前にも似たような記事を書いたかもしれませんが、改めて書きたいと思います。
伊藤詩織氏の山口敬之氏に対する訴訟の口頭弁論が始まりました。
この話の真実は何処にあるのかなんて、私にはもちろんわかりません。
ただ言えるのは、証拠が有れば有罪になり得るだろうし、無ければ無罪になるという事です。
それは人が人を裁く上での最低限の鉄則であり、必ず守らなければならないルールです。
何故なら、それを守らなくなったら、誰でも簡単に犯罪者に仕立て上げる事ができてしまうからです。
冤罪がいくらでも成立してしまうのです。
だから、証拠が無ければ無罪となるのは、どうしても仕方がないと言えるでしょう。
そして無罪となった人を責めてはいけません。
被害者は本当の事を知っているので責めるのも仕方がありませんし、その身内や関係者も被害者を信じて責める事はあるでしょう。
しかし部外者は、無罪になった人を責める事はできないのです。
ある人が言っていました。
部屋で二人きりだとしても、同意も無しに襲ったらそれはレイプだと。
もちろんその理屈は分かりますし、嫌なのに襲われた人は当然レイプされたと言うでしょう。
しかし二人きりの部屋で、被疑者がレイプをしたという証拠は残るのでしょうか。
おそらく難しいと思われます。
隠しカメラやなんかを設置していれば別でしょうが、基本的には無理でしょう。
そうなると、後でレイプされたと言っても、おそらく被疑者は無罪となってしまうのです。
これは人が人を裁く上での限界であり、どうにもならないのです。
人間は神様ではないのですから。
だから私は言いたいのです。
人が人を裁く限界を知っておいてほしいと。
女性を襲う男はクズです。
ですが残念ながら、どれだけ治安の良い国であっても、クズは一定割合いるのです。
たとえ全てを極刑にした所でクズはゼロにはならないでしょう。
だったらどうするべきでしょうか。
後は女性(被害者)に自衛していただくしかないのです。
人が人を裁ける限界を知り、これ以上行ったら証拠が残せないと感じたら、その気が無ければそれ以上はお断りするしかありません。
或いは自分で撃退できる力を持っておく事になるでしょう。
それを理解しておいてほしいのです。
悪いのはクズだというのは重々承知しております。
ですがそいつらをいくら責めた所で、人には裁ける限界があるのです。
その限界を知り、体を大切にしてください。
昔流行った、ピンクレディーのSOSという曲はオススメです。
昔の人はこれを聴いていたので、ガードが結構堅かったかもしれませんね。
警戒心も強かったのかもです。
被害にあってから、「悪いのは相手だ」と言っても、証拠が無ければ人間には有罪にはできないのですよ。
神様がいればいいんですけれどね。
或いは私が神様なら、男女問わずクズは裁いてあげるんですけれどね。