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2018年7月30日月曜日

自分に差別意識があるかどうか調べてみよう!差別だという人ほど差別意識が高いのでは?

差別に対する見方は、人それぞれ違いますよね。
自分は差別だと思っていても、別の人はそうは思っていなかったり‥‥
それは仕方がないのです。
人それぞれ価値観や考え方は違うわけで、ハッキリした線引きはできません。
それに差別自体、全てが悪いわけでもないし、なかなか難しい問題なのです。
普通の人なら多かれ少なかれ差別意識というものは持っていて、私は差別意識が無い方がおかしいとさえ思いますね。

ただ、差別も度が過ぎると駄目なだけです。
そうでないものを一々目くじら立てて批判する人の方が、私は差別意識が強い人だと感じます。

まあ今日はその辺りハッキリさせてみたい人の為に、チェック方法を考えてみました。
考え方は簡単です。
同じ条件で、どちらの立場に立つかで差別と感じたりそうでなかったりする場合は、そこには差別意識があると言えます。
或いは、別の人種、国籍、宗教、民族だと感じ方が変れば、差別意識があると言えるでしょう。

例えば人種による差別意識を確認するには、①白人、②黒人、③黄色人種、などを用意します。
宗教なら、①カトリック、②プロテスタント、③ムスリム、④ユダヤ、⑤無宗教、或いは日本人的、神道のような無宗教なんかも用意して構いません。
とりあえず、日本人に当てはまるものも用意しておくといいでしょう。
国籍なら、在日コリアなんかもあると分かりやすいかもですね。

それでチェックする前に、先に言っておきたい事があります。
おそらく日本人なら、日本人贔屓の結果がでる可能性は大いにあります。
私はそれは決して差別だとは思っていません。
日本人にとって、日本民族日本国籍の人というのは、おそらく遠い親戚であり、家族だからです。
日本人のほとんどには、天皇の血が入っているとも言われていますし、親近感を持ってもそれは仕方がないと思うのです。
むしろ家族に愛情が無い方が問題だと私は思いますね。

これはあくまで私の考えですので、それを押し付けたりはしません。
他と同じと思う人はそれはそれでいいと思いますよ。

さてではゆっくり考えていきましょう。
そうですね、会社の採用なんかで考えてみましょうか。
この会社は、女性社長が率いるグループ会社で、色々な事業を手掛けています。
最近少しグローバル化に後れをとっていると感じた社長は、『英会話と読み書きのできる社員5人』を募集する事にしました。
試験では、読み書きがしっかりできるかどうかを調べる事と、他にも少し適正を見る為に、後は社長面接で、英会話の能力と、コミュニケーション能力と、いくつかの質問をする事にします。
グループ企業には英会話教室なんかも有り、そちらでの登用なんかも考えています。

さて採用試験に集まったのは、白人が5人と黒人が5人でした。
それで結果は、白人5人が採用となり、黒人5人は不採用となりました。
あなたはこれを差別だと思いますか?
私は差別だとは思いませんが、その辺りは今は置いておきましょう。
今度は、白人と黒人の結果を入れ替えてみてください。
それでも最初の判断と同じだと思うのなら、おそらく白人と黒人の間に差別意識はなさそうです。
違った結果が出たら、あなたには人種による差別意識がありそうです。

でもこれだけではハッキリとは言えません。
差別か差別でないかのボーダーラインから大きく離れた所では、答えに変化は出にくいのです。
差別判断のボーダーラインギリギリを探る必要があるのです。

この採用試験で、どれも差別だと感じた人は、今度はより差別じゃなさそうな状況、差別じゃないと感じた人は、より差別に近い状況を検証する必要があります。
ではまず、どれも差別だと感じた人は、こんな状況を考えてください。
この採用試験の内容を会社は本人を含め、特定の人達に公表しているとします。
その人達は、試験内容と点数、採用に不正がないかを確認して、間違いなく結果通りに採用していると言ったとしましょう。
そしたらどうでしょうか。
本当に偶々、白人と黒人の結果が分かれたように見えますね。
それでもこれは差別だと思いますか?
普通の人ならここまでされたら普通は信じるでしょう。
でも、試験内容は社員数十名しか知らない事だったらどうでしょうか。
少し微妙にはなってきますが、人数が多ければまあ信じる事にはなるんでしょうね。
その人数でボーダーラインをはかりながら、人種をいれかえ、或いは他の民族、宗教、国籍なんかでも試してみて、全て結果が同じなら、差別意識は全くないものと思います。
ただ、普通の人は、日本人とそれ以外の所で、少し差別意識があるかもしれません。
まあ少しその辺りに出るくらいは、先に言った通り私は問題が無いと思いますけれどね。

それで、最初の条件の時に差別ではないと感じた人は、今度は差別とより感じるように条件を変えていきましょう。
例えば、女社長が社内の噂で、不採用にした側のグループに対して好ましくない発言をしていたという話が聞かれたらどうでしょうか。
もしかしたら差別だったのではないかと思ってきませんか?
それでも噂はあくまで噂だと思うなら、更に条件を差別に近づけてみましょう。
暗黙の事実として、社内ではあたり前の話として不採用側グループを社長が嫌っているとしたら。
それでも差別じゃないというのなら、もうハッキリと社長が『不採用グループは嫌いだ』と言っていたらどうでしょうか。
それでも、嫌いならしょうがないと思う人もいるでしょうね。
だったら、試験内容は無視して、なんとなく不採用グループ側のそれが会社に合わないと思ったらから、なんとなく不採用にしたってならどうでしょうか。
例えば黒人なら、黒人を理由に会社を不採用にしたって事です。
ここまでくれば、多くが良い悪いは別にして、差別だと感じるのではないでしょうか。
それで立場を入れ替えてみても差別だと感じるのなら、差別意識は概ね無いと言えそうです。

こうやって差別か差別でないかのボーダーラインを探し、その辺りで色々な人種、民族、宗教、国籍で比べてみて、それでも考えが変わらなけば、差別意識は概ね無い人と言えそうです。
逆に意見が変る所があれば、そこには差別意識を持っていると言えるでしょう。

私は、ハッキリ言って差別意識はあります。
ただ、それをあからさまに表に出したりしませんし、無理に平等に扱おうとするので、行動としては差別しない人に見えるでしょう。
でも気持ちとしてはあるんですよね。
おそらく多くの人が、私と同じだと思うのですがどうなんでしょうか。

この例だけに限らず、色々な状況で試してみると、結構自分が見えてきますので、暇なら色々試して考えてみてください。

2018年7月28日土曜日

本日後悔したこと!いきなり子供に声をかけられ質問された!

今の部屋の温度は31度ですが、最近の暑さのせいで、これでも涼しく感じてしまいますね。
こういうのに慣れると、いきなり熱中症って事にもなりかねないので、気をつける必要があるかもです。

さて、今日は『子供にいきなり声をかけられ質問された話』です。

本当に突然でした。
近くを通り過ぎようとしている子供がいきなり声をかけてきました。
男の子と女の子で、おそらく小学校低学年くらいでしょうか。
女の子の方がやや年上で顔の雰囲気が似ている事から、おそらく姉弟かと思います。
先に声をかけてきたのは女の子の方でした。

『鼻血と汗って間違える?』

えっと、あまりにいきなり聞かれたので、私はよく考えず、『間違えへんなぁ』と答えました。
すると女の子は少し寂しそうな顔をしていました。
次に男の子が質問してきました。

『飴と雨は間違える?』

私は普通に『間違えるな』と答えました。
そして今度は一言加えました。

『飴ちゃんっていえば間違えへんで』

そんな話をした後、子供達は去っていきました。

で、私は後になってよくよく質問の意味を考えました。
それで思ったのです。
『もう少し気の利いた答えを言えたのではないか』と‥‥

おそらく女の子は、鼻血が出た時に『汗かな?』って思ったのでしょう。
そういえばそんな話、小学生くらいの頃にはありました。
私くらいの年になれば、鼻血と汗は間違えないし、間違えても鼻水とくらいでしょう。
鉄の臭いもしますし、鼻血と汗は間違えません。
でも小学生の頃には、確かにそんな話もしたような気がするのです。

それで思ったのです。
こういう一方に決めつけるような答えって、子供にはあまりしない方がいいのではないかと。
これから色々な意見や考えを取り入れ、自分で判断する事が求められるわけで、一方に決めつけた答えを提示するのは、大人としてどうなのかと。
大人同士ならそれでもいいでしょう。
言われても納得できなければ別に考えを変えないわけですし。
でもこの女の子は、『鼻血と汗は絶対に間違えないもので、間違えてはいけない』なんて思う事にもなるのではないでしょうか。
今回はそこまで心配する必要もないでしょうが、まあやはり大人として、もう少し良い答えを提示してあげられたらなって、少し後悔したという話でした。

2018年7月27日金曜日

人権(権利)や義務を考える!基本的人権の尊重はそれを守るという意味ではない!社会的弱者(身体障碍者等)を支援救済する事は憲法違反?

これはあくまで私の考えを記事にしたものです。
私が考えた理屈から導きだされた一つの結論です。
これが正解ではありませんのでご了承ください。
といいますか、私の記事のほとんどがそうですが‥‥{笑}

今日は、人権、権利と義務について少し整理して書きたいと思います。
まあ整理できないと思いますが‥‥{汗}

『権利には義務が伴う』なんて言われますが、これは一つの見方としては正しいし、そういう風に考えるのが普通だと思います。
しかし今回は少し違った所から攻めてみます。

まず、人権とか権利ってなんでしょうか。
私は『人間が生まれながらにしてできる事全て』だと思っています。
人を殴る事も、物を盗む事も、逆に何かをやらない事も、全てできる事はその人の権利と言えるのではないでしょうか。
しかしそんな権利を自由に行使されたら、北斗の拳の世界、とても住みにくい世界になってしまいますよね。
そこで人は基本的人権というものを定めます。
『他人の人権、権利を阻害しない範囲』という定義をするわけですね。
つまり、他人に迷惑をかけなければ何をやっても良い、何を拒否しても良い、これが基本的人権だと私は考えます。
これってある意味、自由という考えでは理想的な世界ですよね。

とは言えですね、「そんなの関係ねぇ!!」って言って、人を殴ったり人権を阻害する悪い人はいるわけです。
災害なんかが起こって食べ物が無くなれば、他人の物も盗んだりするわけですよ。
そこで人々は集まって考えるわけです。
悪いヤツがいたら、みんなでこらしめて我々の生活を守ろうと。
そして、災害が起こったりした時の為に、みんなで食べ物を貯蓄しておこうと。
これが今で言う、『労働の義務』と『納税の義務』になるわけです。
本当は働きたくない自由権利を行使したいけれど、或いは納税なんてしたくないけれど、自分の生活を守る為には仕方がない事ですよね。
このように全ての人が納得した形が、国家の基礎となるわけです。

そこには、働かない権利はありません。
納税しない権利もありません。
基本的人権は一部失われています。
しかし、国家が安全を保障し、災害時には対応してくれるわけです。
それはつまり、『基本的人権を尊重はしてるけれど、国家が与える別の権利の為に失う事になっている』と言えるのではないでしょうか。

こうして、人々が集まって生活する社会、国家は、基本的人権を少し貰いながら、新たな別のより良い権利を与えるという取り決めを増やしていく事になるのです。

死にそうな時に助けてもらえる権利なんてそもそもありません。
しかしその分少しお金を払ってくれれば、その権利を与えます。
救急車を用意します。
本当はお金を払わない権利を主張したい所ですが、助けてもらえる権利の為に基本的人権を削ります。
これが概ね『義務』という事になります。
義務とは基本的人権を失う事であり、その代わり国家から新しいより良い権利を得る為の手段とも言えそうですね。

さて、これが本来あるべき国家の在り方だと私は考えるわけですが、最近は少しおかしな事になっています。
権利を得られないのに、義務が生じているという事が起こっています。
例えば『弱者救済』の為の『消費税増税』なんかですね。
お年寄り救済など、全ての人がいずれ受けるであろう権利は良いとしても、おそらく自分にはまるで関係がない障碍など、一部の人への権利の為に義務を押し付けられています。
これは『基本的人権の侵害』と言えるでしょう。
弱者を助けるのはとても素晴らしい事ですし、できるのならやりたい事ではあります。
障碍者支援に関して言えば、本来あるべき権利をできるだけ回復させてあげようという、ある意味人権を尊重した行いでもあります。
しかし個々の事情でやりたくない人もいるのです。
そういう人達は、助けない権利を行使したいはずです。
それを無理やり奪うのは、基本的人権の尊重を謳った憲法違反とも言えます。

本来、『弱者救済』は、やりたい人がやり、たりたくない人はやらないってのが、『基本的人権の尊重』という事になります。
そこで昔は、宗教がそれを担い、上手く基本的人権が尊重されてきました。
助けたい人は施設に寄付し、助けたくない人は何もせずに済んだのです。
しかし今は、国家にそれをやらせようとしていますよね。
例えば全ての人が将来は年をとって爺さん婆さんになるわけで、年金みたいな弱者救済は分かりやすいです。
でもそれですら、最近は払いたくないという人が大勢います。
それは、自分が犠牲にする権利よりも、得られる権利の方が小さいからです。
年金をしっかり払っても、払った分返ってくるとは限りません。
だから反対する人が大勢いるわけですが、それを障碍者などの弱者救済に当てはめたらどうでしょうか。
当然賛成者はそれ以上に減るわけで、そしてやっぱり憲法違反となるのです。
障碍者支援なんかは、障碍者を助けたいと思う人が集まって障碍者支援施設を造り、寄付を募って運営し、障碍者を助けるという風にするべきなのです。
それを政府が少し支援するくらいはかまいません。
納税の際に寄付も一緒に受け取って、ちゃんと届けるくらいは有ってもいいでしょう。
あくまで基本的人権を尊重するのならの話ですよ。

国家が与える権利には、常に義務、誰かの人権喪失が伴ってしまいますから、国家の取り決めには、国家国民の利益が不可欠になってくるのです。

本来、国民の大多数が納得しない権利と義務を定めるのは、できる限り避けるべきです。
そして、やりたい人だけでできる事は、やりたい人だけでやるのが一番問題が起こらないんですよね。
例えば防衛は、やりたい人だけでやるには限界があります。
だから国家がやるしかありません。
でも、弱者救済はやりたい人だけでやる事もできるんですよ。

弱者救済は、本来あったであろう人権を主張救済する所にあります。
一つの人権主張の形です。
でも、救済しないというのも、救済する側の人権ではあるのです。
誰かの基本的人権を壊す事で、無かったはずの人権を復活させるという作業があるとしたら、それは基本的人権の尊重にはならないのではないでしょうか。

死刑制度に対しても、似たような声が上がりますよね。
殺された人、或いはその家族の人権は無視して、加害者の人権だけを守ろうとする風潮。
基本的人権の観点から見れば、弱者救済と同じ問題がそこにはあります。
本当に重要な部分以外は、国家に対する義務と与えられる権利は、なるべく少ない方が良いという考えがあります。
それがリベラルという事ですね。

さてしかし、見方を変えればまた違った考えになります。
障碍者などの支援救済を『保険』と考えたらどうでしょうか。
自分が障碍者になる可能性もありますし、子供が障碍を持って生まれてくる可能性だってあるわけです。
その時に何も無いと困ると思うのなら、それに対して保険をかけておきたいと考えるのも普通の考えです。
ただ、保険となると個人で入る事も可能なので、国家としてどこまで義務づけるかというのは難しい問題です。
でもそれが国家国民の利益になるのなら、考える余地はあるでしょう。
つまり障碍者支援に関しては、こういう視点で議論するのが、本来必要なのではないでしょうか。

そういう考えでLGBTのLGBを考えると、LGBには支援は必要がないと思えます。
私がホモだった場合、或いは子供がレズになった場合、国家にどれくらいの支援を望み、どれくらいの保険をかけておきたいと思うでしょうか。
私なら『しゃーない』で終わりですね。
ホモだったとして、ホモダチがいればそれ以上は望みません。
別に同性と結婚したいとも思いませんし、息子がそうであったとしても変わらないでしょう。
まあだから、こういう基本的人権の考えから結論を出せば、こういう答えも出てきますね。

他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい、それが基本的人権だとしたら、国家が与える権利は基本的人権を多少犠牲にして得られる権利という事になります。
そしてその考えからすれば、弱者救済は基本的に『保険』という考えで考えるべき事でしょう。
その考えから導きだされる答えとしては、障碍者支援は国家の意思として考える必要があるものに思いますし、LGBTの特にLGBに関しては、支援は必要なさそうという結論になりました。
この理屈が正しいかどうかは分かりませんが、一つの考え方として皆様に提示させていただきました。

※※追記まとめ※※

人権 = 人が生まれながらにして持っている全ての権利
基本的人権 = 人権 - 他人の人権を侵害する行為
義務 = 利益の為に、人権の一部を国家や組織に差し出す事
権利 = 義務を果たす事で、国家や組織から得られる利益や行い

2018年7月23日月曜日

LGBTとロリコンの違いを考える!何故LGBTの人権を主張する人がいるのにロリコンの人権は蔑ろにされるのか?

最近、LGBTの人権を訴える声が大きくなってきていますね。
性同一性障害は、その名の通り障害なわけですが、まあ最近は人権配慮などから、異常ではなく特殊な人と言った方が良いのかもしれません。
とはいえ普通ではないわけで、そんな普通ではない人を差別しないよう色々と声があがっているわけです。

しかしですね、現状でも既に法の下の平等という意味では平等なわけで、そこに特別な法を作ったり、税金を投入する必要はあるのでしょうか。
そもそも結婚制度というのは、人間の本来やるべき子孫繁栄にあった方がいいから法整備されているわけで、それを前提としないLGBT者に適応するのは違う気もします。
もしも何か財産相続などに関して必要性があるのなら、他の法で検討するのが普通かと思います。

私はあくまで現状変更には反対の立場ですが‥‥

その理由として、性的な特殊性を持った人というのは、LGBTだけではないという事です。
LGBT以外で最も多そうなのがロリコンではないでしょうか。
極端な人は小さな子供に性欲を感じ、そうでなくても、子供を産める若い10代の子にしか興味がないという人もいるでしょう。
むしろその辺りになってくれば、人間を動物の『人』として考えれば、むしろ健全だとも言えます。
しかし何故かそういう人は社会で冷たい目で見られ、LGBTは社会的に優遇しようとしているあたりは、いささかおかしいのではないでしょうか。
まあロリコンの場合とLGBTの場合を一緒に考える事はできません。
何故なら、ベクトルが違うからです。
ロリコンは人としては問題なくても、社会的に12歳の子に結婚を許せば、社会で生きていく上で必要な人間性が形成される前に大人としてやっていく事になります。
今の社会ではそれは難しいので、ロリコン様には涙をのんで差別を受け入れてもらうしかないのです。

ではLGBTはどうでしょうか。
結婚制度のそもそもの目的に合わないだけで、特に問題はありません。
しかしそもそもの目的に反しているのは、12歳との結婚を許す以上に本末転倒とも言えます。
何度も言いますが、結婚制度は『子孫繁栄の為に定められた法』なのです。
それが証拠に、近親結婚ができませんね。
4親等以上、従妹以上に血が離れていないと結婚できないのです。
世の中には、ファザコンやマザコン、或いは兄妹で愛が生まれる事もあります。
そういう人たちも、ある意味LGBTと同じですよね。
しかし何故そういう人達の結婚を認めないのでしょうか。
結婚制度のそもそもの目的に反するからです。
もしも同性結婚を認めたら、親子や兄妹での結婚も認めるべきとなるのです。

おかしいですよね?
私の感覚がおかしいのでしょうか。

こうして考えると、LGBTよりもむしろ結婚の年齢制限を撤廃する方が先なのではないかと思います。
動物としての『人』と考えれば、そちらの方が問題は圧倒的に無いのですから。
それを別にしたとしても、結婚制度のそもそもの意義に反するものを認めるとするなら、『誰と結婚しても良い』くらいにしないと、それは差別になると思うのです。

世の中には色々な特殊な人がいます。
同性愛者もいれば、ロリコンショタコンもいるし、ファザコンマザコンブラコンシスコンだっているのです。
その全ての人の人権を全て認めるのか、それとも社会的に問題があるものは制限させてもらうのか、それは話し合ってどちらかに決める必要があるでしょう。
しかし、動物としての『人』としては問題の無いロリコンには権利を与えず、そういう意味で問題のあるLGBTには優遇措置をとるのは、ちょっと違う気がします。

私は、今の制度のままで良いと思っています。
結婚制度は子孫繁栄の為の制度であり、年齢制限は社会に出る為の準備期間としてその年月が必要だから定められているのです。
それは皆同じ条件ですし、その法律の範囲内で、人に迷惑をかけずに好きにやってくれれば、私は良いと思います。

ところで杉田水脈議員が、ゲイと名乗る人から殺害予告されたようですね。
https://twitter.com/miosugita/status/1021213480571973633
ロリコンが『12歳と結婚できるようにしないと殺す!』なんて言いませんよ。
オタクだって『2次元と結婚させてくれないと‥‥』なんて言いません。
きっとこういう人がいるから、脅されて声をあげている人がいるのかなって思いますよ。

LGBTを救済するよりもまず、ロリコンに愛の手を!{笑}
実際どちらの方がおかしいのか、そのおかしさにあった法はどうなのか、冷静に考えて欲しいです。

2018年7月19日木曜日

暑い日が続きますね!これは地球温暖化の影響?温暖化って何?

暑い日が続きますね。
本当に毎日ヘトヘトですが、こういう日が続くと必ず言う人がいます。

『地球温暖化の影響だ!』

でもちょっと待ってください。
これは本当に一般的に言われている温暖化の影響なのでしょうか。
その辺り、ちょっと書きたいと思います。

まず温暖化と言うのなら、私は3つの条件があると思うのです。

①世界的に温度が上昇している。
温暖化とは『地球温暖化』の事であり、全体的に上がっているという事ですよね。
しかし今年南極では観測史上最低気温を記録したりと、何処も温度が上がっているわけではなさそうです。
上がっている所も有れば、下がっている所もあるという事です。

②周期関係なく今上がっている。
歴史上何百年何千年単位で、気温が上がっている時期もあれば、下がっている時期もあるはずです。
江戸時代辺りは小氷河期と言われていたわけで、特に寒かったわけですしね。
短いスパンでも、今年は大阪でマイナス3度に迫るほど寒かったわけで、私の記憶ではそこまで寒かった事はほぼありませんでした。
そこだけ見れば寒冷化しているとも言えるのです。

③二酸化炭素によって温暖化している。
そしてこの問題の最も大きなポイントは、二酸化炭素によって気温が上昇しているという事です。
これに関しては、まだハッキリ言える段階ではありません。
単に原発推進の為に言い出した事であり、『地球温暖化=二酸化炭素が増えている』となっている今、なんでもかんでも『温暖化』というのは違うのではないでしょうか。

実際、戦後のデータを見れば、平均気温で2,3度は上昇しています。
日本の本州だけを見れば、確かに気温は上昇していると言えるでしょう。
しかし沖縄はどうでしょうか。
或いは都心部や気温の上昇しやすい場所を除けば、ヒートアイランド現象で考えた方がしっくりきます。
エアコンで2,3度気温が上がるという話もありますし、全部止めたら意外と昔と同じような気候に戻るのかもしれません。
まあそこには二酸化炭素と繋がる部分もあるわけで、全く二酸化炭素が関係ないというのも違うでしょうが、原因ではないのです。

太陽の活動は今むしろ弱まっているという話もあり、1990年代をピークに最近上昇が止まっていたのも、もしかしたら気温の上昇が終了に近いのかもしれません。
でも今年の夏を見るとまだまだ上がりそうな予感もあり、日本に限れば地震との関連から、地下で熱が上がっている可能性なんかも私は気になっています。

少なくとも言えるのは、まあ戦後辺りと比べれば、今の日本は暑くなっているという事です。
そして二酸化炭素と関連付けて減らそうとか言っているのは過剰反応だとは思いますが、二酸化炭素自体は人には毒なので、あまり出さないように心がけるのは良い事でしょう。
でも暑くなっているとは言え、それは地球規模ではないかもしれないし、偶々そういう周期に入っているだけで、二酸化炭素は関係がない可能性も高いのです。

湿度的には下がっている傾向もあるので、体感としては過ごしやすくなっているなんて話もあります。
確かに、10年から20年前に感じたヤバい暑さは、あれ以来感じる事はないですからね。
今は大阪だからかもしれませんが、東京で感じたあのヤバさは、今はありません。

とにかく、夏が暑くなっている事は事実ですが、『地球温暖化の影響』とは違うのでしょう。
その辺りはしっかり理解しておく必要があると思います。
私は概ねヒートアイランドからの影響だと思っています。

とはいえ私は不安に思っている事があります。
暑くなると当然健康への配慮は必要でしょう。
それで夏の高校野球を考え直そうなんて声もでてきています。
確かに無理はマズイのですが、夏だから見ている方もやっている方も楽しいって所があると思うんですよね。
やるやらないは個人で判断する事もできるわけで、あまり夏の甲子園を責めるのは、私は一ファンとしては避けて欲しいと思います。
でもこれだけ暑いと、やっぱ難しいですかね。

とりあえず暑い日が続いていますので、健康にはお気を付けください。

2018年7月2日月曜日

強姦や強制猥褻事件があると、必ずこんな意見がでてきます!女性の行動も軽率だったのではないか?何故被害者が責められる?

男性が女性を襲う、強姦や強制猥褻の事件があります。
こういう事件が起こると、必ずこんな事を言う人がいます。
『家に行った女性も悪い』『二人っきりで酒を飲むのが悪い』など‥‥

すると当然それに反論する人もいます。
『女性が悪いわけがない!悪い事をしたのは男性であり、責められるべきは男性側だ!』

さて、これはどちらの意見が正しいのでしょうか。

法的には、男性と一緒に酒を飲みに行ったり、家に行っちゃいけない法律はありません。
だから犯罪者側が全面的に悪いのは言うまでもないのです。
でも何故かかなり多くの『女性が悪い意見』が出ますよね。
それは何故でしょうか。

それはですね、男性にはどうにもできない本能というのがあるんですね。
魅力的な女性がいればムラムラしますし、エッチな事を考えていなくても体が反応する事も多々あります。
若い頃は特にですね。
満員電車で女性が近くにいるだけで、正直拷問ですよ。
必死に他の事を考えて性欲を抑える努力をしている男性も多いのではないでしょうか。
ムラムラしてしまうのは動物としての本能であり、それはどう頑張っても止めようがないのです。

しかし我々は理性があります。
ムラムラして体が反応しても、行動を起こしたくなる体を理性で必死に止めるわけです。
私はヤバい時は、心の中で『臨兵闘者皆陣裂在前』と延々唱えていましたね。
もちろん私は女性を襲おうなんて微塵も考えませんが、体の反応を抑える為にそうしていました。

若い頃全くエロに興味が無かった私でも、男の本能には勝てない所があったのです。
おそらく普通の男性は、もっと大きな性欲を抑え込む戦いを強いられていたでしょう。
とはいえ理性がありますし、体が反応したからと言って『女性を襲う』という選択肢はまずありえません。
ですが、その箍が外れる場面があります。
それが、『家に来る』とか『酒を飲む』とか、簡単な所で言えば『夜』であるとか、或いは『女性が露出の多い服を着てくる』だけでも、箍が外れかねない男性はいると思います。

さて、ではそんな男性が犯罪者にならない為にはどうしたらいいでしょうか。
逆をやればいいんですね。
『家に来させない』『酒は飲まない』『夜に女性と会わない』『露出の多い女性には近づかない』

できそうなものもありますが、女性の協力もないと難しいものもありますね。

つまりはそういう事なのです。
だから女性も悪いという意見も出てくるわけです。
私は大丈夫ですよ。
そして今の日本人の多くは、本能である性欲を理性で抑えられる人がほとんどだとは思います。
でも中には、どうしても抑えられない人もいるのです。
その人は、悪として生まれてきたのでしょうか。
生まれで人を差別して良いのでしょうか。
そういう人の為に、社会が少しは協力して犯罪者にしないってのは、どちらかと言えばやった方が良い事ですよね。
性欲増し増しの人でも安心して暮らせる社会を作る為には、女性の協力も必要なのです。

まあぶっちゃけ私にはそういう人の気持ちなんて分かりませんから、女性が協力できないってならそれはそれでいいと思いますよ。
それで犯罪者男性だけを責めるのも全然オッケーです。
とは言え「人権を大切に!」なんて言う人なら、生まれながらに性欲が強すぎる男性の事も考えてあげたらどうかと、そんな所なんじゃないですかね。

私はどちらが正しいなんてここでは言いません。
でもそういう男性もいるわけですから、被害に会わない為にも、女性側も注意してくれれば平和だなって思います。

※※追記※※

そうそう、どうして人は服を着るのでしょうか。
大切な所だけでも隠そうとするのでしょうか。
これも性欲を抑える為かもしれませんね。

そして日本では昔から、女性は慎ましく、むやみに肌は見せないようにしていたように思います。
だから世界と比べても、性犯罪が抑えられてきたのではないでしょうか。
別にそうしないからと言って女性が悪いとは言いませんよ。
ただ、そういう現実があるねって話でした。

更に、男はどうやらすぐに勘違いしちゃう所があるらしいです。
私の場合は、膝に手を置かれたりスキンシップがあると、『気がある』と思ってしまいます。{汗}

2018年7月1日日曜日

他国で暮らすという事を考える 国籍民族の違いは文化価値観の違いであり‥‥在日差別?

ツイッターでこんな話をしている人を見つけましたので、少し在日差別について考えたいと思います。


まず、大前提として差別がいけない事は先に言っておきます。
この話をしている人の主張を全面的にそのまま理解すれば、まあ客は言い過ぎだしこれは差別と言えるかもしれません。
最も悪いのは客です。
でもあえて問題を色々な方向から見てみたいと思います。

①外国人が他国で暮らせば、それは両方が嫌な思いをする。

もしもこの在日の方が、普通に韓国で暮らしていたらどうなんでしょうかね。
この方はもちろん、客も、店の責任者も辛い思いをしなくて済んだでしょう。
違う国で暮らすと言う事は、暮らす人も、相手側の国民にもリスクがあるのです。
価値観文化の違いは当然あります。
そこで問題が起こる事もあるでしょう。
在日のように似た価値観をもっていたとしても、国家の関係や同胞の行動によっては、今回のような事にもなってしまいます。
このお客は、どうやら関西人のようですね。
関西と言えば悪い事をする外国人や在日も多く、正直多くの人が悪い印象を持っていたりします。
実際に何度も被害にあっている可能性がありますから。
だからと言って他の在日の方にあたるのは駄目ですが、人の感情ってのはなかなかコントロールできません。
こういう事は起こりえるのです。
それなのに何故、他国で暮らそうとするのか、或いは日本政府は受け入れるのか、その辺りに私は疑問を感じます。
人道的にとか、過去の歴史とか理由はあるとは思いますが、結果どちらも嫌な思いをするのだから、もう少し考えた方が良いと思うのです。

②意思疎通ができなかったのは何故なんだろう。

この方は、お客との意思疎通ができずにお客を怒らせたと理解しています。
意思疎通ができなかった理由はなんでしょうね。
この方の文章を読むに、どうも日本語がちゃんと喋られるようには見えません。
もしそうだとして、どういう職場で働いていたのでしょうか。
意思疎通が重要な職場だとしたら、それはやはり本人にも責任はあると思います。
もちろん雇った側も何故雇ったのかとなりますね。
この視点で言えば被害者はむしろ客となります。
ただし、概ね普通の飲食店やコンビニなどでしたら、今では外国人が沢山働いておられます。
だから外国人なら『外国人か、ならしゃーない』となるのが日本人として普通でしょう。
そういう外国人が働いていても当然の店だとしたら、この客は言い過ぎだと思います。
とはいえ、最低限の応対ができていなかったとしたら、この方にも非がありますね。

③人種は関係ないでしょと言い返したのはマズイ。

私は、客が神様で偉いなんて思ってはいません。
持ちつ持たれつでやっているわけで、そこに差はないのです。
しかし元々意思疎通がしっかりできなかったのはこの方の落ち度に思えます。
ハッキリした事が分からないので、あくまでこの文章からはそう見えるという話です。
それなのに、お客に言われるまで謝罪の言葉を言っていないように捉えられます。
日本人の感覚なら、まず謝罪はあって当然です。
それができない事を『外国人だから』と思うのは当然の感覚と言えるでしょう。
ただ問題は今回『韓国』だという事です。
韓国だと特に差別が駄目だという意識が働き、これを見てると『断然客が悪い』ように見えますね。
でも、外国人だから謝る文化が無いんだなって事なら、それはやはり違う文化価値観を持っている人が同じ社会で生活している事が問題とも言えます。
日本で暮らしている以上、まず謝罪した方が良かったのではないかと思います。

④通名を使っていたら‥‥日本人のフリをしていたら‥‥

そうですね。
日本人の名前なら、或いはここまで問題にはならなかったでしょう。
しかし通名は、別に問題もあるわけで、やはり使用は制限されるべきです。
まあでもお店で働く時の名札くらいなら、適当な名前でも良いとは思います。
アレって、クレームなんかの際誰が対応したのかが分かればいいわけで、それくらいはかまわないと思います。
でも誇りをもって韓国名を使ったんですよね。
本人が誇りをもっていても、日本ではやはり韓国人を煙たく思っている人も多いわけです。
そういうリスクを覚悟して日本で暮らしているのではないでしょうか。
なんにせよ、外国で暮らすという意識に少し欠けているようには思います。

⑤この世界がおかしい。

おかしくはないですよね。
これが人間ですよ。
良い所も有れば悪い所もあります。
相容れない価値観を持った人も大勢います。
だから国が分かれ、ある程度共存できる人達だけが一緒に暮らしているのです。
正直この方は可哀想だなって思いますし、できればこのバイト先で楽しくやらせてあげたいです。
でも、自分がそのバイト先に迷惑をかけてしまったという意識がまるで見えません。
差別は確かに悪いし、この客を非難するのは当然です。
でもそもそも意思疎通ができなかったのは誰の責任でしょうか。
まずはそこで謝罪できていれば、この問題もここまでにはならなかった気がします。

それに、今回この客は明らかに差別だとは思いますが、差別するにも理由があるわけです。
たとえば隣の山田さんの主人が犯罪者なら、その家の家族を少し嫌な目で見てしまいますよね。
でも別だからと言い聞かせるわけですが、奥さんや息子も犯罪者なら、『あの家族はおかしい』と思い、娘や他の家族の事もそういう目で見てしまう事もあります。
韓国という国家は、日本にとってはそういう嫌な人が多い国なんです。
そこは韓国人が日本で暮らすなら、理解しておくべき所です。

何度も言いますが、悪いのは客です。
これは明らかに韓国人だからという理由で、過剰なクレームを入れているように見えます。
ただ、受け答えが大切な職場で、外国人だからそれができなかったという意味で客が言ったのだとしたら、まあ感情的には理解できる範囲ですよ。

くれぐれも、韓国人だからという理由で、必要以上のクレームやイジメはいけません。
ただ、韓国人自身が、韓国人の印象を凄く悪くしているのも事実です。
印象が悪ければ、連帯責任意識のある日本では、一緒くたに悪く思う人もいるのです。
それを理解して、日本で暮らすのなら注意して生きて欲しいですね。

ちなみに私が責任者だったら、この方が客と自分、両方に謝罪があればクビにはしないでしょう。
でも謝罪したかどうか、この文章では分からないので、一応こんな結論です。
そして、意思疎通がうまくいかなかったのは客側がおかしかった場合は、この方に同情しかありません。
店の責任者も、しっかり守ってやれって思いますね。

同じ事を何度も繰り返すクドイ記事を最後までお読みくださりありがとうございます。
誤解されそうなので、何度も同じ事を書いてしまいました‥‥




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