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2019年6月25日火曜日

あれも差別これも差別どれも差別やっぱり差別!!そろそろ整理して考えて欲しい‥‥そうだ!これからは『差蔑視』と言おう!

ツイッター上には、識者著名人そして弁護士と専門家が結構な数発言しております。
しかし、どうもまともでない事を言う人が結構な数いるようなのです。
弁護士なんかは法律の専門家だと思っていましたが、いやいや常識とかけ離れていると申しましょうか、自分の思想に偏った解釈をするものだと、ちょっと残念に思う次第なのです。
弁護士と言えどもやはり人間で、思想感情に左右されるのですね。
私のようにデジタルに考える方法にも欠点はありますが、基本はちゃんと抑えておく必要があると思うのですよ。
まあなんにしても、そろそろ差別の定義をしっかりとしておく必要があると思うので、改めての提案です。

差別というのは、言葉の意味としては色々あります。
しかし批判されているのはこの全てではありません。
詳しくは過去の記事を読んでいただきたいのですが、まあ簡単に言えば、批判すべき差別結果を批判するものではなく、批判すべき差別行為が批判されているのです。

差別とは、『差別意識』がまずあり、それによって『差別行為』を働き、『差別結果』が生まれるという流れです。
そのどれも差別という表現がされ、主に結果が批判されるからややこしいのです。
しかも差別には良い差別、問題無い差別も存在し、ちゃんと悪い差別だけを批判するべきなのですが、その辺りも曖昧に批判する人がいるから更にややこしいんですね。

だから私は新たな言葉を作るべきだと考えます。
そうですね、悪い意味だと一目で分かるように『差蔑視』なんてどうでしょうか。
或いは略して『差蔑』でも良いですね。
とにかく、差を付けて別にするだけではなく、蔑視するという意味も含めるのです。

では批判すべき差別を差蔑視として表現し、これから少しだけ話をします。

批判されるのは、『差蔑視意識』があり、『差蔑視行為』を働き、『差蔑視結果』をもたらすものです。
しかしこの全てが揃っている時は良いですが、どれか2つだったり、或いは1つの時は批判してもいいものなのでしょうか。
差蔑視意識は心の中の事ですから、批判しようにも批判できませんよね。
せいぜいそういう意識を無くす為の教育をするくらいで、これだけで批判される事はありません。
ただし、無い方が健全と言えるのかもしれません。
では大抵は此処を批判するであろう、差蔑視結果はどうでしょうか。
これはですね、ここから差蔑視行為や差蔑視意識が推測できる場合は批判しても良いとは思います。
ただし、偶々その結果になる場合もありますから、ちゃんと確認してから批判するべきだとは思いますね。
例えばある会社で、全く同じ仕事をこなす男女に、給料差がある場合です。
男性の給料は10万円、女性の給料は40万円です。
これは当然差蔑視に当たると思われます。
しかしこの給料は、実は男性が会社に懇願して望んで10万円にしてもらったとしたらどうでしょうか。
それならこの給料差で会社を差蔑視だと言って責める事はできませんね。
差別ではありますが、差蔑視ではないのです。

つまりですね、差蔑視とは大抵の場合、差蔑視意識、差蔑視行為、差蔑視結果、全てが揃ってこそ批判できるものとして存在するわけです。

しかし、結果はそうではなくても差蔑視は存在します。
たとえば、外国人社員に嫌がらせしようと、外国人社員にだけ昼食に嫌いな食材入りカレーをごちそうしました。
外国人社員は嫌いな食材が使われている事を知らずに食べ、メチャメチャ美味かったと感激し感謝しました。
お腹も壊す事なく、 結果何も問題になりませんでした。
これってどうでしょうか。
やっぱりその外国人社員に対する差蔑視ですよね。
偶々問題にはなりませんでしたが、このような場合も存在するわけです。
これは外国人を差蔑視して差蔑視行為を行っていますから、批判しても良いものです。
これを知ったら外国人社員は怒っていいのです。

差蔑視意識がないと大抵は差蔑視行為は無いので、これは一緒に考える事ができます。
つまり、差蔑視意識からの行為が批判対象であり、それが無い場合は差蔑視とは言えないのです。
先にも言った通り、差蔑視結果から『差蔑視意識からの行為』があったと思われるものは批判しても良いと思いますよ。

基本は、差蔑視意識からの行為によって差蔑視結果が出たものを批判し、結果が無くても批判対象にはなり得る、と言ったところでしょうか。
厳密にいえば、差蔑視意識がなくても差蔑視行為を働く事もあるので、差蔑視行為があったかどうかが批判の対象になるかどうかって所だと言えるでしょう。

差別って言葉は色々な意味を含むので、差別という言葉を使って問題にしている間は、問題にしている事に問題が生じる可能性があります。
ちゃんと分けて考えたいですね。

ちなみに、これら批判対象になり得る差蔑視行為ですが、そこに理由がある場合もあります。
その時は、ちゃんとその理由が妥当かどうかを判断する必要があるでしょう。
結論を言えば、むやみに差蔑視批判(差別批判)はせず、まずはどういう事情なのかを確認した方がいいですね。

※※追記※※

言葉の意味としてではなく法的な解釈としては‥‥

憲法14条の法の下の平等は最高裁判決の通例として
『差別=合理的理由のない区別』




男女平等は人としての本質的平等を言う

だそうです。
まあ言葉の意味としての差別と変わり無しと言いますか、これじゃ混乱しますね。

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