森友学園の問題が騒がれる中、何故か一緒に『教育勅語が叩かれる』事態になっていますね。{笑}
この問題は、右派で自分の正義を疑わない人が強引に金を集めたり宣伝をしたおかげで、民進党がその叩きやすさにつられてゴチャゴチャにした話です。
勝手に名前を使われた人もいるわけで、正直保守派の印象を悪くするものでした。
それと同時に教育勅語も悪い印象がもたれて、真の保守派は迷惑していると思われます。
とは言え、教育勅語ってきちんと内容を理解すれば、言われているような悪い印象は全くありません。
軍国主義の象徴とかわけが分からないです。
ただ、だからと言って全く逆とも言えない所があります。
教育勅語の教育によって良い日本人が育ったかと言えば、それも違いますよね。
明治から昭和の教育は失敗だったと言われています。
義務教育が進んだ為に自主性が失われたり、戦争に勝って増長したりしました。
むしろ教育勅語は、駄目だからこそ発せられたものなんです。
つまり何が言いたいかというと、今教育勅語が必要だとしたら、それは世の中が駄目になってきているということです。
私は今必要性を感じていますよ。
自分があまりにも親不孝ですし、世間を見ても冷めすぎです。
今こそ人とのつながりを大切にするよう見直さなければなりません。
だからこそ、教育勅語なのです。
「なに?教育勅語こわーい」
なんて言っている人がいたら、だったら不要な世の中にすればいいのです。
年をとればみんな老人ホームって、そんなんで親子の関係はいいのでしょうか?
いずれ寂しい想いをするのは自分なのですよ。
先のことを考えず今だけを見ていたら、必ず後悔する時がきます。
そうならない為に、今は教育を見直す必要があると感じます。
あたり前のことがあたり前にできない日本人だからこそ、それを教える必要が出てくるのです。
ちなみに、教育勅語を暗唱した所で教育になるかどうかなんて分かりません。
ただまあ、無いよりはマシかなって、今は思います。