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2021年10月19日火曜日

選択的夫婦別姓に関して リバタリアンとバーキアンの融合視点から

 今朝、フォロワーさんが、『選択的夫婦別姓は認めてしまってもいいのではないか』という方向から、私の意見に対して意見くださいました。

本当にありがとうございます。

おかげで一つ、考えが整理できましたので、それをここに書きたいと思います。


その方が選択的夫婦別姓を認めてしまっても良いと思う理由は、だいたい一つの考えに集約されていました。

『自由』です。

自由は当然大切な事ですから、そういう視点で見る事はもちろん大切です。

その方は今までのツイートを見る限り、バリバリの自由主義者かと思われます。

違っていたらすみません。

「日本政府は潰れてしまえばいい」というような発言も見た事があったかと記憶していますし、国家も否定するリバタリアンだと認識しています。

ちなみに私も昔同じことを言っていた事がありますし、リバタリアン的要素は大いに持っていますが、どちらかというとバーキアン要素の方が強いと自覚しています。

リバタリアンというのは、自由を大切にする自由統治国家を目指す方々であり、中には国家すら否定する方もおられます。

※一言でリバタリアンを言い表す事は難しいようです。

※財産権の侵害に対して反対する人という話も‥‥

政府の介入を許さない方々ですね。

一方バーキアンというのは、歴史や伝統、文化を大切にする文化統治国家を目指す方々です。

ザックリと言っていますから、正確には少し違うかもしれません。


さて現在の世界ですが、多くの国が文化統治されています。

それは当たり前で、そこに住む人を無視して統治はできないからです。

だから憲法というのは文化そのものですし、憲法典というのはその中で『大切だから確認が必要』というものが書かれています。

それと国家運営の方法ですね。

『文化で統治=憲法で統治』なのです。

もしも自由統治国家を造るなら、誰も住まない土地に憲法と法を先に作って、それで良いという人だけ集めれば造る事ができるでしょう。

ただし時が流れれば文化は生まれ、自然に文化統治国家になります。

だから独裁恐怖統治なんかじゃない限りは、文化統治にならざるを得ないのです。

まあ日本人は柔軟性がありますから、独裁恐怖統治だろうと自由統治だろうと、日本なら案外うまくいく可能性もありますけどねw

で、その中でも『やっぱり自由は大切だよね』と言うのが人々の共通認識ではないでしょうか。

そこでリバタリアンとバーキアンの融合というのが、最近言われています。

文化統治は最大限配慮しつつも、なるべく自由を大切にしようという考えです。

私はこの考えに賛同し、文化と自由の融合こそ正しい統治のあり方ではないかと、今は思っています。


さてそれで選択的夫婦別姓ですが、そもそもの夫婦同姓は、日本の文化に根付いた法律です。

だからこれは最大限の配慮が必要な法律という事になります。

自由を理由に変えるのは、筋が違うと私は感じますが、皆さんはどうでしょうかね。

結局の所、この法律を変えても文化が変わっているわけではないので、おそらく別姓にする人は多くはないと思います。

ただし、これを『文化の変更』に利用しようと考える人は出てくるでしょうね。

或いは既にその為にこの法制化を目論んでいるとも考えられます。

世界は今文化戦争の真っただ中で、どの文化が生き残るのかのサバイバル中です。

別に良いモノであれば文化が変わるのは仕方がないと思っていますが、私には別姓が良いモノとは思えないし、少なくとも今の日本には合わないでしょう。

わざわざ文化を失くす為に法を変えて文化を強制するのはいかがなものかと思うわけです。

自由の強制は自由なのか?!wみたいな事も思いますね。{笑}

事実婚が増え、多くが結婚せずに別姓でいるようなそんな状況になれば、もう昔の文化は無くなってしまったという事で、変更も考えるべきでしょう。

しかし今、ほとんど問題がないわけです。

法律だって時代と共に変わるし、憲法だって変えていくべきものではあります。

でも文化に根付く憲法や法律は、まず国民が変わってから法を合わせていくべきなのです。

少なくとも今は、リバタリアンとバーキアンの融合という視点から見た場合、まだ変えるべき時期ではないと私は思います。


私が政治に興味が無かった頃は、別姓どころから自由姓を求めていたものです。

でも今になって、自由姓でなくて良かったと思っています。

政治や歴史を学ぶにつれ、文化の大切さを学んだからでしょうかね。


今回は、リバタリアンとバーキアンの融合という視点から、選択的夫婦別姓という問題に関して考えてみました。

そうでない視点、或いはリバタリアン目線で見れば、私の言っている事は納得できないかもしれません。

でも私は、色々な視点から見て、今『選択的夫婦別姓』には反対しています。

こういう視点でこの問題を見るのも一つの視点ですからアリですが、私はあらゆる視点から見て考えたいと思っています。

そんなわけで、現状はまだ考えは変わらないですね。

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