人類というのは、突然今始まったものでもなければ、何度も途切れながらきたものでもありません。
何万年も前から存在し、社会はその中でゆっくりと進化してきています。
時には大きな改革があり、時には大事件によって変化しながら、それでも基本はゆっくりと精錬されてきたのです。
だから社会に大きな問題が当然出てくる事はありません。
大事件など大きな変化が有れば別ですが、普通に流れる時代の中で、いきなり大きな問題が降ってわく事などないのです。
あるとしたら、徐々に問題が大きくなってきてそれに気づいた時でしょうか。
それでもそれはおそらくそんなに大きな問題ではなく、大きな問題は必ず何十年も前から小さな問題としてあった事でしょう。
それなのに、インターネットでは偶に、突然降ってわいたように何かの問題に対して大きな声を上げる人がいます。
そういうのは決まって騒ぐほど大きな問題ではないはずです。
確かに問題と言えば問題なのでしょうが、大抵はまだ小さな問題として生まれたばかりか、既に改善する方向に向かっているものだと感じます。
例えば差別問題などは、100年前から比べればはるかになくなってきているものでしょう。
それに当時、今ほど問題にされていたかどうかと言えば、今と同じようなものなのではないかと思いますし、これは時代によってしっかりと変化してきているものだと私は思います。
騒ぐと、それは極論であるとみんなに言っているようなもので、逆に反論も多く、本当の問題は騒ぎの中には無いと言えるのではないでしょうか。
とは言え、時代の中で溜めに溜めた鬱屈や不満というものが、何かがきっかけで出てくる事も無いとは言えません。
そこで今日考えたいと思ったのが、痴漢とセクハラについてです。
まず最初に私の個人的感情から言いますと、痴漢に関しては、『冤罪ではない』事と、『常習犯である』事が確実であれば、死刑でもいいと思っています。
セクハラも、強制猥褻に当たるものはしっかりと取り締まるべきだと思います。
しかしですね、こういう問題をなんとかするように声が上がると、何故か男からは擁護意見や、酷いものは黙認するべきだという声まで出てきます。
これは一体なんなんでしょうか。
私は男の中でも、おそらく最も性欲から遠い存在で、どちらかというと女性側の男だと自覚しています。
昔からとにかく男のこういう所を嫌っていましたし、痴漢なんかも絶対にしないだけの理性はもっていると思っています。
でもですね、こういう問題に対して何故か反論する男が多いのを見ると、この問題もまた極論なのではないかと思うわけす。
そこで、私は基本女性側から考えておりましたが、今日は男性の気持ちも考えてみる事にしました。
痴漢は、ハッキリ言って強制猥褻罪です。
かなり悪質なものです。
で、色々な人の意見を見ているうちに、興味深い発言を見つけました。
『目の前におっぱいがあれば揉みたくなるのが男』
確かに、その感情というのは、多くの男性が否定できない所でしょう。
でも、男は理性でその行動を抑えているわけです。
ですが絶対に抑えられない体の変化というものもあるのですよね。
私のような不能男でも、本当に不能でない限りは、やはりそれなりに反応してしまうのです。
前にも書いた記憶がありますが、高校生の頃、満員電車で女性と体が密着するような時は、呪文を唱えて気を逸らすのに必死でした。
そういう事を考えると、痴漢に間違えられるリスクや、或いは寝ぼけていたり酔っ払ったりして理性を失っている時の行動にまでは自信が持てません。
私ですら絶対とは言い切れないのです。
となると、もしも痴漢というものを無くそうとするのなら、男女が電車に一緒に乗る事を避けるしか方法がないのかなとも思うわけです。
セクハラなんかはもっと難しいと感じます。
私ですら過去を振り返れば、セクハラ発言と受け取られる可能性のある事は言っています。
相手が嫌がったらそれはセクハラという定義らしいですから、正直どうにもなりません。
そしてスキンシップなんかも、良い時も有れば悪い時もあるわけで、これはなかなかに繊細な問題だと思うのです。
そもそも男性がどうして女性にそのような事をするのかを考えると、これはもう本能なのです。
生物学的に見て、男性が求愛行動をし、それに対して女性が拒否権を発動するというのが野生のルールです。
それを1300年前の古事記に日本人は書いていたわけで、それはもう真理なのでしょう。
求愛行動は流石に否定できないのではないかと思うのです。
猫の世界だと、強姦ですら求愛行動の一つになっているようです。
野良猫の雄が雌を追いかけまわしているのを見た事があります。
気が付けばその雄の子供を雌が産んでいました。
野生の世界ではそんなものなのです。
ただし人間は違います。
理性もありますし、強姦まで認めるつもりはありません。
ですが求愛行動すら規制したら、それは少子化や結婚できない男が増えるのも当然の結果なのではないでしょうか。
今のセクハラに関する法律は、確か職場での話に限るものかと理解しています。
つまり職場で求愛行動をするなと言っているような感じですかね。
女性に言わせれば職場じゃなくても、『求愛行動ならハッキリ言えばいい』と思うかもしれませんが、男もやはり不安なのですよね。
少しずつ様子を見ながら、徐々に求愛行動をエスカレートしていき、告白はある程度脈があるというのを確認してから行いたいわけです。
男性としては、求愛行動による多少の不満は我慢してほしいという所なのかもしれませんね。
まあ最も、この辺りは女性から積極的に男性にアプローチするのなら、少子化や晩婚未婚の問題は解決するのかもしれません。
でもね、これもまた男性の感情ですが、積極的に寄ってこられると、逆に覚めるんですよね。
女性だって自分から求愛行動をするのには、抵抗あるんじゃないでしょうか。
本能というのは割とコントロールが利かないもので、本当にやっかいだと思います。
『人が嫌だと思う事はやってはいけない』、これはあたり前だと思います。
でも男と女の問題だけは、なかなかそう上手くいかないものなのかなと、そういう結論ですかね。
一瞬、二人で飲みに行ったらここまでオッケーとか決めればいいのではないかとも思ったのですが、誘う時点でそれはあからさまになってしまうわけで、だったら最初からハッキリ言うよねって話になります。
求愛行動を拒否したらそれはセクハラになるわけで、この辺りは未婚と既婚で判断するしかないのかなとか、ん~難しいです。
正直結論は出せませんが、男と女の問題というのは、やっぱ現状程度が限界で仕方がないのかなって思います。
それでもここまでの考えをまとめると、痴漢に関しては対応策が必要だと思っています。
一緒に乗らないというのが一番いいとは思いますが、それもまた不可能でしょう。
そうなると、防犯カメラの設置とか、弱い男でも痴漢に立ち向かえるように警棒を所持しておくとか、何かしら対応ができればいいですね。
セクハラに関しては、草食男子が増えすぎている今の現状では、これ以上厳しく取り締まるのは不可能だと考えます。
女性の方からも、もっと積極的に来て欲しいという声もありますし、騒ぐ事が未婚晩婚者を更に増やす事になりかねません。
正直歯がゆいですよ。
私は男ですが、女性上司からセクハラを受けた事はあります。
そういう嫌な思いはしたくありません。
ですがまあ求愛行動だと言われれば、仕方がないのかなって思いますしねぇ。
既婚と未婚で分けるくらいがせいぜいでしょうか。
やっぱ私には分かりません。{苦笑}
ただ、下手に騒がず、セクハラに関してはとりあえず現状維持なのかなぁ。
※※追記※※
そうそう、痴漢経験のある男性って1割くらいいるんですよね。
そういうアンケートの結果ですから、本当はもっといるかもしれません。
もしも完全に取り締まれば、男性の1割がタイーホされるわけです。
そう考えると、やはり電車に男女が一緒に乗る事が問題とも言えるわけです。
しかも痴漢経験は、割合的には若い人の方が多いのです。
ただし常習者は年配者の方が多い印象で、若い人は若気の至りで1回やっちゃって、それで反省して止めるという事なのかもしれません。
ですが、そのデータが正しく若い人の方が多いとなると、この先痴漢をする人は増える傾向にあるという事です。
常習者が減れば痴漢被害は減るでしょうが、この問題はやはり改善が難しい問題なのかもしれませんね。