ハッキリ言います。
私は宗教に対してあまり良い印象を持っていません。
過去の戦争の歴史や、日本にキリスト教が伝わった経緯、そして今のISなどを見れば、概ねそういう印象を持ってしまうのは仕方のない所でしょう。
しかしだったら何故、宗教は無くならないのでしょうか。
支持する人が何故、これほど多く世界にいるのでしょうか。
それは、デメリットばかりが目立ちすぎているだけで、それ以上に良い部分があるからです。
最近私は神社巡りをしていて、とにかくそれを感じます。
神道を宗教とするのかとか、他の宗教と一緒に考えていいのかというのはありますが、共通する部分は確かにあります。
それは全て、人の教育に役立つという事です。
世界各国にある宗教で言えば教典なり教えなりがあり、それは今の人の心にも響く良いものです。
神道に関しても、『神様が見ているから悪い事をしてはいけない』など、教育に役立つものとなっています。
宗教は普通に受け止めれば、人が人として大切な何かを学ぶ為のものであるはずなのです。
ただ問題は、正しい事の反対は間違っていると考えてしまう部分です。
どちらも正しいなんて考えません。
或いは絶対的に正しい事があると決めつけてしまう事です。
日本では良いとされる事でも、海外では駄目な事もあるわけです。
絶対はないのです。
そういう勘違いを悪用する人がいるから、宗教は様々な悪事に使われ印象が悪くなっているのです。
或いは勘違いをさせてしまうほど素晴らしいものだから、人の判断を誤らせてしまうのです。
例えばジハードなどは、自分達の生命財産を脅かす敵に対しては、無慈悲に排除する事も厭わないというものとも言えます。
確かにその考えは、場所や状況によって正しい考えと言えるでしょう。
でも実際に行われている手段や判断は正しいのでしょうか。
本来はそこを問う必要があるのではないでしょうか。
宗教とは本来、自分の行動を見つめなおし問う為にあるのが望ましいと考えます。
それは教えに対して疑問を投げかける事も含まれます。
神様はこれが正しいと言っているけれど、この状況で本当にそれが正しいのか。
それを考えられるようになる事が、本当の教えなのではないでしょうか。
最近そんな風に思うのですよね。
今の我々は、学校に通い教科書を読んで勉強しています。
その時、人はなんの疑問も持たずに教科書に書かれている事が『正しいと決めつけて』勉強していますね。
でも本当の勉強、学習、教育とはそれでは駄目なんだと思います。
教科書に書かれている事が本当に正しいのか。
自分で調べて考える事が真の勉強であり教育なのだと、私は最近気が付きました。
世界中の宗教は、それぞれきっと素晴らしいものなのでしょう。
でもそれだけの認識では本当の意味で素晴らしいものにはなり得ません。
それに疑問を持ったり自分なりに調べて確認する事で、宗教が宗教として素晴らしいものだと認識されるようになるのだと思います。
今は胡散臭いとか、悪い印象が強いです。
これが無くなった時、ようやく世界が一つになる為にスタートするのだろうと思います。
ちなみに私は今保守的な言動を多くしていますが、別に世界が一つになる事に反対しているわけではありません。
いずれそうなるべきだとは思っています。
ただ、今のまま無理にやっても世の中悪くなるだけだから、ゆっくり問題を見つけて解決しながらやっていこうと言っているだけです。
まだまだ移民を受け入れるとかとんでもない話ですよ。
なんでも話し合いで解決できるなんて現実的ではありません。
世界中全ての人が、ある程度同じような価値観を共有できるようにならないとですね。
そのためにまずは日本の教育を見直さないといけないと強く思います。