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2020年2月18日火曜日

多様性は文化と自由を破壊する!アメリカを見習ってはいけない!?世界の理想は治安が良くて法律の少ない国!

よく『日本はアメリカを見習って‥‥』と言われる事があるように思います。
しかし私はいつも思うわけです。
『国が違うのですから、何でもかんでも見習えるわけがない』
今日はそんなお話をしようと思います。

まず、先日書いた記事のおさらいからです。
伝統文化を大切にする理由!憲法を守ればそうせざるを得ない!法律を少なくするのは政府の義務!

簡単にここではまとめます。
国家の役割として大切な事は憲法典に書かれています。
あたり前すぎるので憲法典に書く必要はないと思いますが、『人権』『平和』『平等』『自由』です。
日本人にとってはあたり前ですから、本来は憲法典に書く必要がありませんが、アメリカ人なんかにとってはあたり前ではありませんから、憲法典に書く必要があるわけです。
日本はアメリカに習った憲法典を使っているので、今はこのような事が書かれているわけです。

人権は、平和で平等で自由な生活を約束するという事です。
平和は、身の安全を保障するという事です。
平等は、公平な生活の為にルールをつくるという事です。
自由は、ルールをなるべく少なくするという事です。

そしてこの中で国家が注意する点は、ルールはなるべく少なくしなければならないという事です。
平和や平等を守る為には、ルールが必要です。
しかしルールを多く作ると自由が失われます。
だからルールは極力最低限にしなければならないわけです。

そこで重要なのが、文化、風習、伝統、習慣などです。
これらを軸にルールをつくる事で、ルールは減らせるわけです。
文化、風習、伝統、習慣は、国民にとってあたり前の事を指します。
先に述べたように、日本人にとって今の憲法典に書かれている事はあたり前の事です。
だから本来は書かなくて良い事です。
そうやってルールというのは減らして行けるわけです。

アメリカでは何故憲法典に書かれているかというと、文化や習慣などというあたり前の事が無いからです。
無いから書いておかないと守らない人が大勢いるわけです。
だから書く必要があるのです。

アメリカは移民の国であり、多様性のある国と言えるでしょう。
出来た時からそうで、それがアメリカなのです。
多様性があるという事は、まとまった文化や習慣が無いという事です。
まとまった文化や習慣がなければ、ルールとしてひとつずつ決めて行かなければ、平和や平等は守れません。
アメリカで犯罪や差別が多いのは、文化や習慣がないからですが、別の言い方をするとルールが足りないという事になります。
アメリカは今正に構築中の国なのです。

ちなみに、しいて言うなら多様性こそがアメリカの伝統であり風習であるわけですが、多様性はいずれは無くなっていきます。
赤と青が混ざれば紫になるように、これはいずれなくなる伝統風習と言えるでしょう。

アメリカでは裁判が多いと言われています。
日本ではなかなか裁判までする人はいませんよね。
それはそうです。
裁判をするまでもなくあたり前の結果しかでないからです。
アメリカには、そのあたり前がありません。
だから裁判をして『判例』によってあたり前のルール作りをしている真っ最中なのです。

しかし最近、日本でも裁判は増えているように感じます。
それは何故でしょうか。
多様性を勧め、別の価値観を持った人達、具体的にはチャイナやコリア系が入ってくる事で、文化や伝統と言ったあたり前の事を、あたり前に思わなくなった人が増えたからです。
或いはあたり前の事を変えようとしているとも言えるでしょう。

だから『どうしてそんな判決が出るの?』と疑問に思うような判決もされるようになってきたのです。
そしてそれは『判例』としてあらたなルールとして日本を変えています。
それが日本人にとってはあたり前ではないので、だから最近の日本人は、生き辛くなっていると言えるのです。

日本でよく聞かれる声としてこういうのがあります。
『性善説でやってるから駄目なんだ』
今まではこれでも大丈夫でした。
日本人だけなら、悪い事をするのは恥であり、それがあたり前だったからです。
しかし今、別の価値観を持った人達が日本で共に暮らすようになり、旅行でも多くの外国人が来るようになって、新たなルールが必要になってきたわけです。

多様性を勧めるというのは、日本人の価値観をリセットし、アメリカのように新たにあらゆるものを構築し直すという事です。
これって本当に見習うべきものなのでしょうか。
いずれ世界が一つになる事があるとしたら、アメリカを見習う事も必要なのでしょう。
しかしそれを今からするとなると、今生きている人の幸せは多分ありません。
不自由で平和も平等も無い世界で生きる事を強いられるのです。

今生きている人の人権は無視していいのでしょうか。
多様性を勧めるとはそういう事なのです。

だから求めるのは、アメリカを見習う事ではありません。
時間をかけてゆっくりと、自然に新しい文化を形成していく事です。
自然に皆があたり前に思うようになれば、それが暗黙の内にルールになるのです。
無理にルールを作って変える事を求めてはいけませんし、求める人がいても受け入れられません。

多様性だからと言って新しいルールをつくる事は、文化を破壊する事であり、自由の為のルールでさえ逆に自由を奪います。
今あるあたり前を変える必要はありません。
大きな問題がなければ手を触れる必要もありません。
ゆっくりと交わっていけば、自然と変り、自然とそれが文化風習というルールになるのです。

アメリカが何故文字にしてルールをつくらなけばならないのか。
それは今つくられていく国だからです。
一番遅れた国であり、一番新しい国だからです。

これはこの先の未来、世界が一つになる為の基礎にはなるかもしれません。
本当に多様性を求めるのなら、アメリカという国に文化伝統が生まれ、裁判なんかもなくなってゆき、無駄なルールも法律として必要が無くなった時、初めてそこでアメリカを見習えばいいのではないでしょうか。
おそらくその時のアメリカが、多様性の先にある理想になっているはずですから。
ただそこには、今言われているような多様性は無いでしょうけれどね。

ですが今は違います。
まだ全然駄目な子供なのです。
英才教育を受けている子供です。
この子供が育った大人のアメリカはきっと見習うべきでしょうが、日本なんかは既に一つの完成された現代最高の大人なのです。
今はアメリカが日本を見習うべき時なのです。

そんなわけで、今、多様性というのは違います。
言うとしたらアメリカだけでいいのです。
日本は世界一長い歴史を持つ国なのですから、現在では最も完成された国なのです。
変るとするならば、自然の中で変り成長すればいいのです。
そしていつかアメリカの文化が日本を追い抜いた時、世界がアメリカに習う事で、世界は一つになる、そんな気がします。

ただし、外敵のある中で作られたアメリカという国が、一つになった世界の理想の形とは思えませんから、もしかしたら理想の世界というのは、日本のような世界かもしれませんね。
或いはこの先の日本が理想となるかもです。
だから日本は、できる限り良い所をそのまま残していく義務があると思います。
日本の伝統文化は守っていきたいですね。

世界が一つになった時に理想とするべき国とは、治安が良くてルール(法律)の少ない国です。
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