
もしも意見下さった人の言っている事が正しく、『海外は選択的夫婦別姓が認められている』とするならば、根本的に苗字に対する認識が違うのでしょう。
海外では『受け継がれる名前』程度の意味しかなかったのではないでしょうか。
日本ではそうではなく、『受け継がれる家の名前』なんです。
そういう意味で今の日本の苗字は伝統文化と言えるはずなんですが、まあそうではないと言う意見が多数あったので、色々な視点から考えたいと思います。

まず、そもそも伝統文化とはなんでしょうか。
今調べておりますよ。{笑}
私の意見は後で書くとして、調べた内容は‥‥
『世代を超えて受け継がれた精神性』
『人間の行動様式や思考、慣習などの歴史的存在意義』
『信仰、風習、制度、思想、学問、芸術などの様々な分野において、古くからのしきたり・様式・傾向、血筋、などの有形無形の系統を受け伝えることをいう。』

参考
http://www.jtco.or.jp/tradition_culture/?id=5
https://www.weblio.jp/content/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E6%96%87%E5%8C%96

こんな意味だそうです。
これだけなら益々私の言ってる事は間違いなさそうですが、おそらくポイントはこの辺りなのではないでしょうか。

①長く続いている事。
明治にできた法律という事で短いという意見が多々ありました。
でも、明治からの伝統を受け継ぐ味、とか、アレって伝統じゃないんですかね。
宝塚が女性だけなのは伝統ではないのでしょうか。
まあ長さだけで伝統を否定する事はできないでしょう。

②あたり前の事。
夫婦別姓の例を挙げてくださる人もいましたが、あたり前の事でも例外はあります。
普通に考えてそれが普通だと思うのが伝統文化だと私は思いますね。
その頃の人がそれをあたり前に思っていたかどうかなんて想像でしか言えませんが、私はあたり前に男系が家(苗字、或いは苗字のようなもの)を継承するという文化はあったように思います。

③日本が発祥である事。
この辺り重要視されているように思います。
でもこれも、伝統を否定するものになり得るでしょうか。
稲作は日本の伝統とは言わないんですかね。
仏教はどうでしょうか。
神道は日本生まれですが、おそらく海外の何かを参考にしている可能性があります。
参考程度ならいいのでしょうか。
独自進化を遂げていたらいいのでしょうか。
私の感覚では、『長く続くあたり前の事』なんだと思うんですが、どうでしょう。
その辺りの認識が違えば、それは意見も違ってくるでしょうね。
だからこれをもって否定するのは難しいかと思います。

それではいよいよ本題の苗字です。
私の記憶から先に言っておきます。

まず、明治に日本国民全てに苗字が定められたのは知っています。
しかしその前から、苗字らしきものがあったのは言うまでもないでしょう。
全ての人が持っていたわけではないですが、『家の名前』は有ったはずです。
それを苗字と定めたのが明治だったという認識です。
それで名前ですが、その前は苗字と名前という単純なものではなかったですよね。
確か‥‥
ハッキリとはしりません。{苦笑}
源氏と平家を表すものとか、名前、呼び名、家名(今で言う苗字)、色々あったかと思います。
その中で、家名と名前だけにしようと決めたのが明治ですよね。
まあ話によるとドイツの法律を真似たとか聞きましたが、もしも今ドイツが男女別姓を許しているとしたら、苗字は家名でなく受け継ぐ人の名前であり、日本とは意味がまるで違います。
同じルールでも中身は違うって事ですよね。
あくまでそのまま使えるから使ったってだけでしょう。
それにドイツって、氏名の間に何かが入ったりとかしませんでしたっけ?
よく知らないので、知ったかは止めておきます。

それで女性の名前ですが、昔はどういう感じが基本だったのでしょうか。
私の印象(私は記憶力が悪いのでザックリ印象で覚えています)で話すと、名前だけ、或いは呼び名だけで呼ぶ事が多かったような気がします。
それで正確に言う場合は、例えば山田太郎と結婚した花子さんの場合は、山田太郎家の花子という感じだったかと思います。
あくまで私の印象ですよ。
正確ではありませんよ。
さてそれで明治の頃全ての人に苗字をつけ、苗字とセットで名前を言う場合のルールとして、今の法律があるわけですが、過去の風習をスッキリとさせて形にしたものと感じませんか?
明治の頃困ったはずです。
スッキリ書けないは、名前をコロコロ変えるヤツもいるは、定まったルールもないからみんな違うはで、だから一つのルールを定めたわけです。

『ここから先は、「家の名前である苗字」と「その人個人を表す名前」だけにしよう』

海外では山田の子「太郎」かもしれませんが、日本では山田家の子「太郎」という伝統文化を苗字と言うやり方で形にしたのです。

さて、これが私の思う日本における苗字の歴史ですが、実際はどうだったのか調べてみましょう。

ほうほう、幼名ってのが有ったりするですね。
仮の名前でしょうか。
まあこれは言われてみれば有ったなって感じだし、知っていたと言えば知っていました。

ほうほう、8世紀後半から名字はありましたが、名乗れなかったので忘れ去られたものもあるそうですね。
名字の歴史は結構長いようです。

姓と氏は違うってヤツですね。
姓は平、氏は北条‥‥
両方とも今でいう苗字ですが、少し違いますね。
大きな意味で姓、小さい意味で氏ですね。
姓名とか氏名とか今でも言いますが、両方の意味を兼ね備えたものが苗字なのかもしれません。

皇族には姓が無い、これも知っています。
それで皇室から出る女性も賜姓を受けて姓を持っていたのですね。
なるほどおそらくこの辺りは別姓になった可能性がありますね。
皇室から出る女性というのは苗字がなく、それで現代では男性の姓を貰うという形にしているのかもしれません。 
昔は結婚してどうなったかは分かりませんが。
北条時宗の妻祝子を例に挙げておられますが、その場合、『北条時宗室政子』(政子⇒祝子?)だったり『従四位内侍北条祝子』という事になるのではないかという話です。
北条祝子だと現代風であり、意味的には同じ『北条の家の祝子』で、共通のようですね。
今の表現の仕方は違いますが、意味は同じです。

ただ、ハッキリとした事というのはなかなか言えなさそうです。
女性が名前を記す場面が少なく、別の呼び方だったり、姓と氏だけで表現される事が多かったようですね。
山田さんちの奥さん、山田太郎の嫁、みたいな感じで記されるか、或いは概ね呼び名で呼ばれていたと思われます。

上家長制度の中では男性の血筋が優先、みたいなのもあったんですね。
そして女性は家を出て嫁に行くわけです。

さて、ここまで調べた事が正しいかどうかなんて、私には分かりません。
ただ、似たような事を言っている人は何人かいらっしゃいますし、ある程度伝統と言えるのではないでしょうか。
スッキリとしたルールになったのは明治ですが、それ以前から男性側の家名(苗字)を受け継ぐ風潮はあったようです。

こちらに色々な人の意見が書かれていますね。
https://togetter.com/li/914840

これによると、明治9年に夫婦別姓制度があったんですね。
でもまあ問題があるから変えられたのでしょう。
山田さんちの佐藤花子ってのもちょっと混乱しますし。
北条政子や日野富子は学術用語ですか。
名前は呼び名で通じれば良かった時代に、こう呼ばれていたかどうかは分かりません。
今の人が分かりやすいように表現されていると考える事もできます。

そんなわけで、今のようなスッキリと決まったルールは、昔からあったわけではありません。
でも、家名を男系で引き継ぐというのは、概ね昔からあったようです。
そして女性が嫁いだ先の家に入るというのも有り、今の苗字のルールは日本の伝統文化に沿ったものと言えるのではないでしょうか。

昔の事ですから、ハッキリと断言する事はできません。
でも、今も自然にそれが受け入れられているのですから、それを伝統文化という事に間違いはないと私は考えます。

※※追記※※

こんなハッキリとした文献があるんだぁ‥‥(上記リンク先から)

だいたい室町時代に丹波国の女性が「鶴野」という苗字から(家の名前だけど)「井本」という嫁ぎ先の苗字を名乗っている文献があるので(戦国女性の姓・苗字・名/坂田聡)「日本が同姓(=苗字)を名乗るようになったのは明治時代からで100年ほどしか歴史がない!」というのは大嘘だよ。

やっぱり、伝統と制度を一緒くたにしている人が多いのだと思います。
伝統は伝統としてアリ、それを参考にそれに沿った形で法整備されたわけで伝統は伝統ですね。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichiromatsutani/20151218-00052572/

この記事もまあ面白いんだけど、色々な例が庶民では見られたって、基本は男系相続だったんじゃないかと思います。
それに武家で伝統であって、それを一般庶民に広めたとしたら、それもまた伝統です。
囲碁とか元々庶民の遊びでは無かったですよね。
それが広まって伝統の遊びになるわけですよ。
他にもそういう皇室、公家、武家でのものが一般に広まった伝統というのはあるかと思います。
なんにせよ、伝統じゃないっていうのは違うでしょう。

ちなみに、再び男女別姓関係の話を少しさせていただくと、私は「伝統だから今の法律は絶対に守るべき」、だなんて思ってはいません。
伝統文化でも、変えるべきは変える必要はあると思います。
ただし、伝統文化というのは、良いから続いてきたわけで、その中には必ず見えないメリットというのが有ったりします。
安易な考えで変えると失敗する可能性が高いです。
まあその辺りは、先日書いた記事に反対する理由を書いていますので、そこから読み取って頂ければと思います。
当然そこに書かれていない伝統文化のメリットというのも十分にあり得ますよ。
伝統文化を読み解くのは、そんなに簡単ではありませんからね。
https://plus.google.com/+Syuka/posts/8dtSPoyLTM5

2018年6月23日土曜日

日本に生まれて日本が嫌いで何が悪い?私が思う事

ある所でこんな発言をしている人がいました。
『日本に生まれたからといって日本が嫌いで何が悪いんだ!』

良い悪いは別にして、私の思う所を書きたいと思います。

日本が嫌いだという人がいるのは、これは仕方がない事だと思います。
全ての人が全てにおいて満足できる国なんておそらく造れないでしょうし、好き嫌いの感情は、自分で完全にコントロールできるものではないからです。
ただ、日本の悪い所ばかりを見てしまうような人生を歩まざるを得なかった人は、不幸だなと思います。
日本には良い所も沢山あり、少しでも前向きに生きられたら、結構好きになれるからです。
ポリアンナのように良かった探しをすれば、日本って世界の中でもかなり良い所が多い国なんですよね。
そんな日本が嫌いというのは、ただただ不幸としか言いようがありません。

さて、とはいえ嫌いだという人を否定もできません。
それは仕方のない所もあるからです。
でも私は、それを言葉に出していうのは、あまりよろしくないとは思います。

理由の一つとして、『好きは好きを、嫌いは嫌いを生む』からです。
例えば台湾人が『日本を好きだ』と言ってくれれば、悪い気はしませんよね。
それで単純な日本人は、『台湾好きだ』となります。
あのプーチンですら、『日本の文化が好きだ』と言えば、指示する日本人は大勢いるわけです。
おそロシアとか言いながらも、プーチンとなら上手くやって行けそうだと思うのです。
逆に中国や韓国のように、『日本が嫌いだ』 という国が有れば、日本人の方も『中国や韓国は嫌いだ』という風になります。
嫌いという感情は争いを生む場合も多く、良いものではありませんね。
そういう気持ちを持ってしまうのは仕方がないにしても、それを広げる行為はあまり良くありません。
だから『嫌い』と言う事は、極力避けるべきだと私は思います。
もちろん問題があれば指摘するのは必要ですよ。
でも『嫌い』というのはよろしくないのではないでしょうか。

他にも理由はあります。
好きな人への配慮ですね。
最近ジャニーズのタレントが批判される機会がありましたが、そこであがった声として『ファンの気持ちも考えて』というのがあります。
好きなものを否定されるというのは、とても悲しいのです。
嫌いなものを好きという人が現れても、それほどショックは受けません。
でも好きなものを嫌いと言われるのは辛いものです。
だからできれば嫌いというのはあまり言わない方がいいのです。

関連して、人間関係を上手くやっていく為にも、嫌いというのは言わない方が良いです。
私は自身の経験としてそれを感じています。
私は実際に嫌いになる人がほとんどいなかった事もありますが、人を嫌いだとか悪口を言った事がほとんどありません。
※リアルでの話です。
そういう所が上の人下の人両方から評価され良い立場を築いてこられたと思います。
そしてある時本当にちょっとした否定をした事があるのですが、おそらくそれが原因である人との関係が崩れた事もありました。
少なくとも人生上手くやっていこうと思ったら、『嫌い』という事はなるべく言わない方が良いと感じます。

まあそうは言っても、嫌いという人がいるのは、考える必要はあるでしょう。
全ての人に好きと言ってもらえる国造りはほとんど無理な話ですが、問題があるのならどうするのが良いのか考える必要はあると思います。
あっちを立てればこっちが立たず、なんて事も多々あるので、改善が難しい問題も多いですが、日本が嫌いという人がどんな理由で嫌いなのか、それはしっかりと聞いていきたいですね。

日本は神の国で、言霊というものもあります。
嫌い嫌いと言っていたら、日本の神様に嫌われ益々不幸になる可能性もありますし、嫌いな人も嫌いとは言わず、問題を指摘していく形にした方が良いと、私は思います。

2018年6月18日月曜日

差別を批判する前に その差別、本当に差別か確認したい!

何度も言っている事ですが、差別について少し書きます。

差別とは、理由も無く差を付ける事です。
良い方に差を付ける場合は逆差別になり得ます。
理由がある場合でも、その理由に見合わない差を付けると、これも差別になります。

難しいのは、その理由が見合っているかどうかは、人それぞれ個人の価値観によって違うという事です。
だから差別だと思った場合、まずは理由を確認し、その理由が自分の価値観だけでなく、世間一般でも見合っているのかどうか検証する必要がありますね。

ただ難しいのが、『連帯責任的』な差別です。
たとえば日本人が外国で犯罪を犯し、その国の人が『日本人はでていけ』というのは、ちょっと言い過ぎです。
でも日本人なら、なんとなく連帯責任感を持っていますから、『犯罪を犯すからそいつが悪い』と思うわけです。
まあ一人のせいで日本人が全て悪く見られるのもおかしいですが、日本人ならこういう感覚を持っていますね。

とはいえこれはやりすぎだと感じる人も多いでしょう。
しかし日本人の外国での犯罪率が、群を抜いて多ければ、流石にこれは『日本人でていけ』と言われても無理もないと思ったりします。
もちろん私はよっぽどじゃない限り(感情的になってしまう場合など)そんな事を言うつもりはありませんが、発言者を責めるのは違うと思います。

差別って、個人の価値観によって差があるから難しい所があるんですね。
でも、特に極端な判断をする人の声が特に大きいように思えるわけで、それに引きずられるのは違う気がします。

差別という言葉を聞いた時は、一体何が差別なのか。
本当に差別と言えるものなのか。
ちゃんと判断していきたいですね。

2018年6月16日土曜日

私が夫婦別姓に反対する理由 そもそもどうして夫婦は同じ苗字なの?

私は元々、夫婦別姓には賛成していた記憶があります。
それどころか、『結婚したら好きな苗字を付けさせてほしい』とまで思っていました。
しかしじっくり考えて、或いは今の自分の状況を振り返ると、とてもじゃないけれどこれには賛成できないと思うようになりました。
ツイッターで少し意見をいただき、考える機会になりましたので、その辺りまとめておきます。

まず、離婚率が上昇するのではないかという懸念を持っています。
別姓だから別れた後の手間が省けるわけで、可能性としては考えられますね。
そしてこの場合一番被害を被るのは子供です。
もしもそうなるのであれば、これだけでも十分反対する理由にはなるでしょう。
ただ、そうはならないという意見もいただきました。
これは私が心配しすぎだという可能性は十分にあるでしょう。
それでも安心できるだけの理由は聞かれなかったので、とりあえずこれは私の不安であり、不安があるから反対という程度の理由としてあげておきます。

次に、離婚もそうですが、色々と子供が困るのではないかという事です。
あるブログか何かを紹介していただいて読んだのですが、マイノリティからの脱却の為に夫婦別姓が制度化されて欲しいという意見がありました。
確かに両親の苗字が違うのは現状では超マイノリティであり、おそらく子供の頃はこれをネタにからかわれたり、イジメの原因にもなりえます。
子供とは残酷で馬鹿です。
全ての子供とは言いませんが、私はそうでした。
友達をからかうネタとして名前というのは確かにあったのです。
しかし、これを制度化したとして、そういうのが無くなるでしょうか。
むしろ制度化されれば別姓を選ぶ家庭が増え、それでもマイノリティである事は変わらず、からかわれたりイジメられる子供が増えるだけに感じます。
大人の感覚では、ちゃんと教育すればとか、法整備されていればというのは思う所ですが、子供にそんな事は関係ありません。
夫婦別姓を選ぶ人が半数近く、或いはクラスでそれなりの数いれば問題ないでしょうが、私は夫婦別姓を選ぶ人はそこまで多くないだろうと予想します。
日本は男系男子で継承している天皇陛下がおられる国であり、国民はそれを見習う形である国です。
それから外れる選択を大勢がするとは、私には考えられません。
よって、からかわれたりイジメられる子供が増える可能性が高く、夫婦別姓は止めた方が良いとなります。

それにそもそも苗字とはなんでしょうか。
それは家を表す名前です。
山田家、佐藤家、その家の名前です。
なのにその家の名前が二つあるのは不自然です。
苗字は家の継承の為にあるわけで、いらぬ争いもおきそうです。
一人っ子同士の結婚の場合、別姓の方がいいという話がありました。
そこまではまあ理解できますが、では子供ができた時、どちらの苗字を付けるのでしょうか。
そこで夫婦間で喧嘩にはならないのでしょうか。
子供が一人だったらどうするのでしょうか。
その後離婚なんかした日には、また子供の苗字が変る変わらないでもめます。
苗字が同じ場合は、その苗字を継承する事もできるようで、子供を守る為の法律はあるようです。
でも別姓にしていたらどうでしょうか。
山田パパと佐藤ママがいて、子供は山田を名乗っていたら、離婚で佐藤ママに着くことになりました。
この場合どうするんですかね?
同じなら苗字をそのまま使う制度がありますが、佐藤ママがこの時山田に変更して、そして離婚するのでしょうか。
子供の事を考えれば、或いは家庭の無駄な争いを無くす為にも、別姓を選べるなんてものは無い方が良い気がします。

そして天皇陛下に関して先に少し言及しましたが、日本は代々男系男子の継承によって家庭を守る伝統を持つ皇室を持った国です。
それが上手くいっているから2678年も続いているわけで、それを国民は見習うわけです。
もちろん男子が生まれない家庭もあるので、家を守るという意味では婿を貰うという場合もありますが、血を守るという意味では婿を貰えばそこで終わってしまいます。
男子のY染色体は、男子が生まれれば必ず継承していますが、他のX染色体はどうか分かりません。
これがDNAの分からない時代から行われているわけで、これはもう人間の本能というしかないでしょう。
つまり男系で家を継承していくのが人間の自然な流れなのではないでしょうか。
これについて差別をいう人もいますが、女性にしか子供が産めないのと同じで、男性にしかY染色体はないという事です。

少なくとも、私は家庭を継承していく為の苗字という意味で、自分の苗字を自分の代で終わらせてはいけないと今は考えています。
ご先祖様に申し訳がないと感じるのです。
そのために、今は男子が生まれるまで子供をつくり続けたいとさえ思います。
このように考えるのは、今の苗字の制度、男系苗字を受け継ぐという伝統がある事も大きいでしょう。
もちろん、男性だけではなく女性側の苗字を受け継ぐ事もできるわけですが、それは女性しか生まれなかった家の継承の為に必要だからだという事が分かります。
血の継承はできずとも、家の継承も大切ですからね。
それはご先祖様への感謝と義務みたいなものですから。
そうしなければならないと思わせるような今の法律ですから、変える事のデメリットを感じるのです。
『どうしてお父さんとお母さんは苗字が一緒なの?』
『それはね、一つの家族になったからだよ。一緒にこの先祖代々伝わる山田家を守っていくって約束の為だよ。』
こうやって教えられれば、 何か感じるものはないでしょうか。
少なくとも今の私は夫婦別姓を導入したからと言って気持ちは変わりません。
ただ、これから先の人達は、家を受け継ぐ、或いは血を受け継ぐというご先祖様への感謝が薄れてゆくのではないかと危惧します。

男系男子で家を受け継ぐ形が、結婚したら男性側の苗字になるという意味であり、それができない場合でも家を受け継ぐ形が女性側の苗字になるという意味なのです。

血に意味はないとか言う人もいますし、事実そうかもしれません。
でも私は意味があると思っています。
男系男子で続いてきた天皇陛下は、国民の幸せを願うという意味ではブレていません。
100人以上もいるのに、それはどうしてでしょうか。
大きく分ければ、黒人、白人、黄色人種、やはり特徴というのはあるのです。
その家の特徴を引き継ぐというのは、私は意味があると感じますし、それを壊してゆくかもしれない制度にはやはり反対です。

夫婦別姓が、血や家の継承に対して、それを大切に思う気持ちに影響するのではないかというのが、私が不安に思う所です。
ほんの小さなほころびが、将来大きな穴になる可能性も感じます。
まだ最も私が反対する理由に関してはハッキリ書いていませんが、ここまで書けば私が本当は何を一番危惧しているのかが分かると思います。

とりあえず、夫婦別姓にどういう利点があるのか、或いは私の不安を払拭できるだけの説明、理由が有れば、考えも少しは変るでしょう。
或いは日本でなければここまで反対はしていません。
元々夫婦別姓にはおそらく賛成だったわけですからね。
漠然とですが、その方が良いと思っていたのです。
でも、夫婦別姓でないと絶対にダメだという理由も聞こえてこないのです。
それに説得力があり、不安とデメリットを超えるだけの理由があるのなら、それを示していただきたいですね。
今の法律でも、概ね違う苗字で活動する事は可能です。
私も本名以外の名前でいくつか活動していますし、私の友人にも本名以外で活動しておられる人が沢山います。
もちろん会社には本名を登録してはいますが、少しの手間を除いてデメリットもありません。

どうしても導入した方がいい理由が示されない限り、変えなくていいものは変えない方が良いのです。
今は夫婦別姓の方が便利だって人はいるにはいますが、それ以上のデメリットはあると思いますし、今までのメリットを無くす気がします。
メリットというのは、苗字は血や家の継承そのものですから、その為に子孫を残し、ご先祖孝行しようという気持ちが生まれるって所です。
苗字が家の名前でなくなれば、それを継承しようとする気持ちが薄れてしまいます。
少なくともどちらかの親の苗字しか引き継げなくなるわけで、想いは半分になるでしょう。
結婚しなくてもいい自由、子供を産まなくても良い自由と言われると、そこまで大切な事ではないと感じます。
だから私はそうしてきました。
今になって後悔しています。
なんでそんな勘違いするような自由があるのでしょうか。
※その説明は他で散々やっているのでここでは割愛します。
こういう人もいるわけで、夫婦別姓を導入すれば、家の継承に対しての思い入れが薄くなる可能性が十分にあるのです。

もう一度言いますが、苗字は家の名前です。
山田さん家の太郎くんであり花子さんです。
それを別姓にするというのは、もう家の名前ではなくなり、家の名前もなくなるという事です。
先祖代々受け継いできた家を大切に想う為にも、夫婦別姓には反対します。

※※追記※※
一番普通な夫婦同姓な方が良い理由を書き忘れていました。
国家が国旗に集い団結するように、家族も苗字に集って団結する要素はあると思うのです。
他人がどうしようが勝手だという意見もあります。
おそらく10年前の私ならそう言っていたでしょう。
でも、やっぱり日本人みんなでより幸せになれる可能性が高い方を選びたい、そういう思いが今はありますね。

さらに‥‥
コスト面を指摘してくださる人がおられました。
これは確かに重要な問題で、一つの理由として考えるべきものでしょう。
ただ、これだけで夫婦別姓を取り入れるとしたら、全面的にそうしない事にはあまり意味を感じませんね。
でも状況によっては議論すべき事でしょう。

それと、夫婦別姓を選択できるという部分は理解しておりますよ。
選べてしまう事を危惧している所も大きいわけです。
選べてしまう事に問題があると私は思っています。

さらに‥‥
イジメる側が悪いというご指摘をいただきました。
ありがとうございます。
それは確かにその通りで、責められるべきはイジメをした側です。
しかしどれだけイジメた側を責めても、イジメを止めるよう教育をしても、悪いヤツや馬鹿なヤツは必ずいるのです。
防衛策を講じるのは必要だと思います。
子供虐待で死に至らしめた事件がありました。
いくら子供を虐待するのはいけない事だと言って罰則を設けても、こういう事をする親はいます。
それに対し何も対策を講じず、虐待する親が悪いと責めるだけでは問題は解決しません。
そうならない為にできる事はないのか、考える必要もあるという事です。
私はそういう意味で、選択的夫婦別姓も止めた方がいいのではと思う所です。

さらに‥‥
世界で夫婦別姓を選べないのは日本だけというようなコメントもチラッと見ました。
ツイートが多すぎて正確に全ては拾えませんが‥‥
仮にこれがそうだとして、だったらこれで日本の離婚率が低ければ、選択的夫婦別姓によって離婚率が高くなる可能性もあり得るわけです。
まあ海外と日本を同じには考えたくないので、あくまで一つの参考としてですが、先進国の中では離婚率は低い方のようです。
これで離婚が増えると断言はできませんが、不安なデータが一つ出てきてしまいました。{汗}

さらに‥‥
夫婦別姓が必要な人が、不正ではないですが、離婚と結婚を繰り返すなどの行為をするようですね。
これに関しては取り締まる方が私は良いと思いますが、そこまでしなければならないほど別姓が必要なら、これは議論の余地があると思います。
例えば選択的ではなく、許可制なんかも踏まえて。
それが良いかどうかは今は言えないのであくまで議論の余地があると思う所ですが。
ただ、私の想像力では『絶対に夫婦別姓でないと都合が悪い』という状況が思いつきません。
それに説得力があれば、別の方法も踏まえて議論したいですね。

最後にします。(予定)

ちょっと通知が多すぎてコメントや質問なども追えない状態です。
※ツイッターの話。
それで最後に、反論というか疑問を書かせていただきます。
正直私は記憶力には自信がありません。{苦笑}
だから物事はイメージと理屈でなんとなく覚えるようにしているので、自分が絶対に正しいなんて思っておりません。
だから情報はまずそれが正しい事を前提に話しますが、やはり疑問を感じるものは疑ってかかります。
そう感じた部分を一応あげておきます。
まず私が最初に夫婦別姓(選択的)に反対した時、書いて問題視されたのは『伝統文化』だとした所です。
私はそう思っていましたが、言われてみれば断言できる資料等見た事はありません。
でもザックリとした印象として、日本は男性が家(苗字)を継ぐというのは昔からあったように思います。
※大昔は苗字が無かったので、文字通り家ですね。
そこで何人かの名前をあげられ『夫婦別姓は昔からあった』という指摘を受けました。
なるほど、深く考えていませんでしたが、あったのはあったのですね。
でもだからと言って、家(苗字)の男性継承が伝統文化で無いという事には繋がりません。
例外は当然あるでしょうし、慣習としてそうであっても、そうでない事なんて山ほどあるでしょうから。
それともう一つ指摘されたのが、苗字の法律は明治に定められたという事です。
苗字が明治の頃から正式に始まったのは知っています。
ただその前から、公にせずとも持っていた人は大勢いますし、まあ正式に全国民に定められたのがその時だという事です。
さて法律ですが、法律とは何故定めるのでしょうか。
どのように定めるのでしょうか。
『問題があるから、国民が納得するルールを決める』のが法律で、国民が納得するルールというのは、すなわち『伝統文化をふまえて』決めるのが普通です。
大日本帝国憲法は日本の伝統文化を元にルールと重要な確認事項を文書化した憲法典の事ですね。
つまり法律が定められる前からある伝統文化慣習にのっとって苗字の法律が定められたわけで、その前から既にそういう傾向はあったはずです。
それが証拠に、苗字のルールでは男女どちらの苗字にしても良いわけですが、男性に大きく偏っていますよね。
これはそれまでがそうだったからそうなったと見るのが自然なのではないでしょうか。
そうでない資料とかあるのなら見てみたいですが、とりあえず私の少ない知識の中ではそれはみつけられません。
家(苗字)は男性継承が基本、これは長く続いている事だと今も思います。
むしろそうで無い情報を提供し指摘をされる人が見られなかったので、よりその可能性が高いと感じます。
そして昔は、男性が生まれないと家を継ぐ者がいないという事態もあったかと思います。
そういう時は養子をとったり、或いは次男三男をもらってきていますね。
当然そういう事も踏まえて、法律では『男女どちらかの苗字を名乗る』とされているのです。
さてそれでその後、女性の苗字を名乗る人はどれくらいいるでしょうか。
かなり少ない数しかいないのは、それまでは主に男性が家を継承してきたという事ではないでしょうか。
法律には、あたり前の事で問題が無ければ定めたりしません。
当然法律的には、家を継いだ人の苗字を継がなければならないという事もありません。
男性が家を継いでも、女性の苗字にしたっていいのです。
ですが、ほとんどそうはならなかったのは、法律に書く必要がないくらいそれが慣習化されていたという事です。
もちろん例外はいますけれどね。

それで確かに思うのは、今は家を継ぐという意識はもうかなり薄れていて、家を継ぐ人の方が珍しい状態です。
だから『選択的夫婦別姓』に関しては、そろそろ導入も考えられる時期と言えるかもしれません。
そもそもおそらくですが私は賛成派ですからね。
でも今違うのは、やはり家を継ぐという意識は強く有った方が良いと感じるからです。
私にはそれが全くありませんでしたが、今になってそれが大切だと感じ後悔しています。
これでもしも選択制とはいえ夫婦別姓が法律化されれば、ますます家を継ぐという意識は薄れるように感じます。
苗字は家の名前ですからね。
そして今の時代は、家を継ぐとは、仕事や家そのものの事だけではありませんよ。
主に血であり、家族の事です。
大きい意味では日本国家そのものの継承です。
そしてそれが、ご先祖様への感謝だと思いますから、私は大切だと思うのです。
私は今まで、ご先祖様への感謝の気持ちがありませんでした。
ご先祖様に感謝するというのは、それこそ日本の伝統文化です。
その為に家を継承していくのです。

まあでも色々な意見を持った人がいる事が分かって良かったですよ。
前々から言っていますが、私は自分と違った意見をより多く聞きたいのです。
でも今回多くの方が私に意見下さいましたが、説得力のある意見を言って下さった人はほとんどいませんでした。
コスト面でというのは、かなり良い意見でした。
それなら苗字を分離して考えるのもアリかとかそんな事も考えましたよ。
山田太郎さんなら、届け出は『太郎』だけで良い事にするのです。
それだと同じ名前が増えてややこしくなるなら、また昔のように間に名前を増やすとか。{笑}
山田佐藤太郎にして、普段は佐藤太郎で何でもできて、山田は完全に家の名前として分けるのです。
半分冗談ですが、コスト面を考えるのならそういう方法なんかも有るかな?という話です。

全ての質問には答えられませんし(私の知能の問題も有り)、全てに目を通す事も出来ていませんので、もしかしたら私の欲している情報を提供してくれていた人がいたかもしれません。
ただ、この辺りが私の限界ですので、ここに書かれている事が私の考えるほぼ全てだと理解していただければと思います。
これで何が言いたいか分からない人には、私には納得いく説明は不可能だと思います。
ちなみ分かっておられ、それに同意している方も見受けられましたので、全く伝わらない文章でもないはずです。
そんなわけで、この話はここで締めたいと思います。
ご意見ありがとうございました。

そうそう、子供が欲しいのに子供ができない人への配慮が足りない発言だという意見もございました。
もっともな事だと思います。
傷つかれた方がおられたら、それは申し訳なかったです。
ただ私は以前から言っている通り、少子高齢化や家族意識の希薄化が社会問題としてある以上、誰かが言うべきは言わざるを得ないと思っておりまして、それは言う方も心苦しいのですが、言う事にしています。
もしもそういう発言が聞きたくない方は、ツイッターでは私をブロックするなりして対応して下されば助かります。

その後の追加情報はこちらにもあります。
日本を考えるぼっちの会

2018年6月1日金曜日

女性はか弱い存在だから守られるはず!憲法9条があれば日本は攻撃されない?

私は男性ですから、女性の本当の気持ちは分かりません。
だから最近色々な女性の意見を見て回っていたのですが、その時少し思った事を書きます。

女性は男性を怖いと思っているという話を目にしました。
確かに女性は男性よりも体力的に劣るわけで、そう感じるのも無理はありません。
でも男性の私から見れば、だからこそ男性を怖がらずにいられる社会が、日本ではつくらているのではないかと思うわけです。

女性を守るものは一体なんでしょうか。
一つは男性も共通ですが、警察というハードです。
そして他にも、法律というソフトが男性と共通してあります。
しかし女性には、それ以外にもソフトが存在します。
それが、風潮であったり、教育であったり、文化であったりします。

例えば男性は女性を守るものだと教えられます。
女性に暴力を振るうなんて最低だという風潮があります。
顔に傷でも付けようものなら、罪は男性相手よりも大きくなります。
だから普通の男性は、女性に暴力を振るうなんてありえないのです。
最悪あったとしても、本気で殴ったりはしません。
そんな日本ですから、私は『女性の方が男性を怖がる必要がない』という風に考える所もあるのです。
言いたい事も女性の方が言いやすいと思っています。

ただ、事犯罪という風に考えると、やはり女性の方が狙われやすく、そういう意味で男性を怖がる女性ってのが一定数いるのかなと、それは仕方がない所かと、私は思ったりしていたわけです。

そんな時、ふと憲法9条が思い浮かびました。
憲法9条って、ある意味この話に似ているのではないかと思うわけです。
女性が弱くかわいらしい存在であるから、男性は守り暴力を振るったりはしません。
日本は憲法9条があるから、外国は攻撃してこないのです。
でも、男性が怖いのですよね。
実際女性が狙われる犯罪もありますよね。
だったら、吉田沙保里選手のように強くなればどうでしょうか。
これが憲法9条改正という事と重なる気がするのです。

男に『女性はか弱い存在だから攻撃してはいけません!』って言うのは、中国の憲法に9条と追加するようなものです。
そう考えると、確かに『風潮』や『教育』や『文化』があっても、男性を怖いと感じる気持ちが分かります。
中国の憲法にそんなものがあっても、関係ありませんから。
女性が本当の意味で男性を怖がらない為には、吉田沙保里選手のように強くならなければならないわけです。

でも流石にそんな事は無理ですよね。
だから女性が男性を怖く思う事は、どれだけ頑張ってもなかなか無くす事はできないでしょう。

しかし国は違います。
憲法9条を改正して、吉田選手のように強くなれるのです。
そして、自衛隊を強化する事で、ボディーガードを付けることまでできるのです。
そしたら安心ですね。
今はアメリカという警察がいますが、女性の気持ちを考えれば、それだけでは安心できないという事が分かります。
安心する為には、憲法9条を改正し、自衛隊を強化するしかないのです。

それは、女性が吉田選手のように強くなり、警察のいる町で、ボディーガードに守られているようなものです。
こうなれば安心ですね。

そんなわけで、日本は女性なのです。
いくらか弱く可愛い存在であっても、やはり中国やロシア、北朝鮮という男性は怖いのです。
そして犯罪者は、そんな女性こそ襲ってくるのです。
憲法9条を改正し、吉田選手のように強く、そして自衛隊を強化し、ボディーガードを付けましょう。
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