今朝、田沼議員のツイートを引用して私がツイートしたものを引用して、こんなツイートをしていらっしゃる方がおられました。
そもそも政教分離は特定の宗教団体への偏向を禁じたもので、この行事で偏向が生まれるとは言い難い。信教の自由ももちろん保障されている。目的効果基準から見ても合憲と私は考える。画一的教条的な政教分離は非常識だ。— 田沼たかし (@tanumatakashi) November 14, 2019
→https://t.co/D5Ns8lVkRe
政教分離は憲法の何条にかかれているのか。— 秋華 (@syuka56) November 15, 2019
1条から読み進めれば、どれが優先されどれが例外事項になるのか分かるかず。
天皇に関する事が1条に書かれている以上、神道は例外であると考えられる。
少なくとも皇室行事に関してはね。
間違いなく合憲。 https://t.co/SUtozXxJGX
流れはこんな感じですね。解釈で合憲だーとかやめよう、正しいと思うなら憲法に皇室行事はできると明記しよう https://t.co/69d4ECfVH5— 🌻ろっひーん@大阪都構想モード!!!& 寝屋川市勝手に応援団団員 (@rohhien3) November 15, 2019
私のツイートに誤字があるのはスルーしてください。{苦笑}
ろっひーんさんは、私が『間違いなく合憲』と言った事に対して、『解釈で合憲だーとかやめよう、正しいと思うなら憲法に皇室行事はできると明記しよう』とおっしゃっています。
はい、まさにその通りでございます。
この世に絶対はありませんから、屁理屈をこねれば断定なんてできるものはありません。
絶対が無いというのは私の考えですが、言いたいのは屁理屈をこねればどんな事でも否定できるという事です。
現に今、屁理屈をこねて皇室行事に『憲法違反』と言って否定している人もおられるわけで、絶対ではありません。
おそらくろっひーんさんは、そんな人もいるから、ちゃんと憲法を改正して突っ込まれないようにしましょうという事が言いたいのだと思います。
それはそれで正しい言だと思いますし、できるものならそれはそれで有りだと思っています。
ただですね、屁理屈は何処までもできるわけで、例えば憲法典に皇室行事を書かれたとて、否定する人は否定します。
「そもそもそんな憲法改正自体憲法の政教分離に違反しているから無効だ」と言うでしょう。
実は私、このツイートをする時に、最後断定しようかどうか悩んだんですね。
そこにツッコミを入れてくださる方がおられたので記事にしようと思ったのですよ。
『合憲です』と言おうか、『合憲だと言える』としようか、20秒ほど書いては消したんですね。
そこであえて『合憲』でとどめたわけです。
私は絶対は無いと思っているので、断定はしにくい、でも断定したいという葛藤の末のツイートなんです。{笑}
でもですね、断定できるだけの理由が無ければそうは書きませんでした。
考えた末に出した結論だったのです。
たとえば1+1は2ですがこれだって絶対とは言い切れません。
1人と1人がくっつくいて子供ができて3人や4人になるかもしれません。
2つの星がぶつかって1つになる事もあるでしょう。
1+1が2というのは、数学的な裏付けや定義等、あらゆる『あたり前』が前提で2と定められ、誰もが2と断定するわけです。
つまり、概ね多数がそう考え、現実そう扱われているものに関して断定するのは間違いではないのです。
皇室祭祀を国家として行う事は、さてどうでしょうか。
一つに、まず内閣法制局が認めています。
譲位に関しては今まで規定がなかったので、4条に対する違憲の恐れがあるという風には言っていましたが、これだって恐れがあるだけで、消極的にではありますが合憲と認めています。
政教分離に関する所には言及していなかったかと思います。
次に、現実にちゃんと執り行われ、大多数の人が政教分離に関しては疑問を持っていません。
疑問の声と言ったら、税金を掛け過ぎとか方向も違います。
この2つの事から、皇室祭祀が合憲であると断言しても良いわけです。
もちろん私は絶対は無いと思っていますし、屁理屈をこねればいくらでも否定はできますよ。
でも断言するべきものだと判断したのです。
他にも理由はありますよ。
裁判結果として合憲が認められています。
※参考リンク:公明党、大嘗祭参加へ 社民欠席「政教分離違反」
公明党が今回参加した理由としてハッキリ言っています。
裁判で断言しているものをわざわざ否定する意味がありません。
国家のルールは憲法典だけではありません。
法律はそれを補完するものであり、裁判結果も同様です。
合憲であると補完されているのだから、合憲と断定して良いわけです。
そもそも憲法というのは、国家国民の伝統文化風習全てを指して言います。
簡単に言うと、あたり前だと思われている事、あたり前に扱われてきた事全てが憲法です。
そんなものを全て憲法典に書く事は不可能です。
空気を吸っても良いとか、飯を食べても良いなんてわざわざ書く必要はないでしょう。
漢字で『きた』は『北』と書くとか、空に浮かぶものを『雲』と言いましょうとか、一々全ては書けないし、書く必要がないのです。
天皇陛下が祭祀を行うことだって、日本ではあたり前の事で、その事に疑問なんてないはずです。
天皇が憲法典の1条に堂々と書かれていれば、その天皇が何をするか、あたり前の事を一々書く必要はないのです。
憲法典とは、憲法の中で確認が必要な大切な事と、国家の運営方法を記したものです。
今はアメリカ式でチョッピリ目標チックになってはいますが、元来そういうものです。
それもあたり前の事です。
今回田沼さんも言っておられるように、憲法の解釈としても合法と言えます。
政教分離というのは、政治が特定の『宗教団体』に利益供与する、又は逆に損失を与える事を禁止するものです。
世界的な認識としてはそれが常識です。
利益供与を禁止するのか、 損失を与える行為を禁止するのかは国によって違うそうですが、確かこの話は憲政史家の倉山満さんがおっしゃっていたと記憶していますので、本を読んで勉強していただければと思います。
そして田沼さんもおっしゃっている通り、皇室の祭祀が特定の『宗教団体』を利益供与したと考える人はまずいないでしょう。
そして私のツイートに関してですが、これは解釈の問題というよりは、憲法典を読むルールにそって出した結論であり、解釈レベルとは違います。
憲法学者でもあるしがないラーメン屋の竹田恒泰さんの話によれば、憲法典を読むのにはルールがあるそうです。
それは、『矛盾の無いように読む』だそうです。
大学で憲法を習う時に最初に教わる事だそうなので、私は知りませんがそうなのでしょう。
そのルールに沿って読めば、間違いなく皇室祭祀は合憲なのです。
百歩譲って矛盾は正さなければならないと言うのなら、正すべきは『政教分離』の方です。
憲法1条ではなく、憲法20条や89条が憲法違反だという事になるのです。
そんなわけで、皇室の祭祀は合憲です。
まあそもそもの話、今の日本国憲法には間違いもありますし、正直ゴミ憲法ですよ。
全面見直しが必要でしょう。
でも憲法にある間違いすら正す事ができないのに、全面見直しなんてありえませんね。
だからなるべく屁理屈を言われないように、少しでも憲法改正するという意見もそれはそれで正しいです。
最初に言った通り、ろっひーんさんの意見も、否定はしませんしそのような改憲があるのなら私は賛成するでしょう。
ただ、皇室祭祀が合憲であるというのは断言しても良いと思います。