あいちトリエンナーレが中止になり、色々な声が上がっています。
表現の自由が侵害されたとか、公費を無駄にするなだとか、大村県知事の説明責任、或いは脅迫犯の逮捕だとか、津田監督の責任だとか、まあ色々とありますよね。
しかしですね、今回最も大きな問題はこれらではありません。
みんな分かっていてしらばっくれているのでしょうが、少女像の展示なんてザコです。
私は最初から少女像が悪いなんて一言も言っていません。(たぶん)
確かに悪いとは思いますよ。
でも問題としては小さな問題なのです。
少女像の展示が戦闘力100だとすれば、本当の問題は戦闘力1兆くらいあります。
最大の問題に比べれば、少女像なんて問題にもならないのです。
今日はその説明をあえてしようと思います。
おそらくみんな分かっていると思いますが、しらばっくれている人がいると思われますので、あえて言う事にします。
その問題を話す前に、まずは国旗の話からしようと思います。
国旗とは、世界的に『国家国民の統合の象徴』とされていますね。
つまり国旗は、国家国民の代わりと言えるでしょう。
だからそれを焼いたりする行為は、『その国民を皆殺しにする』、というメッセージが込められている事になっています。
例えば安倍総理が、中国の国旗を燃やす映像を世界に向けて発信したら、それは『日本による中国への宣戦布告』となります。
国際法上的にそう認められていたかと思います。
だからそんな事をすれば、直ちに中国は尖閣諸島を奪いにくるでしょう。
もっと直接日本にミサイルを撃ち込んでくるかもしれません。
それでも日本は何も文句は言えません。
日本が国際法で禁止されている戦争を仕掛けたわけですから、中国の反撃を批判する事はできないのです。
国旗を焼くというのはそれくらいの意味があり、だからこそ個人によるものでも、日本国内ではそれを規制する為の法律が存在するのです。
犯罪なんですね。
しかし自国の国旗を燃やす事に対しての罪はなかったかと思います。
それは決して『日本国旗を燃やしても良い』というものではなく、そんな事をする人がいないから法律で規制する必要が無いだけなのです。
もしもこの世に殺人をする者がいなければ、殺人を法律で罰する必要はありません。
例えば憲法典も、あたり前に国民が守る事を一々書いたりはしません。
あたり前に守る事は憲法典に書く必要も、法律で罰則を定める必要もないのです。
『日本国旗を燃やしてはいけない』というのは、あたり前すぎる常識なのです。
そりゃそうですね。
日本国旗を燃やすというのは、「国民全員ぶっ殺してやる」という殺人予告に等しいわけで、本来やる人はいません。
さて、しかし日本には、国旗以上に日本国家国民の統合の象徴が存在します。
天皇陛下です。
日本においては、国旗というのは天皇陛下の代わりであり、国旗が国民の代わりであるとするならば、天皇陛下は国民そのものと言えます。
その天皇陛下が写っている写真を燃やすというのは、国旗を燃やす以上のメッセージ性が込められています。
そんなものが、あいちトリエンナーレでは展示されていたわけです。
これがどういう意味を持つか、もうわかりますね。
これは愛知県が『日本人全員ぶっ殺してやる!愛知県大村県知事の名において日本国に宣戦布告する!』という意味なのです。
本人は知らなかったと言っておられるようですから、部下が勝手に日本に宣戦布告した感じですかね。
とはいえ、直ちに逮捕されてもおかしくない案件です。
この映像を作った人も含めて、即刻死刑でも文句は言えないものです。
もちろん日本ではそんな事はしませんが、それくらい重い事なのです。
これが国に不利益をもたらさない行為だとはとてもいえません。
あいちトリエンナーレが中止されなければ、 日愛(日本国と愛知県)戦争、冷戦の始まりでした。
表現するのは自由です。
言論も自由です。
ですがそれらには責任が伴います。
その責任を大村県知事は感じたからこそ、即刻中止する必要がありました。
そして『宣戦布告を取り消します』とは言えないので、『脅迫されたから』などという言い訳をせざるを得ないのです。
脅迫だって、宣戦布告してきた相手に言った言葉だとしたら、ある意味正当化されます。
『宣戦布告を取り消さなければ、本当に反撃するぞ!』って意味ですからね。
そんなわけで、おそらく国民の多くはそれを認識してはいるのだと思います。
ただ、あまりにも大事件だったもので、日本国民として恥ずかしいから隠したいのかもしれませんね。